世界案内人は地獄の地図を広げる

天地開闢

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第十章:「エクリヴァの塔と語られなかった物語」

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「語るな。語れば、お前は消える」


それが、《バビロン・エクリヴァ》の唯一にして絶対の掟だった。

 

塔は、かつて世界の言葉を保存するために建てられた。
だが、言葉を保存しすぎた。
記録しすぎた。語りすぎた。

そしてついに、塔そのものが「語られたことしか存在を許さない」存在となった。

 

語られた英雄は残る。
名を持たない者は消える。
証言なき出来事は歴史から削除され、
記録なき命は、なかったことになる。

 

それが“語録の塔”エクリヴァ。
世界のすべてを「語ることで裁く」──最凶の情報災厄。

 

塔の入り口に立ったヨハネスは、深くフードを被った。

「……地図も、言葉の一種だ。つまり、ここは俺の天敵だな」

 

リュリュは黙って頷く。
彼女の姿も、すでにぼやけていた。

彼女には“語られた履歴”がない。
人間ではない。名前も、生まれも、存在の記録も──“不完全”だ。

 

「私、ここに長くいたら……消えるのよね?」

「かもな」
ヨハネスは地図を握りしめる。

「でも俺は、“お前のいた場所”を記録してる。だから大丈夫だ」

「……信じる」
そう言って微笑む彼女は、少し透明だった。

 

塔の内部は、語られなかった物語で構成されていた。

書きかけの詩。未発表の手記。忘れられた告白。
そして、発声されなかった祈り。

 

それらが寄り集まり、塔の中で“化け物”になる。

「あれは……」

「“削除された英雄”さ。
語られずに死んだ奴は、こうやって彷徨い続ける」

 

塔の主は、《語り部(ナラトログ)》。
顔がない。言葉を持たない。
ただし、誰かが話しかければ、その言葉を奪って存在に書き換える。

 

「名を問うな、問いかけるな、物語るな」
「一言でも語れば、お前が“塔の一部”になる」

 

ヨハネスは、銃を構える。
だが、相手は「語られなかったもの」──つまり、存在していないものだ。

「撃てないな。物理法則がこいつを認めてねぇ」

「どうするの……?」

「簡単だ。語ってやる。こいつの正体をな」

 

ヨハネスは古地図を開く。
その片隅に、“まだ記録されていない空白”があった。

「俺の地図は、世界の“既知”を描くもんだ。
でもな、“未知”を書いたらどうなると思う?」

 

地図の余白に、ヨハネスは“今この瞬間に出会った怪物”の姿を描き加える。

存在の輪郭が確定する。
塔の主が、“語られて”しまう。

 

「ナラトログ、お前はただの亡霊だ。
物語になれなかった奴らの墓標。
そして今、この瞬間から――お前は“語られたモンスター”になる」

 

その瞬間、塔が悲鳴をあげた。

言葉で縛っていた世界の論理が崩れ、
“削除された記憶”が一斉に、現実に漏れ出した。

 

語り部が膝をつき、リュリュの輪郭が明確になる。

「……あたし、消えてない」

「ああ。俺が“お前の物語”を語ったからな」

「いつ?」

「……今だよ」
ヨハネスは目を伏せて笑う。

 

塔が崩壊する。語録が焼け、物語が解放される。
ヨハネスは一枚の地図を破り、そこにこう記す。

「ここは通るな。語れば、消える」

「ただし、語れば“存在を与えられる者”もいる」

 

地図を丸めて懐に収め、彼は歩き出す。

 

──語られなかった物語の先に、
次なる地獄が、口を開けて待っていた。

 
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