勇者、チー牛

９：名付け

夜。
森の中に、小さな焚き火の明かりが灯る。
パチ……パチ……と木がはぜる音が、静寂の中に心地よく響いていた。

凰翔は火のそばに腰を下ろし、昼間立てた丸太をぼんやりと眺めていた。
たった一本。それでも、この異世界での第一歩だった。

「……文明の夜って、こういうことかもな」
ぽつりと呟き、火に手をかざす。
じんわりとした熱が、指先を包み込んだ。

その隣で、犬が丸くなっている。
銀色の毛並みが炎の光を受け、まるで溶けた月光のように輝いていた。

「手伝ってくれてありがとな。あの地面、硬すぎて泣きそうだった」
「ワンッ」

短い鳴き声が返る。
それだけで、凰翔の表情がふっと和らぐ。

「……そういえばさ、お前の名前、まだ決めてなかったよな」

犬が首をかしげ、焚き火の光の中でキラリと瞳を光らせる。

「その銀色の毛……最初に見たとき、正直びびった。でも今は、なんか落ち着くっていうか……安心するんだ」

凰翔は少し照れくさそうに笑い、薪を一本くべる。
火の粉がふわりと舞い上がり、夜空へ消えた。

「だからさ――“銀（ギン）”ってどうだ？」

犬は一瞬だけ黙り、次の瞬間、勢いよく尻尾を振って吠えた。
「ワンッ！」

「おお、即答！？　気に入ったのか！」

凰翔も思わず笑い声を上げる。
焚き火の光が二人の顔を照らし、どこか家族のような空気が漂った。

「ギン。これから俺と一緒に、この異世界で生きていこうな」

「ワン！」

夜空には、見たこともない星座がまたたいていた。
銀の毛並みが風に揺れ、焚き火の光を反射して、まるで星明かりの欠片のように輝く。

「……明日は、二本目の柱だな」
「ワン！」
「さて、今日はもう寝るか。文明の進歩は、筋肉痛の回復待ちだ……」

銀が「クゥン」と鳴き、焚き火のそばに寄り添う。
その夜、二人の息づかいだけが、穏やかな森に溶けていった。