奈落にて咲き、散る

喜島 塔

文字の大きさ
49 / 66

第三幕 第七場3

しおりを挟む

 新宿駅南口近くのテナントビル内のカフェで、清花は落ち着かない様子で悠介を待っていた。クリスマス後、年末年始休み前の午後ということもあり、さまざまな種類の焼き菓子が詰め合わせられたアソートセットみたいに、客層もバラエティに富んでいた。年末年始休みに入る前に残された仕事を片付けようと必死のビジネスマンらしき人や、お喋りに花を咲かせる大学生たち、亭主の悪口で盛り上がる主婦たち。清花の視界に入るすべての人が目障りで、すべての音が耳障りだった。約束の時間は過ぎていた。まさか来ないつもりでは? と思い、清花はバッグからスマートフォンを取り出した。特に、遅れるといった内容の連絡は入っていない。なんだか、自分が酷くぞんざいにあしらわれているような気がして虚しくなった。約束の時間から二十分ほど遅れて、悠介が現れた。
「遅くなって、ごめん! 年明けから働かせてもらうことになった会社の入社手続きに行ってたら、時間押しちまってよ。連絡も入れられなくて申し訳なかった」
 自分の目の前に現れた男が悠介であることを清花の脳が認識するのに、数分間の時間を要した。きちっとした高級そうなビジネススーツを身に纏い、黒色の短髪はワックスで整えられて、男らしく誠実そうな雰囲気を醸し出し、表情も生き生きとし自信に満ち溢れていた。伸びきってバサバサに痛んだ髪に無精髭、何処へ出掛けるのも安物のスウェットを着ていた男とはまるで別人のようだった。
「悠介なの?」
「は? 俺に決まってんだろ?」
「ごめんなさい。すっかり見違えちゃって……」
「惚れ直したか?」
 ええ、という言葉を、清花はぐっと飲み込んだ。そう言ってしまうことで、もし二人がやり直せた時に、イーブンな関係を築けないような気がしたからだ。正直、久しぶりに会う悠介は、更に落ちぶれていると思っていた。清花はそんな彼の弱みにつけこみ、よりを戻そうと、きっと戻せる、と呪文のように自分に言い聞かせていた。照れを隠すように、清花はアイスティーを飲み込み、話を元に戻した。
「え? 会社の入社手続き? っていうことは、新しいお仕事決まったのね! おめでとう!」
「ああ、ありがとう。俺もいつまでも不貞腐れて生きていくわけにはいかないからな」
「おめでとう! 本当におめでとう!」
 清花は心底嬉しくなった。きっと、悠介は、このことを直接伝えるために自分を呼び出したのだと思った。今のふたりなら、きっとやり直せる。借金も返済した。ふたりで働けば貯蓄もできる。まだ私たちは若い。子どもを産んで育てることだって可能だ。そうしたら、マイホームを……清花が妄想の世界に浸っている様子を眺めていた悠介が、テーブルの上に、一枚の書類を差し出した。清花は目を疑った。怒り? 悲しみ? 分からない。清花の中で感情の生成が追い付かない。視界がゆらゆらと揺り籠のように揺れて、中枢神経のコントロールが停止した。
「これは、何?」
 やっとのことで絞り出した声で清花が悠介に訊いた。
「何って、見りゃわかるだろ? 『離婚届』だよ。俺が書く箇所は書いておいたから、残りの箇所を書いて役所へ提出してくれないか? できるだけ早く頼む!」
「待ってよ! どうして一人で決めちゃうの? 私の気持ちは聞いてもくれないの? そんなの、あまりにも傲慢過ぎるわ!」
「は? 何? まさか、俺とよりを戻そうとか思ってるわけじゃないよな?」
「思ってるわよ! 私たちはまだ若い。いくらでもやり直せるわっ!」
 清花の言葉を聞いて、悠介は失笑した。
「オマエさあ、あれだけ俺に酷い仕打ち受けて、まだ俺に固執するのか? やめとけって。俺の親父のことだって知ってるだろ? 俺はアイツと同じクズだ。同じことを繰り返すだけだ。俺なんかよりいい男、世の中には腐るほどいるぜ。オマエのことを愛してくれる優しい男みつけろよ。幸せになれよ、な?」
 そう言って、悠介は席を立った。清花の頬を涙が伝った。
「好きな女ができたの?」
 清花の問い掛けには答えず、「これ、コーヒー代」と言って分厚い封筒をテーブルに置き、悠介は足早に店を後にした。百万円入っていた。
「バカにしないでよっ! 私は、物乞いじゃないのよっ!」
 声を荒げた清花の方を、周りの人々は、好奇の目で見ていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

幼馴染が家出したので、僕と同居生活することになったのだが。

四乃森ゆいな
青春
とある事情で一人暮らしをしている僕──和泉湊はある日、幼馴染でクラスメイト、更には『女神様』と崇められている美少女、真城美桜を拾うことに……? どうやら何か事情があるらしく、頑なに喋ろうとしない美桜。普段は無愛想で、人との距離感が異常に遠い彼女だが、何故か僕にだけは世話焼きになり……挙句には、 「私と同棲してください!」 「要求が増えてますよ!」 意味のわからない同棲宣言をされてしまう。 とりあえず同居するという形で、居候することになった美桜は、家事から僕の宿題を見たりと、高校生らしい生活をしていくこととなる。 中学生の頃から疎遠気味だったために、空いていた互いの時間が徐々に埋まっていき、お互いに知らない自分を曝け出していく中──女神様は何でもない『日常』を、僕の隣で歩んでいく。 無愛想だけど僕にだけ本性をみせる女神様 × ワケあり陰キャぼっちの幼馴染が送る、半同棲な同居生活ラブコメ。

俺を振ったはずの腐れ縁幼馴染が、俺に告白してきました。

true177
恋愛
一年前、伊藤 健介(いとう けんすけ)は幼馴染の多田 悠奈(ただ ゆうな)に振られた。それも、心無い手紙を下駄箱に入れられて。 それ以来悠奈を避けるようになっていた健介だが、二年生に進級した春になって悠奈がいきなり告白を仕掛けてきた。 これはハニートラップか、一年前の出来事を忘れてしまっているのか……。ともかく、健介は断った。 日常が一変したのは、それからである。やたらと悠奈が絡んでくるようになったのだ。 彼女の狙いは、いったい何なのだろうか……。 ※小説家になろう、ハーメルンにも同一作品を投稿しています。 ※内部進行完結済みです。毎日連載です。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

処理中です...