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第三話 それでも、俺は間違っていない
八
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五郎が下谷広徳寺の裏手に出て、武家屋敷の合間に飛び込んだ時、時刻は戌の刻になっていた。冬の冷たい風が周囲を吹きぬけ、首筋が異様に冷える。
それでも、気持ちが怯むことはなかった。手許の灯りを頼りに、ゆっくりと細い道を抜けていく。
行く先で、灯火が大きな円を描いた。
五郎が近づくと、闇夜に拓之進の姿が浮かんで見えた。
「おう、五郎さん、こっちです」
「悪かったな。遅くなって」
「むしろ、よかったです。ちょっと前に、皆、あの屋敷に入りました。早すぎたら、うまくいきませんでした」
拓之進は、三間先の屋敷に目を向けた。
武家屋敷としては小さい。五郎の屋敷よりも幅はなさそうだ。
板葺の屋根は一部が壊れていて、手入れを怠っている様子が見てとれる。垣根も中央の部分が崩れていて、そのまま人の出入りができそうだった。
昼間、見つけておいた垣根の隙間から、庭に入ると、閉じた雨戸の向こう側から声がした。酒盛りでもしているのか、時折、大きなわめき声がする。
「くそっ。好き放題やりやがって」
「今日は作次も来ています。黒田与次郎は残念ながらいません」
「いいさ。今いる奴を確実に叩こう」
五郎と拓之進は、決着をつけるべく、下谷の地に赴いた。そろそろ、連中の金が尽きる頃で、いつ相模屋がねらわれるかわからない。その前に、すべてを終わらせたかった。
大事なのは、そのやり方だ。
「本当にうまくいくのか」
「大丈夫です。ちゃんとやってみせますよ」
策は練ってある。成功するとは思うが、やってみなければ、何とも言えない。
すべては拓之進にかかっている。
彼が顔をむけると、拓之進はうなずいて、明かりを消した。
五郎もそれに倣うと、周囲はたちまち闇につつまれる。
今日は十六夜の月で、薄く雲がかかっていることもあり、明かりがなければ、周りは見えない。近くに拓之進の姿ですら、輪郭がぼんやりと浮かぶ程度だ。
「行きますよ」
拓之進は雨戸に石を投げる。
ぶつかって大きな音がすると、すぐに戸が開いて、荒くれ者が飛び出してきた。手には灯りがある。
拓之進は、小刀を放って、そのすべてを叩き落とす。
再び闇が辺りをつつんだところで間合いを詰める。右手には脇差がある。
「お、おい。火を」
声をあげた男を、拓之進は脇差で倒した。
殺してはいない。強く首を打っただけだ。
つづけざまに、二人、三人と片づけていく。
ためらいはない。この暗闇で、すべてが見えているかのようだ。
いや、実際、見えているのだろう。昨日、夜、屋敷の庭で立ち合った時、拓之進は正確に五郎の動きを見切って、小手や胴を叩いた。
おそるべき能力だ。いったい、どうなっているのか。
「くそっ。誰かいるぞ」
「そっちに行ったぞ。右だ」
「よせ、刀を抜くな。同士討ちに……」
悲鳴があがる。味方同士で斬り合ったようだ。
その間に、拓之進は、遠縁にあがる。
一瞬、刃がきらめき、横からの一撃が迫る。
拓之進をねらったものではない。破れかぶれに荒くれ者が振り回しただけだ。
かがんで拓之進はかわすと、相手の頬を軽く斬った。叫び声があがったところで蹴り飛ばし、縁側から叩き落とす。
五郎も拓之進の後を追って、縁側からあがる。
屋敷は大混乱に陥っていた。悲鳴が響き、血の臭いが立ちこめる。
「くそったれ。いったい、何が起きている」
作太が出てきた。
声は大きいが、震えがある。
相模屋の店頭では、あれほど粋がっていたのに。夜、正体不明の敵に襲われただけで、この有様とは。
無様な。
五郎は思わず笑う。いったい、自分は何を気にしていたのか。
「誰だ。いったい、どこにいる」
ちょうどよい頃合いだ。五郎は口を開いた。
「我は、幽霊」
一瞬で、敵の動きが止まった。回りをうかがっているのがわかる。
「我が屋敷を荒らす者は許すまじ。早々に出て行くがよい」
「うるせえ、だまされねえぞ」
作次が刀を振り回す。
五郎は頭を下げて近づき、その背中を蹴り飛ばした。
よろめいて、作次は縁側に落ちる。大きな石に顔をぶつけた後は、まったく動かない。
悲鳴があがって、残った荒くれ者が刀を振り回す。
しばらく騒ぎはつづいたが、やがて相手を罵る声は消え、静寂が広がった。
頃合いを見計らって、五郎が明かりをつけると、無惨に倒れた男たちの姿が浮かびあがった。
「うまくいきましたね。五郎さん」
歩み寄ってきたのは、拓之進だ。顔には笑みがある。
「もう、誰も動いていません」
「殺していないよな」
「もちろんです。死なせてしまったら、台無しですから」
では、峰打ちだけで倒したのか。あの闇夜の中。すさまじい剣技だ。
「あとは仕上げですね。うまくやりましょう」
「大丈夫だ。準備はできているよ」
連中は誰に襲われたのか、わかっていない。ならば、それを利用さてもらおう。
五郎は懐から書付を取りだして、気を失った作太の上に置いた。
さあ、せいぜい、怯えるがいい。
それでも、気持ちが怯むことはなかった。手許の灯りを頼りに、ゆっくりと細い道を抜けていく。
行く先で、灯火が大きな円を描いた。
五郎が近づくと、闇夜に拓之進の姿が浮かんで見えた。
「おう、五郎さん、こっちです」
「悪かったな。遅くなって」
「むしろ、よかったです。ちょっと前に、皆、あの屋敷に入りました。早すぎたら、うまくいきませんでした」
拓之進は、三間先の屋敷に目を向けた。
武家屋敷としては小さい。五郎の屋敷よりも幅はなさそうだ。
板葺の屋根は一部が壊れていて、手入れを怠っている様子が見てとれる。垣根も中央の部分が崩れていて、そのまま人の出入りができそうだった。
昼間、見つけておいた垣根の隙間から、庭に入ると、閉じた雨戸の向こう側から声がした。酒盛りでもしているのか、時折、大きなわめき声がする。
「くそっ。好き放題やりやがって」
「今日は作次も来ています。黒田与次郎は残念ながらいません」
「いいさ。今いる奴を確実に叩こう」
五郎と拓之進は、決着をつけるべく、下谷の地に赴いた。そろそろ、連中の金が尽きる頃で、いつ相模屋がねらわれるかわからない。その前に、すべてを終わらせたかった。
大事なのは、そのやり方だ。
「本当にうまくいくのか」
「大丈夫です。ちゃんとやってみせますよ」
策は練ってある。成功するとは思うが、やってみなければ、何とも言えない。
すべては拓之進にかかっている。
彼が顔をむけると、拓之進はうなずいて、明かりを消した。
五郎もそれに倣うと、周囲はたちまち闇につつまれる。
今日は十六夜の月で、薄く雲がかかっていることもあり、明かりがなければ、周りは見えない。近くに拓之進の姿ですら、輪郭がぼんやりと浮かぶ程度だ。
「行きますよ」
拓之進は雨戸に石を投げる。
ぶつかって大きな音がすると、すぐに戸が開いて、荒くれ者が飛び出してきた。手には灯りがある。
拓之進は、小刀を放って、そのすべてを叩き落とす。
再び闇が辺りをつつんだところで間合いを詰める。右手には脇差がある。
「お、おい。火を」
声をあげた男を、拓之進は脇差で倒した。
殺してはいない。強く首を打っただけだ。
つづけざまに、二人、三人と片づけていく。
ためらいはない。この暗闇で、すべてが見えているかのようだ。
いや、実際、見えているのだろう。昨日、夜、屋敷の庭で立ち合った時、拓之進は正確に五郎の動きを見切って、小手や胴を叩いた。
おそるべき能力だ。いったい、どうなっているのか。
「くそっ。誰かいるぞ」
「そっちに行ったぞ。右だ」
「よせ、刀を抜くな。同士討ちに……」
悲鳴があがる。味方同士で斬り合ったようだ。
その間に、拓之進は、遠縁にあがる。
一瞬、刃がきらめき、横からの一撃が迫る。
拓之進をねらったものではない。破れかぶれに荒くれ者が振り回しただけだ。
かがんで拓之進はかわすと、相手の頬を軽く斬った。叫び声があがったところで蹴り飛ばし、縁側から叩き落とす。
五郎も拓之進の後を追って、縁側からあがる。
屋敷は大混乱に陥っていた。悲鳴が響き、血の臭いが立ちこめる。
「くそったれ。いったい、何が起きている」
作太が出てきた。
声は大きいが、震えがある。
相模屋の店頭では、あれほど粋がっていたのに。夜、正体不明の敵に襲われただけで、この有様とは。
無様な。
五郎は思わず笑う。いったい、自分は何を気にしていたのか。
「誰だ。いったい、どこにいる」
ちょうどよい頃合いだ。五郎は口を開いた。
「我は、幽霊」
一瞬で、敵の動きが止まった。回りをうかがっているのがわかる。
「我が屋敷を荒らす者は許すまじ。早々に出て行くがよい」
「うるせえ、だまされねえぞ」
作次が刀を振り回す。
五郎は頭を下げて近づき、その背中を蹴り飛ばした。
よろめいて、作次は縁側に落ちる。大きな石に顔をぶつけた後は、まったく動かない。
悲鳴があがって、残った荒くれ者が刀を振り回す。
しばらく騒ぎはつづいたが、やがて相手を罵る声は消え、静寂が広がった。
頃合いを見計らって、五郎が明かりをつけると、無惨に倒れた男たちの姿が浮かびあがった。
「うまくいきましたね。五郎さん」
歩み寄ってきたのは、拓之進だ。顔には笑みがある。
「もう、誰も動いていません」
「殺していないよな」
「もちろんです。死なせてしまったら、台無しですから」
では、峰打ちだけで倒したのか。あの闇夜の中。すさまじい剣技だ。
「あとは仕上げですね。うまくやりましょう」
「大丈夫だ。準備はできているよ」
連中は誰に襲われたのか、わかっていない。ならば、それを利用さてもらおう。
五郎は懐から書付を取りだして、気を失った作太の上に置いた。
さあ、せいぜい、怯えるがいい。
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