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1.魔法契約編

6-3.魔法執行官編3

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 廊下に声が響き、直後に冷気のような魔力が吹き込んでくる。
 振り返ると、無表情のスヴィーレネスが浮遊していた。

(表情が、なくなってる)

 普段はよく表情を変えるから思考が分かりやすいのに、今はその一端も掴めない。
 けれどその目は暗く、良くない感情に囚われていることだけは分かった。

「エンヴェレジオ、オルディールをつれていかないで。アナタはいつも正しいけど」

 スヴィーレネスが廊下に入ると、エンヴェレジオさんが俺の前に立ち塞がる。
 それが気に食わなかったのか、漂う魔力に強い圧が掛かった。

「彼だけは、どうか。誰かを手元に置こうと思ったの、初めてなんです」
(っスヴィーレネスの感情が、魔力威圧になってる。気持ち悪い)

 じわじわと、自分が呼吸できなくなっていることに気がついた。
 濃い魔力の中で溺れているような、そんな感覚。

(気が遠くなる。なにを話してるのかも、もう良く分からない)

 思考が麻痺し、視界がぼやけて、喧騒が遠くに聞こえる。
 異変に気付いた二人が振り向くけれど、俺が膝をつく方が早かった。

「……ディール君、大丈……か!?」

 エンヴェレジオさんが俺を支えようと伸ばした手が、ぱちりと弾かれる。
 けれど体は床に叩きつけられず、柔らかい魔力によって抱き留められた。

(スヴィーレネスと一緒にいるのは、今でも怖い。この先も多分同じだ、でも)

 この事態を引き起こした元凶は正気に戻ったらしく、顔を真っ青にしている。
 明らかに自分が悪いことをしたと理解して、後悔の色に染まっていた。

「ごめ…さない、オ……ィール!」
(この人は多分、わざと俺を害そうとはしない)

 悲鳴のようなスヴィーレネスの声を聞きながら、俺の意識は落ちる。
 けれど抵抗しようと思う気持ちはなく、彼に身を委ねることを決めた。



 意識が戻ってすぐに見たのは、通夜のように静まり返った大人二人だった。
 スヴィーレネスは隔離の為か、家主なのに部屋の隅に浮かんでいる。

「オルディール君。スヴィーレネスの言葉に対して、強制力を感じたことは?」

 俺の体調が戻ったことを確認した後、エンヴェレジオさんが問いかけてきた。
 最善手が分からずに目を彷徨わせると、スヴィーレネスが小さく頷いてくる。

「正直に答えて大丈夫です、オルディール」
「…………じゃあ、ある」

 回答を聞いた瞬間に、スヴィーレネスが顔を手で覆って呻いた。
 やっぱり彼は無意識に、魔力を振り撒いていたらしい。

「さっきのも魔力威圧になってしまってたんですね、申し訳ございません!」
「あの程度でやられる奴、周りにいなかったからな……。俺も気づかなかった」

 普通は同じ階級同士で行動するから、魔法使いは魔力制御に気を払わない。
 魔力なしを相手にするならば、尚更その必要はなかった。

「これだと無意識に従わせてた可能性あるぞ、スヴィーレネス」
「どの程度の影響があるか、試した方が良さそうですね」

 そういうと隅にいたスヴィーレネスが、ゆっくりと近づいてくる。
 俺は一度立ち上がるように促され、大人しく腰を上げた。

「オルディール、《座って》」
「うわっ!?」

 命令を耳にした瞬間に膝が強制的に曲げられ、再び椅子に沈み込む。
 意思とは無関係の浮遊感に、心臓が鳴り止まなくなった。

「嫌な音したけど、怪我してないかオルディール君!?」
「ごめんなさい! ここまで酷いことになってるなんて思わなかったんです!」

 ひっくり返った本人よりも、見守っていた大人二人の方が慌てふためいている。
 けれどその様子を誰も笑えず、俺がフォローにまわる羽目になった。

「俺は大丈夫だよ。別に、酷いことなんてされてないんだし」
「できるっていうこと自体が問題なんだよ。正直怖いだろ、オルディール君」

 エンヴェレジオさんの言葉に、俺は首を縦にも横にも振れない。
 けれど言葉もうまく見つからず、困惑したような声ばかりが漏れ出る。

「それ、は」
「隠さなくていい、怖いのが普通だ」

 そう言われても俺は答えられず、代わりにスヴィーレネスが小さく息を呑む。
 多分彼に悪意はなかったし、今まで思い至りもしなかったのだろう。

「……やっぱり、保護施設に行った方がいいんですかね」
「平気だよ、別に。スヴィーレネスが行けって言うなら、そっちに行くけど」

 正直俺自身、どうすればいいのか分からなくなっていた。
 痛い思いを意図的にされていたら、俺は躊躇なく助けを求めていた。
 けれどスヴィーレネスはずれてるが、悪意など持っていない。

「見ていて不安だな、この子。お前に負けず劣らず」
「アナタのように、真っ直ぐ生きられる方が珍しいんですよ」

 判断がつかず煮詰まる俺と、顔を見合わせる大人二人。
 誰も答えを出せず、気まずい沈黙が部屋を支配していた。

「オルディールはこれから、いや、ワタクシだと強制になりますね」
「ここを不自由だと思ったことはないよ」

 気遣わしげなその言葉には、迷いなく返答できて息を吐く。
 だって今日まで、俺は不自由のない生活を送れていた。

「オルディール君は、スヴィーレネスと一緒にいたい?」
「……魔法、教えてもらえるし。うまくできないけど」

 環境だけでいえば、彼には文句が出てこないほど良くしてもらっている。
 だから問題なのはスヴィーレネスではなく、俺の心情の方だった。
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