片翼を失ったピアニスト

喜島 塔

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第七章

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 俺と杉崎南加子が、杉崎母子が暮らす『メゾン・ド・犬飼』という木造二階建てのアパートの二階の201号室に着いた時、愛美あみという彼女のひとり娘の姿はどこにも見当たらなかった。愛美の部屋には、電源が切れたスマホが床に転がっていて、机の上には、

 ―― 一人になりたいので探さないでください

 という、ベタな内容の書置きが置いてあり、それを見た杉崎南加子は、まだ知り合って間もない人間が側にいるというシチュエーションであるにもかかわらず、平静を取り繕う余裕もないようで、見苦しい程に取り乱した。俺は、心を患っている母が取り乱す姿を何度も目の当たりにしているので、特に、彼女の姿に動揺することはなかった。仕事の休憩時間に飲むために買っておいた緑茶のペットボトルを手渡すと、彼女は、涸れた声で「ありがとう」と言って、緑茶で喉を潤した。
「お見苦しい姿をお見せしてしまって申し訳ありません……警察に……届けを出した方がいいのかしら?」
 彼女は、縋るような目を俺に向けながら、消え入るような声で問い掛けてきた。
「おそらく……今警察に行っても相手にされないと思います。俺、娘さんを探しに行って来ますよ。娘さんの写真と、あと、娘さんが行きそうな場所……お友達の家とか……できるだけ多くの娘さんに関わる情報を教えて頂けますか? 杉崎さんは、娘さんが、この家に帰って来た時のために、ここで待っていてあげてください。お願いします」
「そんな……知り合って間もない谷村さんに、そこまでご迷惑をお掛けするわけには……」
「これは、俺自身のためでもあるんですよ。だから、俺に任せてくれませんか? 大丈夫ですよ! 俺、きっと、娘さんを連れて帰って来ます!」
 そう言って、俺は、颯爽と飛び出した。白のセリカを走らせながら、脳裏をよぎるのは、幸せだった頃の家族との思い出ばかりだった。過去の記憶の残像、感情、半ば存在していないかのような漠然とした“自分”の行末を案じながら、俺が辿り着いた場所は、犬飼東中学校。杉崎愛美の母校だった。俺がここに来たのには理由がある。泉が自殺する前日に、慧都音楽大学附属高校で泉と良く似た人を見かけたという在校生徒の証言があったからだ。自死を決め込んだ人間という生きものは、最期に、幸せだった頃の想い出が多く残った場所へと誘われる習性があるらしい。兄と、兄を殺した女は音高時代から付き合っていたという。その女との想い出がたくさん染み付いた場所へ……幸せだった頃の残り香を追い求めて兄はその場所へ足を運んだのだろう。

(いったい……どんな気持ちで……泉は……)

 そう考えると、心の奥に閉ざしていた怒りの感情がワラワラと湧き上がってきた。兄に対して? 女に対して? 兄を裏切った友に対して? 自分自身に対して? その怒りの矢の矛先はぶらりぶらりと宙に浮いたままで、着地点を定めることはできなかった。
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