勇者、チー牛

チー牛Y

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3:唐突な指示

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下着姿の男は、路地裏で夜風に吹かれながら震えていた。
真夜中の石畳は底冷えし、頬を刺す冷気が容赦なく肌を奪っていく。


「……さむ……」

勇者
山田凰翔(やまだおうしょう)

とはいえ、異世界に召喚されたその日から、彼はずっと不運続きだった。
まともな装備どころか、下着一枚で路地裏に放り出されている

人通りの絶えた夜の街で、彼は立ち上がる勇気すら出せず、壁に身を預けていた。

うかつに歩き出せば、衛兵に捕まるか、物好きな盗賊に襲われるに決まっている。

ぐぅぅぅ――。

腹の虫が夜気を震わせる。
空腹はすでに極限に達し、頭がぼんやりとしてくる。

(……もう、だめだ……)


慣れない異世界、満足に食事すらできず、希望も光も見えない。
凰翔は力尽きたように横に倒れ、意識が闇に沈みかけていた。

――その時。


《……凰翔さん》


《聞こえますか、凰翔さん》

透き通る女性の声が、どこからともなく耳に届いた。
夢か幻か、脳裏に直接響いてくるような不思議な声だ。

(……え?)

凰翔は薄く目を開け、辺りを見回す。
だが路地裏には誰もいない。月明かりに照らされる石壁と木箱があるだけ。


《山田凰翔さん。私の声、届いていますか?》


再び声が響く。しかもはっきりと、名前まで呼ばれた。

「……き、気のせい……だよな……」

声に出してみるが、否定する余裕すらなくなっている。
勇気を振り絞り、か細い声で答えた。

「……はい。聞こえてます……」

《安心しました。では――これから私の言葉を心に描いてみてください》

「心に……描く?」

《はい。あなたが一番好きな料理を思い浮かべて……白いご飯、甘い肉、そしてとろけるチーズ。その全てをはっきりと》

唐突すぎる指示に、凰翔は思わず眉をひそめる。
しかし、空腹のせいか、その言葉は魔法のように心を揺さぶった。


(チーズ牛丼……? いやいや、そんな……でも……食べたい……)

ふらつく頭の中で、彼は必死にチーズ牛丼を思い浮かべた。
炊き立ての白米の上に甘辛い牛肉がのり、その上にとろりと広がるチーズ。
湯気と共に鼻をくすぐる香りが、あまりにもリアルに迫ってくる。

《とても良いですね。そのまま……丼を抱くように、そっと両手を前に差し出してみてください》

言われるがまま、凰翔は力なく両手を前に差し出した。

すると――。

眩い光が手のひらから生まれ、渦を巻きながら形を成す。
光はやがて器となり、肉とチーズを載せた丼へと変わった。

「……っ!?」

手の中にずっしりとした重み。
見下ろせば、そこには確かに湯気を立てるチーズ牛丼があった。

「あの……これ、ほんとに……?」

《はい。それはあなたが想像し、創り出したものです》

「あ、あの……食べても……いいんですか?」

《ええ。これはもちろん、あなたのチーズ牛丼です。どうぞ、心ゆくまで》

その瞬間、凰翔の喉が鳴った。
冷たい夜気に晒されていた彼の目に、熱々の丼がまぶしく映る。
異世界で初めて手にした、希望の匂いがそこにあった。

湯気を立てるチーズ牛丼を両手に抱え、凰翔はゴクリと唾を飲み込んだ。
香りだけで胃が鳴り、指が震える。

「……ほ、本当に……食べていいんだよな……?」

丼の中でとろけるチーズが糸を引き、牛肉の照りが月明かりを反射している。
凰翔は思わず手を伸ばしたが、すぐに止まった。

「……はっ。箸……ないじゃん……」

牛丼は目の前にあるのに、口へ運ぶ手段がない。
じれったくてたまらず、彼は路地に転がる木箱の破片を拾い上げた。
細長そうな欠片を二本選び、ぎこちなく箸のように構える。

「……これで、いける……!」

必死に牛肉をつまもうとするが――

「っ、あ……折れた!? くそっ、ポキポキすぎだろ!」

尖った破片は危なっかしく、力を込めるとすぐに割れてしまう。
何度か試すうちに、木片は見るも無残な形となり、彼の手から滑り落ちた。

「……もういい、手で食う!」

決意した凰翔は、丼を抱えて肉とご飯をわしづかみにし、そのまま口へ放り込んだ。

「――っ、あつ……でも、うまっ……!」

舌に広がる甘辛い肉と、濃厚なチーズの風味。
それはまさしく、彼が日本でいつも食べていた“あの味”だった。
異世界の石畳の路地裏に似つかわしくない、懐かしい味が、彼の心と体を満たしていく。

一口、二口、三口。
指先にチーズがべっとり絡みつこうが、今は構っていられなかった。
食べるたびに、冷え切った体にじんわりと温もりが戻っていく。

「……っはぁ……生き返る……」

頬が熱くなり、視界が潤む。
ただの牛丼一杯なのに、今は涙が出るほどありがたかった。

気づけば夢中で食べ続け、丼はあっという間に空になっていた。
手に残った重みがなくなり、急に現実感が押し寄せてくる。

「……食べた……ほんとに、食べてしまった……」

凰翔は、丼を抱えたまま声を潜めた。

「あの、聞こえてますか……? さっきの……どなたか、いるんですよね?」

路地裏に呼びかけても、返答はない。
夜風が木箱を揺らす音と、遠くの犬の鳴き声が響くだけだった。

(……あの声は……なんだったんだ?)

女神を思わせるあの声。
彼を導き、チーズ牛丼を与えた存在。
だが、その気配は食事とともに消え去り、残されたのは空の器だけだった。

凰翔はしばらく丼を見つめ続けた。
手に残る温もりが、まだ夢ではないことを物語っている。

「……まさか……俺に、本当に“力”があるってことか……?」

呟きは、石壁に吸い込まれていった。
満腹になった途端、強烈な眠気が押し寄せる。

「……チーズ牛丼で、勇者……とか……ほんと……俺……?」

言葉の続きを紡ぐ前に、瞼が重く閉じる。
彼はそのまま路地裏に身を横たえ、泥のように眠り込んだ。
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