9 / 39
第1章
【1.1.3】 滅びゆく同胞。
しおりを挟む
倫太郎が再びギンに会えたのは、月が真上で煌々と照らすような、そんな時間の事だった。
あれからマークとリアンの後になんとなくついて行って、彼らのやることを真似ていれば、それなりに何とかなった。おそらく自室と思われる部屋に入れば、そこには二段ベッドが二つ置かれていて、自分のベッドがわからないという不安は、商人の服らしきものが置いてあったことですぐに消えた。
もうどうにでもなれとばかりに開き直れば、案外どうにかなるものだなと、倫太郎が妙な感動をしながら布団に入り、さあ寝るぞという時になって、再び景色がグワリと歪んだ。
そこは城の城壁の上、鋸壁のその隙間に挟まるような形の場所に飛ばされた倫太郎は、突然開けた眼下に「ひええええっ。」と叫んだ後、そのまま固まった。
後ろを振り返れば、そこには石でできているらしい床があり、どうやら壁の上に乗っているらしい自分の状況を把握する。
ただ問題は、自分の身体が違和感だらけということだ。
鋸壁の上、自分の横には、ギンが足を空中に投げ出すように座っている。小さかったはずのその身体は妙に大きくなっていて、倫太郎は見上げるようにしてそれを見た。
その向こうには、目を光らせているクロが二本足で立っている。灰色の瞳が銀色に光って見える。そしてその先に、毛並みが月の光に反射して、キラキラと光った羊のシロがいた。月が出ているとはいえ妙に明るいそこに、倫太郎は眩しくさえ感じていた。
自分の身体の違和感は、その手を見たことですぐにわかった。茶色の毛に覆われたそれには、見慣れぬ肉球がある。
「茶色い猫だから、名前はチャか、ブラウンか?」
そんなことを言って笑うギンを、驚いた顔のまま見た倫太郎は、その台詞で自分が今、猫になっているのだということを知る。妙に明るい視界に、納得する。
「猫が夜目がきくっていうのは、本当なんだ。」
思わずそんなことを呟けば、ギンの向こうでクロが大きな溜息をついたのがわかった。ギンもまた、呆れたように笑っている。
倫太郎は、自分がまたおかしなことを言ったのだという事に気が付いて、その答えを求めるかのようにギンを見上げた。顔付きは子供なのに、身体は大きいという違和感がすごい。
「猫だから、よく見えているんじゃない。猫が夜はよく見えるものという、お前の思い込みが、そうお前自身に見させているだけだ。」
笑われた理由も、溜息をつかれた理由も、よくわからずにキョトンとしていた倫太郎に、ギンは母親が教え諭すようにそう言った。
言っていることは、相変わらずよくわからない。でも、「今見えているこの世界は自分自身が見させているもの」ということなのだろうかと、その言葉の意味はなんとなくわかった気がした。
思い込み
先入観
固定観念
何度目かわからないその言葉たちが、再び倫太郎の頭に浮かぶ。今見えているこの身体も、自分がそう見えているだけのものなのだろうか。本当は形の無い何かということなのだろうか。モヤモヤとした黒い雲のようだったクロや、湯気のようだったシロのように。
そんなことを考えながら、どう考えてもそこにある肉球を、倫太郎はもう片方の肉球で押してみた。ぷにぷにとしたそれは、母親が育てているあの不思議な観葉植物を思い起こさせる。柔らかさはその比ではないだろうけれど。
「神はいるとか、魔法があるとか、そんなアホみたいなことも、バカみたいに思い込んでくれていれば良かったのに。」
向こうでシロが、吐き捨てるようにそう言った。ひどい悪口だが、それは悲痛な叫びにも聞こえた。
「私たちは、人間に依存し過ぎたのよ。」
「でも、そのお陰でここまで発展した。」
「でも、そのせいで滅亡する。」
鋸壁の上で、眼下を見下ろしたまま言ったクロに、それを後ろから見上げるシロが食ってかかるように言った。何も言い返せなくなったのか、クロは静かにそこに座った。月が照らしてできる影も猫の形をしていることに気が付いて、倫太郎は不思議な気持ちでそれを見ていた。
子供の形をした影と、猫の影が二つ。そして羊とは分かりづらいが、もこもことした影が一つ。そんな幻想的な景色も、倫太郎が自ら見せているものなのだろうか。
「かけらのような子たちは、まだなんとか残っているわ。でも、もう意思を伝えられるような、そんな存在では無い。」
シロが首を振りながら続けた言葉は、クロには向いていなかった。鋸壁の上で胡坐をかき始めたギンに、シロは訴えるように言葉を続ける。ギンは聞いているのか聞いていないのか、ぶらぶらと投げ出した自分の足を見ているかのように、下を向いている。
「今や人間達は口先ばかりで、誰も信じてなんかいない。ここにあるのはその残骸で、既に味のひん曲がった偽物ばかりよ。」
「食い物があるだけ、まだましだ。」
興奮し、声を荒げ始めたシロを窘めるように、クロが口を開いた。小さい身体をでこぼこの壁に寄りかからせ、足を組む。その体勢なら、月が綺麗に見えることだろう。
「こっちはもうずいぶんと前に食えないものばかりになって、同胞が消えていく姿を見ない日は無かった。そんな日も、既にとうの昔の事だが。」
さみしげに紡がれたその言葉に、倫太郎はクロが孤独であることを知る。
クロやシロの同胞というのが、絶滅の危機にあるということだろうか。ただ、二匹が悲しみの中で、どこにもぶつけられない怒りのようなものを抱えているのだという事だけはわかったような気がした。
そしてその原因の中に、人間がいるということも。
では、そこに降り立ったギンは?
神の遣いではないと言っていたギンの言葉を思い出しながら、それでもまだ全く意味不明な存在である一人と二匹を、倫太郎はただじっと見ていることしかできないでいた。
「お前たちの仲間が、逃げ込んでいる場所のことは聞いている。」
ギンが言った。しかし、そんなことは既に知っているかのように、クロにもシロにも驚いた様子は無い。
「私はここで良いの。美味しい子がいるのよ。」
諦めたような、今にも泣きそうな、そんな表情でシロが言った。潤んだ灰色の瞳が月明かりを反射し、それは銀色にも見えた。
「そうか。」
それだけ言ったギンが、その銀色の目をうっすらと細めて、ひどく優しく微笑んだように、倫太郎には見えた。
あれからマークとリアンの後になんとなくついて行って、彼らのやることを真似ていれば、それなりに何とかなった。おそらく自室と思われる部屋に入れば、そこには二段ベッドが二つ置かれていて、自分のベッドがわからないという不安は、商人の服らしきものが置いてあったことですぐに消えた。
もうどうにでもなれとばかりに開き直れば、案外どうにかなるものだなと、倫太郎が妙な感動をしながら布団に入り、さあ寝るぞという時になって、再び景色がグワリと歪んだ。
そこは城の城壁の上、鋸壁のその隙間に挟まるような形の場所に飛ばされた倫太郎は、突然開けた眼下に「ひええええっ。」と叫んだ後、そのまま固まった。
後ろを振り返れば、そこには石でできているらしい床があり、どうやら壁の上に乗っているらしい自分の状況を把握する。
ただ問題は、自分の身体が違和感だらけということだ。
鋸壁の上、自分の横には、ギンが足を空中に投げ出すように座っている。小さかったはずのその身体は妙に大きくなっていて、倫太郎は見上げるようにしてそれを見た。
その向こうには、目を光らせているクロが二本足で立っている。灰色の瞳が銀色に光って見える。そしてその先に、毛並みが月の光に反射して、キラキラと光った羊のシロがいた。月が出ているとはいえ妙に明るいそこに、倫太郎は眩しくさえ感じていた。
自分の身体の違和感は、その手を見たことですぐにわかった。茶色の毛に覆われたそれには、見慣れぬ肉球がある。
「茶色い猫だから、名前はチャか、ブラウンか?」
そんなことを言って笑うギンを、驚いた顔のまま見た倫太郎は、その台詞で自分が今、猫になっているのだということを知る。妙に明るい視界に、納得する。
「猫が夜目がきくっていうのは、本当なんだ。」
思わずそんなことを呟けば、ギンの向こうでクロが大きな溜息をついたのがわかった。ギンもまた、呆れたように笑っている。
倫太郎は、自分がまたおかしなことを言ったのだという事に気が付いて、その答えを求めるかのようにギンを見上げた。顔付きは子供なのに、身体は大きいという違和感がすごい。
「猫だから、よく見えているんじゃない。猫が夜はよく見えるものという、お前の思い込みが、そうお前自身に見させているだけだ。」
笑われた理由も、溜息をつかれた理由も、よくわからずにキョトンとしていた倫太郎に、ギンは母親が教え諭すようにそう言った。
言っていることは、相変わらずよくわからない。でも、「今見えているこの世界は自分自身が見させているもの」ということなのだろうかと、その言葉の意味はなんとなくわかった気がした。
思い込み
先入観
固定観念
何度目かわからないその言葉たちが、再び倫太郎の頭に浮かぶ。今見えているこの身体も、自分がそう見えているだけのものなのだろうか。本当は形の無い何かということなのだろうか。モヤモヤとした黒い雲のようだったクロや、湯気のようだったシロのように。
そんなことを考えながら、どう考えてもそこにある肉球を、倫太郎はもう片方の肉球で押してみた。ぷにぷにとしたそれは、母親が育てているあの不思議な観葉植物を思い起こさせる。柔らかさはその比ではないだろうけれど。
「神はいるとか、魔法があるとか、そんなアホみたいなことも、バカみたいに思い込んでくれていれば良かったのに。」
向こうでシロが、吐き捨てるようにそう言った。ひどい悪口だが、それは悲痛な叫びにも聞こえた。
「私たちは、人間に依存し過ぎたのよ。」
「でも、そのお陰でここまで発展した。」
「でも、そのせいで滅亡する。」
鋸壁の上で、眼下を見下ろしたまま言ったクロに、それを後ろから見上げるシロが食ってかかるように言った。何も言い返せなくなったのか、クロは静かにそこに座った。月が照らしてできる影も猫の形をしていることに気が付いて、倫太郎は不思議な気持ちでそれを見ていた。
子供の形をした影と、猫の影が二つ。そして羊とは分かりづらいが、もこもことした影が一つ。そんな幻想的な景色も、倫太郎が自ら見せているものなのだろうか。
「かけらのような子たちは、まだなんとか残っているわ。でも、もう意思を伝えられるような、そんな存在では無い。」
シロが首を振りながら続けた言葉は、クロには向いていなかった。鋸壁の上で胡坐をかき始めたギンに、シロは訴えるように言葉を続ける。ギンは聞いているのか聞いていないのか、ぶらぶらと投げ出した自分の足を見ているかのように、下を向いている。
「今や人間達は口先ばかりで、誰も信じてなんかいない。ここにあるのはその残骸で、既に味のひん曲がった偽物ばかりよ。」
「食い物があるだけ、まだましだ。」
興奮し、声を荒げ始めたシロを窘めるように、クロが口を開いた。小さい身体をでこぼこの壁に寄りかからせ、足を組む。その体勢なら、月が綺麗に見えることだろう。
「こっちはもうずいぶんと前に食えないものばかりになって、同胞が消えていく姿を見ない日は無かった。そんな日も、既にとうの昔の事だが。」
さみしげに紡がれたその言葉に、倫太郎はクロが孤独であることを知る。
クロやシロの同胞というのが、絶滅の危機にあるということだろうか。ただ、二匹が悲しみの中で、どこにもぶつけられない怒りのようなものを抱えているのだという事だけはわかったような気がした。
そしてその原因の中に、人間がいるということも。
では、そこに降り立ったギンは?
神の遣いではないと言っていたギンの言葉を思い出しながら、それでもまだ全く意味不明な存在である一人と二匹を、倫太郎はただじっと見ていることしかできないでいた。
「お前たちの仲間が、逃げ込んでいる場所のことは聞いている。」
ギンが言った。しかし、そんなことは既に知っているかのように、クロにもシロにも驚いた様子は無い。
「私はここで良いの。美味しい子がいるのよ。」
諦めたような、今にも泣きそうな、そんな表情でシロが言った。潤んだ灰色の瞳が月明かりを反射し、それは銀色にも見えた。
「そうか。」
それだけ言ったギンが、その銀色の目をうっすらと細めて、ひどく優しく微笑んだように、倫太郎には見えた。
0
あなたにおすすめの小説
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
人質5歳の生存戦略! ―悪役王子はなんとか死ぬ気で生き延びたい!冤罪処刑はほんとムリぃ!―
ほしみ
ファンタジー
「え! ぼく、死ぬの!?」
前世、15歳で人生を終えたぼく。
目が覚めたら異世界の、5歳の王子様!
けど、人質として大国に送られた危ない身分。
そして、夢で思い出してしまった最悪な事実。
「ぼく、このお話知ってる!!」
生まれ変わった先は、小説の中の悪役王子様!?
このままだと、10年後に無実の罪であっさり処刑されちゃう!!
「むりむりむりむり、ぜったいにムリ!!」
生き延びるには、なんとか好感度を稼ぐしかない。
とにかく周りに気を使いまくって!
王子様たちは全力尊重!
侍女さんたちには迷惑かけない!
ひたすら頑張れ、ぼく!
――猶予は後10年。
原作のお話は知ってる――でも、5歳の頭と体じゃうまくいかない!
お菓子に惑わされて、勘違いで空回りして、毎回ドタバタのアタフタのアワアワ。
それでも、ぼくは諦めない。
だって、絶対の絶対に死にたくないからっ!
原作とはちょっと違う王子様たち、なんかびっくりな王様。
健気に奮闘する(ポンコツ)王子と、見守る人たち。
どうにか生き延びたい5才の、ほのぼのコミカル可愛いふわふわ物語。
(全年齢/ほのぼの/男性キャラ中心/嫌なキャラなし/1エピソード完結型/ほぼ毎日更新中)
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
冷遇王妃はときめかない
あんど もあ
ファンタジー
幼いころから婚約していた彼と結婚して王妃になった私。
だが、陛下は側妃だけを溺愛し、私は白い結婚のまま離宮へ追いやられる…って何てラッキー! 国の事は陛下と側妃様に任せて、私はこのまま離宮で何の責任も無い楽な生活を!…と思っていたのに…。
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
ゲーム未登場の性格最悪な悪役令嬢に転生したら推しの妻だったので、人生の恩人である推しには離婚して私以外と結婚してもらいます!
クナリ
ファンタジー
江藤樹里は、かつて画家になることを夢見ていた二十七歳の女性。
ある日気がつくと、彼女は大好きな乙女ゲームであるハイグランド・シンフォニーの世界へ転生していた。
しかし彼女が転生したのは、ヘビーユーザーであるはずの自分さえ知らない、ユーフィニアという女性。
ユーフィニアがどこの誰なのかが分からないまま戸惑う樹里の前に、ユーフィニアに仕えているメイドや、樹里がゲーム内で最も推しているキャラであり、どん底にいたときの自分の心を救ってくれたリルベオラスらが現れる。
そして樹里は、絶世の美貌を持ちながらもハイグラの世界では稀代の悪女とされているユーフィニアの実情を知っていく。
国政にまで影響をもたらすほどの悪名を持つユーフィニアを、最愛の恩人であるリルベオラスの妻でいさせるわけにはいかない。
樹里は、ゲーム未登場ながら圧倒的なアクの強さを持つユーフィニアをリルベオラスから引き離すべく、離婚を目指して動き始めた。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる