掩蔽

至北 巧

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 妃と会うことがなくなってから三ヶ月ほど経った。
 賢一は大学の数少ない喫煙所で一人、煙草に火を点けた。
 煙草を吸うだけでは苛立ちは解消できなかったが、ないよりはマシだった。
 この場所は異様に人が集まる。
 また一人煙草を取り出した雰囲気を感じたところに、自分に声がかかった。
「あれ賢一、煙草吸ってたっけ?」
 妃だった。
 まだ、自分は妃を諦めきれていない。
 粗野な衝動で気が狂いそうな自分を救ってくれと、すがりつきたくなる。
「最近吸い始めたんだよ」
 投げやりに答える。おまえがいなくなったから吸い始めたのだと言ってやりたかったが、未練がましいことをすることはためらわれた。
 その時、隣で煙草を吸い始めた男が、
「知り合い?」
 と妃に尋ねる。
 妃が新たに目をつけた男だろうか。
 妃は変わらず馴れ馴れしく、大学でも様々な人間と同行していた。
 恐らく不安になる日がないように、常に自分を安定させる人間を探しているのだろう。
 背丈は賢一と同じほどの無愛想な男に、妃が笑いかける。
「うん、高校同じだった」
 言った妃の表情が、引っかかった。
 浮き足立った、遠慮が見える。
 自分には、見せたことのない表情。
 頭の中が、澄んでくる。
 煙草を捨てて、男に問う。
「あんた、妃と寝てんの?」
「え? なに?」
 男は何を聞かれたのか全く理解できていない様子で問い返してくる。
 妃と、寝ていない、身体を見ていない。
 知り合ったばかりでまだ手をつけていないのか、そこまではわからなかったが。
「なに言ってんだよ、賢一」
 焦り、怯えた妃の表情が、この男は特別なものなのだと言っているように見えた。
 本当のところなどわからないが、そう見えただけで充分だった。
 賢一は、自らの表情が悪辣な笑みの形になってゆくのを感じた。
「こいつ、その気がなくても充分抱けるレベルでエロいから、俺の後で良かったら試してみろよ」
 愉快な気分で言い放った。
「賢一、ふざけんなよ」
 いきどおる妃の横から、煙草を捨てた男が賢一の胸倉を掴みかかる。
「おまえ、人前でそういうこと言っていいと思ってんの?」
 友人を侮辱されることを嫌い、下世話な話に不快感を覚える、自分にはないものを持ったこの男。
 短気な男のようでありがたい、と賢一は思う。
 今まで喧嘩になるようなことをしてこなかった。
 嬉しくて、ますます上機嫌になる。
「あんたのために言ってんだよ? こいつ百回以上犯してやったのに、全然俺のものになんないからね? 遊びじゃねーなら、こいつと付き合うのやめとけよ」
 途端、勢い良く頬を殴られたが、笑みは引かなかった。
 相手の胸倉を掴み殴り返し、腹を蹴る。
 再度殴られるかと構えたが、妃に右の手首を掴まれた。
 困惑の含まれる、真摯な瞳で見つめられる。
「賢一、謝る、ごめん」
 周囲が見える。
 妃に、本物の自分を明確に認識されている。
 喜びで目頭が熱くなるほど、気分が高ぶる。
 気分が良いから、そんな顔で触れられたくない。
 妃の手を振り払って、ざわめくその場を離れる。

 妃を初めて抱いた時よりも、更に大きな開放感。
 賢一はその快感で、しばらく震えを止めることができなかった。

 賢一は、作り上げた自分を喜んで破壊した。
 今まで苦しんだことが本当に無駄だったと、自由に振る舞わなかったことを後悔した。
 好きな時に他人を殴り、暴言を吐き、犯す。
 批判されても、それが自分なのだと満ち足りた気分になった。

 ただ、父親にだけは負担をかけたくはないのに、歯止めがきかなくなり狼狽した。
 街中で喧嘩をして警察に保護され、身元引受人として父が現れる時にだけ、罪悪感が湧いた。

 父の運転する車、対角線上の後部座席で、賢一は父の背中を見る。
 若年寄で、昔から全く変わらない父。
「よそ様に迷惑をかけるなって、何回言ったらわかるかな」
 穏やかな口調で言われると、賢一は何も答えられない。
 賢一が悪者だと思われるのは自分も悲しいと、父は賢一が子供の時から言っていた。
 父を悲しませたくないが、もう二度としないなどと、絶対に無理なことは言えない。
「俺って死んだほうが良くね?」
 誰にも迷惑をかけない生き方などできない。
 自分がいないほうが全てが丸く収まると、軽く考える。
 しかし父はまた、穏やかに言った。
「俺、賢一のこと好きだから、死んだら困るかなぁ」
 何をもって好きだと言うのか全くわからないが、好きであるということは子供の頃から言われ続けた言葉だった。
 そして賢一も、子供の頃から言い続ける言葉を、父へ投げかける。
「ふーん、俺も親父のこと好きだし」
 父に偽りなく愛されていることがはっきりわかる。
 自分も確実に父を愛している。
 一般的には当たり前の感情だが、賢一の中では最も異質で、揺らぐことのない感情だった。
「そのさぁ、俺のことだけ素直に好きだとか言うのは何なの? 他の人にもそうして欲しいんだけど」
 バックミラーに父が微笑む目が見える。
「こっちが聞きたい。他のヤツには、ちょっとできねーな」
 賢一は思い返す。
 妃に好きであると、何故素直に言わなかったか。
 自分は妃を愛していたつもりだった。
 しかし妃からの愛情は、わずかにあったとしても全く感じていなかった。
 仮に素直に好きだと言っても、自分が父に返したような言葉は返って来ないとわかり切っていた。
 そんな人間を本当に愛していたのだろうか。
 妃の言う通り、利害が一致して執着していただけだと思いたかった。

 アパートの駐車場に到着する。
 シートベルトを外した父が、賢一を振り向いた。
「でもね、賢一のそういうワケのわからないところ、可愛いと思うよ」
「可愛いってなんだよ、おかしくね?」
 悪態を吐いて、車を降りる。
 父が何でも許すから、罪悪感もそこそこに次の罪を犯すのではないかとも思う。
 だからと言って、父までもが自分を許さなかったら、自分は常に罪悪感に押し潰されながら生きていかねばならないのだろう。
 それだけは避けたくて、父の好意に甘えながら、父に多大な心労をかける罪悪感だけを耐えている。

 妃を抱いていた時が一番楽だった。
 愛する人のことばかりを考え、不穏に支配されそうになっても妃にすがれば全てが解決していた。
 父親に見せても罪悪感を覚えない作り上げた自分は、恐らく社会に馴染んでいた。
 妃を愛し続ければ、一生この世界で平穏に過ごせるものだと思っていた。
 しかし、自分にはそれを成し遂げる素質がなかった。
 そして作り上げた自分は、父が好きだという自分とはきっと違うものだ。

 自分に何ができて、何が最善なのかわからない。

 思うままに振る舞いながら、負荷はその代償であると、自分のごうだとあきらめることが、今現在、最も楽な生き方。

 自宅に足を向ける父を追う。
 愛する人に、そうでない人間にも、本来の自分を明確に認識されているこの現状は、賢一にとってそれほど悪くはない世界だった。

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