【完】仕合わせの行く先 ~ウンメイノスレチガイ~

国府知里

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シリーズ3 ~ウンメイノユキチガイ~

Story-1 孤独な戦い(2)

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 そして、アリテとベンジーは、マリ―ブラン家に出入りし、憲兵の捜査の進展を把握するとともに、 シーラやキューセランに協力して、宮廷の動きを監視することになった。
 シーラの話した通り、宮廷では権力争いをたくらむ派閥がにらみ合って、捜査は遅々として進んでいなかった。
 憲兵団はその歯がゆさにいらだっているらしく、気力も士気も下がっていた。
 キューセランはハリーたちの提案を受け、懸賞金を大々的に宣伝した。
 その金額はさすがはマリ―ブラン家という莫大な額だった。
 サラが無事に戻ったら当然、王家との古の約束のためにサラを皇太子妃として王宮へあげるつもりでいるのは明らかだった。
 シーラはそんなキューセランを冷ややかな目で見ながらも、額が大きいほどサラが助かる確率が上がるなら言うことはなかった。
 そんなシーラはベンジーにこうこぼした。

「キューセラン様はなにも疑っていらっしゃらないけど、サラ様が皇太子様たちとの婚約をお断りする可能性だってあるんですから。
 私が思う限りに、三人ともサラ様のお好みではないと思います」
「それじゃあ、ハリー様にもチャンスはありそうですね」
「それはどうでしょう」
「ハリー様はサラ様にふさわしくない?」

 シーラはつんと唇を尖らせた。

「少なくとも、私の眼鏡にはふさわしいとは映ってません」
「でも、ハリー殿下と結婚すれば、サラ様は王弟妃陛下だよ」
「そんなの関係ありません。私は、私以上にサラ様を理解し、お慕いし、お幸せを願う方をしりませんから。それが証明できなければ、たとえサラ様がいいといっても、私が結婚を許しません」

 シーラの忠誠心は、モリスのハリーに対する忠誠心と拮抗するくらいに強いもののようだった。
 ベンジーはよく心得たもので、それ以上、無駄な口を開くことはしなかった。

 ・・・・・・



 ハリーたちとは別部隊で行動する、ベリオとモリスは、彼らも同じく賞金首ハンターに成りすまし、町を探索した。
 大陸中から懸賞金のうわさを聞いてシリネラに集まりだしたハンターたちの動向を観察しながら、ベリオとモリスは情報を集めた。
 ハンターの中でも役に立ちそうな男の何人かに声をかけ、使い走りや密偵をしてくれそうな者にも声をかけた。
 町を探索するうち、ベリオとモリスは、何度も同じ男の名前を耳にした。
 流れ者のカインという男のうわさだった。
 カインのことを、ある者は、表にも裏にも通じているといい、またある者は、彼は義賊だという。
 時にあくどい商売人を懲らしめたり、町の弱者に金を恵むようなことをするらしい。
 不思議とカインの素性や幾重を知る者は誰一人としていなかったが、彼を悪く言うものは一人もいなかった。
 宿場で話を聞くと、必ず話の最後には誰かしらがこういった。

「カインならマリ―ブラン家のお嬢様を救い出してくれるかもしれない」

 ベリオたちは、このカインが現れたら紹介してもらえるよう酒場や宿場の店主に頼んでおくことにした。
 酒場の店主から、カインが現れたという情報が持ち込まれたのは、その二日後だった。
 ベリオとモリスがが酒場へ向かうと、カインは日も高いうちから、幾人かの男たちと酒を飲んでいた。
 カインは縮れた黒い長い髪を無造作にたらし、羽つきの帽子をその上にかぶせ、薄い青い目をその帽子の陰に潜ませていた。

「お楽しみのところすまないが、あんたがカインさんかい」
「そうだけど、おたくらは?」
「俺はベリオ。こっちはモリス。賞金稼ぎだ。
 すこしばかり、あんたと話がしたいと思ってね」

 ベリオは同席の男たちに酒を一杯ずつおごると言って、席を離れてもらった。

「聞いてるよ。あんたら、ずいぶん羽振りがいいようじゃないか。
 まあ、懸賞金の額が額だから、先行投資も悪かあない」
「それなら話が早い。俺たちに協力してもらえないだろうか。
 この町へきて聞き込みを始めたが、あんたの名前を聞かない日はない。
 あんたなら、マリ―ブラン家の娘の居場所もわかるんじゃないかと思うんだが」
「…………」
「分け前は、均等に三分の一。
 働きによっては多少色を付けてもいいと思っている」

 カインはあらかさまなあくびをした。

「ほかにも誘いがあるんだろう? わかった。俺たちとあんたで、五対五でどうだ?」

 カインは空になったグラスをもてあそぶ。
 ベリオは給仕婦に酒を追加させた。

「それじゃあ、いくらならいいんだ」

 カインは運ばれてきたグラスに口をつけていった。

「金じゃないんだよ」

 カインは髭についた泡を拭いた。

「どういうことだ?」
「俺には興味がないってことさ。
 俺はこうして酒を飲む金には困ってないんでねぇ」

 ベリオとモリスは互いに顔を見合わせた。

「大体、貴族の娘一人にそれだけの金をかけるなら、 親のいない子や売春宿に売られた女を助けるのにどうして金がかけられねえんだ?
 この国の王侯貴族の連中の考えることは俺には理解できないね」

 カインは帽子の奥から吐き出すようにそう言って、また酒を飲んだ。

「だいたい、あれだけ頭数があるのに娘一人見つけられないとは、憲兵は烏合の衆だな。いや鳥だって、自分の巣から落ちたひなをすぐ見つけるってのに……。
 国王もドレイク皇子も、タルテン国と一緒にナモール国との辺境争いに熱心のようだが、 そんなことより内政に目を向けるべきだと俺は思うがね」

 ベリオは慎重に言葉を選んだ。

「ナモール国との辺境争いに、ザルマータも加担しているのか?」

 カインは知らないのか? というように目を向けた。

「俺たちは、この間ヨークシャー方面から来たばかりで、西側の事情には疎くてな」
「そうかい。王宮は公言していないが、物や人の流れを見てりゃあ一目瞭然だ。ドレイク皇子は人柄は悪かねぇが、戦好きで有名だしな」

 ベリオとモリスはは全く知らない話だった。
 遠く離れたリバエル王国では、この動きを察知することは難しかっただろう。
 ハリーの嫁探しが転じて、このような重大な情報が手に入ろうとは。
 こう言っては何だが、ベリオはひそかに、このような陳腐な仕事にもつき合わされてみるものだと思った。
 ナモール国はタルテン国とザルマータ国に隣接する大陸第二の面積を誇る大国だ。
 この辺境争いという火種が、リバエルまでどう影響してくるだろうか。
 国に持ち帰って早急に検討しなければならない。
 思案に耽って黙りこくっているベリオの代わりにモリスが言った。

「俺たちも戦には興味がない……。
 ただ、あんたならなにか知ってるんじゃないかと思って声をかけたまでだ。
 もしあんたが、酒一杯分の借りを返してもいいという気になったら、知らせてくれ。
 まあ、あんたのいう内政というやつのためには、マリ―ブラン家のお嬢様が見つからないよりは、見つかったほうがいいだろうしな」

 するとカインはふっとモリスを見つめた。

「なぜそう思うんだ?」

 モリスははたと唇を閉じた。
 カインが何を聞こうとしているのか、モリスはしばらく図ってみた。
 だれかが言っていた。
 カインは表にも裏にも通じている。
 ことによるとカインは王宮のさざめきにも耳を傾けているのかもしれない。
 モリスはカインを注意深く観察しながら言った。

「王家とマリ―ブラン家には古い密約があるそうじゃないか。
 お嬢様が生きているか死んでいるか、あるいは……。まあ、流れ者のおれたちにはとんと縁のない話だが。
 とにかくその動向が決まらない限り、お偉い立場の方々は身の振り方を決められないんじゃないかと思ってね。お偉いさんたちの足場が固まらない限り、内政にも手が回らないだろうと思ったのさ」
「その話をどこで?」
「さあ、誰から聞いたんだったかな」

 モリスの話しぶりにカインは何か思うところがあったらしい。

「ベリオとモリスといったな。あんたらの顔と名前は覚えておこう。
 でも、期待はするなよ。こう見えて、俺もけっこう忙しいんでな」

 カインはそういうのを見ると、ベリオとモリスは軽くうなづいて席を離れた。
 離れながら、ベリオとモリスは低く交し合う。

「ベリオ殿、役に立つでしょうか、あの男」
「まだわからない。だが、辺境争いのことは早急に国に持ち帰らなければならない。もう少しその動きを探ったら、ひとりリベルに戻そう」
「おれは嫌ですよ」
「……上官に向かってはっきり言うな、おまえは」
「セラフ様の説教をひとりで受けるのは割に合いませんし、私はハリー殿下のおそばを離れるつもりもないですから」
「それもそうだな……。順からいったらベンジーだが……。いやいっそ、ケインに頼んでみるとするか。ひとまずはアリテに相談するとしよう」

 二人がホテルに戻り、情報を伝えると、アリテは素早くいった。

「なにをぼんやりしているのですか。これは、国家の存亡にかかわる大事な情報ですよ。一刻も早く、我々はリベルに戻るべきです。
 ハリー様の嫁探しなどしている場合ではありません」
「しかし……」

 ハリーは口をはさんだが、アリテは受け付けなかった。
 そればかりか、ベリオの判断の甘さをアリテは指摘した。

「ベリオ殿、あなたともあろう方が、このような事態に使いの者を一人送って済むはずがないことをお分かりにならないとは。
 ナモール国とタルテン国の辺境争いは毎年の定例行事のようなもの。
 しかし、そこにザルマータ国がからむとはいかなることか。
 ザルマータの戦果は火種となって、我らリバエル国にも遠からず降りかかってきます。今すぐこのザルマータからハリー殿下をお連れせねばならないことは明白。そして、この件における情報収集のために密偵を差し向け、同時に宮廷議会において対策を練ることが急務。
 さあ、出立は明日です。ベンジー君、汽車の手配を。モリス君、君は早馬で先にリベルへ戻りなさい。そして、ケイン君、乗りかかった船と思って、君にはこの町に残り、状況把握に努めてほしい」

 ケインは圧倒されながら頷いた。

「はい、それは構いませんが……。
 し、しかし、サラ嬢はどうなります?」

 アリテは厳しさを口元にまとってケインを見つめた。

「サラ嬢のことはこの国に任せるほかありません。
 我々にこれ以上できることはありません」
「そんな……」

 ケインはハリーを見つめた。
 ハリーはじっとアリテの言葉に耳を傾けていたが、ふうと息をついた。

「こんなとき、兄上ならどうするかと考えていた……。
 サラ嬢を追うのはゲームでも、戦はゲームではない。戻ろう……」

 ケインは口元まで出かかった言葉を飲み込んだ。
 いつもは明るく笑うその唇も、日の光のように輝く温かな瞳も、今はその姿を潜め、冷たい影とともにあった。
 ケインは気さくで明るいハリーが見せるこのような姿を、今まで一度だとて目にしたことはなかった。
 それは、そこにいた臣下たち全員がそうだった。
 仮にそのような場面があったとすれば、ハリーが母を失ったときであっただろう。
 ケインは祈らずにはいられない。
 このことが、ハリーにとって深い傷とならなければいいと。
 そのためにはサラが無事でなくてはならない。
 ケインは辺境争いのことはさることながら、サラの動向にもしっかり目を向けようと心に決めたそのときだ。

「それなら私が残りましょう」

 その言葉はモリスのものだった。

「密偵としての術なら多少心得があるつもりです。
 早馬はベンジーでも十分でしょう。私がシリネラに残り、状況を探ります。
 宮廷の動きを探るとなれば、サラ嬢のことも自然と耳に入るでしょう。
 可能な限り、こちらも善処します」

 ハリーは一縷の望みにかけるかのようにモリスを見つめた。

「頼んだぞ、モリス……」

 モリスは軽く頭を下げて目を伏せたが、次に顔を上げた時にはその眼にはただならぬ光が宿っていた。

「ハリー殿下、道理を知らぬ若輩者の戯言だと思ってお許しください」
「なんだ? ……」
「臣下としてあるまじきことですが、私は殿下に腹が立っております」

 ハリーはびっくりしたように口と目を開けた一方で、部下たちはそれぞれモリスの危うい発言に気色ばんだり、怪訝な顔を浮かべ、 またあるものは、モリスに心配そうな視線を送った。

「正直に申し上げて、殿下に苛立ちを覚えるのはこれが二度目です。
 私は他の誰よりもハリー様をお慕いしてまいりました。
 その私は今、ハリー様に大変がっかりしています」
「サラ嬢のことをいうのだな。シーラ・パンプキンソンをあれほど嫌っていたお前が、それほどサラ・マリーブラン嬢に肩入れするとは驚きだ」
「私を引き合いに出しても無駄です。
 あなたさまはあなたさまご自身で、このゲームから降りられたんですから。
 ハリー様はもっと面白そうなゲームが見つかったので、そちらに乗り換えたのです」

 この物言いに、アリテとベリオは異を唱えたが、ハリーがいさめ、モリスは続けた。

「私にとって、あなたさまは唯一無二のお方です。
 その方が言うのなら、ゲームはただのゲームに過ぎないと思ってきました。
 シーラ・パンプキンソンは、ゲームのコマ。
 ですが、ゲームが進むにつれて、私はそのコマのひとつにも背景があり、物語があることを知りました。えてして、彼女の物語は数奇で波乱万丈。
 ハリー様にとっては面白いゲームのコマでも、そのコマには命があり人生があります。
 ハリー様がこのゲームから降りた今、サラ嬢の危機はさらに影の濃いものとなり、彼女の波乱に満ちた人生は悲劇で終わるかもしれません。
 あなたさまはそれをわかっているっしゃる」
「……ああ、わかっている。それが私の今すべき使命だと思うからだ。
 私には責任がある」
「そうやって、ハリー様はご自分でご自分に与えた責任から逃れる言い訳をなさる」
「いいわけだと?」
「私には言い訳に聞こえます」
「なにが言い訳なんだ。私は兄君の国を支える責任がある」

 ハリーとモリスは互いに譲れない熱を示し合う。
 二人の関係を見てきたベンジーははらはらとしながらも、二人から目をそらすことができない。

「殿下は、サラ嬢を追う間に、考えたとおっしゃいました。
 私も考えていました。この旅の間。
 そして、見てきました。シーラと、月夜の君と、そしてサラ嬢を。
 そしてわかったんです。私はサラ・マリーブラン嬢を愛しています。
 私は彼女を失うのが嫌だということが、今はっきりとわかったんです」

 一同は言葉を失って、モリスを見た。
 ベンジーもこうもはっきりとモリスの口からこのような告白を聞くことになるとは思わなかった。

「私はハリー殿下を唯一の主として生きてきました。
 私の心を動かす女性など、決して現れるとは思っていなかった。
 時期が来れば、釣り合いの取れた良家の娘をもらい、子をもうけることが一族に報いる私の役目だと思っていました。
 ですが今は、サラ嬢を思うと心みだされる自分がいることを認めざるを得ません。私はハリー殿下とどちらが大切かと天秤にもかけました。
 私の結論はこうです。昼はハリー殿下のおそばで使え、夜はサラ嬢の待つ屋敷で一日を終えられたら、どれほど幸せだろうかと」



 モリスの雄弁は止まらなかった。

「ハリー様、人が人を思うということは、いかなる偶然でしょうか。
 私は生まれてこの方、自分にそのような偶然が下りてくることを信じてはいませんでした。私にとって、サラ嬢と出会えたことは、ハリー殿下に出会えたことと同じくらいにおおいなる奇跡です。
 ハリー殿下にとって、シーラ・パンプキンソンはなんですか?
 そのあたりに咲いている道端の草花と同じだというのならもう何も言うことはありません。ですが、ハリー様がシーラ・パンプキンソンの、サラ嬢のなにかによって突き動かされるものがあるのならば、 それからあなたさま自身が自ら逃れることはできないはずです。
 ハリー様は、ご自分に何度となくそのような奇跡が下りてくるとお考えですか? サラ嬢以外に、会ってみたい話してみたいと思えるような娘に、この先も無限に出会えるとお考えですか?
 私にはそう思えません。
 少なくとも、私にとって、ハリー様はそういうお方ですし、サラ嬢もそうだということです。私の申し上げたいことは以上です」

 モリスの長い弁舌の後、じっと黙り込んでしまったハリーに、アリテは口を割った。

「僭越ながら、これは少しばかり殿下より少し長く生きている者の言葉だと思って聞いてください」

 誰もがアリテの口から、為政者としての在り方が語られると思ったが、その言葉は意外なものだった。

「初恋というものは、叶う叶わないは問題ではありません。
 その思いと自分自身がどのように向き合ったか。それだけです」

 ハリーがアリテを見ると、アリテは相変わらず頑なな態度を崩さなかった。

「とはいえ、私はハリー様をリベル国へお連れすることを、断じて譲る気はございませんが」

 アリテの隣で、ベリオは頭をかいた。

「いやはや、思いもよらず、若人の一途さに当てられたな。
 アリテ殿までそのようなことを申されるとは。それで……」

 ベリオはハリーを見据えた。

「それで、ハリー殿下はどうなさるおつもりですか?」
「…………」
「我々は、国王陛下から命じられ、ハリー様のおそばにこうして仕えておりますが、考えようによっては……。いや、このように推し量ることは私にとっては過ぎたることにも思えますが、あえて申し上げるとすれば。
 国王陛下がハリー殿下の兄君として今ここにおられたならば、弟君にどんな言葉をかけたであろうかと考えます。国や弟君の身を案じることは当然のことながら、たったひとりのお身内であるハリー様の思いを大事になされよと申される気がいたします」

 アリテは不機嫌そうな顔を隠しもせずに、ベリオにくってかかった。

「我々がむやみに国王陛下のお心を推し量ることは恐れ多く、そして危うきことです。我々の最善の道は、ハリー殿下を祖国に送り届けること。
 それこそが国王陛下が我々に課した使命であり、我々はそれを遂行しなくてはなりません」
「わかっているとも、アリテ殿。
 だが、あなたも先ほど言われたではありませんか。己の思いとどのように向き合ったか、それこそが初恋だと。うやむやにすれば、大なり小なり悔いが残る。初恋とは、それを過ぎた者からすれば、確かに通過儀礼のようなものかもしれません。
 ですが、その渦中にいるものが、どれだけそうだと自覚できるでしょうか。
 恋とはそうだと名乗って、嵐のようにやってくることもあれば、ふとすると春から夏に変わったことに気がつくように、さりげなくやってくることもある。
 どのように感じるかは人それぞれですが、いずれにしても、初めての恋心と自分がどう関わったかは、その後の人生において影響は大きいと思います。
 そういう意味では、モリスの度を過ぎるほどの一途さと素直さは、正直うらやましいくらいです。
 しかも、モリスのいうとおり、我々がここを去れば、サラ嬢とは二度と今生では会えなくなるかもしれません。もしそのようなことになれば、今ここを去ったことを一生悔いることになるかもしれない」
「ベリオ殿、あなたの恋愛講釈はご立派ですが、それこそ命あればこそです。
 ハリー殿下が戦に巻き込まれでもしたら、愛だの恋だのに悩むことさえできなくなるのですよ」
「しかし、ハリー様のお年で、そのような想いを背負わせるには忍びない」

 アリテはぴしゃりといった。

「ベリオ殿、あなたは誰の話をしているのです?」

 ベリオははっとして、瞳を揺らした。
 その一瞬の間に、だれもがベリオの言葉に中になにかしら隠されたものがあるのを感じ取ったが、それは誰も口にしなかった。

「まだ起こってもいないことに頭を悩ます暇はありませんよ、ベリオ殿。
 それに、そのためにモリス君を置いてゆくのだと思えばいいではないですか」

 アリテはハリーを見、そしてモリスを見てから、もう一度ハリーに向かった。

「さきのような無礼な物言いをした以上、モリス君は必死になってサラ嬢救出に励むことでしょう。ハリー殿下の命のもと、モリス君にはそうさせればよいのです。
 殿下が必要と思うなら、あとからいくらでも人を送り込むこともできます。
 ただ、そのようにしても、サラ嬢が助かるという確証はありません。
 そして、殿下がここへ残ってもまた、助かるという確証もないのです。
 要は、どんな結末になったとしても受け入れることを肚に決めて、悔いを残さないように今どんな行動するかということです。
 私の行動は決まっています。明日、ハリー殿下をリベルへお連れして国王陛下のもとへ帰ります」

 ハリーは、それぞれの顔をひとりひとり見つめた後、じっくりとした口調で短く言った。

「少し時間をくれ。明日の朝までにはどうするか決める」

 ハリーは部屋を出て行った。

 ・・・・・・



 ハリーにその晩、一人考えに耽った。
 兄君だったら、間違いなく、国へ帰るだろう。
 そうだと思ったからこそ、ハリーは一度はサラのことをあきらめても仕方ないと思った。
 だが、ベリオの言うことも確かだ。
 兄君がここにいたら、お前の思うようにしろという気がする。
 だとしたら、ここでサラを救う手立てを探りたい。
 せっかくここまで来たのは、サラに会うそのためなのだから。
 しかし、ハリーにはわからないことがあった。
 これは初恋なのか?
 正直、モリスの告白には驚いた。
 熱心すぎる忠誠心は、女性に対しても発揮されるということだ。
 あのような熱量は自分にはない。
 だとすれば、自分がサラに感じている気持ちは、恋ではないのだろうと思う。
 幼いうちに母親を亡くしたハリーにとって、母替わりは使用人の女たちだった。
 彼女たちには親しみこそあれ、恋心のような思いを抱いたことはない。
 貴族の娘たちにも不思議とそのようなときめきや気持ちの高まりを感じられない。
 嫌いとか、退屈とか、そういうわけではない。
 ただ、特別ではないのだ。
 ハリーは自分にとっての特別な存在を思い描いた。
 それは紛れもない兄の姿だった。
 自分が恋をするとしたら、兄上への思いと同じくらいの強い想いに違いない。
 きっと、モリスの忠誠心のように、唯一無二のそれだとわかる気がする。
 だから、サラへの思いは、興味であって、恋ではない。
 ハリーはそう結論付けようとすると、なぜか心の奥でざらつくものがあった。
 この違和感がなんなのか、わからない……。
 モリスは、俺がいいわけしているといっていたな……。
 俺にとって、このざらつきを無視することが、言い訳をしているというのことになるのだろうか。
 ベリオは恋の感じ方は人それぞれだとも言っていたが、これが俺にとっての恋ならば、おそらく避けることはできないはずだ。
 無視をし、なかったことにしたところで、このざらつきは、後悔となって一生俺に付きまとうというのか。
 そういうことだろうか……。
 確かに、シーラ・パンプキンソンは、俺にとって初めて興味をそそられた女性といっていい。
 彼女にはなにか見どころというか感じるものがあった。
 それが何かはまだ確かめようがないが、これをなかったことにして、俺はほかのだれかに興味を抱くことがあるのだろうか。
 たぶん、あるだろう。
 確かなことはいえないが、全くないという気もしない。
 だか、問題なのは、そこではない。
 ベリオが言っていたのはもっと違うことだった気がする。
 ハリーはここまで考えると、初めの戻って何度も同じことを考えた。
 思考のループから出られない。…………

 ・・・・・・



 その時、部屋のドアが鳴った。

「ハリー様、ケインです」

 ドアを開けると、ケインが一人でそこに立っていた。

「どうした?」
「あの、僕もモリスと一緒にシリネラに残ることにしました」
「そうか……」
「もともと、アリテ殿から指名されたのは僕ですし、モリスがサラ嬢のために動くなら、 辺境争いについては僕が動けばいいと思いまして」
「そうだな、それはありがたい」
「というのは建前で……」
「なんだ?」
「モリスの告白を聞いて、正直僕も思い改めることがありました」
「思い改めること?」
「はい。先日、僕は殿下に尋ねられた時、サラ嬢とは何もなかったといいました。何もなかったのは事実です。彼女はそれどころじゃありませんでしたから。
 でも、僕は彼女に惹かれていました。モリスとベンジーに合流したとき、シーラ・パンプキンソンを追っているのがハリー殿下だと知り、僕は何の疑問もなく、 この思いを胸の中だけにとどめよう、そして忘れようとしたのです。
 いくらシーラ・パンプキンソンが心を開いてくれたとしても、王弟殿下が相手ではかなうわけはありませんから。実らぬ恋のために、惨めな思いをするのは、いくつになっても辛いものですから、そうなる前に避けようとしたんです。
 ですが、そうやって自分の気持ちを押し込めるのはやめようと思ったんです。
 だれもがモリスのようにゼロか百というような感性を持っているわけではありませんから、彼のような勢いや熱量があるわけではありません。しかも、殿下に挑戦するほどの気概や自信があるわけでもないのですが……。
  ただ、自分の気持ちににうそをついて後悔するようなことはしたくないと思ったんです。僕はぼくなりに、この思いを大切にして、サラ嬢に想いを伝えたい。そのために僕はここに残ります。
 そして、サラ嬢が救出された暁には、殿下より先に、僕が彼女に告白します。それをどうかお許しいただきたいと思います」

 ハリーはベリオの言っていたことがわずかに理解しかけてきた。

「ケイン、お前の初恋は、どんな娘だったのだ?」
「僕の初恋は、二つ年上のまたいとこでした。でも、彼女は僕の兄と結婚しました。あのとき、僕は自分の気持ちを誰にも告白することなく、二人を祝福しました。
 それ以来、僕はなんとなく恋に憶病になってしまって……。
 アリテ殿とベリオ殿の言われたまさにとおりだと思いました。
 自分の心をどう扱うは、自分が思っていた以上に大切なことだったんだと。
 兄と僕と、どっちがどれだけ思っているかなんて、考える必要はなかった。
 ただ、自分が誰を思っているかというだけのことです」

 ハリーはほぐれた笑みを浮かべた。

「どうせ、俺が禁じても、ケインは俺より先に告白するのだろう?」
「はい、少しでも望みは多いほうがいいので」
「王弟に向かっていい度胸だ」
「あなたの腹心の部下ほどではありませんよ」
「まったくだ」

 ハリーは、あははといつもの明るい笑い声を立てた。

 ・・・・・・



 翌朝、ハリーは部下を前にはれやかな顔をみせた。

「昨夜、俺はどうしたら後悔しないのか、自分の胸によく聞いてみた。
 俺は兄上が好きだ。兄上の束ねるリバエル国が好きだ。
 俺のことを慕ってくれる民が好きだ。
 兄上や、俺のために尽くしてくれる臣下のことが大切だ。
 特に、俺のために、いろいろと尽くし心を砕いてくれた、ここにいるみんなのことが好きだ。
 リバエル国は、俺にたくさんの好きなもの、大切なものを与えてくれた。
 家族、家臣、仲間、そして民。
 だから、今日、俺はリベルへ帰る。
 帰って兄上に報告し、この大陸で起こっている事態について、ともに力を合わせて善処するつもりだ。
 だから、サラ嬢の救出を、モリス、ケイン、お前たち二人に命じる。
 彼女は、俺が自ら、おそらく初めて、自らで選んだ存在だ。
 リバエル国が与えてくれた多くの存在のように、俺の意思に関わらず与えられた者ではない。
 だから、彼女は俺の手をすり抜けてしまうのかもしれない。
 でも、俺は彼女のことをもっと知りたいと思い、こうして追ってきた。
 彼女は黙っていても与えられる存在ではなく、捕まえに行かなければつかめない存在だからだ。
 俺の人生の中で、サラ・マリ―ブラン嬢は、紛れもなく俺の興味を刺激する唯一の女性だ。今ここで彼女のことをあきらめたら、俺は自分自身に、 欲しいと思ったもの簡単にあきらめてしまう人間だとレッテルを張ってしまう気がする。
 だから、サラ嬢に会うことを俺はあきらめない城へ戻ったら至急増援を送る。情勢にめどがつき次第、俺もまたこちらへ来るつもりだ。
 モリス、ケイン。サラ嬢を必ず助け出してくれ。
 特にモリス、俺はお前のことを信じている」



 ハリーの言葉に、モリスは一人目を潤ませた。
 ベンジーは昨日からはらはらし通しだった胸をようやくなでおろすことができた。
 ケインは眼鏡の奥で微笑み、アリテとベリオはほっとしたように互いの顔を見た。
 その日のうちに、ハリーたちは出発し、モリスとケインは二人で町へ繰り出した。

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王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

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