奈落にて咲き、散る

喜島 塔

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第二幕 北原綾芽『追憶』4-3

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 この日の終礼が終わった後、私は沖田先生に職員室に呼び出された。放課後の職員室は賑やかだった。質問に来た生徒に対応する教師、悪さをした生徒を叱責する教師、小テストの準備や採点などの事務作業に没頭する教師、保護者からの電話対応に追われる教師。
「今日は、特に賑やかだなあ。場所替えるかあ」
 沖田先生は、少し白いものが混ざった頭髪を触りながら私に言った。私の体調についての話だけなら場所を替える必要などない。嫌な予感がした。
「お話、長くなるのでしょうか?」
 先生に尋ねると、
「うーん。長くなるかどうかはわからんが、少々センシティブな話でな。他の生徒たちに聞かれると面倒なことになりかねないのだよ」
 と言った。
「病み上がりのところ付き合わせてしまってすまんな」
 そう言って、先生はがしがしと、艶のない髪に手櫛を入れた。
「ちょっと、ここで待っててな。三沢みさわ先生たち呼んでくるから」
 そう言って、私は、職員室扉の入り口付近で待たされた。職員室には煙草と珈琲の匂いが充満していた。きっとこれが大人の匂いなんだろうと思った。私は、この匂いは嫌いではなかった。しかし、職員室に居る教師、生徒、保護者、生きた人間たちの欲望と思念が、埃臭いエアコンの吹き出し口から吐き出される生温かい風に乗って其処彼処に渦巻いているさまには虫唾が走った。三沢という三十路少し手前くらいの、未だに女子大生気分が抜け切っていないような女性教師は二年四組の担任教師だ。二年四組は清花が所属しているクラスだ。これは偶然か? 私の不安は募るばかりだった。沖田先生は、三沢先生と悠介を連れて私の方へと向かって来た。なぜ、悠介が? まさか、昨日、保健室で彼とキスを交わしたことが誰かに目撃されて不純異性交遊だとお叱りを受けるのだろうか?
「待たせたな、北原。三沢先生が顧問をされている『絵本部』の部室を使わせて頂けるそうなので、そこで話そう」

 三号館の裏手、連絡通路で繋がれた先に体育館と二階建ての部室棟がある。三号館を出ると、外気が肌を突き刺すように冷たかった。沖田先生と三沢先生の後に着いて歩いていた悠介と私は小声で言葉を交わした。
「清花に何かあったの?」
「俺にもさっぱりわかんね」
 互いに眉を顰めるしかなかった。部室棟二階の西の端の部屋に「絵本部」「手芸部」というプレートが掲げられていた。六畳ほどの部室はパーテーションで区切られていて、部室奥の窓際が絵本部の領域のようだった。三沢先生は暖房のスイッチを入れながら、私たちに、壁際に立て掛けてあった折り畳み式の会議テーブルとパイプ椅子を使うようにと指示を出した。病み上がりの私を気遣って、沖田先生と悠介がセッティングをしてくれた。テーブルを挟んで窓側に先生たち、ドア側に私たちが腰掛けた。自分のキャパシティを超えた事案に直面しているのだろう。三沢先生は終始落ち着きがなく顔面蒼白だった。見兼ねた沖田先生が話を切り出した。
「北原と松永は、四組の山中清花さんと幼馴染なんだそうだね?」
 やはり、清花の話か、と、ため息を零しそうになるのを私はぐっと堪えて答えた。
「はい。私たちは山中さんと幼馴染です。先生、山中さんに何かあったんですか?」
 これ以上焦らされては苛々が増すだけだ。私は単刀直入に訊いた。
「三沢先生、どうですか? 二人に事情を話せますか?」
 沖田先生が三沢先生に訊ねた。寒さの所為なのか精神的なものが原因なのか、はたまたその両方なのかは分からないが、三沢先生は、上と下の歯をカタカタとシバリングさせて、ふるふると頭を横に振った。沖田先生は少し呆れたような表情をし、話を続けた。
「今から話すことは他言無用でお願いしたいのだが、約束できるかい?」
 私も悠介も大きく頷いた。
「昨晩、山中清花さんが自宅で自殺未遂をしたそうだ。ご両親もかなり混乱しているようで、詳しい話は山中さん本人とご家族が少し落ち着いてから伺うことになりそうだが」
「それで、清花は今どんな状態なんですか?」
 沖田先生の話を遮って悠介が身を乗り出して訊いた。清花の身を案じる悠介の姿に私は内心、嫉妬していた。
「大丈夫。命にはまったく別状がないそうだよ」
 その言葉を聞いた悠介の顔に安堵の色が見えた。
「あの……山中さんは、どのようにして自殺未遂を?」
 この問いは清花という女に対する興味本位からだった。私が幼少期から見てきた清花は、気が弱くて、うじうじしていて、それでいて、突然思いもよらないような大胆な行動を取る得体の知れない怖い女だった。その女が自分を消し去るために選んだ手段はどのようなものであったか純粋に知りたかった。この問い掛けに対し答えるべきかどうか沖田先生は逡巡している様子だった。
「あの……無理に仰らなくても大丈夫です。ただ、大切な幼馴染が、本気にしろ本気でないにしろ『死』を願い、どんな方法で実行しようとしたのか……と思ったら、胸が張り裂けそうで……」
 私は涙を浮かべ言葉を詰まらせた。悠介が私の肩をぽんぽんと叩いた。
「睡眠薬の過剰摂取と、カッターナイフによる自傷行為だそうだよ。薬は山中さんのお母さんが心療内科で処方されていたものをこっそり使用したらしく致死量には程遠い量だったそうだ。自傷行為の方も幸い傷は浅いとのことだ。ただ、清花さん本人がひどく錯綜していて自宅に帰らせたら同じようなことを繰り返す危険性が高いという医師の判断で、しばらく入院するそうだ」
 周囲には私たち四人以外誰も居ないのに、沖田先生は声のトーンを落として言った。私の頭の中でばらけていた幾つかの事柄が瞬時に繋がった。
 ああ……楔刺されたわけか。悍ましい女ぁ。清花の悠介に対する異常なまでの執着に私は身震いした。
「幼馴染の二人なら知っていると思うが、山中さんは、とてもおとなしい性格で、クラスでも一人でいることが多く目立たない存在だということだが、特に、クラス内でいじめなどはなかった、ということで間違いありませんか? 三沢先生?」
 沖田先生は、先程より強い語調で三沢先生に訊ねた。若い女の教師と言っても、この学校に赴任して一、二年そこらの新米教師ではない。自分が受け持つ生徒の問題から目を背けたいが為に、ただ其処に居てびくびく震えているだけの女に嫌気が差したのだろう。私もこの女教師には苛々した。自分ができないこと、やりたくないことは、弱者を装い全部丸投げ。まるで、清花の将来の姿を見ているような気になった。
「は、はい。そのようなことは、ありません。み、みな、いい子ばかりで、い、いじめなんて、そんな、おそろしいこと、絶対に、あ、ありえませんっ!」
 この教師自体が生徒に舐められていじめられているのではないか? と、疑いたくなった。
「ということなんだが、君たち二人は、山中さんから何か悩みの相談を受けたりとかしていないかい?」
「特にないですね。確かに俺たちは幼馴染ですが、中学に入ってからは皆クラスも別々ですし、俺は、テニス部とテニススクールの掛け持ち、北原さんは、先生もご存じの通り、生徒会役員の活動やら習い事やらで忙しくて、同じ学校に通っているとは言え、皆、生活サイクルはバラバラです。清花は、三沢先生が顧問をされている『絵本部』に所属していますよね? 『絵本部』内での人間関係などに問題はないのですか?」
 悠介も、この女教師に苛々しているようだ。殆ど詰問に近い訊き方をした。
「え、絵本部は、週二回しか、か、活動していませんし、部員もお、おとなしい子ばかりで、に、人間関係に問題があるとは、お、思えませんっ!」
「ありえませんっ!」「思えませんっ!」この言葉は、このうじうじした女教師の希望的観測にすぎないことを如実に表現しており、彼女が今回の件に関して何の働きかけもしていないことを証明したに過ぎなかった。その後、話は、女教師以外の三人で進められ、私たちは、清花の家族には絶対に内密にという約束を沖田先生と取り交わした上で、清花が、妹の晴花のことで、もしかしたら家庭内で肩身の狭い思いをしているかもしれない、という山中家の事情を話した。話が一段落した時にはもう、町はすっかり夜闇に包まれていた。沖田先生は、悠介に私を家まで送って行くようにと言って、白髪交じりの髪をくしゃくしゃにしながら、三沢先生と職員室に戻って行った。

 *

「こうして二人で帰るのは久しぶりだな」
 悠介は、私の手にそっと触れ絡めた指をそっと離した。清花に対し後ろめたさを感じたのだろう。
「悠介は、清花から何か相談とかされてない?」
「何もねえなあ。二週間前くらいに、たまたま朝一緒になって少し話したけど、志望校決めた? とか、そんな話をしたくれえで後は憶えてねえなあ。晴花ちゃんも今のところ落ち着いてるような口ぶりだったしよ。綾芽の方には何か話いってねえのか?」
「私の方も何もないなあ。あの子、昔から私に対して心を開いていない感じだし。もしかしたら、私、嫌われてるかも」
「そんなことねえよ! 清花、綾芽のこと、美人で性格も良くて羨ましいって言ってたぞ」
 悠介は人間の感情に疎いところがある。清花が私について語った言葉を素直に誉め言葉として捉えたのだろう。「羨ましい」という言葉の裏に潜んでいる「妬み嫉み」の感情を読み取ることができないのだ。
「そうかなあ。そうだと嬉しいけど。ねえ、悠介、清花が退院して心が落ち着いたら、清花の悩みとかきいてあげてくれないかなあ?」
「俺は構わないけど、そういう話って、女同士の方が話しやすいんじゃねえのか?」
「もうっ! わかってないなあ」
「何がだよ?」
 悠介は、唇を尖らせた。
「女っていう生き物はね、心が弱っている時は同性じゃなくて異性に話を聞いて欲しいものなのよ。反対に、自慢話をしたいときは同性に聞いて欲しいものなの。要するに、見栄っ張りな生き物なのよ」
「そういうもんなのか。くだらねえなあ」
 私が、心の中で「Ridiculous!」と呟くのと同時に悠介が言った。
「そうよ。とてもくだらないこと。でもね、そういうふうにしてできちゃってるのよ。『女』って生き物はね。だから、悠介、お願いできる?」
 私は、上目遣いで悠介をみつめた。
「わかったよ。綾芽が俺に頼み事するなんて滅多にねえしな。任せておけよ!」
「ありがと、悠介」
 本当は、こんなこと悠介に頼みたくなかった。でも、余裕を見せることで、私は、清花に自分の方が優位に立っているということを知らしめたかったのだ。悠介と私は、普通に歩けば十分で辿り着く帰路を牛歩戦術みたいにゆっくりゆっくり歩いた。意味もなく小道に入ってみたり、わざと遠回りしたり。私を家の前まで送り届けた悠介は闇に溶け込むようにして私にキスをし、
「俺たちは『運命共同体』だからな」
 と耳元で囁いた。このまま、夜闇が二人だけを呑み込んでくれたらどんなにかいいだろうと思った。
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