上 下
46 / 82
第六章 聖都陰謀画策編

しおりを挟む
 聖都の七人委員会から派遣された集団は総勢で三十人ほどだった。
 それは護衛だけで、他に僕たちのもとに来た使者と、その付き人が二人いる。
 僕たち二人を合わせて、三十五人の集団だった。
 使者は籠で運ばれていて、僕とシリュウは馬上だ。護衛も四人ほど、馬に乗っている。他は徒歩だった。
「このペースはなんとかならんのかねぇ」
 僕と馬を並べて、シリュウがぼやく。
 おおよそ普段の僕たちとは比べ物にならない遅さの移動だ。赤の領域の中での移動でも、こんなに遅いことはない。優雅を通り越して、怠惰とも言える。
 そんな具合で、リーンの街を出発しても遅々として先へ進まず、二週間が過ぎた。本気で移動すれば、聖都へ到着しても余裕がある。小さな村の、村長の屋敷を借りて、この日の宿とすることになった。
 この二週間の間に、聖都からの使者の男の名前がハルバと言い、神官の部下だとわかっている。他にも周囲の護衛の中にも親しいものもできた。
 ハルバはどうやら、リーンに向かう旅もこのペースで通したらしい。彼は一ヶ月以上、聖都を離れていることになる。
 例の連合軍少尉のことが頭に浮かんだ。
 聖都に何かしらの陰謀があるにしては、この使者の移動の遅さでは、とてもじゃないが、陰謀が成立するとも思えない。
 ちぐはぐなのだ。
 シリュウとは二人きりになった時、何度かそのことについて意見を交換した。
 シリュウも不審がっているが、まだ結論は出していない。
 旅の中で、食事はハルバと僕、シリュウ、護衛隊長の四人が席を同じくして、他の護衛たちはそれぞれに済ます、というのが自然な流れになった。
 護衛隊長はタルータという名前だが、恐ろしく無口な男で、僕はまだ話したことはない。シリュウもないだろう。食事中も黙っている。
 その村での夜も、四人で食事をして、主にハルバが一人で喋っていた。
 食事が済んで、僕とシリュウは与えられた部屋に引き取った。狭い部屋に、布団がふた組、敷かれていた。寝台なんてものはない。
 それぞれに着替えて、布団に入る。
「いつになったら聖都にたどり着くのやら」
 シリュウがぼやいた。僕は「亀よりも遅いからな」というしかない。
 いつの間にかうとうとしていた。
 ふと目覚める。
 周囲はしんとしていた。反射的に左右を視線で確認する。シリュウは横になってそこにいる。
 なんで自分が起きたのか、わからなかった。
 ちょっと身じろぎをする。
「じっとしていろ」
 突然、シリュウが小さな声で言った。
「黙れ」
 返事をしそうになったのを、シリュウの指摘で飲み込む。
 何かが起こるとシリュウは感じているようだ。
 でも僕には何もわからない。ただ、いつでも跳ね起きられるように姿勢をかすかに調整した。
 ひたひたと、何かが進んでくるのがわかった。
 頭の中で屋敷の内部を思い浮かべる。廊下を進んでいるのは、二人、いや、三人だ。
 音はしない、呼吸音もしない。
 気配が、近づいてくる。
 スゥッと、僕たちがいる部屋のドアが開いた。
 入ってくるのは影のようにしか見えない二人。手には何か持っているが、暗すぎてわからない。たぶん、刃物だ。黒く塗っているらしい。
 一人がシリュウに向かい、一人が僕の傍に屈み込んだ。
 おいおい、そろそろ動かないと、殺されるぞ。
 冷や汗をかきつつ、僕は薄めに瞼を開けたまま、相手を間近に見た。
 顔は頭巾で覆っている。見えない。背丈は高くないが、ガッチリしている体つき。手にはやっぱり刃物だ。
「阿呆め」
 突然、シリュウが声を発した。
 二人の刺客はハッとしたようだけど、シリュウの一言はほとんど引き金を引いたようなものだった。
 二人の刺客が容赦なく剣を振り下ろしてくる。
 僕は右手が魔界から業火を引っ張り出した。そうするよりない。
 業火は容赦なく刺客を包み込んだ。叫びながら、火を消そうとするが、消えるわけもない。
 一方、シリュウはといえば、僕が見た時には身を起こしていて、刺客を取り押さえていた。素早い奴である。
 僕が対処した刺客が喚きまくったので、屋敷中が蜂の巣をつついたような騒ぎになった。どんどん周囲が明るくなり、騒がしくなる。
 タルータがやってきた時、僕は業火を消して、大やけどをした刺客を、とりあえず縛り上げていた。
「四人やられた」
 珍しくタルータがそう呟くように、低い声で言った。
「そうかい。見覚えは?」
 言いながら、シリュウが自分を襲った刺客をタルータの前に蹴り倒す。すでに両手両足を拘束されていたので、無様に床に倒れる。もちろん、頭巾も剥ぎ取られている。
 じっとタルータは刺客を見たが、首を横に振った。知らない相手らしい。
「そちらで身元を洗うってことでいいかい?」
 シリュウの言葉に今度はタルータは首を縦に振り、二人の刺客を引きずるようにして連れ去っていった。
「これはちょっと、のっぴきならないな」
 シリュウがそんなことを言う。
「人間に狙われるのは、肝が冷えるよ」
 思わずそういうと、シリュウは苦笑していた。
「それはそうと、よく目覚めたな」
「たまたまかもしれない」
 謙遜するな、とシリュウは僕の肩を叩いた。
 その日は外で煌々と明かりが灯されていて、眠れそうもなかったし、寝なかった。
 明け方、いよいよ休むのを諦めて、外に出て、四人の犠牲者を確認すると、一人は何度か話した相手だった。三十人の護衛の中でも僕と年齢の近い、どこか幼さの残る顔立ちだった。
 すでに埋葬したということで、僕はそこへ行って、神に祈りを捧げた。
 それから、彼と親しかった護衛の一人に、彼の両親に渡すように、と金貨を一枚、渡しておいた。
 金貨一枚で、人一人の命を賠償できるわけもない。もちろん、金貨十枚でも百枚でも、賠償なんてできないのだ。
 だから、これはただの自己満足。
 翌朝、村長は青い顔をして、それでも僕たちに朝食を振る舞った。
「タルータ殿」シリュウが食事をしながら何気なく聞いた。「刺客の正体はわかったかな?」
「わかりません」
 簡潔な応答。
「シリュウ殿は、心当たりが?」
 訊いたのはタルータではなく、ハルバだった。食事の手が止まっている。一方のシリュウはゆっくりと手を動かしていた。
「可能性ですが、連合軍かもしれません」
 さすがに場の空気が凍りつき、即座に張り詰めたものに変わる。
「連合軍、ですか?」
 ハルバは明らかに狼狽していた。
「いや、しかし、彼らもこんな強引には……」
「可能性としては、です。ここは連合の支配地域です。まさかここまで同盟軍が暗殺者を送れるとは、思えません。まったくの不可能ではありませんが、難しい。そうなれば、消去法で、連合軍」
 ハルバは何も言わずに、手元の皿に視線を落としていた。タルータは視線をシリュウに向けて動かさない。僕は食事を続けた。シリュウはお茶を飲んでいる。
 はったりとはいえ、僕とシリュウが余裕を見せすぎている気もするけど、これくらいのアドバンテージは必要だ。
「何も心当たりはないのですか? ハルバ殿」
 シリュウがズバリと質問した。ハルバは、唸るような声をあげ、手元を見ている。
「あるのですか?」
 ハルバはやっと口を開いた。
「ありませんが、他に可能性もなく……。お二人には、何かありますか?」
 切羽詰まって逆に質問されても、もちろん、ないというよりない。
 僕たちの返答を受けて、ハルバは進退極まったように、深刻な顔になった。
「とりあえず」シリュウが食事を終え、お茶を飲み干した。「聖都へ急ぐべきでしょう。今回の襲撃はただの失敗ではないのですから」
「ただの失敗ではない?」
「暗殺者が殺されもせず、確保されてしまった。つまり、捕虜の心が折れなければ別ですが、こちらがありとあらゆる手段を容赦無く用いれば、口を割らすことができる。今は隠れている黒幕の存在が、明らかになってしまう」
 ハルバの顔から血の気が引いた。椅子を倒しながら、立ち上がった。
「暗殺者についてはタルータに一任する」
 即断したハルバに、タルータが敬礼をする。
「急ぎましょう。籠に乗っている余裕はない。馬でいきましょう」
 今までになくキビキビとハルバが動き出したので、面食らったが、しかし、これで退屈な旅からも解放される。
 僕は朝食の残りを掻き込んで、お茶で流し込むと、明け方にこうなるだろうと思って用意していた荷物を取りに行った。
 外に出ると、すでに六頭の馬が引き出されている。一行の全部の馬だ。
 つまり、ハルバ、シリュウ、僕の他に三人の護衛がつく。残りは後を追うか、暗殺者を取り調べるか、護送するのだろう。
「急ぎましょう」
 乗馬のための服装になったハルバはひらりと馬にまたがる。こうやって見てみると、馬に乗っているのも自然に見える。
 六人で馬を駆けさせた。
 太陽が徐々に高くなる。街道を歩く人も多い。
「嫌な予感がするぞ」
 シリュウが突然にそう言って、背後を振り返り、いきなり馬を加速させた。
「シリュウ?」
「追っ手だ。いい馬に乗っているぞ」
 慌てて背後を確認するが、馬は見えない。
 しかし、後方で土煙が上がっているのは見える。
 ハルバたちも気づいた。六人で一かたまりになり、駆けに駆けた。
 しかしシリュウの予想通り、相手の方がいい馬を揃えていた。徐々に距離が縮まり、相手が見えた。十人ほどだろうか。服装は山賊のようだがまさか、山賊が駿馬を十頭も揃えているわけもないし、そもそも馬に乗るその姿勢が、山賊ではない。
 正規の訓練を積んだ兵士に間違いない。
「逃げきれないな」
 シリュウが苦り切った声で言う。
「どうする、馬を止める?」
「馬鹿か。反転するんだよ、戦うなら」
「ぞっとしない」
 思わずそう言う僕を無視して、シリュウはすでに馬を止め、馬首を今来た方に向けた。ハルバは混乱しているが、三人の護衛たちはシリュウの意図を察している。
「逃げたければ逃げてもいいぞ」
 そう言われた護衛たちは吠えるような声をあげて応じる。やる気ってことだ。
「お前もな」
 シリュウは意地悪く、こちらを見る。
「逃げるもんか」
「死ぬなよ」
 ハルバは混乱しているままだけど彼が戦力になるとも思えなかった。
 シリュウを先頭に僕たち五人は全速で来た道を逆に走り始めた。通行人たちも事態に気づき、慌てて街道から離れ、周囲の田畑へ逃げ込んでいく。
 前方にはっきりと馬の群れが見えた。乗っている男たちは全員が剣を抜いている。
 そのまま集団に、僕たち五人が突っ込んだ。
 剣と剣がぶつかる音、怒号、悲鳴、馬のいななき、馬蹄の響き。
 何人かが地面に落ちる鈍い音。
 僕は必死に剣を振るった。集中が高まりすぎて、周囲の全てが理解できるような気がした。
 僕たち五人のうち、二人は落馬している。しかしその二人はそれぞれ二人の敵を叩き落としている。
 シリュウは目が覚めるような活躍をしていた。剣を振り回し、すでに五人を叩き落としている。巧みな手綱さばきで、まるで何年も乗っている馬のように乗りこなしていた。
 僕はどうにか一人を叩き落とし、しかし二人に当たられて、どうにか支えている程度。
 そこにシリュウが襲いかかり、一人を叩き落とす。
 誰かが撤退を指示する声をあげた。
 相手は統率が取れている、馬に乗っているものは一気に退き始めた。落馬したものも拾い上げていく。
 その場には、主人を失った馬が十頭ほど残るだけになった。
「やるな」
 シリュウが一人残った護衛に声をかけ、すぐに馬を降りると、地面に倒れている仲間を確認する。僕も同じようにしていた。
 落馬した二人にうちの一人は致命傷で、虫の息だ。もう一人は重傷だが、命は助かりそうだった
「この先、どうするかな」
 僕は荷物の中から医療用具を取り出し、護衛の男の腰から取り上げた鞘を添え木にして、護衛の足の骨折している部分を固定する。
「いや、特別に心配する必要はないらしい」
 周囲に倒れている山賊風の男たちの様子を見て、生きているものは拘束したシリュウが、こちらに戻ってくる。
「え? なんで?」
「こちらに向かってくる集団がある」
 彼が指差したので僕もそちらを見た。
 僕たちが向かっていた方向で、やはり砂埃が上がっている。騎馬の集団が来るのだ。
「あれが敵だったら、うんざりだな」
「いや、そうではない、旗を掲げている」
 どうやらシリュウの視力は相当なものだな。
 やがて僕にも見えてきた。青地の布に複雑な紋章が描かれている旗が確かにあった。
 全員が武装している。白銀の軽鎧で統一されていた。
 連合軍の部隊ではない。
「あれが聖都の守備隊か……? いや、違う?」
 シリュウがまるで出迎えるように、真っ直ぐに立った。
 そのシリュウの前に並んだ騎馬の数は、二十五人ほど。
 そのうちの一人が馬を降りて、シリュウの前に立つ。
「私の名前はファルカ。剣聖付き武官です」
「なるほど」
 シリュウが目の前にいる兵士たちを見る。
「あんたたちは、剣聖騎士団か」
「何者に襲われた?」
「そこらに転がっているよ、連中に直接聞いてくれ」
 それよりも、とシリュウはファルカを見た。
「どうして襲撃があるとわかった?」
「昨夜、夜襲があったと聞いています。その情報を受け、駆けつけた」
 そうかい、とシリュウは頷くと気安い感じで、
「仲間が負傷している。病院に運んでやってくれ」
「駆け通せば聖都まで半日です。運びましょう」
「護衛部隊の歩兵が取り残されている。助けに行ってくれ」
「わかりました」
 ファルカは部下に指示を出し始めた。
 どうやら、これで無事に聖都へ着けそうだ。
 やれやれ、ただ赤の領域を移動するだけが、相当な苦労だ。
 もちろん、聖都に着いて終わりじゃないんだけよな。
 全く、疲れる。



しおりを挟む

処理中です...