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十一、歴史
しおりを挟むその翌日から、ユタは再度指南を申し入れ、初等漢字の手習いを再開した。いざ本腰を入れてみると、ユタにはその素質があったのか、意外にもすらすらと文字を覚えていった。
「やればできるではないか」
「はい。早くれきしを学びたいから、がんばります!」
「お前は歴史が学びたいのか。変わったやつだな。歌や楽器を学びたいという者は多いが……」
「れきしはあと何個漢字を覚えたら学べますか?」
会原はぎょろとした目を上に向けた。
「それはわからんが……、歴史を読めるようになるには、この程度のものが読めるだけの力がつかねば無理だろうな」
会原は書簡の一つを開いて見せた。そこには、ぎゅっと身の詰まった塊のような文字が列をなし、右からずらりと並んでいた。
「こ、これ、ほとんど見たことない漢字……みたいですけど……」
「そうだ。この国の歴史書はだいたいこのような形で残されている」
「……」
「気が失せたか」
「で……、でも、読めるところもあります! ……の……と……三……は……なり……」
「先は長い。地道にやることだ」
「は、はいっ」
ユタの素直さが気に入ったのか、次の御指南に会原は国史記を持って現れた。
「今日は、歴史の一節だけでも教えてやろうと思ってな」
「えっ、本当ですか!」
目の前に広げられた書簡は、昨日と同じようにほとんど知っている字のない文面だった。
「いいか、始めから読むぞ」
じっと目を凝らし、耳を澄ませた。
「二神あり。地司るは豊春古米女神なり。天司る天津常照男神あり。人の世を共に開けんと手を携えん」
会原は文字で追った。
「神とは、人の世を開いた尊いお方のことだ。め、は女、お、は男のことだ。この国の祖はこの二柱の神様にあるのだ」
「はい」
「ち、とは大地のこと、てん、とは空のことだ。豊春古米女神は大地を統べる役割を持ち、天津常照男神は空を統べる役割を持つ」
「はい」
「その別々の役割を持った女神と男神が、互いの手を取って、人の世を開いた、とそう書いてあるのだ。わかるか?」
「はい……」
ユタは文字を指でなぞるとつぶやき出した。
「にしん、あり。ちつかさどるはトヨハルコツクメガミなり。てんつかさどるアマツトコテルオガミあり。ひとのよを、ともにあけんと、てをたずさえん……」
大きな目をさらに見開いて会原はユタの横顔を見た。
「よく一度で覚えたな……。普通はなかなかできぬぞ」
「この、しんという字はしんとも読むし、かみとも読むのですね?」
「ああ、しんというのは訓読みと言い、かみというのは音読みだ。ひとつの漢字であっても、いくつもの呼び方があるのだ。この、め、はおんなと読む他に、じょ、にょ、にょう、むすめ、おみな、なんじ、などとも読む」
「そんなに読み方があるのですか。どのように見分けているのですか?」
「うむ、それにはまず多くの文章に触れることだ。それらをなんどもなんども読むことで、自然と見分けがつくようになるのだ」
「なるほど……。あの、続きを読んでくださいますか?」
「ああ――」
その数日後、ユタはゼロの部屋で朗々と国史記の冒頭を諳んじて見せた。
「驚いたぞ、ユタ。お前にそんな才があったとは」
「はい、会原様もそうおっしゃってくださいます」
「楽しそうだな」
「はい、とても! 歴史というのは面白いものでございます!
この国には、大地を司る豊春古米女神様と空を司る天津常照男神様がおふたりで開かれました。この二柱の神様からたくさんの人が生まれて育ちました。南の国では稲が良く育ち、北の国ではまっすぐで堅い良い木が育ち、西の国は夕日のような染め物が作られ、東の国は綿が良く育ちます。人々はそれぞれの国でよく働き、神様に感謝して暮らしていました。とても平らかで楽しそうな暮らしでございます。
歴史を知るまで、僕は神様という存在を知りませんでしたが、今では僕も豊春古米女神様と天津常照男神様に毎日感謝をささげています」
「そんなに面白いのなら、お前に一冊手配しようか」
「えっ、よいのですか? ……でも誰かが教えて下さらないと……ひとりではまだ到底読めません」
「いずれすぐ読めるようになる」
「では、お言葉に甘えて……」
(……ゼロ様が読んで下さったらいいのにな、なんて……えへへ)
「それで、水上はどのように使ったのだ?」
はっとして、居住まいを正した。
「はい、水上様からもうお聞き及びかもしれませんが」
「水上からは、ユタの言うことに、間違いなく応えた、とだけ聞いている」
「その通りでございます。実は……」
ユタが全てのあらましを打ち明けると、ゼロはおおよそ想像していたことと相違がなかったらしく、ふうん、とだけ言った。
「本当にありがとうございました。ゼロ様のおかげで、ヒノリ様が助かります」
「男の園でそのように頼り頼られるような仲間ができたのだな。良かったじゃないか」
「はい。でも、アリマ様には気を付けるようにとお叱りを受けてしまいました」
「それはそうだ。わたしはお前の面倒をみるだけで充分だ。他の者までみる気はないからな」
「は、はい……」
「それにしても、村木という役人はお前を無駄に怯えさせて、そのような傷まで御用郎に負わせたのか。まあ、嫌な奴やその役目に適さぬ者というのは、どこにでもいる。わたしのものである限り心配はないと思うが、お前も用心しろ」
(わたしのもの……)
その言葉に、ユタの身体は一気に軽くなった。高鳴る胸の鼓動と体が一体となって、ゼロしか見えなくなってしまう。
「どうした、ユタ?」
「はっ……、いえ、その……」
「まさかまた熱でも出たのか?」
「い、いいえ、これは……」
ゼロがふっと顔を緩めた。
「わかっている。わたしにもお前がだんだんかわいく見えてきたようだ」
「へっ、えっ……!」
息が止まりそうだ。一気に汗ばむくらいに熱くなっていた。
「そ、そ、そ、れ、は……ゼロ様の方がずっと……その……」
(う、うわあ……、ゼロ様が見てる……!)
もじもじというのか、じりじりというのか、ユタは落ち着きなく体を揺らした。
「かわいいというのは、ゼロ様の……、そのきれいなお手とか、まつげとか、お耳とか、……く、唇のことをいうのであって……」
ぷっ、とゼロが噴出した。
「ますますかわいいことを言ってくれる!」
「ほ、本当でございます……! 他にもたくさんございます。じっと見つめているときのふと瞬きをするときのゼロ様はとても麗しくて、お髪を結いあげたそのうなじと生え際の境目など、白くとても美しく……」
「もうよい、もうよい」
(まだ、たくさんあるのに……その笑ったお顔とか、僕の名前を呼ぶお声とか、それから……)
「ああ、笑わせてもらった。よい息抜きになった。さあ、もうお帰り。わたしは仕事に戻らねば」
「う……」
「なんだその顔は」
「……もう少し、お側にいたいです……」
「今日中に読まねばならぬ書簡があるのだ」
そのとき、ユタにひらめいた。
「では、僕が読めるようになったら、僕がゼロ様に読んで聞かせて差し上げます!」
「それでことが済むなら、誰ぞの官吏にやらせている」
「で、では、お仕事の合間にお茶をお運びします」
「それは他の者の仕事だ」
「で、では……」
「ユタ」
ゼロがいつものようにじっと静かな目で見つめてきた。そしてピタリと口を閉ざす。それだけで待てを言い渡された犬のようにユタを大人しくさせた。これ以上はなにを言ってもだめそうだ、と眉を下げたユタに、ゼロが提案したのは意外なことだった。
「ならば、次回からお前も手習いの道具を持ってくるといい。わたしが仕事をする間、そこで手習いでもしていろ」
「はっ……、はいっ……!」
とたんに頬を明るくするユタを見て、ゼロはまた笑った。
こちらもぜひお楽しみください
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