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第1章
【1.2.0】 あるべき姿とは。
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「さ、帰るか。」
なんかちょっとその辺にでも出掛けていたかのような軽さで、ギンが言った。彼は、手を付いて鋸壁の上に立ち上がると、床のある方にフワリと下りた。
銀色の髪が揺れ、月の光を反射する。ギンはそのままシロに近づくと、そっとその白いフワフワの背を撫でた。
グワリと歪んだ景色にも、少し慣れて来たのだろうか。本当の自分の身体の感覚が戻って、「そうそう、この感じ。」なんて懐かしさを覚えながら、倫太郎は目の前に持ち上げた自分の手を、珍しいものでも見るかのように何度か握ったり開いたりしてみた。
少し違和感を感じるのは、ついさっき入っていた猫もそうだけれど、騎士である倫太郎の身体があまりにも軽かったような気がするからだ。
身体中で何かが、滞っているような感覚。足が重く感じられるのは、久しぶりに乗った自転車のせいだろうか。いつも画面ばかり見ているせいか、異様に乾いた目。いかに、自分が不健康であるかがよくわかる。
不健康だから外に出るのが億劫なのか、外に出ないから不健康なのか。鶏と卵のような理論から倫太郎が導き出した答えは、「不健康は良くない。」ということだけだった。
それにしても、当たり前だったものが当たり前で無くなる感覚は、気持ちが悪いものだ。
そこでふと倫太郎は、明日やるべきことを急に思い出した。
「最強魔法使いの護衛!」
仕事を放ってきてしまったと、倫太郎が焦ったようにギンを見れば、銀色の瞳を細めて困った子供を見るかのように彼は笑っていた。気が付けばベッドに移動していたクロが、倫太郎を見ることも無く溜息をついたようだ。
また何か、おかしなことを言ったらしい。二人を前にすると、少し大人びた女子を相手にしている小学生にでも戻ったような気分だ。
「護衛の仕事は、向こうにいる本来の倫太郎がやるさ。」
PCの前、勉強机の椅子に腰かけたギンが言う。本来の倫太郎ということは、向こうにいる騎士の名前も偶然にも同じ倫太郎だったということだろうかと考えて、きっとそれも違うのだろうと倫太郎はその口を噤んだ。
その代わりに浮かんだ疑問を、聞いてみるかどうか悩んだ後、思い切って言葉にしてみる。
「その、向こうにいる本来の倫太郎っていうのは、僕が身体を借りている間はどこにいるの?」
ギンが少し驚いたようにして、椅子の上で胡坐をかいた。クロはベッドの上で丸くなり、黒い尻尾をゆらゆらとゆらしている。どうやら話は聞いているようだ。
「人間には、あそこがそんなにもはっきりしたものに見えるんだな。」
「倫太郎が、特別だろう。」
少し驚いたようにギンが笑うと、ベッドの上でクロが顔を上げて言った。灰色の目が瞬いて、自分の手を舐め始めるその姿は、本当の猫にしか見えない。なぜかそれが、少し得意げなものに見えた。
倫太郎が特別とは、どういう意味だろうか。他の人間が同じようにあそこに飛ばされたとして、倫太郎にとって別のもう一つの世界に見えたものが、同じようには映らないということのなのだろうか。
「普通はもっと、疑問に思うものだ。でなけりゃ、私たちがこんなことになっているはずがない。」
倫太郎の疑問に答えるようにクロが言った。自分が普通ではないと言われていることはわかったが、だからと言って馬鹿にされているようでは無いことに、倫太郎は少しホッとする。
「他の人には、見えない世界ってこと?」
「あそこは、気の溜まり場みたいなものだからな。見えたり、見えなかったりだろうが、あそこまで形を映し出せるのは、なかなかいないんじゃないか。」
少し面倒臭そうにそう答えた後、クロは再び座り直し、頭を向こうにやると、ますます丸くなってしまった。投げやりな言い方ではあったが、誉め言葉の様にも聞こえた。
倫太郎はそれに少しだけ勇気をもらい、ベッドの上、クロのいる所から少し離れた場所である足元の方に腰を掛けた。ぎっという音がしてマットが沈む。一瞬ピクリと耳を動かしたクロは、それでも全く気にも介していないかのように丸くなったままだ。
それならば、さっきまで一緒にいたマークやリアンという存在は何だったのだろうか。それも皆、倫太郎が思い込んでいる何かなのだろうか。
魔法使いや、魔王や、聖女がいると言っていたあの世界が、実は全て虚構のもので、あの大きな城でさえも倫太郎の思い込みによってできたものだというのなら、全ては倫太郎の夢みたいなものということなのだろうか。
そんな風に考えれば、先ほどの城がさらさらと崩れていくかのように消えていく様が頭に浮かぶ。倫太郎はすごく寂しい気持ちで、それを見ているような気分になった。
「それなら、魔王も魔法も、ちゃんと見てくれば良かったな。」
倫太郎がそんなことを呟けば、「あはははは。それは、良いな!」と、ギンはその銀色の目が閉じてしまいそうなほど、嬉しそうに笑った。
ベッドに置いた倫太郎の手の傍を、黒い尻尾が触れるか触れないかのところでゆらゆら揺れている。なんだか嬉しそうに見えるそれは、クロがどうやら満更でもないとでも思っているかのようだ。
「あれ?クロ、なんか太った?」
倫太郎は、尻尾の向こうに見えるクロの体が、肩に乗っていた時よりも少し大きく見える気がした。クロが顔を上げて、驚いたように倫太郎を見た。
「そんなに食ってないぞ。」
「まずい、まずいと言いながら、結構な量を味見していただろう。」
ギンがにやりと笑う。一度苦い顔をしたクロは、プイっと再び向こうを向いてしまった。尻尾もペタリとその揺れを止めてしまい、倫太郎の手の届かないところにペタリと置かれた。
「二人も向こうで何か食べたの?」
そう聞きながら、先ほどマークやリアンと食べた肉を思い出すと、それと同時に倫太郎のお腹がグウッと情けない声で鳴いた。
なんかちょっとその辺にでも出掛けていたかのような軽さで、ギンが言った。彼は、手を付いて鋸壁の上に立ち上がると、床のある方にフワリと下りた。
銀色の髪が揺れ、月の光を反射する。ギンはそのままシロに近づくと、そっとその白いフワフワの背を撫でた。
グワリと歪んだ景色にも、少し慣れて来たのだろうか。本当の自分の身体の感覚が戻って、「そうそう、この感じ。」なんて懐かしさを覚えながら、倫太郎は目の前に持ち上げた自分の手を、珍しいものでも見るかのように何度か握ったり開いたりしてみた。
少し違和感を感じるのは、ついさっき入っていた猫もそうだけれど、騎士である倫太郎の身体があまりにも軽かったような気がするからだ。
身体中で何かが、滞っているような感覚。足が重く感じられるのは、久しぶりに乗った自転車のせいだろうか。いつも画面ばかり見ているせいか、異様に乾いた目。いかに、自分が不健康であるかがよくわかる。
不健康だから外に出るのが億劫なのか、外に出ないから不健康なのか。鶏と卵のような理論から倫太郎が導き出した答えは、「不健康は良くない。」ということだけだった。
それにしても、当たり前だったものが当たり前で無くなる感覚は、気持ちが悪いものだ。
そこでふと倫太郎は、明日やるべきことを急に思い出した。
「最強魔法使いの護衛!」
仕事を放ってきてしまったと、倫太郎が焦ったようにギンを見れば、銀色の瞳を細めて困った子供を見るかのように彼は笑っていた。気が付けばベッドに移動していたクロが、倫太郎を見ることも無く溜息をついたようだ。
また何か、おかしなことを言ったらしい。二人を前にすると、少し大人びた女子を相手にしている小学生にでも戻ったような気分だ。
「護衛の仕事は、向こうにいる本来の倫太郎がやるさ。」
PCの前、勉強机の椅子に腰かけたギンが言う。本来の倫太郎ということは、向こうにいる騎士の名前も偶然にも同じ倫太郎だったということだろうかと考えて、きっとそれも違うのだろうと倫太郎はその口を噤んだ。
その代わりに浮かんだ疑問を、聞いてみるかどうか悩んだ後、思い切って言葉にしてみる。
「その、向こうにいる本来の倫太郎っていうのは、僕が身体を借りている間はどこにいるの?」
ギンが少し驚いたようにして、椅子の上で胡坐をかいた。クロはベッドの上で丸くなり、黒い尻尾をゆらゆらとゆらしている。どうやら話は聞いているようだ。
「人間には、あそこがそんなにもはっきりしたものに見えるんだな。」
「倫太郎が、特別だろう。」
少し驚いたようにギンが笑うと、ベッドの上でクロが顔を上げて言った。灰色の目が瞬いて、自分の手を舐め始めるその姿は、本当の猫にしか見えない。なぜかそれが、少し得意げなものに見えた。
倫太郎が特別とは、どういう意味だろうか。他の人間が同じようにあそこに飛ばされたとして、倫太郎にとって別のもう一つの世界に見えたものが、同じようには映らないということのなのだろうか。
「普通はもっと、疑問に思うものだ。でなけりゃ、私たちがこんなことになっているはずがない。」
倫太郎の疑問に答えるようにクロが言った。自分が普通ではないと言われていることはわかったが、だからと言って馬鹿にされているようでは無いことに、倫太郎は少しホッとする。
「他の人には、見えない世界ってこと?」
「あそこは、気の溜まり場みたいなものだからな。見えたり、見えなかったりだろうが、あそこまで形を映し出せるのは、なかなかいないんじゃないか。」
少し面倒臭そうにそう答えた後、クロは再び座り直し、頭を向こうにやると、ますます丸くなってしまった。投げやりな言い方ではあったが、誉め言葉の様にも聞こえた。
倫太郎はそれに少しだけ勇気をもらい、ベッドの上、クロのいる所から少し離れた場所である足元の方に腰を掛けた。ぎっという音がしてマットが沈む。一瞬ピクリと耳を動かしたクロは、それでも全く気にも介していないかのように丸くなったままだ。
それならば、さっきまで一緒にいたマークやリアンという存在は何だったのだろうか。それも皆、倫太郎が思い込んでいる何かなのだろうか。
魔法使いや、魔王や、聖女がいると言っていたあの世界が、実は全て虚構のもので、あの大きな城でさえも倫太郎の思い込みによってできたものだというのなら、全ては倫太郎の夢みたいなものということなのだろうか。
そんな風に考えれば、先ほどの城がさらさらと崩れていくかのように消えていく様が頭に浮かぶ。倫太郎はすごく寂しい気持ちで、それを見ているような気分になった。
「それなら、魔王も魔法も、ちゃんと見てくれば良かったな。」
倫太郎がそんなことを呟けば、「あはははは。それは、良いな!」と、ギンはその銀色の目が閉じてしまいそうなほど、嬉しそうに笑った。
ベッドに置いた倫太郎の手の傍を、黒い尻尾が触れるか触れないかのところでゆらゆら揺れている。なんだか嬉しそうに見えるそれは、クロがどうやら満更でもないとでも思っているかのようだ。
「あれ?クロ、なんか太った?」
倫太郎は、尻尾の向こうに見えるクロの体が、肩に乗っていた時よりも少し大きく見える気がした。クロが顔を上げて、驚いたように倫太郎を見た。
「そんなに食ってないぞ。」
「まずい、まずいと言いながら、結構な量を味見していただろう。」
ギンがにやりと笑う。一度苦い顔をしたクロは、プイっと再び向こうを向いてしまった。尻尾もペタリとその揺れを止めてしまい、倫太郎の手の届かないところにペタリと置かれた。
「二人も向こうで何か食べたの?」
そう聞きながら、先ほどマークやリアンと食べた肉を思い出すと、それと同時に倫太郎のお腹がグウッと情けない声で鳴いた。
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