勇者、チー牛

チー牛Y

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2:え

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アリスティア学園都市。
それは巨大な城壁に囲まれた、独立した都市国家だった。

中央広場には荘厳な石造りの建物が連なり、ひときわ目立つ尖塔が魔法評議会本部。その隣に並ぶのが、数多の召喚実験を繰り返してきた召喚研究所である。

そこから出てきた男女が一組。

まだ日差しの強い午後、二人は石畳を歩いていたが、数歩進んだところで女が足を止め、大きく伸びをした。

「ふぁーあ……やっと出られたわ。ありがとね」

欠伸混じりに気楽な調子で言う少女。

「あ、いえ。こちらこそ……」

(え、なんで俺が礼を言われてんだ?)

理解できないまま、とりあえず返してしまうチー牛勇者。
だが彼女――ノルンが唯一、自分を“勇者”と呼び、信じてくれた人物である。その事実が妙に胸を温かくし、味方だという意識を芽生えさせていた。


「迫真だったでしょ? 私の演技」

「……?」

耳を疑う。
演技? 何のことだ?

彼の困惑をよそに、ノルンはにやりと笑ってウィンクを寄こした。

「まあ、そういう事だから、頑張ってね! それじゃ」

軽やかに手を振り、そのまま去ろうとする。

「……ちょ、ちょっと待ってください!」

慌てて呼び止める勇者
確かに異世界に召喚されたことは理解した。だが、この街の仕組みも、これから何をすべきかも、何一つ分かっていない

「頑張るって……勇者として魔王を倒すことですよね?」

ノルンは足を止め、振り返ってカラカラと笑う。

「ははは。なに言ってるの。魔王を倒すなんてやめときなさいよ」

「……?」

「だってあなた、どう見ても勇者じゃないんだから」

世界が揺れるような衝撃。
勇者は言葉を失い、口をぱくぱくさせるしかなかった。

ノルンは肩をすくめて、さらりと言う。

「あの研究所から出たかっただけ。だから“勇者を召喚するのに成功した”ってことにすれば、私も外に出られるでしょ? そういう話」

……。

勇者は黙り込んだ。
何を言えばいいのか、まったく分からない。

「じゃ、またね」

ノルンはひらひらと手を振り、石畳を軽快に歩き去っていった。
取り残された勇者だけが、ぽつんとその場に立ち尽くしていた。







(一体どうすれば……)

チー牛は近くの街にやってきた。

商店街には屋台や店が立ち並び、呼び込みの声と香ばしい匂いが溢れている。昼間の熱気は人々の笑い声と混ざり合い、まるでお祭りのようだ。

だが、歩けば歩くほど、突き刺さるような視線を感じる。すれ違う人々が、物珍しそうに彼を振り返るのだ。


彼が着ているのはスーツ。
対して街の人々はローブや鎧、中世の民族衣装のような格好ばかり。

(目立ちすぎてる……! 完全に異物扱いだ)

慌てて路地裏に飛び込み、石壁に背中を押しつける。

そこで、どうすればこの違和感を消せるか、必死に考え込んだ。


「理想は……普通の住民だ。すれ違いざまに誰も振り返らない、あの感じ……!」

そう頭の中で唱えながら、じっと人通りが減るのを待つ。
ごみ置き場に古着があるかもしれないし、物好きな人間を見つければスーツと交換できるかもしれない。


――とにかく、今は耐え忍ぶしかない。





やがて夜。

昼間の賑やかさは消え、商店街のシャッターは次々に下ろされていた。
石畳を歩く足音もまばらで、確かに人目を避けるには都合がいい。

(よし……この時間なら!)

期待を胸に路地裏から顔を出した。

しかし、通りを歩いているのは――どう見ても柄の悪そうな連中ばかり。


肩で風を切り、分厚い革の胴着から刺青を覗かせた大男。

鉄仮面を被り、誰も顔を見たことがないような剣士

棺桶のようなものを背負い、鎖をジャラジャラと鳴らす男

シケモクを咥えて、煙をこちらにかけてくる無精ヒゲの痩せ男


(ムリムリムリ! ハードル上がってんじゃん!)


数十人もの通行人に声をかけられず、じりじりと後悔だけを積み重ねていった。


(つ、次こそ……! 顔を見るからダメなんだ! 足音が聞こえた瞬間に声をかけるんだ!)

勇者は自分なりの作戦を立てる。


かつ、かつ――。


夜の石畳を叩く規則的な靴音が、闇の中から近づいてくる。
静まり返った路地に、その音だけが妙に大きく響き渡り、耳を支配する。

心臓は勝手に暴れだし、胸を叩くように脈打つ。
額からは冷や汗がじわりと滲み、背中にもぞわぞわとした感触が広がる。


(今だっ! いけえええ!)


「あの! すみま……」

声をかけた瞬間、彼の目に映ったのは――これまでの通行人をさらに十倍凶悪にしたような男だった。

眉毛がなく、眼光は刃のように鋭い。
頬には大きな傷、腰には二振りの刀。

勇者の声は裏返る。
「す、すみません! 間違えましたああ!」


慌てて逃げ出そうとするが――


「待てよ」

背後からガシッと襟をつかまれる。

「ひぃっ!? い、いえ、あの、い、い急いでるんで……」

震える声とガタガタ震える膝。

「こんな時間に急ぎの用事なんてあるわけねえだろ。逃げるとどうなるか……教えてやろうか?」

男が刀の柄を軽く叩くと、金属音が「カチャッ」と響いた。
勇者の体は硬直し、その場に釘付けになる。

「後ろ向いてねえで、こっちを見ろ」

勇者は恐る恐る振り返り、その恐ろしい顔にまともに視線を合わせられなかった。

「その見かけねえ服……召喚研究所の失敗作か?」

「は、はいっ! その通りですっ!」

「……やっぱりな。勇者召喚なんて馬鹿げた研究、まだ続いてんのか」

男は鼻で笑った。しばしの沈黙のあと、低く問いかける。

「で? なんで俺に声をかけた?」

「こ、この世界に馴染めるよう……ふ、服の……物々交換を……」

必死に不自然なまでにハキハキと答える。

「ほう。案外悪くねえ考えだな」

「ほ、本当ですか!? ありがとうございます!」


「……でもよ。そんな回りくどいことしなくても、もっと手っ取り早い方法がある」

再び、カチャリと刀の音。

直後――チー牛勇者のスーツは、紙くずのように切り裂かれ、ひらひらと夜空に舞った。

残されたのは、下着だけである。

「な、なにをするんですかああ!」

両腕で胸を隠すように抱きしめる、場違いすぎるポーズ。勇者の顔は真っ赤だ。

「服が恥ずかしいなら、最初から脱ぎゃいいだろ」

「そ、そういう問題じゃなくて……!」

「この街じゃ、身ぐるみ剥がれて歩いてるやつも珍しくねえ。……まあ、運が良けりゃ、誰か同情して服を恵んでくれるかもな」

男はニヤリと笑い、振り返りもせず去っていった。

夜風に震えるチー牛勇者は、石畳の上でただ立ち尽くしていた。
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