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証人がいない
修道女が、ふと呟いた。
「……私はあの子が」
その声はとても小さかった。だが、はっきり聞こえた。
「とても怖かった」
マリアの手が止まる。侯爵も視線を向けた。修道女は窓の外を見ていた。遠いものを見るような目で。そして、ゆっくり言った。
「……あの子が泣くと、必ず誰かが罰を受けたのです」
部屋の空気が、すっと冷えたように感じられた。マリアの手はまだ机の上で止まっている。
「……罰?」
侯爵が静かに尋ねた。修道女は少しだけ視線を落とす。
「ええ」
そして、まるで昔の記憶を辿るようにゆっくりと続けた。
「最初は疑問にも思いませんでした。子ども同士の喧嘩、物が壊れる、誰かが叱られる。そんなことは、どこにでもありますから」
マリアは黙って聞いている。修道女は窓の外を見たままだった。
「ですが不思議なことに、いつも同じだったのです」
侯爵が短く聞く。
「何が」
修道女は答えた。
「シャリルンが泣いた後には必ず“誰かが悪者になる”」
マリアの胸がわずかにざわめく。修道女は続けた。
「ある子は、シャリルンを押したと言われました。
ある子は、食事を盗んだと言われました。
ある子は、意地悪をしたと言われました。
そして……」
ゆっくり息を吐く。
「その子たちはみな罰を受けました」
マリアがそっと聞く。
「……本当に、その子たちが?」
修道女はすぐには答えなかった。しばらくして、小さく首を振る。
「わかりません」
その目が少しだけ暗くなる。
「誰も、その場面を見ていなかったのです」
侯爵の視線が鋭くなる。
「証人がいない?」
「ええ」
修道女は頷いた。
「いつもシャリルンが泣いて“あの子がやりました”と言うだけ」
マリアの背筋に、ゆっくりと冷たいものが流れる。修道女は続ける。
「最初の頃は、皆あの子を可哀想だと思っていました。体も弱く、よく倒れて、泣き方も……」
少し言葉を探す。
「真に迫っていた」
侯爵が低く言う。
「信じてしまうほどに」
修道女は静かに頷いた。
「ええ、ですが……何度も続くうちに……私は気づいたのです」
マリアの喉がわずかに鳴る。修道女はゆっくり振り返った。その目には、はっきりとした恐れが残っていた。
「……あの子は……泣く前に」
ほんの一瞬、言葉を止める。
「必ず、周りを見ていたのです」
マリアの心臓が強く打った。侯爵も黙っている。修道女は続ける。
「誰が近くにいるか、誰が見ているか、誰が味方になるか……それを確かめてから」
小さく息を吐く。
「泣く」
「……私はあの子が」
その声はとても小さかった。だが、はっきり聞こえた。
「とても怖かった」
マリアの手が止まる。侯爵も視線を向けた。修道女は窓の外を見ていた。遠いものを見るような目で。そして、ゆっくり言った。
「……あの子が泣くと、必ず誰かが罰を受けたのです」
部屋の空気が、すっと冷えたように感じられた。マリアの手はまだ机の上で止まっている。
「……罰?」
侯爵が静かに尋ねた。修道女は少しだけ視線を落とす。
「ええ」
そして、まるで昔の記憶を辿るようにゆっくりと続けた。
「最初は疑問にも思いませんでした。子ども同士の喧嘩、物が壊れる、誰かが叱られる。そんなことは、どこにでもありますから」
マリアは黙って聞いている。修道女は窓の外を見たままだった。
「ですが不思議なことに、いつも同じだったのです」
侯爵が短く聞く。
「何が」
修道女は答えた。
「シャリルンが泣いた後には必ず“誰かが悪者になる”」
マリアの胸がわずかにざわめく。修道女は続けた。
「ある子は、シャリルンを押したと言われました。
ある子は、食事を盗んだと言われました。
ある子は、意地悪をしたと言われました。
そして……」
ゆっくり息を吐く。
「その子たちはみな罰を受けました」
マリアがそっと聞く。
「……本当に、その子たちが?」
修道女はすぐには答えなかった。しばらくして、小さく首を振る。
「わかりません」
その目が少しだけ暗くなる。
「誰も、その場面を見ていなかったのです」
侯爵の視線が鋭くなる。
「証人がいない?」
「ええ」
修道女は頷いた。
「いつもシャリルンが泣いて“あの子がやりました”と言うだけ」
マリアの背筋に、ゆっくりと冷たいものが流れる。修道女は続ける。
「最初の頃は、皆あの子を可哀想だと思っていました。体も弱く、よく倒れて、泣き方も……」
少し言葉を探す。
「真に迫っていた」
侯爵が低く言う。
「信じてしまうほどに」
修道女は静かに頷いた。
「ええ、ですが……何度も続くうちに……私は気づいたのです」
マリアの喉がわずかに鳴る。修道女はゆっくり振り返った。その目には、はっきりとした恐れが残っていた。
「……あの子は……泣く前に」
ほんの一瞬、言葉を止める。
「必ず、周りを見ていたのです」
マリアの心臓が強く打った。侯爵も黙っている。修道女は続ける。
「誰が近くにいるか、誰が見ているか、誰が味方になるか……それを確かめてから」
小さく息を吐く。
「泣く」
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