上 下
4 / 113
1.魔法契約編

3-1.魔法使いのもてなし編

しおりを挟む


 公爵位に相当する特級魔法使いの邸宅は、人里離れた森に建っていた。
 見栄に興味がないのか豪邸とは言えないが、白亜の壁が温かみを感じさせる。

「すみません、最近帰ってなかったので散らかってますね。今、片付けます」
(手を振っただけで、埃が全部消えた。カーテンが開いて、物が収納されていく)

 スヴィーレネスは詠唱もなく、複数の魔法を同時に行使した。
 派手さはないが、魔法を齧ったことがある人なら驚嘆する技術だ。

(家事はいくつもの工程があるから、何回かに分けて行うのが普通なのに)

 例えば調理一つ取っても洗浄、切断、計量、混ぜ合わせ、火加減の調整がある。
 手作業よりは楽だが、呪文を唱えれば完成品が出てくるなんてことはない。
 けれどスヴィーレネスは目配せだけで掃除を終わらせ、俺を居間へと案内する。

「とりあえず、暖かいもの出しますね!」
「気を遣わなくていいのに、……です」

 出てきた言葉の無礼さに気づいて、俺はようやく口調を修正する。
 時間が経って冷静になってしまった頭が、相手を考えろと叫んでいた。
 今更感も漂うが、どうせ生きようとするなら確率を高めたい。

「畏まらなくていいですよ、別に」
「いや、特級魔「ワタクシがいいと言っているのです、《そのままでいて》」」

 礼儀正しくしたのが気に入らなかったらしく、スヴィーレネスの語調が強くなる。
 それだけで俺は、直接心臓を握られたような感覚に陥った。

「分かっ、た」
「ではそのまま、《座って待っていて》」

 そう言われた瞬間に肩を抑えられたような感覚がして、今度は膝が曲がる。
 体が平衡感覚を失ったが、着地した先は柔らかい椅子の上だったから痛みはない。

(っ、びっくりした。体が操られたのかと思った)

 けれどそれ以上の強制力も感じないから、俺は黙って大人しく座るしかない。
 そうこうしているうちに食器を運ぶ音が聞こえて、俺の前に紅茶が差し出された。

「ではどうぞ、花の蜜を入れて甘くしています」
「……ありがとう」

 形として礼は言うが、俺はなかなか口をつけられずにいた。
 この世界で魔法使いが振る舞う食べ物は、信用できない物の一つだ。

(支配欲を持て余した魔法使いが、毒を仕込んでいる場合がある)

 困窮した魔力なしに毒入りの食事を与え、娯楽とする魔法使いは多い。
 一応そういう者を取り締まる役職もあるが、秩序を保てているとは言えなかった。

「毒感知魔法、使って構わないですよ。ワタクシは気にしないので」
「いい、俺はその魔法もできないから」

 毒感知や解毒魔法は初歩も初歩だが、俺はそれもできない。
 行使する為の魔力も持っていなければ、そういう教育も受けていなかった。

「よくそれで、今まで生きてこられましたね」
「死なないように、囲われてはいたから」

 弟の玩具としてだけど、という言葉は飲み込んだ。
 愚痴を吐き出したい気持ちもあったけど、初対面の相手にぶつける必要はない。

「では毒探知の魔道具があるので、それを使ってください。歴史ある魔道具屋のものですから、細工が不可能な品です」
「……ありがとう、使わせてもらう」

 紫色の宝石で作られた匙を渡され、俺は観念して紅茶に突っ込む。
 魔道具に反応はなく、毒の混入はないようだけれど。

(特級魔法使いなら、偽装魔法も可能なんじゃないの)

 けれど疑ったところで、俺は逃げることも抵抗することもできない。
 だから俺は覚悟を決めて紅茶に口をつけ、そしてむせ込んだ。

「じゃあ、いただきます。……あつっ」

 毒ばかりを気にした結果、当たり前の部分が綺麗に抜けていた。
 紅茶が舌を焼くけれど、毒は入っていないようで不調は感じない。

「火傷しちゃいました? 舌、見せてください」
「そこまで気にしなくていい、大丈夫だから。……んぅ」

 制止する前に魔法で舌を引きずり出され、呂律がまわらなくなる。
 口が開きっぱなしになるせいで唾液が溜まり、口端から垂れそうになった。

「や、ひゃめてってば」
「冷やさないとダメですよ、ちょっと冷たくしますね」

 スヴィーレネスが指を振ると舌先が光って、直後に冷たい感覚に襲われる。
 唾液が落ちる前になんとか舌を引っ込めると、口の中には氷が生成されていた。

「そこの焼き菓子は好きなだけ食べてください、友人がお土産で買ってきたので」
「そ、そんな山積みにしなくていい!」

 目の前の皿にフィナンシェが山ほど積まれるが、普通に食べきれないから断る。
 途端にスヴィーレネスの目が暗くなり、部屋の温度が一気に下がった。

「ワタクシは霊体ですから、アナタが食べて。じゃないと無駄になってしまう」
(うっ。怖いな、やっぱり)

 表立った邪悪さはないが、自分が持つ力に無頓着な部分がある。
 頂点に近い階級から誰にも指摘されず、ここまで来てしまったのだろう。

「じゃあ少しだけ、食べる」
「えぇ、夕飯はどうしますか?」

 菓子を口に放り込むと、食事を忘れていた胃が空腹を訴えだした。
 けれど数回齧ると欲求は収まるから、その申し出も断ることにする。

「いらない、これでお腹いっぱいになるし」
「食、細過ぎませんか。やはり年齢にそぐわない体格に見えますし」

 スヴィーレネスの目には、貧相な体の俺が映されていた。
 長期の育児放棄と虐待を受けた俺の体は、華奢を通り越して病的だった。

「食べれない日もあったし、十分。あんまり食べ過ぎても気持ち悪くなるから」
「……じゃあ次は、アナタの部屋を決めましょうか、希望などはあります?」

 結局焼き菓子一つ食べきれなかった俺に、無理強いは悪手だと悟ったらしい。
 スヴィーレネスは別の話題を振って、俺はそれに乗っかった。

「雨風凌げるならどこでも。公爵邸なら、物置だって悪い場所じゃないでしょ」
「物置はワタクシが嫌です、ちゃんと選びましょうね」

 そう言ってスヴィーレネスが立ち上がると、印象よりも背が高いことに気づいた。
 育ちの違いが垣間見え、生きている世界が違うと思い知らされるのが不快だった。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

イアン・ラッセルは婚約破棄したい

BL / 完結 24h.ポイント:32,342pt お気に入り:1,581

欲にまみれた楽しい冒険者生活

BL / 連載中 24h.ポイント:945pt お気に入り:349

悪役令息の義姉となりました

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:22,822pt お気に入り:1,391

真夏のまぼろし金平糖

BL / 完結 24h.ポイント:35pt お気に入り:82

俺、悪役騎士団長に転生する。

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:12,454pt お気に入り:2,505

すきにして

ライト文芸 / 完結 24h.ポイント:880pt お気に入り:0

愛のない結婚だと知ってしまった僕は、

BL / 連載中 24h.ポイント:1,036pt お気に入り:3,553

処理中です...