【完】仕合わせの行く先 ~ウンメイノスレチガイ~

国府知里

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シリーズ5 ~ウンメイノユメタガエ~

Stoty-1 テリーへの旅(2)

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 ドレイクに内政調査の進言したこととその後のザルマータについて、ハリーと一同ははじめからサラには隠しておく予定だった。
 これは、ロイスに届いたアビゲールの手紙をサラが見なかったら、今もサラはそのことを知ることはなかったはずだ。
 グレイ・ヘイレーンの手紙単体でかんがみれば、ザルマータを経由しない道でタルテン国テリーへ行くことは可能だし、
 安全性も担保される。
 士官学校での打ち合わせは、ザルマータのことがサラには知られていない前提で、グレイ・ヘイレーンのことを調べ、
 訪問する時期や方法について検討するものだった。
 しかし、裁判がサラの関わり知らぬところで進んでいるということをしったサラたちは、
 モリスにおおいなる疑問を抱くことになった。
 マルーセルへの復讐をともにする協力者であるはずのモリスが、重大な情報をハリーとともにサラたちから隠していたのだから。
 だが、板挟みになったモリスにも言い分はある。



 収穫祭の後、ハリーに呼び出されたモリスは、サラたちとのあいだにある微妙な空気を問いただされた。
 ハリーはサラがなにかを言うに言えない葛藤を抱えていることを知っていたし、ケインが気づいたように、
 サラが十歳足らずの子ども以外の表情を見せることにも気がついていた。
 そして、ハリーはなぜモリスがそのことを口にしないのかも、少なからず理解をしていた。

「サラを独り占めしておきたいのはわかる。
 俺がお前だとしても、好いた女の秘密を恋敵にもらしたくはないものだ」

 ハリーはそう話を切り出し、これまでの長い付き合いで重ねてきたモリスの扱い方を駆使し、モリスの口を割らせることに成功した。

「実は、サラの記憶喪失は、サラとシーラの狂言だったのです」

 この事実を聞いたハリーは、裕に五分間は大笑いし、
「実にシーラ・パンプキンソンらしい」
 といってまた笑った。

「それで、ふたりは何を画策していて、モリス、なぜお前だけが秘密を打ち明けられたのだ?」

 ハリーにモリスにひとつひとつつぶさに聞いてはまた、愉快そうに声をあげて笑った。
 モリスはそうして楽しそうなハリーと一緒にいると、つい次々に知っていることを話してしまうのだ。

「マハリクマリックを持ち掛けられました。

 サラとシーラは、私にマルーセルへの復讐を手伝ってほしいと」

「なるほど、それでサラはお前を欲しがったのか。
 リバエルに素直についてきたのは、そのためか」

 ハリーは一番気になっていたことを口にした。

「ドレイク殿への恋心はどのように決したのだ?」
 モリスはサラが思い出したカインとの大人のキスからはじまり、
 シーラと大人のキスを試みたこと、アビゲールの女装趣味の件など、順を追って説明した。
 そして、カインの正体がレインだったこと、カインのキスがただの人違いであったことによって、
 サラの初恋が終わったことを説明した。
 ハリーはそれについても笑ったが、そのあと神妙な顔つきになった。

「サラの初恋が勘違いでよかった」

 ハリーはモリスがサラたちの狂言について、ハリーに打ち明けるか否かを悩んだことについて、
 おおきな問題にとることはなかった。
 それよりむしろ、裁判が終わるまではこのままこちらは知らないふりをしておいた方が、なにかと都合がよいと判断した。

「ただし、お前のことだ。サラとシーラの信頼がどこまで確かなものか確かめようとしたことがあるのだろう?
 お前が何をしたか、あるいは何をさせたか、俺は聞いておくべきか?」

 ハリーの見透かすような瞳に、モリスはかっと熱くなった。
 サラを抱きしめた感触、押し倒したときの匂い、鼓動。
 モリスはとても口にできそうになかった。

「…いえ、必要ありません」
「その言葉を信じるとしよう」

 ハリーはじっとモリスを見た後、にこっと微笑みを投げた。

「お前よりも、俺の方がサラの心に近いはずだ。
 俺のうぬぼれでない限り」

 モリスはうまく返事ができずにあいまいにした。
 ハリーはぽんとモリスの肩をたたいた。

「これかにも頼むぞ、モリス。お前は俺の一番の部下だ」

 モリスは複雑な気持ちもありながら、やはりうれしさに高ぶる自分を感じた。



 ・・・・・・



 モリスはサラの横顔を見つめている。
 いつからか、モリスは少し離れた場所からサラの横顔を眺めることが多い。
 いつだろう。
 そう、サラの初恋が終わり、ハリーに長い抱擁を受けたときからだ。
 あのころから、サラは少しずつハリーに心を開き、そして記憶喪失の狂言を解いた今では、安心や親近だけでなく、
 ハリーをひとりの男性として見始めている。
 今はまだ父親と重ねてみているが、それが変化するのは時間の問題のように思われた。
 一方のモリスは、マハリクマリックの約束のもとに確かめたはずの信頼には影が落ち、サラとシーラには緊張が漂っている。
 はじめこそ有利に思えたモリスの立場であったが、結果から見ればモリスの立ち回りは裏目に出たようなものだ。
 いっそ、ケインのようにリタイアするべきか。
 モリスは光を受けて輝くなめらかな頬の曲線を見つめながら考える。

「…シリネラに着いたら、どうする気だ?」

 サラに聞きたいことも言いたいことも、そんなことではないのに、モリスは口にした。
 サラは振り向いて、一言言った。

「まだわからないわ」
「ハリー様が好きか?」

 唐突な質問に、サラはやや驚き、照れ隠しするように顔をそむけた。

「ま、まだわからないわ」
「ハリー様は、素晴らしいかただ」
「そ、それはわかってるわ」
「明るくまっすぐなご気性、上にも下にも人望に厚く、文武に長ける」
「う、うん…」
「国民からの人気も高く、国王からの信任も厚い」
「そうね…」
「お前にはもったいない」
「え…」

 サラは思わず顔をあげた。
 モリスはまじめ腐ったような顔で腕を組んでいる。

「お前にはもったいない」

 サラはちょっとむっとした。
 なにも二回も言わなくても、といおうと口を開きかけたその時だ。

「だから、私にしておくのはどうだ?」
「えっ…?」

 意味が分からず、サラはぽかんと口を開けた。
 すると、腕組みしているモリスの顔がいきなり、潮が満ちるかのようにみるみる赤く染まった。

「え、なに?」
「二度も言わすな!」
「え?…」

 しばらくの時間をモリスの態度と言葉の解析に当てて、サラはようやくモリスが何を言ったのかを理解し始めた。 

「今、自分にしておくのはどうかっていったの?」
「わざわざ確認するな!」

 モリスは耳まで染まった顔を車窓にむけている。

「え…、い、意味が分からない…」
「はあっ? わかるだろ!」

 モリスは怒ったようにサラの方を向いて声をあげた。

「お前が、好きなんだよ! 」

 モリスの必至な言葉に、サラはようやく間違えようのないことを理解した。
 反射的に身体をモリスから離すようにしてサラは気恥ずかしさで頬を染めた。

「なっ、何で…」
「なんでって…、理由なんかない」
「だ、だって、私のこと前はあんなに嫌っていたじゃない」
「それを言うと思った! だけど、気づいたら、そうなっていたんだ」
「月夜の君のことだって、違うって言ってたじゃない」
「それも言うと思った。今更だが」
「うそ…、冗談でしょ?」 
「それも言うと思った…」
「……信じられない…」
「それも言うと思った」
「……」

 戸惑うサラに、モリスは意を決したかのように、でもどこか尊大な態度で、サラを見つめた。
 その視線がやけに熱っぽい。
 これまでそんなそぶりを少しも見せなかったはずのモリスが、なぜ今は目の前でこんなに顔を染めて、こんなふうに自分を見つめているのだろう。
 サラはこれまでのモリスとのやり取りが頭の中で高速再生された。
 そして、はっと気がついたのだ。
 サラが記憶を失っていないと分かった時、モリスがサラを抱きしめて泣いたことを。
 まさか、あのときにはもう…?
 あのとき以降のモリスとのいろいろなやり取りには、まさかモリスの気持ちのバイアスがかかっていたのだろうか。
 サラはあれこれと思い出し、おもむろに頭がかっとが熱くなった。

「ばかっ!」

 サラは思わず立ち上がり、子どものように叫んでいた。
 モリスはまさか、ばかと言われることは想定していなかったのだろう。
 尊大な態度から不満そうな顔に様変わりすると、モリスも勢い良く立ち上がった。

「ば…! ばかとはなんだ!」

 サラは恥ずかしさのあまり、なぜ自分がそんな子どもっぽいことを言ったのかわからなかったが、一度口に出したことを戻すことはできなかった。

「なんでいまさらそんなことを言うのよ!

 黙っていたなら、これからもずっと黙っていればよかったじゃないの」

「な…、人が真剣に話しているのに、なんだその言い草は。かわいくないやつだな!」
「べ、べつにあなたにかわいく思われなくたっていいわよ!」

 モリスはむっとしてサラをにらみつけた。
 その視線に受けて立ったサラだが、あまりに熱っぽくい視線に気まずくて目をそらした。

「今更とはどういうことだ?」
「…え…」
「今そう言っただろう」
「そ、そんなこと言ってないわ」

 すると、モリスはじりじりとサラとの距離を詰めてきた。

「ちょっと…! 来ないで」
「今でなければよかったのに、ということか?」
「そんなこと言ってない」
「今ではなく、お前が俺を欲しいといったあの時に打ち明けていたら、お前の答えは違ったのか?」

 モリスは壁にぴたりと張り付いたサラを追い詰めて、両の腕で行く手をふさいだ。

「手をどけて! は、離れなさいよ!」
「答えるまで、どかない」

 モリスの目から逃れられずに、サラは焦った。
 押し倒され、キスをされそうになったときのことが蘇る。
 サラはわざと明るい調子で言った。

「わかったわ…! これも、し、信頼を確かめようとしているんでしょ? 私があなたを本当に信用しているかどうか」
「……」

 モリスはじっと腕と壁にとりかこまれたサラを見下ろしている。

「…あ、わかった! ハリー様から言われたのね? 私が誘惑に簡単に屈しないかどうかみてるんだわ」
「……」

 モリスは、はあ、とため息をついた。

「サラ。シリネラの病院で、ドレスを着たお前がシーラ・パンプキンソンだとわかったとき、私の頭はひどく混乱した。
 そのシーラ・パンプキンソンが今度は、サラ・マリ―ブランだとわかったときには、もっと。
 だが、お前がさらわれたとき、私はシーラ・パンプキンソンとして生きてきたお前がそう簡単に悪党に屈するはずがないと思った。
 実際、お前は囚われながらも機転を利かせて私にヒントを与え、私を守るために銃を持つ相手に体当たりまでした。
 そんな女性を、私は後にも先にもお前しか知らない」

 モリスはサラを見つめるひとみを緩め、ふっと笑った。

「モリス…」
「お前は、私に情熱をくれる唯一の女性だ」
「……」
「しかも、記憶喪失のふりをしたり、シーラとキスを試したり、初恋を盛大に勘違いしたり」

 モリスはくくっとわらった。

「ちょっと…」

 シーラの不機嫌そうな顔を見て、モリスは笑いをかみころすような顔を見せる。

「本当に、目が離せない」

 モリスの笑みに暖かなものを感じると、サラは少し冷静になれた。

「さ…、さっき、いまさらといったのは…。私にも…よ、よくわからないんだけど…。
 確かにあなたは私の命の恩人だし、ちょっと極端すぎるけど、でもそういうの、嫌いじゃないわ。
 だけど、好きかどうかは…」

 モリスはじっとサラを見つめ、サラはその視線の強さにたじろぎながらも、ひとつひとつ言葉を紡いだ。

「あなたにしても、ハリー様にしても、正直、まだわからないのよ。
 だって、私が恋していたドレイク様は、結局ドレイク様ではなく、カインはレイン様だったでしょ?
 話の筋で行けば、カインがレイン様だとわかったときに、気持ちがレイン様に移ってもおかしくなかった。
 だけど、そうはならなかった。
 レイン様は私ではなく、別人にするキスをしたのであって、キスは本当なら私が受けるべきものではなかった。
 それに、レイン様を見るたびに頭が痛くなったり、レイン様の態度を好きになれなかったのはほかでもない私よ。
 結局、私は一体、何に恋をしていたのかしら?」
「……」
「私がこの経験をもとに思うに、恋って、幻想みたいなものなんだわ。
 全てが舞い上がったような心地になるけれど、その本質は陽炎みたいに不確かなの」

 すると、モリスは、ついとサラの手をつかむと、その指にキスをした。

「このキスも陽炎か? こうして目の前にいて触れられるのに?」

 サラはかあっと熱くなった。

「だ、だから! 」

 サラは勢いよく手を引っ込めると、後ろに隠した。

「わたしにはまだわからないの!」
「……」
「これ以上私を試さないで」

 モリスは思わずわらってしまった。

「シーラと大人のキスは試したのに?」
「それはもう言わないで! 本当にシーラに刺されても知らないわよ」
「それは怖い」

 モリスは笑いながら後ろを振り向き、そしてもう一度サラを見つめた後、腕を解放した。
 サラはようやく火照った顔でほっと息をついた。
 出合ったときからモリスの態度は悪い。
 特に、シーラ・パンプキンソンとしてかかわってきた間は最悪だ。
 だが、なまじ整った顔立ちのせいでこうも迫られると、恋愛経験の浅いサラは困惑してしまう。
 ハリーはどこか父親のような安心感や親しみを感じられるが、モリスはもっと荒く激しい感情を発している。
 ハリーに対しては怖いと思うことは一度もなかったが、モリスに迫られると少し怖い気がする。
 モリスに信頼のすべてをあげるといったことを、サラは少し危ういかもしれないと思わずにはいられなかった。

「サラ」
「…なに?」
「マルーセルの件は、約束通り協力する。私にできることならなんでもしよう」
「うん…」
「ただし、お前とシーラの安全が最優先だ。それが、ハリー様からの命令だからな」
「わかったわ」

 サラはこくりとうなづいた。
 唐突にモリスが手を伸ばしてきたので、サラは反射的に身構えた。

「…もうなにもしない。髪が乱れている」
「あ…」

 モリスがサラの髪をやさしい手つきで撫でつけた。

「これからは、髪が乱れてるって言ってくれればいいから」
「サラが応えてくれるようになるまでは私からはなにもしない。私は紳士だから」
「…紳士ぃ?」

 サラはおもっいきり疑り深い目をモリスをみた。

「なんだその目は」
「…以前私に殴りかかろうとしてきたことがあったわよね…」
「それはもう言うな」
「さっきだって、人をさんざん追い詰めておいて…それも紳士だというわけ?」

 モリスはむうっと口を曲げた。

「そういうがな、紳士は淑女に育てられ、淑女は紳士に育てられるものだ。そういうお前ももう少し淑女らしくなったらどうだ」

 サラはそのとき、ケインが話してくれた高級カップの話や、ベンジーが話してくれたヒールの話が頭によみがえってきた。
 それはサラの意識を入れ替えるのに十分な説得力があった。
 サラはふっと一瞬下を向くと、次に顔をあげたときには頬に微笑、目に優しさをたたえてモリスを見上げた。
 そして、スカートに手を添えながら腰をかがめて見せた。

「承知いたしました、モリス様。これからもお願いいたしますわ」

 するとモリスは急にむずかゆいような気恥ずかしいような思いにとらわれ、にわかに頬を染めた。
 こうしておとなしそうにしていると、サラはとみに可愛らしく見えるのだ。

「ふ、ふたりの時は、モリスでいい」
「はい」
「で、では私は戻る」
「はい」
「ま、またあとで様子を見に来る」
「承知しました」


 サラは軽く視線を伏せたまま、モリスが部屋を出るのを見送った。
 そして、なるほど、と思った。
 さっきは、かっとして、ばかなどといってしまったが、そうではなく、
 今のように淑女たる対応をしていれば、あのようなきわどいことになることもなかったのだろう。
 サラは一人、うんうんとうなづいた。



 ・・・・・・



 一行はシリネラにつき、マリ―ブラン家に腰を落ち着けていた。
 その間、サラとシーラはマルーセルの裁判についてキューセランから聞き、またベンジーは裁判所に傍聴に通い、
 その仔細について報告した。
 裁判ではマルーセルの行ってきた不正を一件ずつ明らかにしているところであり、その量は今だその全貌の二割程度だという。
 念のための大事をとって、サラとシーラがマリ―ブラン家に戻ってきていることは伏せられた。
 キューセランと妻アリスは、裁判のことよりも、サラの記憶が戻ったことを喜び、
 それと同時にアリスはサラの結婚相手について気をもんだ。
 アリスはいそいそといくつかの手紙をサラの前にもってきた。

「リバエル王弟のハリー様がサラを気に入ってくださっているのはわかっているのだけれど…。
 でも、裁判のおかげもあってザルマータの社交界に出てすらいないあなたにこんなにたくさんの手紙が届いているのよ。
 それも、名家の紳士ばかり。
 ザルマータの国政が変わろうとしている今、サラ、あなたの存在はとても大きいのよ。
 でも、一番大切なのはあなたの気持ちも大切ですからね。
 記憶が戻って日も浅いのですし、裁判が終わったらきちんと社交界デビューをしましょう。
 そうそう、それから、レイン様とアビゲール様からもお手紙が来ているわ。
 あなたがいやだったらする必要はないけれど、古の盟約を果たすことになれば、私たちはこんなにうれしいことはないわ」

 アビゲールの手紙はわかる。
 だけど、なぜレインが?
 サラとシーラはその手紙をアリスから借りて、部屋に戻って読んだ。
 手紙には、どうしてももう一度会いたいと書かれていた。

「謝罪をしたいという意味かしらね?」
「さあ…、どうでしょうね…」

 サラの疑問に、シーラはなんとも答えようのない困惑した顔つきになった。

「でも、レイン様には、確認しなきゃいけないことがあるわ。
 ドナベッラの店にいたあの三人の娘たちの安否をレイン様に聞かなくちゃ。
 この件はモリスに頼みましょう」



 それから、サラはキューセランに、遺産の話とシーラを姉妹にしたいという話、そして、
 グレイ・ヘイレーンからの手紙についてを話した。
 まず、シーラを姉妹にして、遺産の半分を分け合いたいという件について、当然のように反対にあったが、最も反対したのはキューセランの二人の息子たちだった。
 ヘイリーとスタイリーは、サラにどれだけの情があろうと、シーラがどれほどサラを慕っていようと、
 農家の娘をザルマータ名門のマリ―ブラン家にむかえ入れることはできないと言い張った。
 サラは二人に対して内心烈火のごとく猛反発を感じたが、モリスとの一件以来、淑女として対応したほうがことが穏やかにスムーズにいくだろうと考え、一旦時間をおいてまた話し合うこととした。



 つぎに、グレイ・ヘイレーンの件については、キューセランの言い分はこうだった。
 ファースランの遺産は、屋敷のあったゼルビアの土地のほかに、タルテン国のいくつかの土地建物のほかには、ほとんどがタルテン国にある会社の株式あった。
 キューセランは不動産管理に不自由はなかったが、タルテン国という他国での流動資産の運用にそれほど自信がなかったのだ。
 ザルマータ国内であればまだしも、タルテン国では経済の成り立ちや文化が異なり、また物理的な距離も大きいことから、それらをすべて金に換えたのち、ザルマータ国内で運用するか貯蓄するほうがいいと考えたのだ。
 これが株券一枚二枚というのならまだしも、莫大な額だったために、なおさらキューセランはそのように決断したのであった。
 実際、株券の三分の一はすでに預金に変えられ、サラの名前で銀行に預けられているという。

「この、ヘイレーンという頭取からは、私にも再三手紙が来ている。
 しかし、テリーといえば、タルテンでも最西端の町。
 しかも毎年国境紛争がある町のすぐ近くだ。
 私の手には負えないと判断して、一番初めに出資金の引き上げを決めたのだよ」
「叔父様のおっしゃることはわかるわ。
 私もお父様の仕事についてはちっともわかっていないのだから、反対できるとも思っていないのよ。
 だけど、手紙にはお父様が私に預かりものがあると書いてあるわ。
 だから、お父様がどんなお仕事をしていたのか、私すこしでも知りたいと思っているのよ」
「ああ…。そうかもしれないね。サラはやはり兄上の子だ。
 私と兄上はなにからなにまで違っていた。こうして財産目録一つをとってみても、兄上がいかに目先の利く人だったか私にもわかる。
 以前、一度だけ、兄上からサラの将来について話しているのを聞いたことがあるよ」
「お父様が私について?」
「ああそうだ。兄は、サラには自由を与えるつもりだといっていた」
「自由…」
「自由だ。兄上自身、妾の子と言う理由でさげすまれ、不自由な暮らしを強いられた。
 それだけでなく、大事な娘には古よりの王家との約束が背負わされそうになっていた。
 兄上は、そんな誰かが決めたしがらみから、サラを自由にしてやりたいと思っていたんだとおもう。
 だからこそ、兄上はいずれサラのものになる資産や事業についても、ザルマータ国のものはほとんどなく、タルテン国を選んだのだと思う。
 きっと、サラがザルマータ国を出ても、やっていけるようにね」
「そうだったの…」

「だから、アリスはああしてかわいい姪娘の社交界デビューに舞い上がってしまっているがね、
 私はアリスほど王家との約束についてはもう熱心にはなれないのだよ。
 サラ、お前は両親を亡くし、誘拐され記憶も失うほどの大けがを負った。それが幸運にもこうして無事な生きている。それ以上何を望む?
  私は今はただ、兄上が君に望んだように、サラには自由であってほしい」
「それじゃあ、私、グレイ・ヘイレーンを訪ねても?」
「ああ、もちろん。
 いい機会だ。兄上の成し遂げてきた仕事をみてくるといい。きっと、サラにとって大事な学びとなるだろう。
 社交界などいつまででも待たせておけばいい。サラはザルマータのどの娘よりも自由でいてほしいのだ。
 ただし、必ず無事に帰ってくること。リバエルの紳士たちにも、ぜひ同行をお願いしなさい。必要なものはこれから私が手配しよう」

 シーラを姉妹にするという話とはうってかわって、こちらはスムーズに話が進んだ。
 キューセランはサラが不自由のないように物資を整え、十分な人選の果てに人材を集め、立派な一団を姪娘のために用意した。
 それを見たヘイリーとスタイリーはぶつぶつといったが、それでもキューセランに歯向かうだけの力はなかった。



 ・・・・・・



 タルテン国への出発を数日前に控えたある日、マリ―ブラン家をある夫婦が訪ねてきた。
 それは、サラの母の妹レティ夫婦だった。
 シリネラからほど近いサリアラという町に住んでいて、ゼルビアを幾度か訪ねてきたことがあった。
 それでも、シーラは三年ぶり、サラは七年ぶりぐらいの再会だった。

「まあまあ、大きくなったわね、サラ。シーラ」

 レティと夫のジョー・フルーグランと、サラたちは挨拶をした。
 レティとジョーは貴族の末席ではあったが、その身なりからしてマリ―ブラン家よりも数段落ちる暮らしぶりをしているようだった。
 その証拠にふたりの手はあちこち傷だらけで、赤切れていた。

「レティ叔母様、ジョー叔父様、お久しぶりです。
 紹介いたします。こちらはリバエル国のモリス様とベンジー様」

 マリ―ブラン家夫妻とフルーグラン家夫妻、ヘイリーとスタイリー、サラとシーラ、そして、
 モリスとベンジーが席に着き、お茶が始まった。
 レティとジョーは事件のことで本当に心を痛めていたことを語りながら、
 どうにもならない事情で尋ねてくるのが遅くなって申し訳ないとわびた。
 いくつかの近況報告と世間話が済んだところで、レティが庭を見たいと言い出した。
 そこで女性たちはそろって席を外して、庭に向かった。

「まあ、紅葉が素晴らしい。素敵なお庭ですわ」
「ありがとうございます」

 アリスとレティが穏やかに会話をしている。
 だが、レティはすこし落ち着きがない。
 出てきたはずのティールームの方を気にしているようだ。

「それにしても、サラとシーラはあいかわらずそっくりね」

 サラとシーラは手をつないぐとにこりと笑って見せた。

「私たち、本当の姉妹になる予定なんです」
「本当の姉妹?」

 するとアリスはやや困ったように小首をかしげた。

「サラがシーラに遺産を半分渡したい、なんておかしなことを言うものですから」
「おかしくなんかありません。私たち、きっと二人そろって叔父様の養子にしていただきますわ」

 サラがはっきりそういうのを、アリスはまた困ったような表情を浮かべてほほほとごまかし笑いをした。

「まあ…そう…。あなたたち、昔からとても仲が良かったものね」

 レティは少し驚いたように、でも何度もうなづいた。
 その一方で、お茶の席でジョーは何度目かの咳払いをしていた。

「あの、ええと、キューセラン殿…。折り入って話があるのですが」
「なんでしょう」

 ジョーはちらりと目配せした。
 キューセランは二人の息子とリバエルの二人の若者たちに席を外してもらった。

「それで、話とは?」

 ジョーは煮詰まったような顔で、親戚とはいえさほど親しく付き合ってきたわけではない義兄弟を見つめた。

「このところのマルーセルの一件で、うちはとても苦しいんです。
 水も澄みすぎると、生きていけない魚もいます。
 これまでも苦しい時にはレティがマリラに工面してもらってなんとかやってこれたのですが、そうすることはもう叶いません。
 それでも、今日までなんとかしようといろいろやって来たんです。
 ですが、このままでは、今年の冬はとても越せそうにありません。
 どうか、当面の生活費だけでも用立ててはもらえませんか?」

 キューセランは厳しい視線でジョーを見つめた。



 ・・・・・・



 その夜、夕食が済むと、サラとシーラはレティを部屋に呼び込んで、母マリラの若いころの話をせがんだ。

「私と姉さんも、それは仲のいい姉妹だったのよ。
 私たちのお父様、つまりサラからするとおじい様は辺境の土地を収める貴族で、
 お金持ちではなかったけど、田舎暮らしは毎日が楽しくて幸せだったわ」
「私たちとおんなじね」
「そうね。小川に笹舟を流して一緒に走ったり、野花で花冠を作ったり、今でもあの牧草の匂いを思い出すわ。
 姉さんがファースランお兄様と出会ったころのことを聞きたい?」
「ききたい!」

 マリラが十五になって社交界にデビューしたとき、マリラは華々しい都会の暮らしにはついていけないと確信したそうだ。
 だから、そうした縁は一つ違いの妹に譲って、自分は辺境の土地に婿入りしてくれそうな、
 それほどお金のかからないつつましい田舎暮らしを好んでくれそうな人をと望んだ。
 しかし、はちみつ色の髪とエメラルドのような美しい瞳の少女は、数々の紳士からの愛の告白を受けるのに十分な価値を備えていて、
 マリラの望みとは裏腹に、日々山のような手紙の返事や、身の丈に合わない高価なプレゼントに頭を悩ませることになった。
 そのせいで、マリラはすぐに社交界にでることが嫌になってしまった。
 そのマリラから遅れること一年、レティが社交界にデビューした。
 レティと一緒にほぼ一年ぶりに夜会に参加したマリラは、一年前よりさらに美しくなっていた。
 しかしマリラは誘われてもダンスすることもなく、ひたすらそれならぜひ妹と踊ってやってくださいというので、
 それが逆につつましくて男性の心をを惹きつけた。
 次第に、レティの口から、マリラの求めている男性像がまことしやかにうわさになると、
 今度は資産のない次男三男がこぞってマリラの前に列をなした。
 そしてその中から父と母に相談もして、この人かしらと目星をつけたころ、突如現れたのがファースランだった。
 そのころからマリーブラン家の兄弟の確執は社交界にも知られており、
 ファースランは生母とともにゼルビアという辺境地へ引っ越したばかりだった。
 ファースランとマリラは一目で互いが求めあっていることを感じた。
 ダンスでとる手は熱く、一曲は永遠のように思われ、ステップは雲の上をすべるようだった。

「まあ、お母様がそういったの?」
「そうよ。それまで姉さんは、少しも男の人にうっとりすることなんてなかったのに、
 ファースラン兄様には夢を見てるみたいな目をしてたのよ」
「すてき…」

 折りしも、レティには程よい家柄で婿入りしてもかまわないというジョー・フルーグランが現れ、ふたりは恋に落ちた。
 それで収まりよく、姉妹はそれぞれ愛する人と結ばれたというわけだった。

「愛する人と一緒になるって、本当に幸せね」
「そうね…。サラはどなたか思い人はいるの?」
「うーん…、そうね…ちょっと、まだわからないわ」
「シーラは?」
「えっと…、わたくしは…、えっと、その、…」
「あらあら。それなら、あなたたちのお楽しみはこれからね」

 レティは涼やかで優しい声で笑った。
 その雰囲気はマリラを彷彿とさせた。

「ねえ、レティ叔母さま。明日もお母様のお話を聞かせてくださらない?」
「そうしたいのはやまやまだけれど、冬が来る前にしておかなければいけない仕事があるのよ。
 あなたたちの元気な顔も見れたから、明日からまた張り切らなくちゃ」

 サラとシーラの残念そうな顔を残して、レティは部屋を後にした。
 部屋を出たレティがひとりため息をついたことを、サラもシーラも知る由がなかった。



 ・・・・・・



 翌朝、レティとジョーは簡単な朝食をとってすぐに発つ準備をした。

「それじゃあね、サラ、シーラ」
「どうぞお元気で、叔母様。お手紙書きますね」
「楽しみにしているわ」

 互いに抱きしめ、頬にキスをして、別れを惜しんだ。
 レティとジョーの馬車が通りから見えなくなるの歩見送った後、サラとシーラは朝食を取りに食堂へ向かった。
 すると、そこでは先に食卓に座っているヘイリーとスタイリーがいた。

「まったく、ずうずうしいよな。自分たちの無能を棚に上げて金の無心にくるなんて。大した付き合いもないのに」
「本当だよ。あれだけ新聞で騒がれていたのに、なにを今更、心を痛めていたなんてよく言うよ」

 サラとシーラは心無いふたりのいとこの言葉に、食堂に入るのをためらった。

「今朝なんて、もっとひどいよ、ヘイリー。
 僕、あの二人が話しているところを聞いたんだ。
 なんて言っていたと思う?
 サラとシーラを養子にしようと話していたんだよ。
 きっとサラがレティ叔母にシーラを姉妹にするつもりだと話したに違いないよ」
「はっ、金に困った人間の考えそうなことだ」
「ジョー叔父が、レティ叔母をせめていたんだ。
 なぜサラにフルーグラン家の養子にしてやるとそう言わなかったのかって。
 だから、僕言ってやったんだ。
 僕はサラとシーラが僕たちの兄妹になることは賛成です。
 兄とふたりで、父を説得するつもりなんですってね」
「あははは、よく言うよ!」
「彼らのがっかりした顔ったら、ないね! 兄さんにも見せたかった」

 サラは唇を真一文字につぐんで、さっと踵を返した。
 そして、部屋に戻るやいなや、サラは自分の持ち物で売ったらお金になりそうなもの、手元にあった少しの紙幣をかき集めて鞄に詰めた。
 シーラがおろおろしているのを横目に、サラは階段を駆け下りていき、台所へ向かった。
 そして、使用人たちがみているのも構わずに、銀のカトラリーをあるだけ鞄に詰め込むと、今度は厩に駆け出した。

「サラ様!」

 シーラはただサラの後についていって、サラのやることを止めることもできず、でも手伝うこともできないでいた。
 サラは下男に言って、馬に馬具と鞄をしょわせた。
 ようやくその準備ができたところで、サラはシーラに言った。

「これを渡したら、戻ってくるわ。そうしたら、あのふたりの頬をひっぱたいてやるんだから」
「サラ様…」

 サラはあっという間に通りへ駆け出して行った。
 そこへ騒ぎを聞きつけたモリスとベンジーに続いて、ファースランとアリスがあわててやってきた。
 シーラが事情を話すと、モリスとベンジーが連れ立って馬で通りに駆け出した。
 サラは馬車の消えた方へ馬を全速で走らせた。
 朝方とはいえ、動き始めた朝の町を馬に乗った貴族娘が走り去っていく姿は、それは目立った。
 馬車の向かった方へ道を曲がったが、馬車の姿はもうなかった。
 サラは近くの平民の女性に声をかけた。

「ねえ、さっきここを馬車が通らなかった?」
「通ったよ」
「どっちへ行ったかしら?」
「そうさね、一台は右、もう一台は左」
「……、じゃあ、サリアラへはどっちの道を行くの?」
「それなら左だよ」
「ありがとう!」

 サラは手綱を引いて、進路に鼻面を向け、わき腹を蹴った。
 サラの馬がかけていくと、その後ろからサラの名を呼ぶ声が聞こえた。

「サラ、止まれ!」

 肩越しにモリスとベンジーが見えた。
 だが素直に止まるサラではない。
 サラは馬に彼声をかけ、さらにわき腹を蹴った。
 しかし、馬の扱いは男たちの方がうまかった。サラの馬はモリスとベンジーの馬に挟まれ、モリスがサラの馬の手綱を取った。

「止まれ、サラ! 馬を骨折させる気か」

 サラにそんなつもりはないが、こんな密集して高速で走らせたら、馬が危ないのはサラにも分かった。
 サラはゆっくり手綱を引き絞って、馬を止めた。
 それに合わせて、モリスとベンジーの馬も止まった。

「シーラから事情は聴いた。降りろ」
「降りないわ。私はレティおばさまにこれを届けるまで、馬からは降りない」
「強情な奴だな。このところおとなしなったかと思えば、お前の淑女らしさは見せかけだけだな」


 モリスの言葉にサラは、きっと鋭い視線を投げた。

「叔母様の手は赤切れていたわ。それに、私はもっといてほしかったのに、叔母様は帰らないと冬を越す準備ができないといっていた。
 私はなにも言わなかった。手が荒れていても、ドレスが古くても、言わないほうが淑女らしいと思ったからよ。でも!」

 サラは目に涙を浮かべて唇をかんだ。

「お金を用立ててもらわなきゃ年が越せない、そのために叔母様が訪ねてきたことを、叔母様は私に言わなかった。
 叔母様は私とシーラを養子になんてことは一言も言わなかった。
 私がもし、素直に叔母様の手のことを心配していたら、叔母様は言えたかもしれない。
 家族が辛い時に気づいてもあげられないくらいなら、私は淑女なんかになりたくない!」

 サラはこぼれそうになる涙をぐいっと拭いたが、それでもしずくがこぼれて落ちた。
 モリスは大きくため息をはいた。

「全く、お前のいう淑女は見せかけ以下だな! お前はただの子どもだ!  降りろ!」
「きゃあっ」

 モリスは強引にサラを馬から引きずり下ろした。

「なにするのよ!」
「あのいとこたちの話を聞いて頭に来たんだろう、それはわかる。だが、金目のものを鞄に詰めて馬で追いかける?
 ばかも休み休みやれ! もののわかっている婦人なら、そんなことはしない。
 確かに赤切れた手のことを口にしないやさしさは必要だろう。
 だからこそ、あとで薬やなにかを送ってやることはいくらだってできるだろう。
 それを頭に血が上ったのに任せて、思いついたままに行動するのはただの子どもとおんなじだ」
「……」

 サラは少しずつ冷静さを取り戻しながら、モリスの言うことは確かに正しいと思えてきた。

「それに、マリ―ブラン家の馬がリバエルにいるはずの娘を乗せて町を疾走したんだ。大々的にお前がいることを知らせたようなものだ」

 サラはようやくうつむき加減の顔から、目だけをあげてモリスの顔を見た。

「…ごめんなさい」
「わかったら、帰るぞ」
「はい…」

 サラは素直に従って、屋敷に戻った。
 そして帰るなり心配して駆け寄ってきたキューセランに向かって、サラは言った。

「叔父様、心配かけてごめんなさい。私、ついかっとなってしまいました。
 カトラリーはちゃんと全部あったところへ返します。
 だから、叔父様、どうか私の預金の一部をレティ叔母様に送ってください。
 叔母さまたちが冬が越せるだけのお金と、赤切れを治すクリームとシルクの手袋が買えるように」

 すると、キューセランは微笑んで心配しなくていいといった。

「ジョーはこれまでマルーセルと関わりのある仕事で生業を立てていたらしい。
 レティはそれを知らないそうだが、このところ暮らしぶりが悪くなってきたことはレティも十分わかっている。
 私は昨日、ジョーの話をよく聞いて、彼らは今の仕事から足を洗うのが一番いいと思った。
 ただ足を洗うといっても、次の仕事がないのに今の仕事を辞めることはできないだろう。
 だから私はこれからジョーのために新しい仕事を探すつもりだ。もちろん、冬になる前にね」 
「叔父様…」

 そして、アリスがサラの隣へやってきて、サラの肩をやさしくなでた。

「私は今日これから洋品店にシルクの手袋と、クリームを買いに行くのよ。
 それから、当面の暮らしに必要な食べ物なんかも一緒にね。
 それを送ってあげましょう。サラ、あなたは手紙を書いてくれるわね?」
「叔母様…」

 サラは飛びつくように叔父と叔母に腕を回して抱きしめた。
 そしてそれぞれの頬にキスをした。
 サラはその態勢のまま、めいっぱいの涙を浮かべていった。

「叔父様はわたしに、お父様から学ぶことがあるとおっしゃったわね。
 でも、叔父様や叔母様から学ぶこともたくさんあるわね。
 叔父様と叔母様は、私が知る中で一番の紳士と淑女よ」
「まあ、うれしいこと」

 アリスはサラの頬にキスを返した。
 キューセランもそれに倣った。



 それを少し離れたところからモリスとベンジーが見つめている。
 モリスの後ろでベンジーがつぶやいた。

「モリスさんが、誰かにやさしさを語ることがあるんですねぇ」
「何が言いたい」

 モリスが振り向くと、ベンジーはにこっと笑って見せた。

「いやあ、本当に最近モリスさん変わったなあって思ってたとこです」



 ・・・・・・



 タルテン国へ出発するその朝、サラとシーラは馬車に乗り込んでいた。

「とってもワクワクするわね、シーラ。私、シーラと一緒に旅に出るのを本当に楽しみにしていたのよ」
「わたくしもです、サラ様」

 このところシーラは体調がよくなかったが、今朝はずいぶん顔色がいい。
 ハーブティーがよかったのだろう。
 念のため、サラはシーラのためにハーブティーを数種類荷物に詰めさせた。
 シーラがいなければ、この旅も楽しく過ごせるはずがない。
 なぜなら、タルテン国テリー市にむけた進路は、ゼルビアを経由したのち、シーラの故郷ペシュトランに寄っていくのだから。
 マルーセルに判決が下るまでにはまだ時間がかかることははっきりしていた。
 なので、サラとは直接かかわりのない裁判については新聞などでその経緯を知るにとどめておくことにした。
 ベンジーの推測で行くと、タルテンからシリネラに戻ってきてからでも十分に時間があるという話だった。
 それもあって、せっかくだから、ゼルビアとペシュトランによることにしたのだ。

「ああ、でも十三年ぶりに故郷を訪ねことができて、わたくしは本当にうれしいです」
「そうよね、わたしがその機会をシーラから奪っちゃったんだもの。青いリボンのたった一本で」
「運命ってわかりませんね」
「本当に」

 ふたりはそういうとくすくすと笑いあった。
 そこへ馬車の外からドアをたたく音があった。

「お忘れ物はありませんか?」
「あら、バルサ。ないわよ、ありがとう」
「では出発いたします」

 私兵バルサもこの隊の責任者なのだ。
 隊は前に兵が四名、後に六名。箱馬車はサラとシーラに一台、モリスとベンジーに一台、物資を乗せた幌馬車が二台である。
 幌馬車には四名の下男下女が合わせて乗っており、御者を含めると一段の総人数は22名という大所帯となった。
 御者の二人には、ホーミーとシュラが雇われた。
 キューセランとアリスとたっぷり別れを惜しみ、ふたりにいとこにはそつのない挨拶を済ませた後、一団はマリ―ブラン家を出発した。
 出発して間もない時だった。

「とまれ~!」

 バルサの声が聞こえた。
 何事かとサラとシーラが窓から顔を出すと、一団の行く手を阻むように、何者かが道をふさいでいるようだった。
 バルサの声が聞こえる。

「あれは、王家の馬車ではないか…」

 サラとシーラは顔を見合わせた。
 どうやら王家の使いが下りてきて、バルサとなにやら話している。
 しばらくして、バルサがサラたちの馬車へやってきた。

「サラ様、レイン皇太子殿下がお見えだそうです。いかがしましょうか?」
「レイン様が? どうして?」
「なにやらどうしてもお会いになりたいとおっしゃっているそうで…」

 サラは小首をかしげ、シーラはなにやら不穏そうに眉を寄せた。

「…いいわ。レイン様には聞きたいこともあったし。バルサ、屋敷に人をやってくれる? 
 叔父様にレイン様を迎えてくださるように伝えて。私も一旦屋敷へ戻るわ。みんなはこのままで。すぐ戻るから」
「サラ様、わたくしも行きます」
「ええ、じゃあ行きましょ」

 サラとシーラは馬車を降りて屋敷へ戻った。
 シーラは馬車を降りると同時に、きゅっとサラの手を握った。
 あんなことがあったせいで、シーラはレインに対して強い警戒心と嫌悪を感じているのだろう。
 サラはそう思って、シーラの手を握り返して、大丈夫だと微笑んで見せた。
 屋敷へ戻る途中、モリスとベンジーにはその旨を伝えた。

「ベナドッラの店の子たちのことを聞くだけよ」

 この件について、モリスはレインを訪ねたが、折り悪く会うこと叶わず、また手紙も送ったが返信はなかったのだ。

「それなら俺たちも行こう」

 四人は並んで屋敷に戻った。
 屋敷の主たちとともに応接室で待つと、そこへレインがやってきた。
 レインは白と青のさわやかなドレスコート姿で現れた。
 今まで黒のイメージとはがらりと違う。
 しかしその面立ちは今までと変わりなく端正で甘い魅力にあふれるものだった。

「サラ…」

 レインはそういうやいなや、サラにくぎ付けされたように見つめた。
 サラは折り目正しい態度で腰をかがめ、礼に失することのない程度の挨拶をした。
 しかし、レインはわき目も降らずサラの前に進み出てくると、サラの目の前でひざを折った。

「会いたかった、会いたかった、サラ…」

 そして、サラの手を取るとその甲に熱烈な口づけをしたのだった。
 この予想もしない行動に、サラは言葉がでない。
 サラの困惑した顔には、この人何なの? と書いてあったに違いなかった。

「キューセラン殿、どうか、サラとふたりだけにさせてもらえないだろうか?」

 レインの勢いに押されて、挨拶もそこそこにしたまま、サラを残して他の面々は部屋を出ることになった。
 レインはアイスブルーの目を潤ませて、サラをじっと見つめている。
 こんな熱っぽい視線で見つめられる理由が、サラには少しも思いつかなかった。

「あの夜のことが忘れられない」
「はあ…」
「君にどうしてももう一度会わなければと思っていた。モリスが王宮を訪ねてきたことは聞いていた。
 そして先日、君がシリネラに帰ってきたという噂を聞いて、いてもたってもいられなかったんだ」

 サラはレインの調子がいまいち理解できないし、ふたりきりなんてなんだか気味が悪い気もして、サラのはすこし強引に手を引っ込めた。
 それに、旅の一団には出発を待たせているのだし、さっさときりあげたい。

「わ、私もレイン様に聞きたいことがあったのです…」
「なんだい?」

 レインはサラににじり寄ると、またサラの手を握ろうとしたので、サラはさっとよけた。
 レインはにわかに物欲しそうな顔になったが、サラは構わず続けた。

「ピンスと、ブルーノ、それにイエニアのことです。彼女たちから手紙は届きましたか?」
「ああ、彼女たちなら心配ない。ブルーノとは何でもないんだ」
「……。あの、無事にそれぞれの故郷へ帰れたんですよね?」
「ああ! ああ、そうだよ。三人とも無事に故郷へ帰った。無事を知らせる手紙が届いた」

 サラはそれを聞くと、ほっと肩の荷が下りた。

「そう…」
「君の心配はこれで解決したかな」
「ええ、それじゃあ、私が聞きたかったことはこれだけですから」
 サラは腰をかがめると、さっと踵を返した。
「待って、サラ。俺たちの話はこれからだ」

 サラの腕をレインがつかんだ。
 サラはむっとした。
 あんなふうに惨めな思いをさせられたレインに軽々しく触れてほしくなかったからだ。

「離してください。叔父様を呼びますよ」

 きつくにらむとレインはまるでおあづけを食らった犬のような様子で手を離した。

「謝りたいなら、どうぞ。ご覧いただいたとおり、私たち今出発を後らせているところなのです。
 そろそろ出なければ、今日の宿につくのが遅れますわ」
「ど、どこへ行くのだ?」
「レイン様には関係ないと存じます」

 レインはなにやら酷く撃たれたような顔を浮かべた。
 サラにはレインの反応の意図がわからず、ただいらいらさせられた。

「謝るつもりなら、お早めにどうぞ。私が謝罪を受け入れる気がある間に」
「わ、わかった…。俺が悪かった。あれが初めてだとは知らなかったのだ…」

 自分から促したとはいえ、サラはレインの口から大人のキスのことを言われるとやはり恥ずかしさが体によみがえった。

「もう、気にしていません。あなたのことは私の中ではなかったことになっていますから、レイン様もどうかそのように」
「……」

 サラはきっぱりとそういうともう一度礼をして部屋を出た。
 部屋に残されたレインがどんな顔をしているかなど、サラには考える由もなかった。

・・・・・・
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