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第三幕 第七場3
しおりを挟む新宿駅南口近くのテナントビル内のカフェで、清花は落ち着かない様子で悠介を待っていた。クリスマス後、年末年始休み前の午後ということもあり、さまざまな種類の焼き菓子が詰め合わせられたアソートセットみたいに、客層もバラエティに富んでいた。年末年始休みに入る前に残された仕事を片付けようと必死のビジネスマンらしき人や、お喋りに花を咲かせる大学生たち、亭主の悪口で盛り上がる主婦たち。清花の視界に入るすべての人が目障りで、すべての音が耳障りだった。約束の時間は過ぎていた。まさか来ないつもりでは? と思い、清花はバッグからスマートフォンを取り出した。特に、遅れるといった内容の連絡は入っていない。なんだか、自分が酷くぞんざいにあしらわれているような気がして虚しくなった。約束の時間から二十分ほど遅れて、悠介が現れた。
「遅くなって、ごめん! 年明けから働かせてもらうことになった会社の入社手続きに行ってたら、時間押しちまってよ。連絡も入れられなくて申し訳なかった」
自分の目の前に現れた男が悠介であることを清花の脳が認識するのに、数分間の時間を要した。きちっとした高級そうなビジネススーツを身に纏い、黒色の短髪はワックスで整えられて、男らしく誠実そうな雰囲気を醸し出し、表情も生き生きとし自信に満ち溢れていた。伸びきってバサバサに痛んだ髪に無精髭、何処へ出掛けるのも安物のスウェットを着ていた男とはまるで別人のようだった。
「悠介なの?」
「は? 俺に決まってんだろ?」
「ごめんなさい。すっかり見違えちゃって……」
「惚れ直したか?」
ええ、という言葉を、清花はぐっと飲み込んだ。そう言ってしまうことで、もし二人がやり直せた時に、イーブンな関係を築けないような気がしたからだ。正直、久しぶりに会う悠介は、更に落ちぶれていると思っていた。清花はそんな彼の弱みにつけこみ、よりを戻そうと、きっと戻せる、と呪文のように自分に言い聞かせていた。照れを隠すように、清花はアイスティーを飲み込み、話を元に戻した。
「え? 会社の入社手続き? っていうことは、新しいお仕事決まったのね! おめでとう!」
「ああ、ありがとう。俺もいつまでも不貞腐れて生きていくわけにはいかないからな」
「おめでとう! 本当におめでとう!」
清花は心底嬉しくなった。きっと、悠介は、このことを直接伝えるために自分を呼び出したのだと思った。今のふたりなら、きっとやり直せる。借金も返済した。ふたりで働けば貯蓄もできる。まだ私たちは若い。子どもを産んで育てることだって可能だ。そうしたら、マイホームを……清花が妄想の世界に浸っている様子を眺めていた悠介が、テーブルの上に、一枚の書類を差し出した。清花は目を疑った。怒り? 悲しみ? 分からない。清花の中で感情の生成が追い付かない。視界がゆらゆらと揺り籠のように揺れて、中枢神経のコントロールが停止した。
「これは、何?」
やっとのことで絞り出した声で清花が悠介に訊いた。
「何って、見りゃわかるだろ? 『離婚届』だよ。俺が書く箇所は書いておいたから、残りの箇所を書いて役所へ提出してくれないか? できるだけ早く頼む!」
「待ってよ! どうして一人で決めちゃうの? 私の気持ちは聞いてもくれないの? そんなの、あまりにも傲慢過ぎるわ!」
「は? 何? まさか、俺とよりを戻そうとか思ってるわけじゃないよな?」
「思ってるわよ! 私たちはまだ若い。いくらでもやり直せるわっ!」
清花の言葉を聞いて、悠介は失笑した。
「オマエさあ、あれだけ俺に酷い仕打ち受けて、まだ俺に固執するのか? やめとけって。俺の親父のことだって知ってるだろ? 俺はアイツと同じクズだ。同じことを繰り返すだけだ。俺なんかよりいい男、世の中には腐るほどいるぜ。オマエのことを愛してくれる優しい男みつけろよ。幸せになれよ、な?」
そう言って、悠介は席を立った。清花の頬を涙が伝った。
「好きな女ができたの?」
清花の問い掛けには答えず、「これ、コーヒー代」と言って分厚い封筒をテーブルに置き、悠介は足早に店を後にした。百万円入っていた。
「バカにしないでよっ! 私は、物乞いじゃないのよっ!」
声を荒げた清花の方を、周りの人々は、好奇の目で見ていた。
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