「お前が死ねばよかった」と言われた夜【新章スタート】

白滝春菊

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誰も後悔はしない

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 社交界に初めて顔を出したその日、周囲に溶け込むことができずにいた私は、華やかなミーティアお姉様に隠れるようにして彼女の後ろに従い、ただ黙って一歩引いた位置でその美しい背中を追うことに精一杯だった。
 お姉様が紹介してくれる貴族との出会いの瞬間にだけ、私を前に出してくれる。そこで言われた通りの姿勢で挨拶をする。その繰り返しの中で私はいつも一歩引いたまま華やかな世界をただ眺めているしかなかった。

「ユミル、私は少しだけ他の方と話があるからここで待っていてね?」
「わかりました……」

 ミーティアお姉様の声が私に届くと誰もいない壁際に移動した。そこに背を預けると私は周囲をじっと見回す。普段は外の世界に足を踏み入れることは少なく、屋敷の中で静かに過ごす日々。
 だからこうして自分とは異なる人々を見ることが新鮮だ。でも、ミーティアお姉様以外の人間と長く会話を交わした経験が少ない私は無意識のうちに「他人」という存在に線を引いている。お姉様がいない場所で誰かに近づくことができないのはもはや私の習慣のようになっていた。

「あら、貴女があのミーティア嬢の妹?」

 そんな私に声をかけてきたのは三人のご令嬢だった。目の前の私に対して興味深そうに視線を注いでいる。無理に笑顔を作ろうとするもミーティアお姉様が近くに居ないことに不安が膨れ上がった。

「……はい。ユミルリア・マーシャルと申します」

 名乗ると三人の令嬢は顔を見合わせる。

「ミーティア嬢に比べて、ずいぶんと地味な方ね」
「あら、悪く思わないで?お姉様とは違って、慎ましいというか……」
「それならあのエレノア嬢とも違って、ねえ……?」

 彼女たちは私を見て何も遠慮せずに言いたいことを口にする。ミーティアお姉様に比べたら私は地味で小さく、華やかさに欠け、弱そうで、まるで影のようだと。私自身が自覚をしているその言葉が痛いほど胸に刺さり、目を伏せると真ん中に立っていた黒髪の令嬢が私の頬を扇子で軽く叩いてきた。

「お姉様に負けないようにもっと素敵なドレスを着るべきじゃないの?これじゃあ、ただのお付き添い役だわ」

 ミーティアお姉様は気の弱い私が目立ちすぎないように気を使って控えめなデザインの服を選んでくれる。今、私が着ているのも私に似合うとお姉様が選んでくれた。決して安いものではない。しかし、黒髪の令嬢の言葉がそれを一瞬で貶めてしまった。お姉様が私のために選んでくれたドレスを……

「お姉様と比べて……恥ずかしくないのかしら?」

 彼女たちの嘲笑が耳に響き、積み重なるモヤモヤした感情がじわじわと広がっていく。それでも私は何も言えず、ただ黙って耐えるしかなかった。

「何が悪いか教えてやる」

 その時、突然、私と同じように少し離れていた所で壁の花になっていた男性が声を投げかけた。その声には厳しさと怒りが含まれている。
 私は驚き、その人を見上げると彼は黒髪の令嬢と私を嘲笑していた二人の令嬢に冷徹な眼差しを向けていた。

「ヴィ、ヴィクトル様……?」

 この人の名前がすぐに出てこない私とは違って、黒髪の令嬢はすぐに名前を口にすると顔を青ざめさせる。彼女だけじゃない。左右で私を見ていた二人の令嬢も青ざめた顔で彼から視線をそらしていた。彼が名前を呼ばれたことで周りがざわざわとし始める。

 社交界のことはほとんど知らない私だけど、きっとこの人は身分の高い人間なのは彼女達の反応から理解はできる。
 彼は軍服に身を包み、赤い髪が背中まで流れ、鋭いダークブルーの瞳が印象的だった。その姿はただならぬ威圧感を放ち、周囲の空気が一気に張り詰める。

「こいつらの態度と性格が悪すぎる。それに、下品で無礼極まりない」

 呆然としている私に彼は苛立ちを隠さずに黒髪の令嬢と左右から私をあざ笑う二人に鋭い眼光を向けていた。

「さっさと目の前から消えろ。目障りだ」

 ヴィクトル様はそのまま冷たい声で呟くと黒髪の令嬢たちは縮こまり、顔色を失ってその場から急いで立ち去っていった。私がその様子に戸惑っているとヴィクトル様は私の目の前に歩み寄ってくる。

「おい」
「は、はい……あの……」

 その一言で私はピンと背筋を伸ばした。ヴィクトル様の目は私を見据えており、その威圧感に言葉が詰まる。お礼を言わなければいけないのに逃げたい気持ちの方が強い。

「もっと胸を張れ。あんな奴らに怯えて縮こまっていると永遠に格下だと思われるぞ」

 その言葉に私は戸惑いながらもその意味を噛みしめた。ヴィクトル様の眼差しが冷たいのにどこか優しさを含んでいるようにも感じた。

「そんな顔をしても誰も後悔はしない」
「後悔……?」

 ヴィクトル様の言っているの意味がわからなくて私は彼の言葉を繰り返す。

「お前が苦しんでも奴らには理解できないということだ」

 ヴィクトル様は吐き捨てるように言ってから背を向けてどこかへ歩いて行ってしまった。その言葉は胸の中でこだまして耳鳴りのように響いている。

 こんなことを言われたのは初めてだ。嫌なことがあればミーティアお姉様に抱きしめられて頭を撫でて慰めてもらい、お父様やお母様達にはそんなの知らないと無視をされることばかりだったから、私に怒ってくれたのはヴィクトル様だけだった。

 その夜、私は寝室でひとり、ヴィクトル様のことを思いながら、なかなか眠れなかった。彼の長い赤色の髪と、鋭い青い瞳、凛々しい表情が頭から離れない。あの時から私は彼に憧れを抱くようになった。

 次に再会したのはヴィクトル様とミーティアお姉様の婚約が決まった後。

 ヴィクトル様が選んだミーティアお姉様は最もふさわしい選択であることもすぐに受け入れていた。お姉様は完璧で、美しく、賢く、誰もが憧れる存在。
 お相手がミーティアお姉様なら納得がいく、素敵すぎて勝てないから諦めが付く、失恋をしてしまったけどむしろ誇らしいと思えた。

 その後、私たちは顔を合わせる機会が何度かあった。

 婚約者として紹介されてからは顔を合わせても挨拶程度の形式的な会話を交わすだけで他の誰かの影に隠れるようにしていた。
 ヴィクトル様は私に目を向ける度に眉をひそめられることがあった。今にして思えばオドオドしている私の態度がヴィクトル様を不快にさせていたと思う。

 それからヴィクトル様がマーシャル家に来ると監視されているような気がして、彼が部屋を訪れる度に私は静かに自室に引きこもることが増えていった。
 ヴィクトル様の存在は私にとって禁忌のようなものになっていた。

 目を合わせることすらできず、心の中で押し殺した憧れが彼の顔を見る度に込み上げてくる。その感情がただの恋心だと認めることすら私には許されない気がしていた。

 ミーティアお姉様とヴィクトル様が幸せになるのが当然で私はそれを黙って見守るだけ。早くお姉様がヴィクトル様の家に嫁いで彼の顔を見なる時が来ればいいのに、そうすればこの思いも薄れていくから。そう期待しながら、その瞬間を待ち望んでいたはずだった。

 ◆

 私は一人、静かな部屋の中にいた。ベッドの中で横たわりながらぎ去った日々を思い返す。
 ヴィクトル様に言われた「そんな顔をしても誰も後悔はしない」と、あの言葉の意味を理解した私は命を投げることを止めた。

 私が死んだとしてもヴィクトル様は後悔しない。彼の心に私が残ることはなく、ただ一瞬のつまらない記憶として消えていく。
 それに一番生きたかったのはミーティアお姉様だ。このまま自害をすればミーティアお姉様に怒られてしまう。お姉様は命を大切にする人だった。
 私はヴィクトル様に愛されなくてもいい。私にできることを果たし、生きることを全うするのだ。彼の子供を産み、育てる。やるべきことを果たして天寿をまっとうしなければいけない。
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