2 / 92
#1、 会社もコーヒーもブラック
しおりを挟む深夜、都内オフィスビル。
ファストクリエイトエージェンシー社のフロアはまだ煌々と明るい。
「山里、次、このシステムのバグやってくれ」
「ぁ~いィ~……」
「んだぁ、その態度はぁ!」
「……サーセぇん……」
「遅ぇぞ、小松原!
いつまでちんたらやってんだ!
お前待ちだそ!」
「悪い、今送った!」
「おい、さっきのと変わってないぞ!」
「あっ、あ!? か、確認する!」
「頼むよオイ!」
「みなさ~ん、倒れる前に夜食つまんでくださ~い。
栄養ドリンクも追加しましたから~」
「サンキュー、中ちゃん!」
「て、天使……」
「社長……っ! もう、先方に納期を伸ばしてもらえるようお願いしましょうよ……!」
「なに弱気になってるんだ木原、みんなでここまで頑張って来たんだ。あと少しだぞ!」
「鬼!」
「ブラック! 」
「今度こそ辞めてやる!」
「労災だ。労災」
「俺が死んだら、田舎のおふくろを頼んます……」
エンジニアたちの毒と悲痛な叫びを食らいながら、よれよれのシャツを着た無精ひげの男、斎藤拓真がキーボードから作業の手を止めて立ち上がった。
「みんなが辛いのは重々承知だけど、この仕事は我が社がはじめて大手に任された大事な仕事だ。
この乙女ゲームが、今後俺達の会社の看板になることは間違いない。
あともう少しだけ、みんなの力を貸して欲しい!」
「ざっけんな! 無茶な仕事は入れんなって、前回約束しただろうが! 俺はこれが終わったら絶対辞めるからな!」
「今辞めたい……、今寝たい……」
「わたしももう帰らないと……。家で猫がさみしがってる。…てゆーか、わたしが無理……」
斎藤拓真が、まあまあという手ぶりを見せた。
「みんな、須山くんを見てみろ」
斎藤拓真が視線で差した先には、須山奈々江、この物語の主人公がいる。
パソコン画面をにらみつけ、一心不乱キーボードを叩いていた。
まるで、一切の音が聞こえていないかのような集中力。
目で追えないくらい素早い指の乱舞。
眼鏡の奥の血走った目とその眼球運動の異様さ。
「すぅ~……、ふぅ~……」
奈々江の呼吸はもはやヨガ熟練者のような深呼吸だった。
極めて高い集中状態にいる証だ。
隣の席の中林喜美が、慌てて栄養ドリンクにストローを差して奈々江の口元に持って行った。
「奈々江さんだめですよ~!
一旦ゾーンに入っちゃうと、倒れるまで止まらないんだから!
はい、口開けて~!」
ちゅ~という吸引音が奈々江から聞こえてきたところで、社員たちの顔にそれぞれ諦めが浮かんだ。
「ったく、須山と比べられたら、こっちの身が持たねえわ!」
「は~あ~……」
「うう……」
「さあ、がんばろう、みんな!」
斎藤拓真の張りのない激が飛び、淀んだフロアの各所にため息が漏れた。
***
奈々江の深い集中モードが終わったのは、それから三日後のことだった。
今度は激しい疲労感がどっぷりと沼のように奈々江を沈めんとしている。
倒れないまでも、今までになく限界の状態だ。
だが、それは奈々江ひとりだけのことではない。
「みんな、おつかれ……!
納品に間に合った、奇跡だよ……」
社長のねぎらいの言葉も、遥か遠くアルゼンチン辺りから聞こえてくる気がする。
ボロボロになった戦友たちが挨拶もそこそこに、オフィスを散り散りに去っていく。
誰も彼もが顔色が悪く、言葉少なで、足元がおぼつかない。
みんな無事に帰宅できるのだろうか……。
そのまま机で眠りこけてしまう者もいる。
そうできたらいっそどれだけ楽かと思うけれど、女性の恥じらいがぎりぎりのところでそれを許さない。
「奈々江さん、一緒に帰りましょう~」
「中ちゃん、帰ろう……。バスで寝てたら起こして」
「え~、奈々江さんに起こしてもらおうと思っていたのに~」
中林喜美と並んで会社を出ようとしたその時だ。
ふたりは斎藤拓真に呼び止められた。
「須山くん、中林さん。これ、忘れないでね」
「え……?」
ピロン、と奈々江と中林喜美のスマホが鳴った。
ふたりが画面を見ると、それぞれに斎藤拓真からURLが送られていた。
中林喜美がスマホから顔を上げた。
「なんですか、これ?」
「ここから"恋プレ"の開発者プレイ用のアプリがダウンロードできるから。
プレイしてみて、万が一バグを見つけたら報告してね」
「えっ! まだ仕事するんですか?」
「いやいや!
先方からユーザーの忌憚のない意見が欲しいっていわれているからさ。
うちの会社には須山くんと中林さんしか女性がいないだろ?
だから仕事ではなく、あくまでもユーザーとして楽しんでもらって、その意見を聞きたいってことなんだ」
薄紅色の縁の眼鏡の奥で、くまのできた目を奈々江が糸のように細めた。
「でも、わたしたちストーリーもなにもかも大体全部知ってるんですけど……」
「それはそうなんだけどさ。
あっ、でも、開発者プレイ用だから課金が無限に無料でできるよ。
アイテムもスチルも買いたい放題。
恋愛無双が楽しめるだろ~? わははは」
「アイテムもスチルも、キャラの攻略法もエンディングもほぼ全部知ってますけど……」
「はは……。まあ、そうなんだけどね」
斎藤拓真が頭を掻くと、肩に白いふけが落ちた。
女性社員がそろってあからさまに顔をしかめる。
中林喜美は、ややあってスマホをバッグにしまった。
「仕事じゃないってことは、別に強制じゃないんですよね?
乙女ゲームやらないから、わたし多分やらないです。
それにしばらくは"恋プレ"は見たくないっていうか、多分もう一生分見たかなっていう」
「中林さんはゾンビ系が好きなんだよね」
「です。なんで、次はゾンビゲームの仕事取ってきてくださいよ~。
そしたら、わたし意見バンバンいいますんで」
「ってことは、須山くん頼みになるんだけど……」
わたしもしばらく"恋プレ"は見たくないんだけど……、という思いつつも、奈々江は了承した。
奈々江も普段、乙女ゲームはやらない。
というより、恋愛に興味がないのだ。
パズルや落ちゲーのような単純な操作を繰り返す淡々としたゲームのほうが、なにも考えず集中できる。
奈々江にとってのゲームとは、そういうものだ。
「わたしの意見じゃ参考にならないと思いますけど、とりあえずやってみます」
「期限はだいたい二週間くらいを目安にしてもらえるとありがたいかな」
「とりあえず、寝て、回復したら」
「だね。本当、須山くんにはいつも助けられているよ。ありがとう」
下がり眉の汚い無精面がにこっと笑った。
小綺麗にさえしていれば、社長はイケメンに見える……というよりは、雰囲気イケメンに見える。
人使いは荒いが、気さくで人当たりはいいし、よれたシャツを着ていても、すらっとした背格好が見栄えがいい。
奈々江は思った。
新卒採用面接のとき、この人なら信用できそう、と思ったのが運のつきだ。
斎藤拓真がこんな突貫作業のような仕事を今後も取り続けるなら、転職を考えた方がいいかもしれない。
ファストクリエイトエージェンシーから逃げ出すなら、ファスト(速い)ほうがいい。
そういって辞めていった先輩たちの顔が浮かんだ。
「……須山くん? まさか、君まで辞めようとか考えるないよね?」
返事をしないでいると、斎藤拓真はおろおろとし始めた。
その様子を見ると、奈々江はいつも昔小学校のクラスで飼っていた、仲間外れのめだかを思い出す。
そのめだかは珍しい種類だったのだが、生まれつき片目がなかった。
だからなのか、いつも一匹でさ迷うようにうろうろしていた。
「とりあえず、寝て、回復したら」
眼鏡を押し上げて、眠たい目を擦った。
***
コンビニでブラックコーヒーを買った。
バスが来るまでに飲み干す。
社会人になるまで、缶コーヒーなんておじさんの飲み物だと思っていた。
ということは、わたしはおじさんになったんだろうか……、と頭をよぎる。
バスが来たので、中林喜美が飲みかけのペットボトルをバッグにしまった。
彼女のようにラテにでもしておけば、可愛げがあったのだろうか。
ドアが開くと同時に、出勤のための一団が降りて来る。
おじさんという風体のおじさんも、濃色のスーツで武装した男性も、オフィスカジュアルを着こなした女性もみんな、これから職場という戦地に赴く戦士たち。
ご苦労様です、と心の浅いところでつぶやく。
奈々江は同僚の後に続いて、路線バスに乗り込んだ。
「やばいです~。わたし座ったら即落ちの可能性大です~」
「わたしも。立っていようかな」
「あっ、こんな時こそ」
中林喜美がスマホを取り出した。
画面にいつもプレイしているゾンビアクションゲームの画面が立ち上がった。
「こういう時こそ、なにかに集中していたほうがいいんですよね~」
「あ、確かに……」
奈々江もバッグからスマホを取り出した。
すぐ集中できるテトリスがいい。
何も考えずに、ただ落ちてくるブロックを積んでは消す、積んでは消す。
てっとりばやく意識が一点に保てる。
奈々江と中林喜美は並んでスマホの画面に向かった。
「じゃあ、わたし行きますね。お疲れ様です」
気がつくと、いつの間にか中林喜美が立ち上がって、奈々江の肩を叩いていた。
「あ、お疲れさま」
「奈々江さん、今度は集中しすぎて乗り過ごしちゃうかもですよ」
その通りかもしれない。
中林喜美の降車バス停までの十五分。
奈々江は完全に外界のすべてをシャットアウトしていた。
手を振る中林喜美を見送って、奈々江はアプリを終了した。
代わりに、斎藤拓真から送られてきたURLにアクセスする。
どうせやらなくてはならないのだから、このくらいの片手間にやっておいてしまった方がいいだろう。
"恋プレ"ならテトリスほど集中しすぎず、それなりに眠気も覚ましてくれるかもしれない。
降りるバス停までは二十分。
ストーリーを知っている自分なら、三ステージくらいまでは行けるだろう。
アプリのダウンロードができると、早速プレイボタンをタップした。
0
あなたにおすすめの小説
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました
美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?
神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜
一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m
✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。
【あらすじ】
神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!
そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!
事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます!
カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。
【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました
佐倉穂波
恋愛
転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。
確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。
(そんな……死にたくないっ!)
乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。
2023.9.3 投稿分の改稿終了。
2023.9.4 表紙を作ってみました。
2023.9.15 完結。
2023.9.23 後日談を投稿しました。
【完結】目覚めたら男爵家令息の騎士に食べられていた件
三谷朱花
恋愛
レイーアが目覚めたら横にクーン男爵家の令息でもある騎士のマットが寝ていた。曰く、クーン男爵家では「初めて契った相手と結婚しなくてはいけない」らしい。
※アルファポリスのみの公開です。
オネエ伯爵、幼女を拾う。~実はこの子、逃げてきた聖女らしい~
雪丸
ファンタジー
アタシ、アドルディ・レッドフォード伯爵。
突然だけど今の状況を説明するわ。幼女を拾ったの。
多分年齢は6~8歳くらいの子。屋敷の前にボロ雑巾が落ちてると思ったらびっくり!人だったの。
死んでる?と思ってその辺りに落ちている木で突いたら、息をしていたから屋敷に運んで手当てをしたのよ。
「道端で倒れていた私を助け、手当を施したその所業。賞賛に値します。(盛大なキャラ作り中)」
んま~~~尊大だし図々しいし可愛くないわ~~~!!
でも聖女様だから変な扱いもできないわ~~~!!
これからアタシ、どうなっちゃうのかしら…。
な、ラブコメ&ファンタジーです。恋の進展はスローペースです。
小説家になろう、カクヨムにも投稿しています。(敬称略)
悪役令嬢の身代わりで追放された侍女、北の地で才能を開花させ「氷の公爵」を溶かす
黒崎隼人
ファンタジー
「お前の罪は、万死に値する!」
公爵令嬢アリアンヌの罪をすべて被せられ、侍女リリアは婚約破棄の茶番劇のスケープゴートにされた。
忠誠を尽くした主人に裏切られ、誰にも信じてもらえず王都を追放される彼女に手を差し伸べたのは、彼女を最も蔑んでいたはずの「氷の公爵」クロードだった。
「君が犯人でないことは、最初から分かっていた」
冷徹な仮面の裏に隠された真実と、予想外の庇護。
彼の領地で、リリアは内に秘めた驚くべき才能を開花させていく。
一方、有能な「影」を失った王太子と悪役令嬢は、自滅の道を転がり落ちていく。
これは、地味な侍女が全てを覆し、世界一の愛を手に入れる、痛快な逆転シンデレラストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる

