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第九章 人間奮戦激闘編
三
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連合軍と悪魔軍の対峙は、解消されることはなかった。
黒の領域の密林の中で、連合軍の兵士は陣地を構築し、拠点を築きつつあった。
僕は何度か悪魔たちと斥候に出て、その様子を確認した。
はっきりとはわからないが、連合軍の兵力は一万を超えている。補給線は伸びているが、安定しているようだ。
悪魔側はその補給線を狙い、散発的に小競り合いを起こしたが、連合軍に動揺はない。
悪魔軍の総数は前回の後退の前とほぼ同数の戦力、七千を集めている。
「私たちには大きなまとまりがありません」
ある時、レムが僕を呼んでそのことを打ち明けた。メムも同席している。
「悪魔全体の総数は、人間に劣らないでしょう。しかし、悪魔は無数の勢力に分かれて、それぞれがそれぞれに人間と戦っている。だから、今まで人間に敗退してきたのです」
「人間が連合軍と同盟軍に分かれているようなものですね」
「もっとタチが悪いのですよ、どこかが押しつぶされそうになっても、積極的に手を貸すことはない。我々のこの軍団は、かなり大きな規模ですが、他の悪魔たちは静観している。歯がゆいですが、しかし、これが私たちの価値観です」
そんな事情を打ち明けられる程度に僕は信用されてきた。
連合軍と悪魔軍が睨み合って、一ヶ月ほどが過ぎている。
その間、僕はキロの指導のもと、契約者としての訓練を続けている。それと同時に、複数の悪魔が僕に悪魔の言語の教育をしてくれた。
最初こそ片言だったのが、徐々に日常会話がこなせるようになった。
ただ、人間の兵士たちと同様に、悪魔たちもたまによく分からないジョークを口にするので、その度に混乱するのだけど。
混乱する僕を前に、彼らは大笑いして、僕によく分からない悪魔の言語で話しかけ、また笑うのだ。
それくらいに彼らと打ち解けられたと認識できるのは、嬉しいけど、複雑な気持ちだった。
時には悪魔たちが人間の戦法について僕に尋ねてくるけど、僕はあまり詳しくない。軍団規模、大隊規模の戦い方は僕の知っている範囲ではない。
ただ、探索士として、少数の人間がいかに悪魔を効率よく倒すかは、よく知っている。
僕がそれを伝えると、悪魔たちは一様に、唖然とする。
「人間は命を惜しいと思わないのか? あまりに一生が短すぎて、命の価値を知らないのか?」
そんな反応が多い。
これは僕にも意外な価値観だ。悪魔たちは死を恐れているわけではないけど、命がけ、という感覚が薄い。
だから人間が悪魔相手にがむしゃらに迫るのは、理解できない事態で、対処に迷うようだった。この迷いが人間がつけ込む唯一の隙ではあるのだけど。
そんなわけで、僕は悪魔たちの生徒になり、同時に悪魔たちの教師になった。
「アルス」
キロと訓練をしているところに、悪魔がやってくる。僕たちが振り向くと、その悪魔がぎょっとして足を止めた。
僕の周囲で白い炎と黒い炎が渦巻いているのに、驚いたようだ。
なんとなく、僕は手を振って、彼の方に二色の炎を伸ばした。
手を振ることもなく、視線を向けるだけで、炎がまるで蛇のように伸び、悪魔を取り囲んだ。
悲鳴が炎の向こうで聞こえ、さすがにやりすぎたと思って僕は炎を一瞬で消した。
尻もちをついた悪魔が、前後左右をしきりに確認し、炎が消えたのを確かめているのが、可笑しい。
「バカ」キロが僕の頭を軽く叩いた。「調子に乗るな」
「了解です、指揮官殿」
僕は悪魔言語で答える。もう一度、キロに叩かれた。
僕を呼びに来た悪魔を助けると、レムたちが呼んでいる、ということだった。
僕たちの訓練は、悪魔が拠点としている岩壁を掘削して作った迷路の、その地上に最も近い場所だった。物資が届くと、ここでまず受け入れる。その一角が訓練のために割り振られている。
「何か動きがあったのかな」
岩壁の中の通路を進みながら、ついてきたキロに尋ねてみる。
「連合軍は明らかに力を蓄えているからね。でも両軍の間にはまだ距離がある、いきなりここを脅かされることはないはず」
「こちらの補給線は大丈夫?」
「今のところ、襲撃されたという報告はない。私たちは自分たちの領地で戦っているからね、連合軍もそこまでは部隊を進出できない」
となると、何の話だろう。
「こっちの食事にも慣れたようで良かったよ」
何気ない調子でキロが言う。
「キロたちと同じものを食べないわけにはいかないからね」
「最初は食べなかったくせに」
「まさに慣れたって感じ。人間の食事とは香辛料が違うんだよ。でも人間の好む香辛料が手に入らないわけじゃない。この密林の中にも似たような植物がある」
そうなの? とキロが首を傾げる。
「そのこと、料理人に教えてあげればいいのに。私たちは人間の食事が気になる」
「いつか、落ち着いたら、試しに僕が作ってみるよ」
突然に、メリッサのことが思い浮かんだ。彼女には何かを言う暇もなく、リーンを離れてしまった。心配しているだろうし、怒っているだろうなぁ。
こちらから通信を送りたいけど、無理だ。
早く、全てが解決して欲しいけど、何が解決なのかは、わからなかった。
このまま、悪魔軍と行動を共にして、リーンには戻らない、ということはないと思うけど、しかし、どうしたらリーンに戻れるかは、わからない。
悪魔たちには僕を拘束するつもりはない。
僕の方が、この場を離れがたいのだ。
彼らのために何かをしたい、と思っている自分がいる。
同じくらいに、シリュウを助ける決意もある。
リーンに帰るのなら、シリュウと一緒に帰りたい。それはどうしても譲れない。
僕一人では、シリュウを助けるのは不可能。悪魔の協力がいる。そのために、僕も彼らに協力する。そんな面もあった。
そのうちにレムたちの執務室の前に着いた。キロが通路に留まる姿勢。僕はドアをノックして、中に入った。
「アルス、訓練はどうですか?」
レムが微笑みながら尋ねてくる。
「順調です。あなたたちの言語もわかってきました。兵隊ジョークには慣れませんが」
「あまり汚い言葉は覚えないでいいですからね」
そう言ってからレムが姿勢を正す。メムは無言で横にいる。
「今回のお話は、今、この場に悪魔からの通信が入っている、というお話です」
今? この場に?
理解できない僕の眼の前に、突然に像が現れた。
鎧を着ている男で、背が高い。銀髪、赤い瞳、悪魔に間違いはない。でも知らない顔だ。
ただ、知っている点もある。
その鎧だ。
「この人は、いったい……」
僕は彼を左右に移動して確認する。彼もこちらへ右へ左へ向き直る。
像はそこにあるけど、存在感がない。
素早く手を伸ばして触れてみるけど、手には何の感触もなく、僕の手は画像をすり抜けた。
「お遊びはそれくらいでいいかな、アルス」
像が声を発する。しかし人が発声しているようではなく、目の前の像が震えているような感じだった。
「人間には想像もつかない状況でね」
慎重に言いつつ、僕はすぐ核心に触れることにした。
「そちらさんの鎧は、聖都の剣聖騎士団の鎧に見えるけど、見間違いかな」
「その通りだ。私は剣聖騎士団に参加している」
驚きを隠して、僕は表情をコントロール。
「剣聖騎士団に悪魔が参加している、という話は、少しも知らなかった。秘密部隊か何か?」
「表立ってはいないが、ある程度の数の悪魔が聖都で生活し、剣聖騎士団の一角を受け持っている。先日の騒動のことも知っている」
僕はすぐに何人かの顔を思い浮かべた。
「剣聖のスターリア、剛天位のマーストとは仲良くしたよ。クルルギスは、剣指南役になったと聞いたけど、今も元気?」
「クルルギスは傷も癒え、体の動きも前と変わらない。太天位にはデモスが就任している。これはシリュウの推薦と聞いた」
「うん、確かにその通り」
聖都での短い日々が、遠い昔に思えた。
「今回は」悪魔が本題を話し始めた。「そのシリュウの件で、ここにこうして魔法による通信を送っている」
「シリュウは、ここにはいないよ。連合軍の捕虜になって、どこにいるかわからない」
「それもこちらは把握している」
僕は彼から視線を外し、レムの方を見た。レムが僕の意図を察したようだった。
「私からは何の動きもしていませんし、彼らと情報交換もしていません。聖都の悪魔たちは彼ら自身の情報網からこの件を把握したのです」
僕はもう一度、鎧の悪魔を見た。
「聖都の情報網は広く深いと認識していたけど、それには悪魔が一枚噛んでいるってわけだ」
「そう思ってもらって構わない」
まったく、世の中、知らないことが多すぎる。
「それで、噂話の確認のためにこんなことをしているのか?」
「シリュウは、七人委員会が、聖都守護騎士に任命している」
確かにそういう称号を受けた。でもあれは、強引に任命したようなものだし、そもそも、シリュウのために新設された称号のはず。
「その称号にはあまり意味がないと僕は思うけど。シリュウ自身も、それほど価値を意識していなかった。その称号に何か問題があったのか?」
「違う。剣聖スターリアは、聖都守護騎士を援護することを決めた」
何を言われたのか、すぐには理解できなかった。
「つまり」考えつつ話す。「スターリアは、シリュウの救出、あるいは奪還に力を貸してくれる、ということ?」
「情報面でも、実戦力でも、手を貸すことを剣聖は決断し、今、七人委員会が協議している。どうもシリュウの印象はそれほど良くないようだが、おそらく支持される。このことを伝えるために、ここへ通信を送った」
僕は無意識に腕を組んでいた。
「それは、ありがたいけど……」
彼を見返す。
「聖都の立場はどうなる? シリュウを捕らえている連合軍と、大なり小なり、揉めることになる。聖都の力で、連合軍と張り合えるかな」
「それもまた、計算している。考えられる限りの最悪の可能性も加味して、決断した」
「その最悪の可能性とは?」
相手の悪魔は平然と応じた。
「シリュウを奪還できず、彼を死なせてしまい、かつ、連合軍が聖都の動きを危険視し、軍を送り、聖都を併呑しようとする」
確かに、考えられる限り、最悪の中の最悪である。
「そうなったら、聖都はどうする?」
「徹底抗戦する」
「それはそれで、最悪の対処じゃないの?」
そう僕が言うと、初めて相手が笑みを見せた。
「それが聖都の意地というものだ」
意地、か。
意地で巨大な相手に喧嘩を売り、滅びるまで戦うとは、とんでもない意地だった。
「巻き込まれる方はたまったものではないね」
「気にするな、剣聖も、剣聖騎士団も、喜んで巻き込まれるさ」
どうやら聖都の意志は強そうだった。
「少し、時間が欲しい」
僕がそう言うのは予想されていたようだった。待ち構えていたように、相手が頷く。
「二日後、改めて通信をここに送る。その時、返事を聞かせてくれ」
彼の像が振り向き、レムとメムに頭を下げた。二人も軽く頭を下げる。それから彼は僕の方に向き直ると、
「武運を祈る」
彼はそう言うとスゥッと空気に解けるように消えてしまった。
「すぐ返事をしなかった理由はなんですか?」
レムの質問は、心底から不思議そうだった。
「援護を申し出られて、思案するほどの余裕はないと思いますが」
「彼らの話を聞いたでしょう? 彼らは展開次第では、存在そのものが消えてしまうのですよ」
レムが何かを思案したようだが、メムが珍しく口を開いた。
「仲間思い、という奴か」
「少し違うかな」僕は彼に笑みを見せていた。「彼らが意地でシリュウを助けようとするように、僕の意地が、彼らを巻き込むのを許せない、ということです。今の時点では、という言葉を添えることになりますけど」
「人間は理解できない」
メムがボソッとそう言って、会話を打ち切った。
レムがそんなメムに穏やかな視線を向け、何かを言おうとした。
しかし彼女はその言葉を口にするのを許されなかった。ドアがノックされ、返事を待たずにすぐに開かれる。それをレムが叱責するのも、また許されない。
飛び込んできた伝令が、悪魔言語で何かをまくしたてた。あまりに早い口調だったけど、僕にも理解できた。
連合軍が前進を始めた、という通報だった。
悪魔軍も、もちろん戦闘に備えてはいる。レムが指示を出し、連合軍の動きの詳細を探るように命じている。同時に陣形も臨戦態勢のそれになっていた。
「どうやら」レムが立ち上がり、メムも立ち上がる。「忙しくなりそうですね」
「撤退する余地はないということですか?」
「まさか」
レムが笑みを浮かべた。
「我々の領域はこの程度では失われません。しかし、我々にも、領土を守る、という観念はあります。自分たちの生活域を無遠慮に踏み荒らされるのは、正直、不愉快です」
「なら、勝たなくちゃいけないな」
「あなたのことを頼りにしてます」
予想外の言葉だった。
その言葉は、僕にはあまりに似合わない。
シリュウにこそ向けられる言葉だった。
僕はシリュウの代わりには、なれません、と言いたかった。
僕はその言葉をどうにか飲み込んだ。そして心を決めて、
「努力します」
と、小さな声で口にした。
黒の領域の密林の中で、連合軍の兵士は陣地を構築し、拠点を築きつつあった。
僕は何度か悪魔たちと斥候に出て、その様子を確認した。
はっきりとはわからないが、連合軍の兵力は一万を超えている。補給線は伸びているが、安定しているようだ。
悪魔側はその補給線を狙い、散発的に小競り合いを起こしたが、連合軍に動揺はない。
悪魔軍の総数は前回の後退の前とほぼ同数の戦力、七千を集めている。
「私たちには大きなまとまりがありません」
ある時、レムが僕を呼んでそのことを打ち明けた。メムも同席している。
「悪魔全体の総数は、人間に劣らないでしょう。しかし、悪魔は無数の勢力に分かれて、それぞれがそれぞれに人間と戦っている。だから、今まで人間に敗退してきたのです」
「人間が連合軍と同盟軍に分かれているようなものですね」
「もっとタチが悪いのですよ、どこかが押しつぶされそうになっても、積極的に手を貸すことはない。我々のこの軍団は、かなり大きな規模ですが、他の悪魔たちは静観している。歯がゆいですが、しかし、これが私たちの価値観です」
そんな事情を打ち明けられる程度に僕は信用されてきた。
連合軍と悪魔軍が睨み合って、一ヶ月ほどが過ぎている。
その間、僕はキロの指導のもと、契約者としての訓練を続けている。それと同時に、複数の悪魔が僕に悪魔の言語の教育をしてくれた。
最初こそ片言だったのが、徐々に日常会話がこなせるようになった。
ただ、人間の兵士たちと同様に、悪魔たちもたまによく分からないジョークを口にするので、その度に混乱するのだけど。
混乱する僕を前に、彼らは大笑いして、僕によく分からない悪魔の言語で話しかけ、また笑うのだ。
それくらいに彼らと打ち解けられたと認識できるのは、嬉しいけど、複雑な気持ちだった。
時には悪魔たちが人間の戦法について僕に尋ねてくるけど、僕はあまり詳しくない。軍団規模、大隊規模の戦い方は僕の知っている範囲ではない。
ただ、探索士として、少数の人間がいかに悪魔を効率よく倒すかは、よく知っている。
僕がそれを伝えると、悪魔たちは一様に、唖然とする。
「人間は命を惜しいと思わないのか? あまりに一生が短すぎて、命の価値を知らないのか?」
そんな反応が多い。
これは僕にも意外な価値観だ。悪魔たちは死を恐れているわけではないけど、命がけ、という感覚が薄い。
だから人間が悪魔相手にがむしゃらに迫るのは、理解できない事態で、対処に迷うようだった。この迷いが人間がつけ込む唯一の隙ではあるのだけど。
そんなわけで、僕は悪魔たちの生徒になり、同時に悪魔たちの教師になった。
「アルス」
キロと訓練をしているところに、悪魔がやってくる。僕たちが振り向くと、その悪魔がぎょっとして足を止めた。
僕の周囲で白い炎と黒い炎が渦巻いているのに、驚いたようだ。
なんとなく、僕は手を振って、彼の方に二色の炎を伸ばした。
手を振ることもなく、視線を向けるだけで、炎がまるで蛇のように伸び、悪魔を取り囲んだ。
悲鳴が炎の向こうで聞こえ、さすがにやりすぎたと思って僕は炎を一瞬で消した。
尻もちをついた悪魔が、前後左右をしきりに確認し、炎が消えたのを確かめているのが、可笑しい。
「バカ」キロが僕の頭を軽く叩いた。「調子に乗るな」
「了解です、指揮官殿」
僕は悪魔言語で答える。もう一度、キロに叩かれた。
僕を呼びに来た悪魔を助けると、レムたちが呼んでいる、ということだった。
僕たちの訓練は、悪魔が拠点としている岩壁を掘削して作った迷路の、その地上に最も近い場所だった。物資が届くと、ここでまず受け入れる。その一角が訓練のために割り振られている。
「何か動きがあったのかな」
岩壁の中の通路を進みながら、ついてきたキロに尋ねてみる。
「連合軍は明らかに力を蓄えているからね。でも両軍の間にはまだ距離がある、いきなりここを脅かされることはないはず」
「こちらの補給線は大丈夫?」
「今のところ、襲撃されたという報告はない。私たちは自分たちの領地で戦っているからね、連合軍もそこまでは部隊を進出できない」
となると、何の話だろう。
「こっちの食事にも慣れたようで良かったよ」
何気ない調子でキロが言う。
「キロたちと同じものを食べないわけにはいかないからね」
「最初は食べなかったくせに」
「まさに慣れたって感じ。人間の食事とは香辛料が違うんだよ。でも人間の好む香辛料が手に入らないわけじゃない。この密林の中にも似たような植物がある」
そうなの? とキロが首を傾げる。
「そのこと、料理人に教えてあげればいいのに。私たちは人間の食事が気になる」
「いつか、落ち着いたら、試しに僕が作ってみるよ」
突然に、メリッサのことが思い浮かんだ。彼女には何かを言う暇もなく、リーンを離れてしまった。心配しているだろうし、怒っているだろうなぁ。
こちらから通信を送りたいけど、無理だ。
早く、全てが解決して欲しいけど、何が解決なのかは、わからなかった。
このまま、悪魔軍と行動を共にして、リーンには戻らない、ということはないと思うけど、しかし、どうしたらリーンに戻れるかは、わからない。
悪魔たちには僕を拘束するつもりはない。
僕の方が、この場を離れがたいのだ。
彼らのために何かをしたい、と思っている自分がいる。
同じくらいに、シリュウを助ける決意もある。
リーンに帰るのなら、シリュウと一緒に帰りたい。それはどうしても譲れない。
僕一人では、シリュウを助けるのは不可能。悪魔の協力がいる。そのために、僕も彼らに協力する。そんな面もあった。
そのうちにレムたちの執務室の前に着いた。キロが通路に留まる姿勢。僕はドアをノックして、中に入った。
「アルス、訓練はどうですか?」
レムが微笑みながら尋ねてくる。
「順調です。あなたたちの言語もわかってきました。兵隊ジョークには慣れませんが」
「あまり汚い言葉は覚えないでいいですからね」
そう言ってからレムが姿勢を正す。メムは無言で横にいる。
「今回のお話は、今、この場に悪魔からの通信が入っている、というお話です」
今? この場に?
理解できない僕の眼の前に、突然に像が現れた。
鎧を着ている男で、背が高い。銀髪、赤い瞳、悪魔に間違いはない。でも知らない顔だ。
ただ、知っている点もある。
その鎧だ。
「この人は、いったい……」
僕は彼を左右に移動して確認する。彼もこちらへ右へ左へ向き直る。
像はそこにあるけど、存在感がない。
素早く手を伸ばして触れてみるけど、手には何の感触もなく、僕の手は画像をすり抜けた。
「お遊びはそれくらいでいいかな、アルス」
像が声を発する。しかし人が発声しているようではなく、目の前の像が震えているような感じだった。
「人間には想像もつかない状況でね」
慎重に言いつつ、僕はすぐ核心に触れることにした。
「そちらさんの鎧は、聖都の剣聖騎士団の鎧に見えるけど、見間違いかな」
「その通りだ。私は剣聖騎士団に参加している」
驚きを隠して、僕は表情をコントロール。
「剣聖騎士団に悪魔が参加している、という話は、少しも知らなかった。秘密部隊か何か?」
「表立ってはいないが、ある程度の数の悪魔が聖都で生活し、剣聖騎士団の一角を受け持っている。先日の騒動のことも知っている」
僕はすぐに何人かの顔を思い浮かべた。
「剣聖のスターリア、剛天位のマーストとは仲良くしたよ。クルルギスは、剣指南役になったと聞いたけど、今も元気?」
「クルルギスは傷も癒え、体の動きも前と変わらない。太天位にはデモスが就任している。これはシリュウの推薦と聞いた」
「うん、確かにその通り」
聖都での短い日々が、遠い昔に思えた。
「今回は」悪魔が本題を話し始めた。「そのシリュウの件で、ここにこうして魔法による通信を送っている」
「シリュウは、ここにはいないよ。連合軍の捕虜になって、どこにいるかわからない」
「それもこちらは把握している」
僕は彼から視線を外し、レムの方を見た。レムが僕の意図を察したようだった。
「私からは何の動きもしていませんし、彼らと情報交換もしていません。聖都の悪魔たちは彼ら自身の情報網からこの件を把握したのです」
僕はもう一度、鎧の悪魔を見た。
「聖都の情報網は広く深いと認識していたけど、それには悪魔が一枚噛んでいるってわけだ」
「そう思ってもらって構わない」
まったく、世の中、知らないことが多すぎる。
「それで、噂話の確認のためにこんなことをしているのか?」
「シリュウは、七人委員会が、聖都守護騎士に任命している」
確かにそういう称号を受けた。でもあれは、強引に任命したようなものだし、そもそも、シリュウのために新設された称号のはず。
「その称号にはあまり意味がないと僕は思うけど。シリュウ自身も、それほど価値を意識していなかった。その称号に何か問題があったのか?」
「違う。剣聖スターリアは、聖都守護騎士を援護することを決めた」
何を言われたのか、すぐには理解できなかった。
「つまり」考えつつ話す。「スターリアは、シリュウの救出、あるいは奪還に力を貸してくれる、ということ?」
「情報面でも、実戦力でも、手を貸すことを剣聖は決断し、今、七人委員会が協議している。どうもシリュウの印象はそれほど良くないようだが、おそらく支持される。このことを伝えるために、ここへ通信を送った」
僕は無意識に腕を組んでいた。
「それは、ありがたいけど……」
彼を見返す。
「聖都の立場はどうなる? シリュウを捕らえている連合軍と、大なり小なり、揉めることになる。聖都の力で、連合軍と張り合えるかな」
「それもまた、計算している。考えられる限りの最悪の可能性も加味して、決断した」
「その最悪の可能性とは?」
相手の悪魔は平然と応じた。
「シリュウを奪還できず、彼を死なせてしまい、かつ、連合軍が聖都の動きを危険視し、軍を送り、聖都を併呑しようとする」
確かに、考えられる限り、最悪の中の最悪である。
「そうなったら、聖都はどうする?」
「徹底抗戦する」
「それはそれで、最悪の対処じゃないの?」
そう僕が言うと、初めて相手が笑みを見せた。
「それが聖都の意地というものだ」
意地、か。
意地で巨大な相手に喧嘩を売り、滅びるまで戦うとは、とんでもない意地だった。
「巻き込まれる方はたまったものではないね」
「気にするな、剣聖も、剣聖騎士団も、喜んで巻き込まれるさ」
どうやら聖都の意志は強そうだった。
「少し、時間が欲しい」
僕がそう言うのは予想されていたようだった。待ち構えていたように、相手が頷く。
「二日後、改めて通信をここに送る。その時、返事を聞かせてくれ」
彼の像が振り向き、レムとメムに頭を下げた。二人も軽く頭を下げる。それから彼は僕の方に向き直ると、
「武運を祈る」
彼はそう言うとスゥッと空気に解けるように消えてしまった。
「すぐ返事をしなかった理由はなんですか?」
レムの質問は、心底から不思議そうだった。
「援護を申し出られて、思案するほどの余裕はないと思いますが」
「彼らの話を聞いたでしょう? 彼らは展開次第では、存在そのものが消えてしまうのですよ」
レムが何かを思案したようだが、メムが珍しく口を開いた。
「仲間思い、という奴か」
「少し違うかな」僕は彼に笑みを見せていた。「彼らが意地でシリュウを助けようとするように、僕の意地が、彼らを巻き込むのを許せない、ということです。今の時点では、という言葉を添えることになりますけど」
「人間は理解できない」
メムがボソッとそう言って、会話を打ち切った。
レムがそんなメムに穏やかな視線を向け、何かを言おうとした。
しかし彼女はその言葉を口にするのを許されなかった。ドアがノックされ、返事を待たずにすぐに開かれる。それをレムが叱責するのも、また許されない。
飛び込んできた伝令が、悪魔言語で何かをまくしたてた。あまりに早い口調だったけど、僕にも理解できた。
連合軍が前進を始めた、という通報だった。
悪魔軍も、もちろん戦闘に備えてはいる。レムが指示を出し、連合軍の動きの詳細を探るように命じている。同時に陣形も臨戦態勢のそれになっていた。
「どうやら」レムが立ち上がり、メムも立ち上がる。「忙しくなりそうですね」
「撤退する余地はないということですか?」
「まさか」
レムが笑みを浮かべた。
「我々の領域はこの程度では失われません。しかし、我々にも、領土を守る、という観念はあります。自分たちの生活域を無遠慮に踏み荒らされるのは、正直、不愉快です」
「なら、勝たなくちゃいけないな」
「あなたのことを頼りにしてます」
予想外の言葉だった。
その言葉は、僕にはあまりに似合わない。
シリュウにこそ向けられる言葉だった。
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