32 / 66
第二幕 北原綾芽『追憶』5-4
しおりを挟む五月十六日。快晴。
インターハイ地区予選決勝。都立阿佐美高等学校男子テニス部は、昨年の覇者「秋島学園高校」を抑え、優勝した。この日、私は、清花との裏取引で約束したとおり悠介を振り、二人の前から姿を消した。大好きな私の王子様。あなたからの告白、天にも昇る気持ちでした。あなたを受け入れない理由なんてあるわけがない。清花さえいなければ。あの時のあなたの今にも泣きだしそうな顔、あなたを深く傷付けてしまった罪悪感。あの瞬間、私の心は、死んでしまったのです。
私は、パパとママに、夏休み明けから私立の高校に編入したいと打ち明けた。どれだけ強固に反対しても地元の公立高校に固執し続けていた私の突然の告白に、両親は驚きを隠せない様子だった。
「そりゃあ、パパもママも、綾芽が私立の名門校に編入してくれることには大賛成だけど、急にどうしたんだ? 何か学校でいやなことでもあったのか?」
パパが心配そうに訊いてきた。
「何もないのよ。ただの気まぐれ。私の我儘なの。ごめんなさい」
「ねえ、あなたと同期の田山さんのお嬢さん、確か『聖アガタ女学院』に通ってらしたわよね? あの学校、確か二学期制だったわよね? 偏差値は七十前後くらい? 空きさえあれば、編入試験は問題ない筈よ」
「そうだな。すぐに、田山に連絡を取ってみるよ」
こうして、私は、本来、私のようなお嬢様に相応しい私立の高校へと編入することになった。私の高校編入が決まると、パパとママは「白亜の城」を手放し、世田谷区成城(せたがやくせいじょう)にある建売住宅を購入した。まるで前々から決められていたような迅速な行動に私は吃驚した。きっと、パパとママは、ずっとこの地に移り住みたかったのだろうと思った。私が、頑なに下町に執着していたから実行に移すことができなかったのだろう。
突然連絡が取れなくなった私を心配したクラスメイトたちから毎日山のようにLINEやメールが届いた。私はそれを読むことさえしなかった。すべてを忘れてしまいたかったのだ。悠介からは何の連絡もこなかった。きっと、私に裏切られたと思い憤っているのだろう。邪魔者を排除した清花はここぞとばかりに悠介に接近するだろう。悠介は私への当てつけに清花の想いを受け入れるかもしれない。どうでもいい。好きにしたらいい。もう、私には関係のないことだ。
「聖アガタ女学院」の制服は黒を基調としたシンプルなセーラー服で、下手に意匠を凝らしていないところが名門校ならではの品の良さを醸し出していた。大半の生徒は、上流階級の家庭で英才教育を施された躾の行き届いた犬みたいに、従順でおっとりとしていた。「ごきげんよう」と、真面目に挨拶された時は思わず吹き出しそうになった。敷地内には修道院も併設されていて、朝の祈りと夕べの祈りが毎日の日課になっていた。まるで不思議の国に迷い込んでしまったアリスにでもなったような気分だった。スクールカーストは生徒自身の評価ではなく、生徒の親の職業や出身大学などをもとにピラミッドが築き上げられており、まるで、中世ヨーロッパの宮廷舞踏会さながらの権威・権力の誇示が横行していた。自分自身の能力が低い子ほど、親の権力を振りかざしていた。何もかもが、鬱陶しくて、くだらなくて、私は、以前のように、皆と仲良くなる努力をする気力すらなく、気付けば、空気のような存在になっていた。
『綾芽は皆がどんなに努力しても手に入れることができないものを生まれながらに持っているの。優秀な頭脳、抜群の運動神経、美しい容姿、皆と仲良くできるコミュニケーション力、カリスマ性……私は、その中のひとつも持っていない! 綾芽はすべてを持っている。私には悠介しかいないっ! だから、私から悠介を取り上げないでっ! お願いっ!』
中二の時清花に言われた言葉が頭を過った。
「なにも……なにももってないよ、わたしだって。だから、ゆうすけをかえして」
虚空に向けて呟いた言葉は、そのまま悲しみの塊となって私の中に入ってきて、私を酷く苦しめた。私は、悠介のことしか考えることができない、ただのビッチに成り下がっていた。
パパとママは、いつになっても新しい環境に馴染もうとせず、無気力になってしまった私を心配し、腫れ物に触るように私に接した。ある日、担任教師からママに「綾芽さんが、いつになっても『進路希望調査票』を提出しなくて困っている」という連絡が入った。激怒したママは珍しく声を荒げた。
「何が気に入らないのか知らないけど、いつまでそうやって不貞腐れているつもりなの? パパとママは、ずっと、あなたの意志を尊重してきた。本当は公立の学校なんかに通ってほしくなかったの! あの子たちと付き合うのもやめてほしかった! それでも、あなたが楽しそうに過ごしていたから黙って見守っていたの! 何があったのか知らないけど、私立に編入したいって言ったのはあなたでしょう? どうして、そんな風になっちゃったのよっ?」
ママが言うことは正論だった。百パーセント私に非があるのは分かっていた。それでも、私は、私を責め立てるママの金切り声が耳障りで、いっそ、耳を切り落としたい衝動に駆られた。
「うるせえなっ! 出しゃいいんだろっ! 出しゃっ!」
そう言って、カバンの奥底でくしゃくしゃになった「進路希望調査票」を取り出し、テーブルの上に叩きつけた。今まで見たこともないような乱暴な私を目の当たりにしたママの目には恐怖の色が浮かんでいた。私の中に流れるあの女の忌々しい血が熱を帯びながら躰中を駆け巡った。飼い慣らしていた筈の「闇」が檻を突き破って濁流のごとく喉元まで迫り上がってきた。清くいたい。美しくいたい。清く、痛い。美しく、痛い。僅かに残っていた理性がなんとかして狂気の暴走を食い止めようとしていた。刹那、私の目に飛び込んできたのは、ママのキラキラ光ったネイルだった。私が好きないちごみるく色のネイルに星の欠片みたいなラインストーンが散りばめられていた。
『この子は、大人になったら、きっと、超一流のネイリストになるに違いないね!』
トーランスに暮らしていた頃、ママと一緒に行ったネイルサロンでネイリストさんに言われた言葉がリアルに再現された。私は、くしゃくしゃになった紙をアイロンをかけるみたいにして手のひらで伸ばし、第一志望の欄に「カリスマネイリスト」と書き込んだ。
高校卒業後、私は、ママが経営する「北原 紫ネイルスクール」に入学した。トップネイリストになるという目標を持つことで、私は、理性を維持していた。ネイルに没頭している間、私は、悠介のことや、過去の忌々しい記憶を封印することができた。ネイル業界の重鎮である北原紫の娘ということで、はじめは色眼鏡で見ていた子たちも、技術を身に着けようと貪欲に取り組み、めきめきとその才能を発揮していく私を見て、私に対する見方を変えた。気付けば、私は昔のように皆の輪の中心にいた。私は、息つく暇もなくネイルにのめり込み、充実した日々を過ごしていた。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
幼馴染が家出したので、僕と同居生活することになったのだが。
四乃森ゆいな
青春
とある事情で一人暮らしをしている僕──和泉湊はある日、幼馴染でクラスメイト、更には『女神様』と崇められている美少女、真城美桜を拾うことに……?
どうやら何か事情があるらしく、頑なに喋ろうとしない美桜。普段は無愛想で、人との距離感が異常に遠い彼女だが、何故か僕にだけは世話焼きになり……挙句には、
「私と同棲してください!」
「要求が増えてますよ!」
意味のわからない同棲宣言をされてしまう。
とりあえず同居するという形で、居候することになった美桜は、家事から僕の宿題を見たりと、高校生らしい生活をしていくこととなる。
中学生の頃から疎遠気味だったために、空いていた互いの時間が徐々に埋まっていき、お互いに知らない自分を曝け出していく中──女神様は何でもない『日常』を、僕の隣で歩んでいく。
無愛想だけど僕にだけ本性をみせる女神様 × ワケあり陰キャぼっちの幼馴染が送る、半同棲な同居生活ラブコメ。
俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。
true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。
それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。
これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。
日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。
彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。
※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。
※内部進行完結済みです。毎日連載です。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる