群青の部屋

Moma

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あっけなく、1週間が過ぎようとしている。

入居初日、身の回りの物をバッグに詰め込み、家の呼び鈴を鳴らすと、眼鏡を掛けたザイオンが現れ、”いらっしゃい”と一言だけ告げて鍵を渡された。
最初に会った時よりもずっと素っ気なく、目も合わない。
俺が呆気に取られていると、”後は自由にして”とまた簡潔に告げ、自室へと戻って行った。
仕事の邪魔をしてしまったのかと申し訳なく思ったが、シェアルームの相手はこんなものかもしれない、と気を取り直して荷解きをする。ただ、初日以降ザイオンと全く顔を合わせることはなかった。

彼の自室には居る気配がありながらも、姿を現すことはなく、特に仲良くなろうとも思わなかったが、あまりにも味気ない日々に少しだけ寂しさを覚えていた。

そして、お試し期間最後の日の今日、俺は心に決めていることがあった。
仕事帰りにたくさんの食材を買い込み、帰宅する。キッチンの調理器具はこの数日で全て把握し、問題なく使用できることも確認済みだ。

「~~♪」

髪をアップにまとめ、一番お気に入りのエプロンを着け、鼻歌交じりに料理を始める。入居してからはバタバタしていたため簡単な料理で済ませていたが、今日は少し手の込んだものを作る予定だ。大好きなラザニアとシーザーサラダ、そして簡単に作れるレアチーズケーキ。俺はロメインレタスが格別に好きなのでご機嫌だ。
出来ればザイオンを誘い、一緒に食事を楽しみたい。交流を持ちたくないのかもしれないが、今日が最後になるかもしれない。せめて無償の期間の分だけでもお礼を兼ねたい。

「あっ、しまった…ザイオンに嫌いな食べ物とかアレルギーとか聞いてない…」

食べられない物を作っては意味がない。とはいえ、ラザニアは既にオーブンに入れ、シーザーサラダも仕上げをするだけだ。意を決して、俺はザイオンの部屋の扉をノックした。

「ザイオン、あの…晩御飯を作っているのですが、良かったら一緒に如何ですか…?嫌いでなければラザニアとシーザーサラダのメニューになるのですが…」

しばらく沈黙が続く。仕事中なら迷惑なだけだろうと諦め、踵を返そうとした瞬間、扉がゆっくりと開く。明らかに憔悴した雰囲気を漂わせ、ザイオンが顔を覗かせた。

「お仕事中では無かったでしょうか…もし良ければ、もうすぐラザニアが出来上がるので、一緒に如何ですか…?」

「ラザニアか…久しく口にしていないな…いい香りだ。シェズは本当に料理が好きなのだな…」

ザイオンはラザニアの香りに懐かしさを覚えるように微笑む。

「是非、ご一緒させて頂きたい。そうだ、貰った赤ワインがあったはずだ。飲めるか…?」

「ではグラス1杯だけ…明日も学園で仕事があるので…」

二人でキッチンに戻る。シェズはサラダの仕上げを、ザイオンはワインを開けカウンターで飲み始める。

ザイオンは時折目元を押さえ、顔を顰めている。

「疲れているようですね…というか、随分やつれたような…」

「ここ暫く翻訳の仕事が詰まっていてな…滅多にないことだが、契約先が急かすので無理をしてしまった…」

「ひょっとして、食事もあまり摂られていないのでは…?」

シェズは毎日キッチンを使っていたが、ザイオンが調理している気配は全くなかった。調理器具の位置も毎日変わらなかったことを思い出す。

「仕事が詰まるとどうもいけない。睡眠と食事の時間を削ってしまうのだ…」

苦笑交じりにザイオンはグラスを傾ける。

「すきっ腹にお酒ばかり飲んでは駄目です。先にシーザーサラダをどうぞ。ラザニアも今オーブンから出しますね」

ラザニアをお皿に取り分ける。ザイオンの分は少し多めに。カウンターを見ると、彼は無心にサラダを口に運んでいた。

「ラザニアも召し上がってください…まだ沢山残っていますので、お腹に余裕があればおかわりもどうぞ。あ、デザートにチーズケーキもあるので、ケーキ用にお腹を空けておいてくださいね?」

「ありがとう、シェズ」

ザイオンは嬉しそうに微笑む。喜んでもらえると、俺も自然と顔が緩む。
自分の分のサラダとラザニアを並べ、スツールに腰掛ける。横に座る同居人は黙々と食べ続けている。きっと相当お腹が減っていたのだろう。
それなら今日の誘いは成功だ。安心したら、急に自分もお腹が空いてきた気がした。

「あの、今日で1週間になります。俺との共同生活、どうでしたか…?」

ラザニアを口に運びながら、俺は尋ねる。あ、今日のラザニア、めっちゃ美味しい!作ってよかった、と心の中で小さく呟く。

「正直、シェズは同じ空間に居ても苦にならない存在だと思う。最初は可愛い人が訪ねて来て吃驚したが…それに、シェズがキッチンを使用してくれることが私には一番嬉しい。良ければ、このままここに住んで欲しいと思う。祖母もきっと喜んでくれるだろう」

可愛いとか言われた気がした…気になるけど、そんなの社交辞令だ、気にするな、俺。
俺の心中など知る由もなく、ザイオンは言葉を続ける。

「以前、ここは私の祖母が住んでいた。もう亡くなってしまったが、とても料理の好きな人で、私が遊びに来る度に山のように手料理を振舞ってくれた。だが、私はどうも料理の才能は無いようで…暫くはチャレンジしていたのだが…」

ザイオンはそこで言葉を切り、グラスに手を伸ばす。キッチンは整頓されてはいたが、毎日使っている割には綺麗すぎる感は確かにあった。

「俺もここに住み続けたいです…毎日キッチンはピカピカにします。これから宜しくお願いします」

「こちらこそ、宜しく。それと、美味しい晩御飯をありがとう。久々に手料理を食べた…本当に美味かった」

俺は保冷庫に仕舞っていたレアチーズケーキの存在を思い出し、立ち上がる。きっといい感じに出来上がっているはずだ。小さなデザートカップを取り出し、丁寧に盛り付ける。

「レアチーズケーキ…お腹に余裕があれば、食べませんか…?」

余裕があれば、と付け加えたのは、ザイオンが二度もラザニアをおかわりしたからだ。美味しかった、という言葉に嘘はなさそうだ。

「いや…食べたい所だが、ラザニアを沢山食べ過ぎてしまったようだ」

「甘い物は嫌いではないのですね?」

「好きな部類だな…甘すぎるのは駄目だが…」

俺はデザートカップとスプーンを持ち、スツールへ戻る。

「それじゃ、はい…あーん。一口どうぞ?」

少し酔っていたのだろう。俺は何の考えもなしに、自然とスプーンをザイオンの口元に寄せていた。
一瞬、彼の表情が固まった気がしたが、次の瞬間にはスプーンをぱくりと咥えている。
俺はゆっくりと口元からスプーンを引き、声をかける。

「お口に合いますか?」

「甘い…な…」

砂糖はそんなに入れていないはずなのに、と心の中で思い、俺も同じスプーンで一口食べてみる。うん、特別に甘い感じもない。

「ザイオンには甘すぎちゃったのかな…」

「……いや、美味いの間違いだ。すまない、どうやら飲み過ぎてしまったようだ」

2、3度頭を軽く振ってからザイオンは立ち上がり、少しふらついた足取りで自室へ向かう。顔も真っ赤だった。きっとすきっ腹にアルコールを最初に入れてしまったからだろう。

「おやすみなさい…」

と背中に声をかけると、右手が挙がる。
ベッドまでは無事に辿り着ける程度の酔いだろう。それより何より、ここに住み続けられることの嬉しさを隠せず、ザイオンが自室に消えた後、俺は飛び上がって喜びを露わにした。

週末になり、俺は慣れ親しんだ寮の退寮手続きを済ませる。
いざ退寮となると少し寂しさも覚えるが、新居は俺にとって城であり、楽園だ。帰りがけに、出窓に飾る観葉植物を購入する。部屋の窓際で揺れる観葉植物…うん、イメージにぴったりだ。早く飾りたくて、足取りも自然と速くなる。

部屋へ帰ると、ザイオンがリビングで本を読んでいた。ラザニアを食べたあの日以来、彼はリビングで過ごすことが増えていた。仕事に区切りがつき、今は規則的な生活を送れる状況らしい。

「シェズ、おかえり」

本から視線をこちらに移し、柔らかく微笑むザイオン。

「ただいま、ザイオン」

帰宅しておかえりと言ってもらえるのは、やはり嬉しい。自然と笑みが零れ、言葉も返す。
部屋はもちろん素敵だが、シェアルームの相手がザイオンで本当に良かった、と心の底から思う。彼は一緒に過ごすうちに分かったがとても博識で穏やかで、気難しいなんて言った奴は一体誰だったのかと思うほどだ。

「お昼ご飯、まだ食べてないようだったら、一緒にどうですか…?簡単なサンドウィッチになっちゃうけれど…」

そして、あの日以来、もう一つ変化があった。ザイオンは、俺と一緒に食事を摂るようになったのだ…。

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