掌を掠めた透明を。

水喰ずみ

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透明な君を追いかける

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 柔らかく金色の光が差し込む廊下を歩く。放課後、仄かな解放感に息を吐くようにざわめくその場所で、私は背伸びをしながら辺りを見渡していた。
 背中を探す。黒い角張ったナップサック。違う。熊のぬいぐるみが揺れるスクールバッグ。あれも違う。橙色の丸いリュックサック。手を伸ばしかけて、唇をきゅっと結んだ。チガウ。ひょろ長い背を丸めて歩く後ろ姿。あれだ。私はにっこりと笑って小走りで近づく。
 「あーかねくんっ、」
 わっ、と屈まった背中を軽く叩くと、男子にしては華奢な肩が小さく跳ねた。
 「……あぁ、星宮か」
 彼が、ゆっくりと後ろを振り返って、小さく笑った。
 「正解、星宮だよ~~。茜くんが見えたから嬉しくて飛び付いちゃった」
 私も柔らかく微笑んで小首を傾げる。自慢の長髪が光を緩く弾いて、さらりと肩を流れ落ちた。
 「なんだよそれ、俺なんかに構わないで友達と居ればいいのに」
 「友達なんていないもの」
 「見え透いた嘘吐くなっての」
 茜くんが密やかに笑う。笑うと、目がきゅっと細まって、頬に慎ましやかなえくぼができる。優しい笑顔。素敵な笑顔。どんな強固な警戒心も、この笑顔を前にすれば、猛暑の日のアイスクリームよろしくすぐに蕩けてしまうだろう。ついでに、女の子のハートも。今までいくつの心を奪ってきたのだろうか。それもあって、私はちょっと、この笑顔が気にくわない。
 「嘘じゃないってば。それより今日どこ行く? アイスでも食べに行こうよ」
 アイスの喩えを思い浮かべたからだろうか、無性にアイスが食べたくなってきた。のぼせて頬がかっかと火照るほど暖房の効いたお店の中で、溶けかけの柔らかなアイスを頬張りたい。これでもか、ってほどにごろごろチョコチップが入っていて、スプーンで表面を掬おうとすると必ずがつっとチョコチップに当たってしまうほどのやつ。
 「今日はほら、金曜日じゃない? 私今日無料でアイス貰えるの」
 しかも、ふたつも。内緒話をするように、口を寄せてそっと囁く。
 「あぁ、」
 茜くんが軽く頷く。
 「あれか、あの白い犬の」
 「そう、あの白い犬のスマホ」
 学生はふたつなんだ、と歌うように言って、頬に手を当てて悪戯っ子みたいに笑う。
 「そっか、いいな」
 「茜くんも食べようよ、おごるよ」
 「おごるって、ただなんだろ」
 口許を手で軽く抑えて、ひとしきりくすくすと可笑しそうに笑うと、困ったように首をかしげた。小柄な女の子みたいな可憐な仕草。かすみ草の清純な匂いが香ってきそう。
 「でも、無理だなぁ」
 「なんで? ……あ、」
 軽くぽんと手を叩いて、また、猫が甘えるように肩を擦り寄せる。
 「もしかして、今日もお仕事?」
 「そう、今日もお仕事」
 「神様もたいへんだね」
 まぁね、と茜くんが欠伸をしながら頷く。頷いてから、軽くこっちを睨んでみせた。眉根をぎゅっと寄せて睨んでるんだけど、目の奥は春の木漏れ日みたいにあたたかくて、口元は少し綻んでる。なんだかちょっと不思議な表情。
 「ってか俺、神様じゃないし」
 「でも神様がついてるんでしょ? 同じじゃない? 私は同じだと思うな」
 「そんないい加減なこと言ったらバチが当たるよ」
 「バチが当たるの?」
 「たぶん当たらないけど」
 なによそれ、とぎゅっと背伸びをして、彼の頬を指で突っつく。ふに、と柔らかいほっぺに触れられると思いきや、指先は、こつんと硬い骨にぶつかった。まぁ一応申し訳程度の筋肉と皮に覆われてるけど。でも所詮、骨は骨だ。私はそっと溜め息を吐いた。
 「……茜くん、ちゃんと食べてる?」
 「食べてるよ。俺、成長期だし」
 「うそ。だって痩せすぎだもの」
 「そうかなぁ」
 茜くんが自分のお腹をつまむ。ほら、ぜんぜん肉つかめてないじゃない。制服の布つかんだって意味ないんだからね。
 「茜くん、もうちょっと太らなきゃ。ってことでアイスクリーム食べようよ」
 「だから俺今日仕事なんだよ、さっき言ったけど」
 「知ってるよ、さっき聞いたもの。神社にいるんでしょ? アイスクリーム持ってってあげる」
 「えー悪いよ」
 「私がしたくてやってるからいいの」
 ね?と首を傾げて下から顔を覗きこむ。目を合わせて、にっこりと微笑んでみせた。彼の黒い瞳が、すっと横に滑る。
 「無理しなくていいんだよ」
 「無理なんかしてないわ」
 「ほんとに?」
 「もちろん」
 彼は顔を背けると、少し俯いて顎に手を当てた。床下で蠢くネズミ(たぶんそんなものはいない)を見透かすように、伏し目がちに床の辺りをじっと見つめている。
 「……じゃあ、お願いしてもいいかな」
 「お願いされました」
 手を後ろに組んで、にっと笑って見せる。
 「味はどうする?」
 「うーん、……何があるかよくわかんないし、お任せでいいよ」
 「了解、お仕事頑張ってね」
 「ん、じゃあまた」
 ひらり、と軽く手をあげてはにかむように微笑むと、茜くんは背中を向けた。そのまま、私から遠ざかっていく。線の細い背中が、小さくなっていく。
 私の柔らかな微笑みも、小さく熔けていく。
 大体の人が帰路について人気の少なくなった廊下に、傾きかけた日が差し込む。やや橙色がかったその光に、私は強く眉をしかめた。斜陽は嫌いだ。目の奥に焼き付いた疼きを思い起こさせるから。
 手を腰に当てる。額を抑えて、密やかに溜め息をつく。
 
 誰もいない廊下に、私の舌打ちが響き渡る。
 
 
 
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