27 / 36
第三話 それでも、俺は間違っていない
八
しおりを挟む
五郎が下谷広徳寺の裏手に出て、武家屋敷の合間に飛び込んだ時、時刻は戌の刻になっていた。冬の冷たい風が周囲を吹きぬけ、首筋が異様に冷える。
それでも、気持ちが怯むことはなかった。手許の灯りを頼りに、ゆっくりと細い道を抜けていく。
行く先で、灯火が大きな円を描いた。
五郎が近づくと、闇夜に拓之進の姿が浮かんで見えた。
「おう、五郎さん、こっちです」
「悪かったな。遅くなって」
「むしろ、よかったです。ちょっと前に、皆、あの屋敷に入りました。早すぎたら、うまくいきませんでした」
拓之進は、三間先の屋敷に目を向けた。
武家屋敷としては小さい。五郎の屋敷よりも幅はなさそうだ。
板葺の屋根は一部が壊れていて、手入れを怠っている様子が見てとれる。垣根も中央の部分が崩れていて、そのまま人の出入りができそうだった。
昼間、見つけておいた垣根の隙間から、庭に入ると、閉じた雨戸の向こう側から声がした。酒盛りでもしているのか、時折、大きなわめき声がする。
「くそっ。好き放題やりやがって」
「今日は作次も来ています。黒田与次郎は残念ながらいません」
「いいさ。今いる奴を確実に叩こう」
五郎と拓之進は、決着をつけるべく、下谷の地に赴いた。そろそろ、連中の金が尽きる頃で、いつ相模屋がねらわれるかわからない。その前に、すべてを終わらせたかった。
大事なのは、そのやり方だ。
「本当にうまくいくのか」
「大丈夫です。ちゃんとやってみせますよ」
策は練ってある。成功するとは思うが、やってみなければ、何とも言えない。
すべては拓之進にかかっている。
彼が顔をむけると、拓之進はうなずいて、明かりを消した。
五郎もそれに倣うと、周囲はたちまち闇につつまれる。
今日は十六夜の月で、薄く雲がかかっていることもあり、明かりがなければ、周りは見えない。近くに拓之進の姿ですら、輪郭がぼんやりと浮かぶ程度だ。
「行きますよ」
拓之進は雨戸に石を投げる。
ぶつかって大きな音がすると、すぐに戸が開いて、荒くれ者が飛び出してきた。手には灯りがある。
拓之進は、小刀を放って、そのすべてを叩き落とす。
再び闇が辺りをつつんだところで間合いを詰める。右手には脇差がある。
「お、おい。火を」
声をあげた男を、拓之進は脇差で倒した。
殺してはいない。強く首を打っただけだ。
つづけざまに、二人、三人と片づけていく。
ためらいはない。この暗闇で、すべてが見えているかのようだ。
いや、実際、見えているのだろう。昨日、夜、屋敷の庭で立ち合った時、拓之進は正確に五郎の動きを見切って、小手や胴を叩いた。
おそるべき能力だ。いったい、どうなっているのか。
「くそっ。誰かいるぞ」
「そっちに行ったぞ。右だ」
「よせ、刀を抜くな。同士討ちに……」
悲鳴があがる。味方同士で斬り合ったようだ。
その間に、拓之進は、遠縁にあがる。
一瞬、刃がきらめき、横からの一撃が迫る。
拓之進をねらったものではない。破れかぶれに荒くれ者が振り回しただけだ。
かがんで拓之進はかわすと、相手の頬を軽く斬った。叫び声があがったところで蹴り飛ばし、縁側から叩き落とす。
五郎も拓之進の後を追って、縁側からあがる。
屋敷は大混乱に陥っていた。悲鳴が響き、血の臭いが立ちこめる。
「くそったれ。いったい、何が起きている」
作太が出てきた。
声は大きいが、震えがある。
相模屋の店頭では、あれほど粋がっていたのに。夜、正体不明の敵に襲われただけで、この有様とは。
無様な。
五郎は思わず笑う。いったい、自分は何を気にしていたのか。
「誰だ。いったい、どこにいる」
ちょうどよい頃合いだ。五郎は口を開いた。
「我は、幽霊」
一瞬で、敵の動きが止まった。回りをうかがっているのがわかる。
「我が屋敷を荒らす者は許すまじ。早々に出て行くがよい」
「うるせえ、だまされねえぞ」
作次が刀を振り回す。
五郎は頭を下げて近づき、その背中を蹴り飛ばした。
よろめいて、作次は縁側に落ちる。大きな石に顔をぶつけた後は、まったく動かない。
悲鳴があがって、残った荒くれ者が刀を振り回す。
しばらく騒ぎはつづいたが、やがて相手を罵る声は消え、静寂が広がった。
頃合いを見計らって、五郎が明かりをつけると、無惨に倒れた男たちの姿が浮かびあがった。
「うまくいきましたね。五郎さん」
歩み寄ってきたのは、拓之進だ。顔には笑みがある。
「もう、誰も動いていません」
「殺していないよな」
「もちろんです。死なせてしまったら、台無しですから」
では、峰打ちだけで倒したのか。あの闇夜の中。すさまじい剣技だ。
「あとは仕上げですね。うまくやりましょう」
「大丈夫だ。準備はできているよ」
連中は誰に襲われたのか、わかっていない。ならば、それを利用さてもらおう。
五郎は懐から書付を取りだして、気を失った作太の上に置いた。
さあ、せいぜい、怯えるがいい。
それでも、気持ちが怯むことはなかった。手許の灯りを頼りに、ゆっくりと細い道を抜けていく。
行く先で、灯火が大きな円を描いた。
五郎が近づくと、闇夜に拓之進の姿が浮かんで見えた。
「おう、五郎さん、こっちです」
「悪かったな。遅くなって」
「むしろ、よかったです。ちょっと前に、皆、あの屋敷に入りました。早すぎたら、うまくいきませんでした」
拓之進は、三間先の屋敷に目を向けた。
武家屋敷としては小さい。五郎の屋敷よりも幅はなさそうだ。
板葺の屋根は一部が壊れていて、手入れを怠っている様子が見てとれる。垣根も中央の部分が崩れていて、そのまま人の出入りができそうだった。
昼間、見つけておいた垣根の隙間から、庭に入ると、閉じた雨戸の向こう側から声がした。酒盛りでもしているのか、時折、大きなわめき声がする。
「くそっ。好き放題やりやがって」
「今日は作次も来ています。黒田与次郎は残念ながらいません」
「いいさ。今いる奴を確実に叩こう」
五郎と拓之進は、決着をつけるべく、下谷の地に赴いた。そろそろ、連中の金が尽きる頃で、いつ相模屋がねらわれるかわからない。その前に、すべてを終わらせたかった。
大事なのは、そのやり方だ。
「本当にうまくいくのか」
「大丈夫です。ちゃんとやってみせますよ」
策は練ってある。成功するとは思うが、やってみなければ、何とも言えない。
すべては拓之進にかかっている。
彼が顔をむけると、拓之進はうなずいて、明かりを消した。
五郎もそれに倣うと、周囲はたちまち闇につつまれる。
今日は十六夜の月で、薄く雲がかかっていることもあり、明かりがなければ、周りは見えない。近くに拓之進の姿ですら、輪郭がぼんやりと浮かぶ程度だ。
「行きますよ」
拓之進は雨戸に石を投げる。
ぶつかって大きな音がすると、すぐに戸が開いて、荒くれ者が飛び出してきた。手には灯りがある。
拓之進は、小刀を放って、そのすべてを叩き落とす。
再び闇が辺りをつつんだところで間合いを詰める。右手には脇差がある。
「お、おい。火を」
声をあげた男を、拓之進は脇差で倒した。
殺してはいない。強く首を打っただけだ。
つづけざまに、二人、三人と片づけていく。
ためらいはない。この暗闇で、すべてが見えているかのようだ。
いや、実際、見えているのだろう。昨日、夜、屋敷の庭で立ち合った時、拓之進は正確に五郎の動きを見切って、小手や胴を叩いた。
おそるべき能力だ。いったい、どうなっているのか。
「くそっ。誰かいるぞ」
「そっちに行ったぞ。右だ」
「よせ、刀を抜くな。同士討ちに……」
悲鳴があがる。味方同士で斬り合ったようだ。
その間に、拓之進は、遠縁にあがる。
一瞬、刃がきらめき、横からの一撃が迫る。
拓之進をねらったものではない。破れかぶれに荒くれ者が振り回しただけだ。
かがんで拓之進はかわすと、相手の頬を軽く斬った。叫び声があがったところで蹴り飛ばし、縁側から叩き落とす。
五郎も拓之進の後を追って、縁側からあがる。
屋敷は大混乱に陥っていた。悲鳴が響き、血の臭いが立ちこめる。
「くそったれ。いったい、何が起きている」
作太が出てきた。
声は大きいが、震えがある。
相模屋の店頭では、あれほど粋がっていたのに。夜、正体不明の敵に襲われただけで、この有様とは。
無様な。
五郎は思わず笑う。いったい、自分は何を気にしていたのか。
「誰だ。いったい、どこにいる」
ちょうどよい頃合いだ。五郎は口を開いた。
「我は、幽霊」
一瞬で、敵の動きが止まった。回りをうかがっているのがわかる。
「我が屋敷を荒らす者は許すまじ。早々に出て行くがよい」
「うるせえ、だまされねえぞ」
作次が刀を振り回す。
五郎は頭を下げて近づき、その背中を蹴り飛ばした。
よろめいて、作次は縁側に落ちる。大きな石に顔をぶつけた後は、まったく動かない。
悲鳴があがって、残った荒くれ者が刀を振り回す。
しばらく騒ぎはつづいたが、やがて相手を罵る声は消え、静寂が広がった。
頃合いを見計らって、五郎が明かりをつけると、無惨に倒れた男たちの姿が浮かびあがった。
「うまくいきましたね。五郎さん」
歩み寄ってきたのは、拓之進だ。顔には笑みがある。
「もう、誰も動いていません」
「殺していないよな」
「もちろんです。死なせてしまったら、台無しですから」
では、峰打ちだけで倒したのか。あの闇夜の中。すさまじい剣技だ。
「あとは仕上げですね。うまくやりましょう」
「大丈夫だ。準備はできているよ」
連中は誰に襲われたのか、わかっていない。ならば、それを利用さてもらおう。
五郎は懐から書付を取りだして、気を失った作太の上に置いた。
さあ、せいぜい、怯えるがいい。
0
あなたにおすすめの小説
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
石榴(ざくろ)の月~愛され求められ奪われて~
めぐみ
歴史・時代
お民は江戸は町外れ徳平店(とくべいだな)に夫源治と二人暮らし。
源治はお民より年下で、お民は再婚である。前の亭主との間には一人息子がいたが、川に落ちて夭折してしまった。その後、どれだけ望んでも、子どもは授からなかった。
長屋暮らしは慎ましいものだが、お民は夫に愛されて、女としても満ち足りた日々を過ごしている。
そんなある日、徳平店が近々、取り壊されるという話が持ちあがる。徳平店の土地をもっているのは大身旗本の石澤嘉門(いしざわかもん)だ。その嘉門、実はお民をふとしたことから見初め、お民を期間限定の側室として差し出すなら、長屋取り壊しの話も考え直しても良いという。
明らかにお民を手に入れんがための策略、しかし、お民は長屋に住む皆のことを考えて、殿様の取引に応じるのだった。
〝行くな!〟と懸命に止める夫に哀しく微笑み、〝約束の1年が過ぎたから、きっとお前さんの元に帰ってくるよ〟と残して―。
【読者賞】江戸の飯屋『やわらぎ亭』〜元武家娘が一膳でほぐす人と心〜
旅する書斎(☆ほしい)
歴史・時代
【第11回歴史・時代小説大賞 読者賞(読者投票1位)受賞】
文化文政の江戸・深川。
人知れず佇む一軒の飯屋――『やわらぎ亭』。
暖簾を掲げるのは、元武家の娘・おし乃。
家も家族も失い、父の形見の包丁一つで町に飛び込んだ彼女は、
「旨い飯で人の心をほどく」を信条に、今日も竈に火を入れる。
常連は、職人、火消し、子どもたち、そして──町奉行・遠山金四郎!?
変装してまで通い詰めるその理由は、一膳に込められた想いと味。
鯛茶漬け、芋がらの煮物、あんこう鍋……
その料理の奥に、江戸の暮らしと誇りが宿る。
涙も笑いも、湯気とともに立ち上る。
これは、舌と心を温める、江戸人情グルメ劇。
偽夫婦お家騒動始末記
紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】
故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。
紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。
隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。
江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。
そして、拾った陰間、紫音の正体は。
活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。
もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら
俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。
赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。
史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。
もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。
日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-
ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。
1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。
わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。
だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。
これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。
希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。
※アルファポリス限定投稿
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる