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第一話 切腹って痛いんだろうなあ
三
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ところが、気がついた時、五郎はねぐらの前まで来ていた。拓之進とともに。
御徒町から東に行き、鳥越神社が視界に入ってきたところを右手に曲がると、小さな川があり、それを超えた先に屋敷が建っている。
そこはかつて日本橋の商人が寮として作ったのであるが、浪人者をかこって商売敵に嫌がらせしていたことが判明して、町奉行所ににらまれ、あっという間に没落した。家族は十年前、に江戸から出ていった後、行方知らずである。
廃屋となった屋敷に、三四郎は郎党を集めて暮らしていた。不穏な雰囲気の侍が出入りして騒ぐので、近所の町民はほとんど近づかない。
五郎も場所は知っていたが、来るのははじめてだった。
「ここですね。いい屋敷です」
拓之進の表情は、穏やかなままだった。目も澄んでいる。
「では、乗り込みましょう。日暮れ前には帰りたいので」
「馬鹿、言うな。殺されるぞ」
五郎は拓之進をにらんだ。いったい、何を考えているのか。
「三四郎の一党は、とびっきりの荒くれ者ばかりだ。この間だって、下谷で斬り合いの喧嘩をして、大騒ぎになった。辻斬りに出歩いているって噂もある。俺たちふたりで、どうにかなる連中じゃないんだよ」
「大丈夫ですよ。話せばわかってくれます」
「だから、そういうのじゃないんだってば」
こいつ、馬鹿だ。名にもわかっていない。早く連れて帰らないと。
五郎は袖をつかもうとしたが、なぜかできず、気がついた時には、拓之進は前に出て、屋敷につづく木戸の前に立っていた。
「ごめんください」
意外なほど大きな声で拓之進が呼びかけると、人の気配が動いた。
雨戸が開いて、派手な小袖の一党が現れる。五人で、いずれも長刀を手にしている。
「なんだあ、てめえは」
背の高い武家が声をかける。惣髪で、右の頬には大きな傷があった。
野獣のような眼光を向けられて、五郎は縮みあがった。
「私は流拓之進と申します。この井ノ瀬五郎さんのところでお世話になっています」
「井ノ瀬だと」
背の高い武家は、五郎を見て、嘲るような笑みを浮かべた。
「なんだ、どこかで見た顔だと思ったら、神田でしみったれた暮らしをしている旗本じゃねえか。この間も世話になったな」
笑い声があがる。背後の者からだ。
五郎は唇を噛みしめた。蔑視されているのがわかるが、何も言えない。
「ふん。親父は相当に強くて、俺たちでも歯が立たなかったが、子供の代になって駄目になったな。確か、止水流だったか。せっかくの流派もお前のおかげで、終わりになったな。ぼんくらな息子のおかげで、親父の努力も消えて……」
「そこまでにしてください」
拓之進が割って入る。これまでになかった感情が声にこもっている。
「五郎さんを嘲るのは許しません」
「なんだと」
「ここに来たのは、扁額を返してもらうためです。あれは、道場の宝です。あなた方が持っていて、よいものではない。返してください」
「ふざけるな。生意気を」
「出さないのなら、探させていただきます」
拓之進は木戸を勝手にあけて、屋敷に入る。
すぐに、赤い小袖の男が飛び出してきた。隈を思わせる巨体で、右手には木刀がある。
「勝手に入るんじゃねえ」
頭上から木刀が迫る。
すさまじい勢いで、叩かれたら、骨まで砕かれる。
五郎は身をすくめたが……。
一瞬の後、景色は変わっていた。
大男の身体が一回転して倒れていた。白目を剥いたまま動かない。
拓之進は男を見おろしていた。その右手には、木刀がある。
「てめえ、よくも」
いっせいに、男たちが攻めかかってきた。白刃が拓之進に迫る。
危ないと思ったその瞬間。
男たちは動きを止めていた。
いつの間にか拓之進が彼らの背後に出ている。
ちらりと後ろを確かめると、男たちの身体から力が抜けて、その場に崩れ落ちる。
気を失っていて、彼らの身体はまったく動かない。
なんだ、いったい、何が起きているんだ。
「どうした! いったい」
ひときわ大きな声がして、青の羽織を着た男が姿を見せた。惣髪で、骨張った顔は髭で黒く染まっている。腕は途方もなく太く、太刀を軽々と扱っていた。
八代三四郎だ。遠縁から倒れた男たちと拓之進を見おろす。
「やったのはてめえか」
「扁額を返してくれないからです。早く出してください」
拓之進の申し出に、三四郎は嘲笑で応じた。
「そんなものはねえよ。とっくに壊して捨てちまった」
「嘘ですね」
拓之進は、三四郎をにらみつけた。
「壊して捨てるつもりなら、あの場でやっていたでしょう。わざわざ持ち帰ったということは、別にねらいがあるはず。落書きしてどこかに晒すとか、持って歩いて町を練り歩き、さんざん馬鹿にするとか。端から、人を嘲って楽しむつもりだったんでしょう。最低です」
「くそっ、勝手なことを」
「返してください。あれは、あなたには必要のないものです」
「誰がわたすか」
遠縁を降りて、三四郎は拓之進の前で太刀を構えた。
殺気が高まるのを見て、思わず五郎は声をかけた。
「気をつけろ。そいつは一刀流の達人だ。まともにいけば、やられるぞ」
屋敷に押しかけられた時、五郎は何度か三四郎と対峙したが、一度として太刀筋を見切れなかった。木刀での対決だったが、傷ついた時には肩や腕を打たれていた。
本物の剣士であり、侮るのは危ない。
「平気ですよ。五郎さん。見ていてください」
拓之進は、無造作に間合いを詰めた。構えもしない。
三四郎の目がつりあがった。
殺気が頂点に達したところで、横薙ぎの一撃が来る
やられたと思った瞬間、太刀が宙を舞っていた。回転して地面に突き刺さる。
同時に、三四郎がその場に倒れた。うつ伏せでまったく動かない。
いったい、何があった。
なぜ、倒れているのが三四郎で、拓之進は平然としているのか。わからない。
「行きましょう。扁額を取り戻さないと」
拓之進が屋敷に近づくと、三四郎の一党は飛び散るようにして逃げた。
残ったのは屋敷に歩み寄る拓之進と、呆然と立ち尽くす五郎だけだった。
御徒町から東に行き、鳥越神社が視界に入ってきたところを右手に曲がると、小さな川があり、それを超えた先に屋敷が建っている。
そこはかつて日本橋の商人が寮として作ったのであるが、浪人者をかこって商売敵に嫌がらせしていたことが判明して、町奉行所ににらまれ、あっという間に没落した。家族は十年前、に江戸から出ていった後、行方知らずである。
廃屋となった屋敷に、三四郎は郎党を集めて暮らしていた。不穏な雰囲気の侍が出入りして騒ぐので、近所の町民はほとんど近づかない。
五郎も場所は知っていたが、来るのははじめてだった。
「ここですね。いい屋敷です」
拓之進の表情は、穏やかなままだった。目も澄んでいる。
「では、乗り込みましょう。日暮れ前には帰りたいので」
「馬鹿、言うな。殺されるぞ」
五郎は拓之進をにらんだ。いったい、何を考えているのか。
「三四郎の一党は、とびっきりの荒くれ者ばかりだ。この間だって、下谷で斬り合いの喧嘩をして、大騒ぎになった。辻斬りに出歩いているって噂もある。俺たちふたりで、どうにかなる連中じゃないんだよ」
「大丈夫ですよ。話せばわかってくれます」
「だから、そういうのじゃないんだってば」
こいつ、馬鹿だ。名にもわかっていない。早く連れて帰らないと。
五郎は袖をつかもうとしたが、なぜかできず、気がついた時には、拓之進は前に出て、屋敷につづく木戸の前に立っていた。
「ごめんください」
意外なほど大きな声で拓之進が呼びかけると、人の気配が動いた。
雨戸が開いて、派手な小袖の一党が現れる。五人で、いずれも長刀を手にしている。
「なんだあ、てめえは」
背の高い武家が声をかける。惣髪で、右の頬には大きな傷があった。
野獣のような眼光を向けられて、五郎は縮みあがった。
「私は流拓之進と申します。この井ノ瀬五郎さんのところでお世話になっています」
「井ノ瀬だと」
背の高い武家は、五郎を見て、嘲るような笑みを浮かべた。
「なんだ、どこかで見た顔だと思ったら、神田でしみったれた暮らしをしている旗本じゃねえか。この間も世話になったな」
笑い声があがる。背後の者からだ。
五郎は唇を噛みしめた。蔑視されているのがわかるが、何も言えない。
「ふん。親父は相当に強くて、俺たちでも歯が立たなかったが、子供の代になって駄目になったな。確か、止水流だったか。せっかくの流派もお前のおかげで、終わりになったな。ぼんくらな息子のおかげで、親父の努力も消えて……」
「そこまでにしてください」
拓之進が割って入る。これまでになかった感情が声にこもっている。
「五郎さんを嘲るのは許しません」
「なんだと」
「ここに来たのは、扁額を返してもらうためです。あれは、道場の宝です。あなた方が持っていて、よいものではない。返してください」
「ふざけるな。生意気を」
「出さないのなら、探させていただきます」
拓之進は木戸を勝手にあけて、屋敷に入る。
すぐに、赤い小袖の男が飛び出してきた。隈を思わせる巨体で、右手には木刀がある。
「勝手に入るんじゃねえ」
頭上から木刀が迫る。
すさまじい勢いで、叩かれたら、骨まで砕かれる。
五郎は身をすくめたが……。
一瞬の後、景色は変わっていた。
大男の身体が一回転して倒れていた。白目を剥いたまま動かない。
拓之進は男を見おろしていた。その右手には、木刀がある。
「てめえ、よくも」
いっせいに、男たちが攻めかかってきた。白刃が拓之進に迫る。
危ないと思ったその瞬間。
男たちは動きを止めていた。
いつの間にか拓之進が彼らの背後に出ている。
ちらりと後ろを確かめると、男たちの身体から力が抜けて、その場に崩れ落ちる。
気を失っていて、彼らの身体はまったく動かない。
なんだ、いったい、何が起きているんだ。
「どうした! いったい」
ひときわ大きな声がして、青の羽織を着た男が姿を見せた。惣髪で、骨張った顔は髭で黒く染まっている。腕は途方もなく太く、太刀を軽々と扱っていた。
八代三四郎だ。遠縁から倒れた男たちと拓之進を見おろす。
「やったのはてめえか」
「扁額を返してくれないからです。早く出してください」
拓之進の申し出に、三四郎は嘲笑で応じた。
「そんなものはねえよ。とっくに壊して捨てちまった」
「嘘ですね」
拓之進は、三四郎をにらみつけた。
「壊して捨てるつもりなら、あの場でやっていたでしょう。わざわざ持ち帰ったということは、別にねらいがあるはず。落書きしてどこかに晒すとか、持って歩いて町を練り歩き、さんざん馬鹿にするとか。端から、人を嘲って楽しむつもりだったんでしょう。最低です」
「くそっ、勝手なことを」
「返してください。あれは、あなたには必要のないものです」
「誰がわたすか」
遠縁を降りて、三四郎は拓之進の前で太刀を構えた。
殺気が高まるのを見て、思わず五郎は声をかけた。
「気をつけろ。そいつは一刀流の達人だ。まともにいけば、やられるぞ」
屋敷に押しかけられた時、五郎は何度か三四郎と対峙したが、一度として太刀筋を見切れなかった。木刀での対決だったが、傷ついた時には肩や腕を打たれていた。
本物の剣士であり、侮るのは危ない。
「平気ですよ。五郎さん。見ていてください」
拓之進は、無造作に間合いを詰めた。構えもしない。
三四郎の目がつりあがった。
殺気が頂点に達したところで、横薙ぎの一撃が来る
やられたと思った瞬間、太刀が宙を舞っていた。回転して地面に突き刺さる。
同時に、三四郎がその場に倒れた。うつ伏せでまったく動かない。
いったい、何があった。
なぜ、倒れているのが三四郎で、拓之進は平然としているのか。わからない。
「行きましょう。扁額を取り戻さないと」
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残ったのは屋敷に歩み寄る拓之進と、呆然と立ち尽くす五郎だけだった。
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