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第六章 聖都陰謀画策編
一
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悪魔との戦いは、未だに続いている。
地上は人間の領域である赤の領域と、悪魔の領域である黒の領域に分かれて争っている。
僕たちが生活するリーンの街は何事もなく、日々を過ごしていた。
一ヶ月のうちの半分ほどは黒の領域に繰り出して、悪魔を狩る。奴らの首は報奨金に変わり、奴らの鎧や武器を売り払うと、これもまた金になる。
実にいい商売である。
危険であることを除けば。
そんなわけで、拠点であるリーンの街で生活する時も、訓練を欠かすことはできない。
僕は相棒であり、超一流の剣士であるシリュウの見ている前で、木刀を振るっていた。
シリュウは訓練の時は特別に無口になる。指導らしい指導をせず、じっと見ていることもある。
その方が緊張して、僕も色々と考えるんだけど、それも意図のうちだろうか。
早朝から初めて、日差しが少しずつ強くなる。
「それくらいだな」
僕が汗にまみれるのを待っていたように、シリュウが言った。
「悪い癖は抜けてきた」
「あぁ、そう」僕は疲れていて、それどころではない。「見学させてもらうよ」
こちらに歩み寄りながらシリュウは背負っている二本の剣を引き抜く。
どちらも決して短くない、堂々とした作りの剣だ。
彼はそれを片手に一本ずつ握った。
入れ替わりに、僕がシリュウがいた辺りに座り込む。
シリュウの体がゆっくりと動き出す。
緩急をつけて、剣を振り、時折、ピタリと止める。切っ先が完全に静止する。姿勢も乱れない。静と動を交互に繰り返していく。
僕の形ばかりの剣術とは違う、練り上げられた、剣技だった。
しばらくシリュウは舞を踊るように、剣を振るい、ステップを踏んでいた。
その動きが完全に止まる。
ふぅっとシリュウが息を吐き、構えを解いて、剣を背中に戻した。
「二刀というのは、難しいものだな」
「……いや、完璧に見えたけど」
「それがわからない辺りに、アルスの力不足が見えるな」
そんなことを言うシリュウに僕は思い切りタオルをぶつけたけど、軽くつかみ止められた。そこへ水の入った瓶も投げつけた、こちらが本命。しかしそれも軽々と掴み止められる。
器用な奴。
「早く飯にしようぜ、アルス」
「はいはい。作るのも面倒だから、外で済まそう。そしてまずは風呂だ」
二人で小さな荷物を手に銭湯へ出かけ、帰りがけに惣菜屋に寄った。歩きながら、二人で揚げ物を食べる。
「次の仕事の予定は?」
シリュウの質問に、僕は少し考えた。
「特にないな。金には余裕がある。どこかに旅行に行ってもいいくらい余裕だ」
「ちょっと頑張りすぎたか」
そんなことを言いつつシリュウが揚げ物を一気に口に放り込んだ。
シリュウと組むようになって短くない時間が過ぎたけど、彼の存在は経済面でも非常に大きい。僕一人では到底、不可能な戦果が上がっている。
リーンの街のメインストリートを歩いていると、前方から籠が近づいてくる。籠というのは、高貴な人間が乗るものだから、自然、通りにいる人は端によって、籠が通り過ぎるのを待つ。
僕とシリュウも、そっと避けて、足を止め、軽く頭を下げた。
籠はそのまま通り過ぎて行った。
「どこの誰だろう? 気づいた?」
「あれは聖都じゃないか? 確か、あそこの紋章だ」
僕は見逃していた。
人間世界は大きく二つの勢力に分かれている。連合と同盟である。それぞれに首都を置いているけれど、それとは別に、人類全体の中心として、聖都と呼ばれる都市がある。この都市は、連合や同盟が出来上がるより前からある街だ。
「聖都かぁ」僕たちは再び歩き出した。「一度も行ったことがない」
「悪くないところだ。五十年前は」
あっさりとシリュウが言う。
五十年もあれば変わっているはずだけど、どうだろうか。
「行きたい?」
「特にそうは思わん」
僕たちは一旦、生活している集合住宅の一室に戻った。
シリュウはすぐ出かけて行った。新しい鎧をクルーゾーに注文してあったのを、確認するという。僕も部屋を出て、図書館へ向かった。
今でも僕はシリュウの愛剣、毀れの剣の行方を追跡していた。図書館の資料はだいたいを読み通したけど、はっきりした記述にはぶつかっていない。
そのまま昼過ぎまで、僕は図書館で過ごした。やっぱり成果はない。
シリュウとはお昼ご飯を軽食屋で済まそうと言ってある、そろそろだろう。
図書館を出て、馴染みの軽食屋である、メリッサの家族が経営している店に向かった。
昼を少し過ぎたので、店に入るとテーブルには空きが目立つ。
「いらっしゃいませ」
黒いエプロンを少女が近づいてくる。彼女はトウコ、知り合いの一人だ。
「先生はもう食べ始めてますよ」
「あぁ、そう。じゃあ、僕も何か、軽くお願い」
シリュウはフロアの隅のテーブルで、手羽先を焼いたものだろう、その骨をしゃぶっていた。
「おう、ご苦労さん」そんなことを言いつつ、丁寧に骨を舐めている。「何もわからなかった、っていう顔だな」
「まさにその通りだよ。いつの間にか、僕の方が真剣に探しているけど、シリュウはそうでもないの?」
「いや、あの剣があれば、何の不満もないだろうな。ただ、今の剣もそれほど悪いわけじゃないから、逼迫はしてない」
人間の戦士は、悪魔の持っている武具を使うことが多々ある。どういうわけか、人間よりも悪魔の方が武器や武具の製造技術を持つ。
今、シリュウが使っている二本の剣も、悪魔から奪ったものだ。
メリッサが近づいてきて、僕に声をかける。
「何にする? アルス。そっちの骨を舐めている人も、何が欲しい?」
シリュウが見せつけるように骨を舐めた後、バリバリと骨を齧って食べたので、さすがに僕も食欲が失せた。
サラダとスープを注文する。
「聖都には何しにいったの?」
僕が尋ねると、シリュウは骨を嚙りつつ応じる。
「勲章の授与だな。全部で四、五回は行った」
「なるほど、どういう理由か」
僕が知識を思い出そうとしている間に、シリュウが続ける。
「戦神の宮は、まぁ、美人だったな」
「戦神の宮? あぁ、そうか、今とは制度が違うんだ」
「そうだろうさ。長い時間が過ぎたしな。今の連中を見ていると、勲章も安いもんだ。あれは連合軍と同盟軍が安売りしているんだろうが」
聖都の最も重要な役割の一つは、勲章の授与である。
以前は聖都が独自に調査し、適切と思われる人物に授与されていた。しかし人間社会が連合と同盟に分裂した結果、聖都は連合か同盟の打診を受け、そのまま連合なり同盟なりの推薦した人物に勲章を渡す、というのが現状だった。
「時代の流れを感じるな」
そんなことを言って、シリュウが骨を飲み下した。
メリッサがやってきて、僕の前にサラダとスープを置く。それともう一皿、生肉のようなものが乗った皿も。
「新鮮な肉が手に入ったから。食べてみて、美味しいし、元気が出るわよ」
食事をしながら、シリュウに気になっていたことを聞いた。
「クルーゾーの方の鎧はどうだった?」
「悪くない出来だな。いい仕事をするよ」
彼の鎧も出会った頃からは様変わりしている。最初から一流品を求めているのは変わらないけど、徐々に資金に余裕が出てきて、より高価なものに手が出るようになった。
「何回払い?」
「三十回」
……訂正、手が出ないものにも手を出している。
「ちょっと大きい仕事をしないといけないな」
「いいだろう、すぐに計画書を書いて、出かけよう」
シリュウはそんなことを言うが、計画書を書くのも、他に討伐に必要な装備、食料などを用意するのも僕だ。
やれやれ。
まぁ、暇を持て余すよりはいいか。
食事を終えて、会計の時になってメリッサが小声で、
「今日の夕方、会える?」
と、聞いてきた。僕はシリュウに察知されないように、かすかに、メリッサにだけ分かるように頷いた。
店を出て、シリュウは部屋に帰るといい、僕は紹介所へ一人で向かった。仕事を斡旋してくれる場所であり、僕たちのような探索者の評価も行う。
今の僕の信用度数は四十二。これは決して悪い数字じゃない。仕事だってある程度は選べる。
僕は係員と相談しつつ、三つに候補を絞って、あとはシリュウと相談するため、資料をもらって、引き上げた。
あとは夜営のための装備で必要なものを揃える。食料と、燃料、水の濾過装置などだ。燃料はほとんど最後の手段で、緊急時にしか使わないけど、古いものを使いまわして不良になるのは避けたい。
方々で買い物をすると、夕暮れになった。今日は食料品と一緒に、夕飯の分の食材も買ってある。
家に帰る前に、リーンの一角にある公園に向かった。いつも使っている東屋が視界に入ってきて、そこにメリッサがいるのがわかった。
「お疲れ様」
僕が声をかけると、会釈が戻ってくる。
「その荷物を見ると、近いうちに仕事に行くのね?」
「相棒が散財してね、金がいる」
「ちゃんと手綱を握らないと、とんでもないことになるわよ」
耳に痛い忠告だった。
僕も東屋の椅子に腰掛け、二人でそれぞれの日常について話題を交換し、そのうちにメリッサが店に戻る時間になった。
「あっという間だわ」
立ち上がったメリッサがわずかに身をかがめて、僕の唇に唇を当てる。
「命を大事にね、探索士さん」
手をひらひらと振って、メリッサは去って行った。
僕も立ちあり、家へ帰ることにする、メリッサとは逆方向なのだ。
集合住宅が見えてきた時、違和感に気付いた。表の通りに数人の兵士が立っている。しかし、リーンに常駐している連合軍の兵士の服装ではない。見たことのない服装の兵士である。
歩み寄りつつ、彼らの制服の紋章を確認する。
やっとわかった、彼らは聖都の守備隊の兵士だ。紋章がそれを示している。
兵士たちの前を通り過ぎて、集合住宅へ向かう。兵士たちは誰何するわけでもなく、黙ったまま、直立不動である。
僕とシリュウが暮らす部屋の前にも、兵士が立っていた。
もう間違いない。シリュウを訪ねて誰かが来ているのだ。
それでも、部屋は僕の部屋でもある。堂々とドアを開けて中に入った。
中にいたシリュウがどこか安堵したようにこちらを見た。
「ややこしいことになりそうだぞ、アルス」
そんなことを言っている彼の前にいた若い男がこちらを振り返る。そして頭を下げた。
「アルス殿ですね?」
「今、シリュウがそう言ったはずだけど」
男は一段と深く頭を下げ、
「こちらをお渡しするように命じられております」
と、懐から書簡を取り出した。僕は荷物を置いて、恐る恐る、手に取って、シリュウを確認。するとシリュウも手に持った書簡をこちらに見せた。どうやら僕たちそれぞれに書簡があるらしい。やれやれ、本当にややこしいな。
僕は封筒の中身を検めた。
内容は突拍子も無いと言えば突拍子もない内容だ。
「僕に勲章を授与する?」
男に尋ねても、男は頭を下げるばかり。
「僕は大した働きはしていないけど」
「それは七人委員会がお決めになることですので」
「そのために聖都に出向いて欲しい?」
男が無言で頭を下げる。シリュウに視線を向けると、彼は、
「俺も聖都に来るように書いてある」
と、言った。
となると、もしかしたら、僕はおまけで、シリュウが本命なんじゃないか?
「返事はいつまでですか?」
尋ねると、男は頭を下げたまま、「三日後、再びここへ参りますので、その時に」と答える。
僕とシリュウが同意すると、男はゆっくりとした動作で、部屋を出て行った。
僕たちがまずやったことは、お互いの書簡を交換することだった。
シリュウの方の書簡には、驚くしかないことが書いてあった。
シリュウに天位騎士になってほしい、と書いてあった。
天位騎士というのは剣聖の下の位階で、二人しかいない。
超一流どころではなく、人間の中でも最強に近い騎士の称号だ。
「これは」書簡をシリュウに渡しつつ、僕は思わず言っていた。「断るべきじゃないか?」
「それが妥当だろうな」
シリュウもそう考えているらしい。
「だけど」
と、別の思いも彼は口にした。
「強い奴に会ってみたい気もする」
デタラメな理由である。
「金にはならないじゃないか」
「しかし旅費は出るし、滞在費も出る。幸い、時間もある」
「いや、時間はない。月賦の支払いが迫っている」
「リーンにいないんじゃ、取り立てようがない」
全く、理屈をこねるなぁ。
「断るべきだというのが、僕の意見だけど、シリュウはどうするの?」
「二日考えるさ。そのくらいの時間はあるだろう?」
やれやれ、万事、この調子なのだ。
結局、その日はもうこの話題には触れず、眠った。
翌日はいつも通りでシリュウと剣術の稽古をして、彼は走り込みに出て行った。僕は午前中は図書館、午後はとりあえず、買ってしまった食材を保存ができて、かつ、持ち運ぶのに不便にならないように調理した。シリュウは昼間には帰ってきて、一緒に食事をする。
午後も調理の続きをして、日が傾く頃になった。夕方、トウコがやってきて、シリュウに少しだけ剣を教わっているのを、僕は眺める。片腕を失っても、彼女の剣にはどこか心を打つものがある。
三人で食事をして、それからトウコは店に戻って行った。
翌日の朝、朝食の席でシリュウが前触れもなく宣言した。
「聖都へ行ってみるか」
これで決まりだ。僕には反対する権利はない。
「うまくすれば鎧の月賦を完済できるくらいの金を、謝礼としてもらえるだろう。その辺の交渉が、アルスの仕事だ」
どんな仕事だ。
そんなわけで、その翌日、再び部屋にやってきた使者に、僕たちは聖都へ出向くことを伝えた。ここでシリュウがちゃんと釘を刺したのには驚いた。
「まだ天位を受けるとは言っていない。話を聞くだけだ」
ちゃんと考えているのだ。
出発はその二日後と決まった。
メリッサにそのことを伝えると、彼女は、聖都のお土産を楽しみにしている、と笑っていた。黒の領域に入るのと比べれば至極安全、と感じているのだろう。
実際、僕もそれほど緊張しなかった。
むしろ、初めての聖都が楽しみである。
「あまり舞い上がるなよ」
そんな風に、シリュウに指摘されるのだから、相当、浮かれて見えたらしい。
良いじゃないか。たまには。
聖都への出発を翌日に控えたその朝、早い時間に来客があった。
「シリュウ殿にお伝えしたいことがある」
僕は流石に顔を強張らせた。
そこにいる男の着ている服は連合軍の軍服だった。階級は少尉。
連合軍とは地下探索の件で、関係がこじれて良好とは言い難い。
シリュウはそんなことを意にも介さず、
「なんだ?」
と、言葉を促した。
「連合軍の情報部から、あなたからお聞きしたいことがあるのです」
「情報部? 何を聞きたい?」
「この場だけの話としていただけるのなら、お話しします」
シリュウが僕に視線を向けた。僕も視線を返し、同意したことを伝える。
「聞こう」
連合軍少尉は声を潜めた。
「聖都は連合軍、そして同盟軍に対抗する武力を持つ動きを見せています」
「それは知っている」
シリュウが即座に応じる。
「聖都は支配地域も狭い。それでも聖域であり、それを守る必要がある」
「過ぎたる力のことです」
さすがにシリュウも目を丸くした。僕も似た表情のはずだ。
「過ぎたる力?」
「そうです」
僕は思わずシリュウを見た。
「聖都が大きい武力を持って」シリュウの声には慎重な響きがある。「どんな利がある?」
「それを今、調べております」
シリュウがため息を吐いた。
「少尉、君の話は胸に留めておこう。無用な争いは、俺の望むところではない」
「聖都こそ、争いを招く動きの元です」
その言葉には何も言わずに、シリュウは頷いた。
少尉はそのまま帰って行った。
「聖都の状況をよく知らないと、答えは出ないな」
部屋に残った僕とシリュウは顔を突き合わせて、それぞれに顔をしかめていた。
「連合軍の謀、という可能性はないかな。僕たちをここで動揺させることで、聖都をも動揺させるとか。どう?」
「その程度ならまだ良い。もっと大きな動きに注意すべきだ」
「例えば?」
「連合軍が聖都が危険だと周囲に吹き込み、それを理由に聖都に雪崩れ込むとか」
それはあまりに先走りすぎているだろう。妄想に近い。
「冗談じゃなくて、どう思っている?」
「わからんよ。しかしまずは、聖都の状況を見ることだ。いきなり、俺たちに天位なり勲章なりを寄こすというのも変な話だしな」
こんなことがあったので、僕の浮かれ気分は吹っ飛び、神妙な気分で翌朝、リーンを立つことになった。
地上は人間の領域である赤の領域と、悪魔の領域である黒の領域に分かれて争っている。
僕たちが生活するリーンの街は何事もなく、日々を過ごしていた。
一ヶ月のうちの半分ほどは黒の領域に繰り出して、悪魔を狩る。奴らの首は報奨金に変わり、奴らの鎧や武器を売り払うと、これもまた金になる。
実にいい商売である。
危険であることを除けば。
そんなわけで、拠点であるリーンの街で生活する時も、訓練を欠かすことはできない。
僕は相棒であり、超一流の剣士であるシリュウの見ている前で、木刀を振るっていた。
シリュウは訓練の時は特別に無口になる。指導らしい指導をせず、じっと見ていることもある。
その方が緊張して、僕も色々と考えるんだけど、それも意図のうちだろうか。
早朝から初めて、日差しが少しずつ強くなる。
「それくらいだな」
僕が汗にまみれるのを待っていたように、シリュウが言った。
「悪い癖は抜けてきた」
「あぁ、そう」僕は疲れていて、それどころではない。「見学させてもらうよ」
こちらに歩み寄りながらシリュウは背負っている二本の剣を引き抜く。
どちらも決して短くない、堂々とした作りの剣だ。
彼はそれを片手に一本ずつ握った。
入れ替わりに、僕がシリュウがいた辺りに座り込む。
シリュウの体がゆっくりと動き出す。
緩急をつけて、剣を振り、時折、ピタリと止める。切っ先が完全に静止する。姿勢も乱れない。静と動を交互に繰り返していく。
僕の形ばかりの剣術とは違う、練り上げられた、剣技だった。
しばらくシリュウは舞を踊るように、剣を振るい、ステップを踏んでいた。
その動きが完全に止まる。
ふぅっとシリュウが息を吐き、構えを解いて、剣を背中に戻した。
「二刀というのは、難しいものだな」
「……いや、完璧に見えたけど」
「それがわからない辺りに、アルスの力不足が見えるな」
そんなことを言うシリュウに僕は思い切りタオルをぶつけたけど、軽くつかみ止められた。そこへ水の入った瓶も投げつけた、こちらが本命。しかしそれも軽々と掴み止められる。
器用な奴。
「早く飯にしようぜ、アルス」
「はいはい。作るのも面倒だから、外で済まそう。そしてまずは風呂だ」
二人で小さな荷物を手に銭湯へ出かけ、帰りがけに惣菜屋に寄った。歩きながら、二人で揚げ物を食べる。
「次の仕事の予定は?」
シリュウの質問に、僕は少し考えた。
「特にないな。金には余裕がある。どこかに旅行に行ってもいいくらい余裕だ」
「ちょっと頑張りすぎたか」
そんなことを言いつつシリュウが揚げ物を一気に口に放り込んだ。
シリュウと組むようになって短くない時間が過ぎたけど、彼の存在は経済面でも非常に大きい。僕一人では到底、不可能な戦果が上がっている。
リーンの街のメインストリートを歩いていると、前方から籠が近づいてくる。籠というのは、高貴な人間が乗るものだから、自然、通りにいる人は端によって、籠が通り過ぎるのを待つ。
僕とシリュウも、そっと避けて、足を止め、軽く頭を下げた。
籠はそのまま通り過ぎて行った。
「どこの誰だろう? 気づいた?」
「あれは聖都じゃないか? 確か、あそこの紋章だ」
僕は見逃していた。
人間世界は大きく二つの勢力に分かれている。連合と同盟である。それぞれに首都を置いているけれど、それとは別に、人類全体の中心として、聖都と呼ばれる都市がある。この都市は、連合や同盟が出来上がるより前からある街だ。
「聖都かぁ」僕たちは再び歩き出した。「一度も行ったことがない」
「悪くないところだ。五十年前は」
あっさりとシリュウが言う。
五十年もあれば変わっているはずだけど、どうだろうか。
「行きたい?」
「特にそうは思わん」
僕たちは一旦、生活している集合住宅の一室に戻った。
シリュウはすぐ出かけて行った。新しい鎧をクルーゾーに注文してあったのを、確認するという。僕も部屋を出て、図書館へ向かった。
今でも僕はシリュウの愛剣、毀れの剣の行方を追跡していた。図書館の資料はだいたいを読み通したけど、はっきりした記述にはぶつかっていない。
そのまま昼過ぎまで、僕は図書館で過ごした。やっぱり成果はない。
シリュウとはお昼ご飯を軽食屋で済まそうと言ってある、そろそろだろう。
図書館を出て、馴染みの軽食屋である、メリッサの家族が経営している店に向かった。
昼を少し過ぎたので、店に入るとテーブルには空きが目立つ。
「いらっしゃいませ」
黒いエプロンを少女が近づいてくる。彼女はトウコ、知り合いの一人だ。
「先生はもう食べ始めてますよ」
「あぁ、そう。じゃあ、僕も何か、軽くお願い」
シリュウはフロアの隅のテーブルで、手羽先を焼いたものだろう、その骨をしゃぶっていた。
「おう、ご苦労さん」そんなことを言いつつ、丁寧に骨を舐めている。「何もわからなかった、っていう顔だな」
「まさにその通りだよ。いつの間にか、僕の方が真剣に探しているけど、シリュウはそうでもないの?」
「いや、あの剣があれば、何の不満もないだろうな。ただ、今の剣もそれほど悪いわけじゃないから、逼迫はしてない」
人間の戦士は、悪魔の持っている武具を使うことが多々ある。どういうわけか、人間よりも悪魔の方が武器や武具の製造技術を持つ。
今、シリュウが使っている二本の剣も、悪魔から奪ったものだ。
メリッサが近づいてきて、僕に声をかける。
「何にする? アルス。そっちの骨を舐めている人も、何が欲しい?」
シリュウが見せつけるように骨を舐めた後、バリバリと骨を齧って食べたので、さすがに僕も食欲が失せた。
サラダとスープを注文する。
「聖都には何しにいったの?」
僕が尋ねると、シリュウは骨を嚙りつつ応じる。
「勲章の授与だな。全部で四、五回は行った」
「なるほど、どういう理由か」
僕が知識を思い出そうとしている間に、シリュウが続ける。
「戦神の宮は、まぁ、美人だったな」
「戦神の宮? あぁ、そうか、今とは制度が違うんだ」
「そうだろうさ。長い時間が過ぎたしな。今の連中を見ていると、勲章も安いもんだ。あれは連合軍と同盟軍が安売りしているんだろうが」
聖都の最も重要な役割の一つは、勲章の授与である。
以前は聖都が独自に調査し、適切と思われる人物に授与されていた。しかし人間社会が連合と同盟に分裂した結果、聖都は連合か同盟の打診を受け、そのまま連合なり同盟なりの推薦した人物に勲章を渡す、というのが現状だった。
「時代の流れを感じるな」
そんなことを言って、シリュウが骨を飲み下した。
メリッサがやってきて、僕の前にサラダとスープを置く。それともう一皿、生肉のようなものが乗った皿も。
「新鮮な肉が手に入ったから。食べてみて、美味しいし、元気が出るわよ」
食事をしながら、シリュウに気になっていたことを聞いた。
「クルーゾーの方の鎧はどうだった?」
「悪くない出来だな。いい仕事をするよ」
彼の鎧も出会った頃からは様変わりしている。最初から一流品を求めているのは変わらないけど、徐々に資金に余裕が出てきて、より高価なものに手が出るようになった。
「何回払い?」
「三十回」
……訂正、手が出ないものにも手を出している。
「ちょっと大きい仕事をしないといけないな」
「いいだろう、すぐに計画書を書いて、出かけよう」
シリュウはそんなことを言うが、計画書を書くのも、他に討伐に必要な装備、食料などを用意するのも僕だ。
やれやれ。
まぁ、暇を持て余すよりはいいか。
食事を終えて、会計の時になってメリッサが小声で、
「今日の夕方、会える?」
と、聞いてきた。僕はシリュウに察知されないように、かすかに、メリッサにだけ分かるように頷いた。
店を出て、シリュウは部屋に帰るといい、僕は紹介所へ一人で向かった。仕事を斡旋してくれる場所であり、僕たちのような探索者の評価も行う。
今の僕の信用度数は四十二。これは決して悪い数字じゃない。仕事だってある程度は選べる。
僕は係員と相談しつつ、三つに候補を絞って、あとはシリュウと相談するため、資料をもらって、引き上げた。
あとは夜営のための装備で必要なものを揃える。食料と、燃料、水の濾過装置などだ。燃料はほとんど最後の手段で、緊急時にしか使わないけど、古いものを使いまわして不良になるのは避けたい。
方々で買い物をすると、夕暮れになった。今日は食料品と一緒に、夕飯の分の食材も買ってある。
家に帰る前に、リーンの一角にある公園に向かった。いつも使っている東屋が視界に入ってきて、そこにメリッサがいるのがわかった。
「お疲れ様」
僕が声をかけると、会釈が戻ってくる。
「その荷物を見ると、近いうちに仕事に行くのね?」
「相棒が散財してね、金がいる」
「ちゃんと手綱を握らないと、とんでもないことになるわよ」
耳に痛い忠告だった。
僕も東屋の椅子に腰掛け、二人でそれぞれの日常について話題を交換し、そのうちにメリッサが店に戻る時間になった。
「あっという間だわ」
立ち上がったメリッサがわずかに身をかがめて、僕の唇に唇を当てる。
「命を大事にね、探索士さん」
手をひらひらと振って、メリッサは去って行った。
僕も立ちあり、家へ帰ることにする、メリッサとは逆方向なのだ。
集合住宅が見えてきた時、違和感に気付いた。表の通りに数人の兵士が立っている。しかし、リーンに常駐している連合軍の兵士の服装ではない。見たことのない服装の兵士である。
歩み寄りつつ、彼らの制服の紋章を確認する。
やっとわかった、彼らは聖都の守備隊の兵士だ。紋章がそれを示している。
兵士たちの前を通り過ぎて、集合住宅へ向かう。兵士たちは誰何するわけでもなく、黙ったまま、直立不動である。
僕とシリュウが暮らす部屋の前にも、兵士が立っていた。
もう間違いない。シリュウを訪ねて誰かが来ているのだ。
それでも、部屋は僕の部屋でもある。堂々とドアを開けて中に入った。
中にいたシリュウがどこか安堵したようにこちらを見た。
「ややこしいことになりそうだぞ、アルス」
そんなことを言っている彼の前にいた若い男がこちらを振り返る。そして頭を下げた。
「アルス殿ですね?」
「今、シリュウがそう言ったはずだけど」
男は一段と深く頭を下げ、
「こちらをお渡しするように命じられております」
と、懐から書簡を取り出した。僕は荷物を置いて、恐る恐る、手に取って、シリュウを確認。するとシリュウも手に持った書簡をこちらに見せた。どうやら僕たちそれぞれに書簡があるらしい。やれやれ、本当にややこしいな。
僕は封筒の中身を検めた。
内容は突拍子も無いと言えば突拍子もない内容だ。
「僕に勲章を授与する?」
男に尋ねても、男は頭を下げるばかり。
「僕は大した働きはしていないけど」
「それは七人委員会がお決めになることですので」
「そのために聖都に出向いて欲しい?」
男が無言で頭を下げる。シリュウに視線を向けると、彼は、
「俺も聖都に来るように書いてある」
と、言った。
となると、もしかしたら、僕はおまけで、シリュウが本命なんじゃないか?
「返事はいつまでですか?」
尋ねると、男は頭を下げたまま、「三日後、再びここへ参りますので、その時に」と答える。
僕とシリュウが同意すると、男はゆっくりとした動作で、部屋を出て行った。
僕たちがまずやったことは、お互いの書簡を交換することだった。
シリュウの方の書簡には、驚くしかないことが書いてあった。
シリュウに天位騎士になってほしい、と書いてあった。
天位騎士というのは剣聖の下の位階で、二人しかいない。
超一流どころではなく、人間の中でも最強に近い騎士の称号だ。
「これは」書簡をシリュウに渡しつつ、僕は思わず言っていた。「断るべきじゃないか?」
「それが妥当だろうな」
シリュウもそう考えているらしい。
「だけど」
と、別の思いも彼は口にした。
「強い奴に会ってみたい気もする」
デタラメな理由である。
「金にはならないじゃないか」
「しかし旅費は出るし、滞在費も出る。幸い、時間もある」
「いや、時間はない。月賦の支払いが迫っている」
「リーンにいないんじゃ、取り立てようがない」
全く、理屈をこねるなぁ。
「断るべきだというのが、僕の意見だけど、シリュウはどうするの?」
「二日考えるさ。そのくらいの時間はあるだろう?」
やれやれ、万事、この調子なのだ。
結局、その日はもうこの話題には触れず、眠った。
翌日はいつも通りでシリュウと剣術の稽古をして、彼は走り込みに出て行った。僕は午前中は図書館、午後はとりあえず、買ってしまった食材を保存ができて、かつ、持ち運ぶのに不便にならないように調理した。シリュウは昼間には帰ってきて、一緒に食事をする。
午後も調理の続きをして、日が傾く頃になった。夕方、トウコがやってきて、シリュウに少しだけ剣を教わっているのを、僕は眺める。片腕を失っても、彼女の剣にはどこか心を打つものがある。
三人で食事をして、それからトウコは店に戻って行った。
翌日の朝、朝食の席でシリュウが前触れもなく宣言した。
「聖都へ行ってみるか」
これで決まりだ。僕には反対する権利はない。
「うまくすれば鎧の月賦を完済できるくらいの金を、謝礼としてもらえるだろう。その辺の交渉が、アルスの仕事だ」
どんな仕事だ。
そんなわけで、その翌日、再び部屋にやってきた使者に、僕たちは聖都へ出向くことを伝えた。ここでシリュウがちゃんと釘を刺したのには驚いた。
「まだ天位を受けるとは言っていない。話を聞くだけだ」
ちゃんと考えているのだ。
出発はその二日後と決まった。
メリッサにそのことを伝えると、彼女は、聖都のお土産を楽しみにしている、と笑っていた。黒の領域に入るのと比べれば至極安全、と感じているのだろう。
実際、僕もそれほど緊張しなかった。
むしろ、初めての聖都が楽しみである。
「あまり舞い上がるなよ」
そんな風に、シリュウに指摘されるのだから、相当、浮かれて見えたらしい。
良いじゃないか。たまには。
聖都への出発を翌日に控えたその朝、早い時間に来客があった。
「シリュウ殿にお伝えしたいことがある」
僕は流石に顔を強張らせた。
そこにいる男の着ている服は連合軍の軍服だった。階級は少尉。
連合軍とは地下探索の件で、関係がこじれて良好とは言い難い。
シリュウはそんなことを意にも介さず、
「なんだ?」
と、言葉を促した。
「連合軍の情報部から、あなたからお聞きしたいことがあるのです」
「情報部? 何を聞きたい?」
「この場だけの話としていただけるのなら、お話しします」
シリュウが僕に視線を向けた。僕も視線を返し、同意したことを伝える。
「聞こう」
連合軍少尉は声を潜めた。
「聖都は連合軍、そして同盟軍に対抗する武力を持つ動きを見せています」
「それは知っている」
シリュウが即座に応じる。
「聖都は支配地域も狭い。それでも聖域であり、それを守る必要がある」
「過ぎたる力のことです」
さすがにシリュウも目を丸くした。僕も似た表情のはずだ。
「過ぎたる力?」
「そうです」
僕は思わずシリュウを見た。
「聖都が大きい武力を持って」シリュウの声には慎重な響きがある。「どんな利がある?」
「それを今、調べております」
シリュウがため息を吐いた。
「少尉、君の話は胸に留めておこう。無用な争いは、俺の望むところではない」
「聖都こそ、争いを招く動きの元です」
その言葉には何も言わずに、シリュウは頷いた。
少尉はそのまま帰って行った。
「聖都の状況をよく知らないと、答えは出ないな」
部屋に残った僕とシリュウは顔を突き合わせて、それぞれに顔をしかめていた。
「連合軍の謀、という可能性はないかな。僕たちをここで動揺させることで、聖都をも動揺させるとか。どう?」
「その程度ならまだ良い。もっと大きな動きに注意すべきだ」
「例えば?」
「連合軍が聖都が危険だと周囲に吹き込み、それを理由に聖都に雪崩れ込むとか」
それはあまりに先走りすぎているだろう。妄想に近い。
「冗談じゃなくて、どう思っている?」
「わからんよ。しかしまずは、聖都の状況を見ることだ。いきなり、俺たちに天位なり勲章なりを寄こすというのも変な話だしな」
こんなことがあったので、僕の浮かれ気分は吹っ飛び、神妙な気分で翌朝、リーンを立つことになった。
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