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第五章 悪魔騎士団襲来編

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 ゲレス村で二日目の昼間、わざとこちらの考えに乗るように、ベラとヨヨが現れた。
 村人は畑に出ている。僕とシリュウだけが、そこにいた。
 二人はローブを脱ぎ捨てる。ヨヨの片腕は失われていた。不倒の剣を持っていても、切り離されたものはくっつけられないわけだ。
 ベラが進み出てきた。
「なぜ」
 シリュウがそちらへ歩み寄りつつ、訊いた。
「なぜ、サザを切った?」
「あのものは無気力で、利敵行為に走った。処断されても当然だ」
 その一言は、シリュウのある種のスイッチを押したらしい。
 咆哮とともには、シリュウが飛びかかる。剣をいつ抜いたのかもわからなかった。
 ベラも剣を手に応戦する。
 激しい応酬になる。
 湿った音が時折、混じり、二人に周囲に飛沫が飛ぶ。
 動きが唐突に止まった。
 ベラが呻く。
 シリュウの剣がベラの腕に食い込んでいる。
 ベラの剣はシリュウの鎧が止めていた。
 動きが起こり、肉が引きちぎれる音が響いた。
 二人が離れる。ベラの片腕が垂れ下がっている。力は入らないだろう。
「俺は」シリュウが語りかけた。「俺は悪魔を憎いとは思わない。しかし、多くの悪魔を倒してきた。その中で多くの悪魔を見たが、しかし、サザは、敵ではなかった」
 ピタリと剣を構えて、シリュウはベラに向かって踏み込む。
「敵ではないとして」
 冷静な声とともに、影のように何かが滑り込んだ。
 ヨヨがベラの頭上へ落ちるシリュウの剣を受け止めていた。
 片腕でシリュウの剛力に拮抗し、シリュウを蹴り飛ばして間合いを作る。
「ベラ殿、この剣を」
 ヨヨは不倒の剣をベラに手渡し、代わりにベラの剣を受け取った。
「いよいよ卑怯をためらわないか」
 皮肉を投げつけるシリュウに、二人の悪魔は反応を返さなかった。
 今度はヨヨがシリュウと向き合う。
 ヨヨは隻腕で、おそらく正攻法では攻めてこない。それは僕にもわかる。何か奇策を弄するはずだ。
 二人が立ち位置を変えて、隙を伺う。
 僕にはわからない呼吸で、ヨヨが踏み込んだ。
 シリュウの剣は雑作もなく、その剣を弾き飛ばした。
 殺すまでもないとばかりに、彼の拳がヨヨを殴りつけ、蹴りつける。ヨヨは地面に背中から落ちた。
「下がれ。無駄だ」
 この時、誰も予想していないことが起こった。
 ヨヨがシリュウに抱きついたのだ。シリュウ本人も目を白黒させたが、危険に気付くのには一瞬だけあれば大丈夫だった。
 ただ、その一瞬が大きかった。
 ベラがいつの間にか突っ込んでいて、ヨヨの背中からシリュウの背中まで、剣で貫いた。
「シリュウ!」
 僕が叫んだ時、ベラは剣を引き抜き、ヨヨを抱えて間合いを取っている。
 目の前で、シリュウが片膝をつく。血が勢いよく流れている。
「よくやった、ヨヨ」
 ベラはヨヨを横たえると、やはり大量の黒い血液を流している彼女に不倒の剣を預け、弾き飛ばされて転がっていた自分の剣を手に取った。
「これで死者を弔うことができる」
 そんなことを言いながら、立ち上がれないでいるシリュウの前にベラが立つ。
 僕は動けなかった。僕にできることは、何もない。
 シリュウがベラを見上げる。
 その目を見た時、僕は自分がここにいる理由がわかった。
 そういうことか。
 右手で簒奪者の力が業火をいつでも繰り出せるようにする。
 ベラが剣を振り上げる。
「さらば」
 剣が、動く。
 僕の右手が翻る。
 シリュウの手も動いた。
 ベラの眼前を業火が横切る。わずかに彼が顔を背けた。
 しかし剣を止めるようなことはできない。
 刃はシリュウの首を確実に刎ね飛ばす勢いで振られている。
 そのシリュウの手が、魔法のように動いた。
 ベラの手元を押さえて、死を連れてくる寸前の剣を停止。
 それと同時進行で彼の手はベラの剣を奪った。
    見てもはっきりとは理解できない複雑な手の動き。
 ベラには何が起きたか、わからなかったかもしれない。
 それくらい鮮やかだった。
 剣を失ったベラを、彼の剣が存分に切り裂いた。
 地面に片膝をついたシリュウの前で、重い音ともにベラが倒れた。
 僕は思わずシリュウに駆け寄った。
「大丈夫?」
「馬鹿を、言うな」シリュウの口元から血が流れる。「死にそうだ」
 咄嗟に、ドザが助けに来てくれるのではないか、と期待した。彼の転移魔法を使えば、シェリーの治療を受けられる。
 でも、ドザは現れない。そんなに都合よくはいかないのだ。
 つまり、シリュウが生き残る可能性は一つしかない。
 僕は立ち上がって、ヨヨの方を見た。
 彼はまだ負傷が完全に治ってないまま、剣を構えて、僕と対峙する。
「その剣を貸していただけますか?」
 僕の頼みが理解できないわけがない。彼も人語を解するし、シリュウの状況もわかる。
「わからない」
 ヨヨがこぼすように言った。
「どうして、こんなことになっている? 何もかも、我々に悪いように作用している。こんなことがあっていいのか。我らは、正義を行う騎士団だったはずだ」
 あまり話している余裕はない。しかし、話をしないで剣を借り受けるのは無理だ。
「あなたたちは最後の一撃までは、まさに正義だったと僕は思う。一対一を原則にして、奇襲も夜襲もない。常にお互いが構えてから戦った。そんなことは人間にはできない」
「しかし、負けた。負ければそれまでだ」
 そうか、悪魔もまた、人間と同じ葛藤を持つのだ。
 本当に少しだけ、違うだけだ。
「あなたたちの戦いには、敬意を表する、としか言いようがない。でも戦いなんだ。どちらかが死ぬし、どちらの陣営にも損失が出る。それが戦いです」
「小僧に説教をされるとは」
 ヨヨがふらつく足で立ち上がった。片腕で剣を支えられず、切っ先が地面に当たっていた。
「剣が欲しければ奪え。私は奴が死ぬまでこの剣を手放さなければ、それで勝ちになる」
 僕の右手が魔界から剣を引っ張り出した。構える。
「そうはさせません、あなたを倒して、剣をもらう」
 僕は間合いを計った。
 ヨヨは明らかに体に力がこもっていなかった。
 それでも勝てるとは思えない。どうにか頭を使って、勝ちを探るのみ。
 右手の剣は黒い頭身で、片刃、そしてわずかに湾曲している。
 じりっと間合いを狭めても、ヨヨは少しも動じない。
 シリュウが気になった。
 場の緊張が高まっていき、何も考えられなくなってきた。
 このまま攻めないでいれば、相手に逆に攻められる気がした。
 相手の一撃で、僕が死ぬこともありうる。
 それは、ダメだ。
 隙を探す。ない。
 呼吸を読もうとする。読めない。
 間合いは。わからない。
 またわずかに、にじり寄る。
 ヨヨの剣がわずかに動いた。
 僕は前に飛び込んだ。
 ヨヨの剣が跳ね上がる。まっすぐに僕の首筋を狙っているのがわかった。
 それがわずかに停滞したように見えた。
 肉が裂ける音がどこかでした。
 僕の剣がヨヨの首に突き刺さる。
 ヨヨの絶叫と、僕の絶叫。
 手に力を込め、僕はヨヨの首を捩じ切った。
 彼の体が倒れる。
 その段になってヨヨの腕に二本の短剣が突き刺さっているのがわかった。
 誰の剣かは知っている。
 振り返ると、シリュウがほとんど這うような姿勢で、こちらを見ていた。顔を歪めているが、その中にも不敵な笑みがある。
 僕は笑っている余裕なんてない。
 ヨヨが握りしめたまま絶命した不倒の剣をどうにか奪う。指が強い力で柄を握りしめていて、それを外すのに時間がかかった。
 剣をどうにか手に取ると、僕はシリュウの元に持ってきて、彼に握らせた。
「お前もなかなか、やるな」
 シリュウがそんなことを言う。
「シリュウが短剣を投げなかったら、僕の首が飛んでいた」
「かもな」
 そんなことを言いつつ、シリュウは地面に横になり、不倒の剣を握っている。
 怪我が治っていくようには見えないけれどシリュウはそれほど苦しそうではない。
 そのまましばらく、シリュウはじっとしていた。
「これで」
 シリュウがゆっくりと身を起こした。
「一区切りになるのかな」
「悪魔の考えることは僕にもわからないよ。問題は、この惨状をどうするか、だね」
「埋めてやるか」
 シリュウが立ち上がる。不倒の剣をまだ握っている。
「痛む? 大丈夫?」
「痛む、ものすごく。治るのにしばらくかかる。奴から鞘も奪ってくれ」
 言われた通り、僕はヨヨの死体から不倒の剣の鞘を外した。それを受け取ったシリュウは、自然にそれを腰に帯びた。
 ついでのように、ベラから奪った剣も鞘を回収して身につけた。
 自分の剣も含めて、三本の剣を帯びていることになる。
 僕たちは村人に聞いて、彼らが死者を葬っている場所を教えてもらった。そこに二つの死体をどうにか運んで、埋めた。終わった頃には夜になっていた。この時にはシリュウの怪我は治癒していたようだ。
 二人で村に戻ると、村長が待ち構えており、連合軍からの使者が来ている、と告げた。
 僕とシリュウは顔を見合わせ、ニヤリと笑う。
 これは予想通りだったのだ。
 まさにピタリと的中した。


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