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第一章 信用度数最低編
三
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気づいた時、あまりの視界の暗さに、本当に死んだかと思った。
顔を上げると、わずかな明かりに気づけた。しかし起き上がろうとすると背中に何かが触れた。石だとわかる。
何度か目を瞬き、頭を振った。
明かりは、どこか近くに携行光源の一つが落ちているようだ。その明かりに目が慣れてくる。体の痛みはかすかだ。何かに押しつぶされてもいない。
這い出すように前に進み、やっとしゃがむような姿勢になった。自分がいたところを確認すると、結構、大きい石が、危うく僕を押しつぶすところだと気づいた。
冷や汗をかきつつ、視線を巡らせ、光源が見つかった。埃と大量の土をかぶっているのを払えば、一気に明るくなった。
上を見ると、穴が空いている。十メートルほど上に、さっきまで僕がいた地下空間の天井が見えた。そこは明るい。
やっと今、自分がいるところを確認することができた。明かりを手に持つと、僕がいる地下空間のさらに地下のここは、縦穴の底のようだと認識できた。縦穴の周りをらせん状に階段が続いている。それを使って移動できるようになっている。
正確には、なっていた。
階段のほとんどが崩落しているのだ。多分、僕が秘密のスイッチを稼働させた時、この縦穴の入り口が開くはずが、老朽化もあってか床ごと崩壊し、階段も巻き揉まれたのだろう。
しかし、生きているだけでも儲け物だ。
ここで待っていれば、音か振動で気づいたリッカかアリか、神父の誰かが来てくれるはず。
動かない方がいいだろうか。
明かりを掲げて、この縦穴の底を確認した。
二つ、通路が口を開けている。片方は半ばまで埋まっていて、今は進めない。
もう一方は大丈夫そうだ。でも、この崩落を見た直後だと、だいぶ怖いな。
待つべきか、進むべきか。
僕は少しの思案の後、通路を進むことにした。何かがありそうだし、もしかしたら、ちょっとした金になるかも。それに体も無事だし。この幸運は、何かを引き寄せそうだ。
通路を明かりを掲げて進むと、蜘蛛の巣がびっしりと張り巡らされている。嫌だけど、腕で払って先へ進む。
緩やかに弧を描く通路は、すぐに開けた空間に出た。
天井がやや高い。先ほどの縦穴ほどもある。
最初に連想したのは、墓所、という言葉だった。
空間が広いため、蜘蛛の巣もない。空気はやけに澄んでいた。明かりは僕が持っているものだけで、そこに照らされる範囲でも、様々な芸術性が感じられた。
まず床に石畳だけでも上の地下空間とは違う。石は正方形にカットされ、その縁に彫刻が施されている。壁にはいくつかの像が建っていた。人間の像も、悪魔の像もある。
先へ明かりをかざすと、箱が置いてある。人が入れそうな箱だな、と思ったところで、これは棺なんじゃないか? と思考が追いついた。
歩み寄って、中を覗き込む。
何も入っていない。本当に、何も入っていない。
もしかして、盗掘されたのか?
途端に気持ちが楽になった。根拠のない自信である。
そのまま部屋の奥へ進んでみた。
何かが見えた。靴? いや、足?
さっきまでの自信は吹き飛び、一気に不安に包まれた。
明かりの中に古びたブーツがあり、そこに古びたズボンに包まれた足。足から腰、胴、と光の中に全てが現れた。
人間だ。
服装はボロボロで、相当な時間、ここにいることがわかる。
いる、という表現が正しいかは、わからない。
座り込んだその誰かは、力なく首が垂れていて、長い髪の毛は顔を覆っている。多分、男。そこそこに良い体格である。
無意識にじっとその姿を眺めていた。何かが、気になる。
その何かには、遅れて気づいた。
そこにいる男は、朽ちてもいなければ、崩れてもいない。
まるで今の今まで生きていたような、しっかりとした肉体をしている。
ピクリとも動かない、呼吸さえしていないために、その違和感を飲み込むのに時間がかかった。奇妙な先入観が邪魔していた。
恐る恐る、歩み寄ってみる。足音に反応して飛びかかってきそうだけど、全く、動かない。
耳を澄ませる。やはり呼吸はしていない。この空間には、僕が発する音しかない。
僕は片膝をついて、その誰かの顔を覗き込んだ。
やはり男だ。瞼は閉じられている。口は結ばれていた。結構な、男前だ。
だけど、死んでいる。呼吸していないのだ。
恐怖を必死に無視して、その男の様子を確認する。体は柔らかい。腐ってもない。服が古びているのが、こちらを騙すためにわざと古いものを着ているように思えた。
ただ、呼吸は止まっている。
そんなことは、死んでいなければ不可能だろう。
男の所持品を確認する。何も持っていない。
ただ、首に鎖が掛けられて、錠がはめられていた。
鎖は少しも錆びていない、銀色に光りを照り返している。錠にも精緻な彫刻が施されている。
しかし、その鎖はほとんど首を締め付けるようになっていて、取り外せそうにない。見るからに高価で、売り払えば、いい金になりそうだ。
うーん、どうしよう。
他も確認したけれど、目ぼしいものはない。
そろそろリッカかアリがやってくるのではないか。
時間がない。
決断は一瞬だった。僕は右手を意識して、それを意識する。
右手が、どこかに、滑り込む。
この能力の持ち主は、簒奪者、と呼ばれる。
何を奪うかといえば、それは、悪魔の業を奪うのである。
魔界の物質をこの世界に呼び出すことができる、特殊な能力者。
いつもは業火とも呼ばれる黒い炎を呼び出して、使役する。でも、業火しか引っ張れないわけじゃない。
僕の右手が、何かを掴んだ。一気に引っ張り出す。
「おっとっと」
思わず声が漏れる、体がよろめいた。
右手には長剣が握られている。赤黒い金属でできた剣だった。こうして実際に魔界の剣を引っ張り出したものの、僕にもこの剣の本当の力はわからない。そもそも、業火はともかく、剣や武器を引っ張り出しても、扱えないことが多い。
しかし、魔剣は魔剣。
握り直すと、魔剣の存在が拡散してしまう前に、構えた。
目の前の男の首の鎖に狙いを定める。錠だけでも、金にはなる。
掛け声も発さずに、僕は剣を突き出した。
切っ先が、鎖に当たる。
甲高い音と共に、鎖の輪が一つ、弾けて、どこかへ飛んで行った。残った鎖が錠と一緒に男の脇に落ちた。
「これでよし」
魔剣を拡散させ、僕は明かりを持ち直した。鎖を手に取り、錠を引っ張り上げた。
その手を、何かが掴んだ。
何かじゃない、目の前の男だ!
強烈な握力に、思わず鎖を手放しそうになる。でも大事な金だ、離さない。
男がゆっくりともう一方の手を持ち上げ髪の毛を搔き上げて後ろへ流した。
緑色の瞳が、まっすぐに僕を見る。
柔らかい光がそこに見えた。でも、顔は強張っている。
「ここは」男がしわがれた声で言う。「どこだ?」
「え?」
なんだって?
「え?」
「だから、ここは?」
本気で知らないらしい口調だった。僕は考える余裕が出てきた。
「手を離してくれ、痛い」
パッと、男が手を離す。とりあえず、錠を作業着のポケットに入れる。
「ここは教会の地下だよ。僕もよく知らない」
「知らないのにここにいるのか?」
「事故で、迷い込んだんだ」
男は少し顔を伏せると、立ち上がろうとした。したけど、ふらついて、片手を床についた。
「大丈夫?」
自分で聞いておきながら、大丈夫というのも変な話だ。どうせ演技だろうけど、あまりに真に迫っていた。
男が大げさに呼吸を繰り返し、それから一度、大きく息を吸うと、細く吐いた。
スゥッと彼が立ち上がった。僕の頭の辺りに肩が来る。
「教会というのは、どこの教会だ?」
「リーン。当たり前でしょ?」
「リーン? ルーンの事か?」
聞いたことがあるが、リーンの街は半世紀ほど前まで、ルーンと呼ばれていた。
「老人はそう言うね」
「老人か」
男がこちらを見下ろしてくる。
「統一暦で今年は何年だ?」
「統一暦? ちょっと待って」
統一暦、というのは、西部の諸島国家が大陸の国家群と統一された年を元年とした暦だったはず。しかし、今、使われている暦は人間暦と呼ばれている別のもの。統一暦で六十一年が人間暦の元年に当たる。今、人間暦の三十二年になるから……。
「統一暦では九十三年じゃないかな。人間暦で三十二年」
男は顔をしかめ、唸り、歩き出した。先ほどとは違い、動きは滑らかだ。
「ちょ、ちょっと!」思わず呼び止めていた。「これはどういういたずら?」
男が振り向いて、肩をすくめる。
「いたずらではない」
「こんなところで、待ち構えていて?」
そうとしか思えなかった。男がまた肩をすくめる。言葉はない。僕は急に不安になった。いたずらではない? でも、いたずらでないのなら?
「あんた」いつでも逃げ出せるように姿勢を整えつつ、聞いてみた。「人間?」
「人間だ」
「さっきまで、死んでいたはずだ。間違いじゃない」
「生き返った、ってことだろうな」
言っている意味が全くわからなかった。ただ、男の目元に、何か、感情が漂っている。悲しみ、だろうか。切なさ、だろうか。
僕たちは少し距離を置いて、視線をぶつけていた。
生き返った、だって? 僕が何かした、ということか。
したといえば、した。
鎖を切って、錠を外した。
ピンときた。そして、真から恐ろしくなった。
「封印されていたのか?」
僕の指摘に男は軽く頷き、
「そうらしい。でも別に、罪人だからじゃない」
と言った。
いよいよ僕は恐怖が先行した。どうやったら、この男をもう一度、封印できるのか。そういう技術を持つ者もいるが、僕にはそんな力はない。
「申し訳ないけど」
口が勝手に動いていた。
「このことは、なかったことにして、また眠ってくれないかな」
「そりゃ無理だ」
だろうね。
「どうしても?」
「腹が減っている」
会話にならなくなってきた。落ち着こう、集中、集中。
「本当に、悪人じゃない?」
「当たり前だ。胸を張って言える」
なら、もう仕方がない。
「どこか、頼るところはある?」
「ないな」
ほとんどやけっぱちだった。
「取引しよう」
「どういう取引だ? 取引という奴には良い思い出がない」
「悪くないと思う。君は食事と寝る場所、そして多分、服も手に入る」
服と僕が言うと、彼は自分の服装にやっと気づいたようだった。服とも言えない、ボロ切れなのだ。
「俺は何をすれば良い?」
乗ってきた!
「僕と行動を共にしてくれれば良い」
かなりドキドキしたけど、相手は平然としている。
「お前は何をしている人間だ? それも知らない」
「僕は……」
答えに困ったけど、正直に言うより他にない。
「教会の掃除係だ」
「……俺が一緒にいて、どうなる?」
僕は仕返しのように、無言のまま肩をすくめて見せた。男は顔をしかめる。
「良いだろう、保留しておく。それで、俺の生活拠点は?」
僕は頭上を指差す。
「教会の、僧房だよ」
顔を上げると、わずかな明かりに気づけた。しかし起き上がろうとすると背中に何かが触れた。石だとわかる。
何度か目を瞬き、頭を振った。
明かりは、どこか近くに携行光源の一つが落ちているようだ。その明かりに目が慣れてくる。体の痛みはかすかだ。何かに押しつぶされてもいない。
這い出すように前に進み、やっとしゃがむような姿勢になった。自分がいたところを確認すると、結構、大きい石が、危うく僕を押しつぶすところだと気づいた。
冷や汗をかきつつ、視線を巡らせ、光源が見つかった。埃と大量の土をかぶっているのを払えば、一気に明るくなった。
上を見ると、穴が空いている。十メートルほど上に、さっきまで僕がいた地下空間の天井が見えた。そこは明るい。
やっと今、自分がいるところを確認することができた。明かりを手に持つと、僕がいる地下空間のさらに地下のここは、縦穴の底のようだと認識できた。縦穴の周りをらせん状に階段が続いている。それを使って移動できるようになっている。
正確には、なっていた。
階段のほとんどが崩落しているのだ。多分、僕が秘密のスイッチを稼働させた時、この縦穴の入り口が開くはずが、老朽化もあってか床ごと崩壊し、階段も巻き揉まれたのだろう。
しかし、生きているだけでも儲け物だ。
ここで待っていれば、音か振動で気づいたリッカかアリか、神父の誰かが来てくれるはず。
動かない方がいいだろうか。
明かりを掲げて、この縦穴の底を確認した。
二つ、通路が口を開けている。片方は半ばまで埋まっていて、今は進めない。
もう一方は大丈夫そうだ。でも、この崩落を見た直後だと、だいぶ怖いな。
待つべきか、進むべきか。
僕は少しの思案の後、通路を進むことにした。何かがありそうだし、もしかしたら、ちょっとした金になるかも。それに体も無事だし。この幸運は、何かを引き寄せそうだ。
通路を明かりを掲げて進むと、蜘蛛の巣がびっしりと張り巡らされている。嫌だけど、腕で払って先へ進む。
緩やかに弧を描く通路は、すぐに開けた空間に出た。
天井がやや高い。先ほどの縦穴ほどもある。
最初に連想したのは、墓所、という言葉だった。
空間が広いため、蜘蛛の巣もない。空気はやけに澄んでいた。明かりは僕が持っているものだけで、そこに照らされる範囲でも、様々な芸術性が感じられた。
まず床に石畳だけでも上の地下空間とは違う。石は正方形にカットされ、その縁に彫刻が施されている。壁にはいくつかの像が建っていた。人間の像も、悪魔の像もある。
先へ明かりをかざすと、箱が置いてある。人が入れそうな箱だな、と思ったところで、これは棺なんじゃないか? と思考が追いついた。
歩み寄って、中を覗き込む。
何も入っていない。本当に、何も入っていない。
もしかして、盗掘されたのか?
途端に気持ちが楽になった。根拠のない自信である。
そのまま部屋の奥へ進んでみた。
何かが見えた。靴? いや、足?
さっきまでの自信は吹き飛び、一気に不安に包まれた。
明かりの中に古びたブーツがあり、そこに古びたズボンに包まれた足。足から腰、胴、と光の中に全てが現れた。
人間だ。
服装はボロボロで、相当な時間、ここにいることがわかる。
いる、という表現が正しいかは、わからない。
座り込んだその誰かは、力なく首が垂れていて、長い髪の毛は顔を覆っている。多分、男。そこそこに良い体格である。
無意識にじっとその姿を眺めていた。何かが、気になる。
その何かには、遅れて気づいた。
そこにいる男は、朽ちてもいなければ、崩れてもいない。
まるで今の今まで生きていたような、しっかりとした肉体をしている。
ピクリとも動かない、呼吸さえしていないために、その違和感を飲み込むのに時間がかかった。奇妙な先入観が邪魔していた。
恐る恐る、歩み寄ってみる。足音に反応して飛びかかってきそうだけど、全く、動かない。
耳を澄ませる。やはり呼吸はしていない。この空間には、僕が発する音しかない。
僕は片膝をついて、その誰かの顔を覗き込んだ。
やはり男だ。瞼は閉じられている。口は結ばれていた。結構な、男前だ。
だけど、死んでいる。呼吸していないのだ。
恐怖を必死に無視して、その男の様子を確認する。体は柔らかい。腐ってもない。服が古びているのが、こちらを騙すためにわざと古いものを着ているように思えた。
ただ、呼吸は止まっている。
そんなことは、死んでいなければ不可能だろう。
男の所持品を確認する。何も持っていない。
ただ、首に鎖が掛けられて、錠がはめられていた。
鎖は少しも錆びていない、銀色に光りを照り返している。錠にも精緻な彫刻が施されている。
しかし、その鎖はほとんど首を締め付けるようになっていて、取り外せそうにない。見るからに高価で、売り払えば、いい金になりそうだ。
うーん、どうしよう。
他も確認したけれど、目ぼしいものはない。
そろそろリッカかアリがやってくるのではないか。
時間がない。
決断は一瞬だった。僕は右手を意識して、それを意識する。
右手が、どこかに、滑り込む。
この能力の持ち主は、簒奪者、と呼ばれる。
何を奪うかといえば、それは、悪魔の業を奪うのである。
魔界の物質をこの世界に呼び出すことができる、特殊な能力者。
いつもは業火とも呼ばれる黒い炎を呼び出して、使役する。でも、業火しか引っ張れないわけじゃない。
僕の右手が、何かを掴んだ。一気に引っ張り出す。
「おっとっと」
思わず声が漏れる、体がよろめいた。
右手には長剣が握られている。赤黒い金属でできた剣だった。こうして実際に魔界の剣を引っ張り出したものの、僕にもこの剣の本当の力はわからない。そもそも、業火はともかく、剣や武器を引っ張り出しても、扱えないことが多い。
しかし、魔剣は魔剣。
握り直すと、魔剣の存在が拡散してしまう前に、構えた。
目の前の男の首の鎖に狙いを定める。錠だけでも、金にはなる。
掛け声も発さずに、僕は剣を突き出した。
切っ先が、鎖に当たる。
甲高い音と共に、鎖の輪が一つ、弾けて、どこかへ飛んで行った。残った鎖が錠と一緒に男の脇に落ちた。
「これでよし」
魔剣を拡散させ、僕は明かりを持ち直した。鎖を手に取り、錠を引っ張り上げた。
その手を、何かが掴んだ。
何かじゃない、目の前の男だ!
強烈な握力に、思わず鎖を手放しそうになる。でも大事な金だ、離さない。
男がゆっくりともう一方の手を持ち上げ髪の毛を搔き上げて後ろへ流した。
緑色の瞳が、まっすぐに僕を見る。
柔らかい光がそこに見えた。でも、顔は強張っている。
「ここは」男がしわがれた声で言う。「どこだ?」
「え?」
なんだって?
「え?」
「だから、ここは?」
本気で知らないらしい口調だった。僕は考える余裕が出てきた。
「手を離してくれ、痛い」
パッと、男が手を離す。とりあえず、錠を作業着のポケットに入れる。
「ここは教会の地下だよ。僕もよく知らない」
「知らないのにここにいるのか?」
「事故で、迷い込んだんだ」
男は少し顔を伏せると、立ち上がろうとした。したけど、ふらついて、片手を床についた。
「大丈夫?」
自分で聞いておきながら、大丈夫というのも変な話だ。どうせ演技だろうけど、あまりに真に迫っていた。
男が大げさに呼吸を繰り返し、それから一度、大きく息を吸うと、細く吐いた。
スゥッと彼が立ち上がった。僕の頭の辺りに肩が来る。
「教会というのは、どこの教会だ?」
「リーン。当たり前でしょ?」
「リーン? ルーンの事か?」
聞いたことがあるが、リーンの街は半世紀ほど前まで、ルーンと呼ばれていた。
「老人はそう言うね」
「老人か」
男がこちらを見下ろしてくる。
「統一暦で今年は何年だ?」
「統一暦? ちょっと待って」
統一暦、というのは、西部の諸島国家が大陸の国家群と統一された年を元年とした暦だったはず。しかし、今、使われている暦は人間暦と呼ばれている別のもの。統一暦で六十一年が人間暦の元年に当たる。今、人間暦の三十二年になるから……。
「統一暦では九十三年じゃないかな。人間暦で三十二年」
男は顔をしかめ、唸り、歩き出した。先ほどとは違い、動きは滑らかだ。
「ちょ、ちょっと!」思わず呼び止めていた。「これはどういういたずら?」
男が振り向いて、肩をすくめる。
「いたずらではない」
「こんなところで、待ち構えていて?」
そうとしか思えなかった。男がまた肩をすくめる。言葉はない。僕は急に不安になった。いたずらではない? でも、いたずらでないのなら?
「あんた」いつでも逃げ出せるように姿勢を整えつつ、聞いてみた。「人間?」
「人間だ」
「さっきまで、死んでいたはずだ。間違いじゃない」
「生き返った、ってことだろうな」
言っている意味が全くわからなかった。ただ、男の目元に、何か、感情が漂っている。悲しみ、だろうか。切なさ、だろうか。
僕たちは少し距離を置いて、視線をぶつけていた。
生き返った、だって? 僕が何かした、ということか。
したといえば、した。
鎖を切って、錠を外した。
ピンときた。そして、真から恐ろしくなった。
「封印されていたのか?」
僕の指摘に男は軽く頷き、
「そうらしい。でも別に、罪人だからじゃない」
と言った。
いよいよ僕は恐怖が先行した。どうやったら、この男をもう一度、封印できるのか。そういう技術を持つ者もいるが、僕にはそんな力はない。
「申し訳ないけど」
口が勝手に動いていた。
「このことは、なかったことにして、また眠ってくれないかな」
「そりゃ無理だ」
だろうね。
「どうしても?」
「腹が減っている」
会話にならなくなってきた。落ち着こう、集中、集中。
「本当に、悪人じゃない?」
「当たり前だ。胸を張って言える」
なら、もう仕方がない。
「どこか、頼るところはある?」
「ないな」
ほとんどやけっぱちだった。
「取引しよう」
「どういう取引だ? 取引という奴には良い思い出がない」
「悪くないと思う。君は食事と寝る場所、そして多分、服も手に入る」
服と僕が言うと、彼は自分の服装にやっと気づいたようだった。服とも言えない、ボロ切れなのだ。
「俺は何をすれば良い?」
乗ってきた!
「僕と行動を共にしてくれれば良い」
かなりドキドキしたけど、相手は平然としている。
「お前は何をしている人間だ? それも知らない」
「僕は……」
答えに困ったけど、正直に言うより他にない。
「教会の掃除係だ」
「……俺が一緒にいて、どうなる?」
僕は仕返しのように、無言のまま肩をすくめて見せた。男は顔をしかめる。
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