勇者、チー牛

チー牛Y

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1:チーズ牛丼

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男は牛丼チェーン店で悩んでいた。

――チーズ牛丼を食べたい。

だが自分の容姿を思い返すと、頼む勇気が出ない。眼鏡、猫背、気弱そうな雰囲気。いわゆる「チー牛」と呼ばれる類いの見た目だ。

もし周りが中年のサラリーマンばかりなら、迷わずチーズ牛丼を頼んでいただろう。だが今日に限って、近くの席には制服姿の女子高生が二人。笑い声が耳に届くだけで胃が縮む。


「……キムチ牛丼で」

結局、口から出たのは無難な選択だった。

ところが――

「お待たせしました。チーズ牛丼です!」

運ばれてきたのは、頼んだはずのキムチ牛丼ではなく、熱々にとろけたチーズが眩しいチーズ牛丼。

(ま、間違ってる……でも言えない)

訂正を求めれば、もう一度作り直させることになる。常連である自分がクレーマーだと思われるのも避けたい。何より女子高生の前で「チーズ牛丼間違ってます」などと言えば、完全に“チー牛”だと自己申告するようなもの。

男は運命を受け入れることにした。

――これが俺の人生なのだ、と。


その瞬間、光が視界を覆った。


「……っ!? な、なんだ!?」


気づけば、石造りの大広間。頭上には巨大な魔法陣が淡く輝き、数人の男女がこちらを見ていた。


「よ、ようこそ勇……うむむ?」


老人の賢者のような男性が、怪訝そうに勇者を見つめた。最初こそ「ついに実験が成功した!」とばかりに顔を輝かせていたが、召喚された男――チー牛な彼の姿を見て、その表情は一瞬で曇ってしまった。

「また失敗じゃないですか。見ればわかりますよ」

隣にいた若い男が、あからさまにだるそうな声で言い放つ。
立っているだけなのに、やる気のなさが全身からにじみ出ている。

「そ、そんなはずは……今度こそ手応えがあったのだ! 間違いなく!」

老人は現実を認めたくないようにわたわたしている。

「手応え? はいはい、ありましたね。でもこの結果はどう見ても失敗です。また気を取り直して儀式をやり直しましょう」

若者はため息交じりに、無慈悲なツッコミを入れた。



当のチー牛勇者はといえば、ぽかんと立ち尽くしていた

ただ――アニメ知識だけは豊富だったので、これは異世界召喚だと察することはできる。
だがそのうえで「失敗作扱い」の会話を正面から聞かされ、反応の仕方が分からなかった。

「いいえ。成功よ。間違いなく彼は勇者だわ」

その場を切り裂くように、凛とした女性の声が響いた。

彼女――ノルンは、迷いのない眼差しでこちらを指さす。

「そういえば、今回の魔法陣を改良したのってノルンさんでしたよね」

「そう。改良に成功したから、こうして勇者様が召喚されたんでしょ?」

ノルンは一貫した自信を崩さない。
だが、気怠げな男は呆れ顔で肩をすくめた。

「いや、否定する気はないですよ。ノルンさんの才能は認めます。……でもね、どう見ても勇者じゃないでしょ。あの顔。いかにも――ほら、肉にチーズを乗せてそうな」

「……!」

謎の例えに、なぜか老人まで「なるほど」と頷く。
チー牛勇者をまじまじと見ながら、確かにチーズをかけそうだと妙に納得している。

それに従うように、ノルンも勇者のことをじっと見つめる。その瞳は真剣そのもので、まるでなにか重要なことを見極めているかのようだ

「わかるわ。でもあれが勇者様なの」

(……わかるのか)

心の中でツッコミを入れるチー牛勇者。
味方だと思ったノルンの言葉が、天然で容赦なく失礼だったので余計に刺さった。

「はいはい。じゃあまた召喚の準備をしましょう。ここで言い争っても仕方ありませんから」

気怠げな声を出す男は、まるで誰かに叱られた子供のように肩をすくめ、淡々と研究机に戻った。書類の山と魔導書が乱雑に積まれた机の前で、彼はため息混じりにペンを走らせる。まるで世界の命運など、今の自分には関係ないとでも言うような態度だ。

「準備の必要なんてない。私が彼と一緒に魔王を倒してくる」

ノルンの声は強く、しかしどこか緊張で震えていた。周囲の魔力のざわめきが、彼女の決意をさらに際立たせる。

「はあー……好きにしてください」

男は声を漏らすと、再び机の上に視線を落とした。言葉の裏には半ば呆れ、半ば諦めが混じっている。だがその目には、どこか彼女を心配する気持ちも僅かに滲んでいた。

「待て。君がいなくなれば準備が出来ない。失敗は誰にでもある。だから気にするな。ここに残って研究を進めよう」

老人の声には、必死さと焦燥が混じっていた。普段は冷静で理知的な顔をしているのに、今だけは額に皺を寄せ、手のひらを小さく握りしめている。その瞳には、失敗を許さない強い意志と、若者を見守る父のような心配が入り混じっていた。

「召喚は成功したんです。行きましょう」

ノルンの声は低く、しかし揺るぎない決意に満ちていた。床を踏みしめるたびに微かな振動が周囲に伝わり、部屋の空気が引き締まる。

旅の始まりは、静かで、しかし確実な緊張に包まれていた。二人の足音が床に重なり、これから訪れるであろう未知の冒険を、まだ誰も知らないまま告げている。

旅はこうして静かに、しかし確実に始まったのだった。
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