「お前が死ねばよかった」と言われた夜【新章スタート】

白滝春菊

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愛されない日々

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 翌朝、ノックの音で目が覚めた。でも、寝た気がしない。けれど昨日の夜が夢ではなかったことはすぐに理解した。
 心は重く沈んでいたけどまだ少しは気持ちが整理されているような気もする。それでも胸の奥には深い淋しさが広がっている。

 部屋に入ってきたメイド達は何事もなかったように私を身支度させていった。鏡の前に座らされ、髪を丁寧に梳かされる。
 ピンク色の薄い生地のネグリジェを着ている自分の姿を見て昨日の出来事が現実であったことを改めて突きつけられた。足の裏の汚れも、バルコニーに出たことも、すべてが現実だと証明をしている。

「昨日は何もなかったようですね」

 ネグリジェを着せたあのメイドがクスクスと笑う。その笑い声の中に軽蔑や嘲りが隠れていることは簡単に察しがつく。無様で情けなく思えてきて、昨日あの夜着を断らなかった自分にさえ腹が立ってきた。

「何がおかしいのですか?」

 普段の私なら絶対に使わないような高圧的な言葉を口にするとメイドは一瞬にして黙り込んだ。その沈黙が私の心が冷たくなる。

「何も無かったとはどんな意味ですか? ミーティアお姉様が亡くなって、私も旦那様もそんな気分にはなれないのに」

 そう私が続けるとメイドは青ざめた顔をして自分の失言を後悔しているようでなんだか申し訳なくなってきた。

「も、申し訳ございません!その……夜分遅くに旦那様が奥様の寝室へ入っていくのをお見かけしたので……心配を……」

 彼女の言い訳を聞いて私は少し気を悪くしながらも何とも言えない切なさを感じた。

「ヴィクトル様はわざわざ心配をして会いに来てくれただけ」
「……はい、あの……その……」

 それは嘘。ヴィクトル様が私に心配をしてくれたなんてことは決してない。愛されているわけでもないのにそんな言葉を口にするのは愛されていないと知られると馬鹿にされてしまうから。

 ミーティアお姉様の真似をしてみたけれど誰かにこんなふうに接することがこんなにも疲れるものだとは思っていなかった。
 心臓が激しく鼓動し、胸の奥が痛い。これまでの私は何かに怯えて、静かに過ごすことで心を守ってきた。大人しく俯いていた今までの私はとても楽な方へと逃げていた。

 そして、ようやくダイニングルームへ向かう準備が整った。
 食事をするために向かう場所。ヴィクトル様の顔を見たくはない。話したくもないけれど避けることはできない。ここで私がそれを避けるような態度を見せたら今後の立場が悪化する。屋敷の静けさは空間をさらに広く感じさせ、私の歩く足音だけが静寂を破る。

 扉を開けてもらうと、目の前に現れたのは長い赤色の髪と鋭い青色の瞳を持つヴィクトル様だ。彼は一瞬だけ私を見て、眉をひそめる。

「……おはようございます。ヴィクトル様」

 ああ、言葉が震える。心の中で不安が渦巻く。必死に気丈に振る舞おうとしているが、声が震え、目を合わせるのが怖かった。

「…………」

 ヴィクトル様は無言で食事を進めている。私がここにいることすらどうでもいいというような態度だった。私は無理に会話を続けようとはせず、執事が私の席を引いてくれてそこに座った。
 目の前にはヴィクトル様が食べているものと同じ、フレンチトースト、サラダ、スープが並べられていた。

 食事を摂りながら私は自分が置かれた現実をしみじみと感じていた。ヴィクトル様と私の心の距離が昨日よりもさらに広がっていることが嫌というほど分かる。食事がこんなに苦痛になるなんて酷く贅沢な悩みだ。

 無理に口に運んだ食べ物の味はしない。飲み込むのも難しい。目の前に座っているのに心はどこか遠くにあるような気がして、立ち上がって逃げ出したい衝動に駆られた。

 それでもここで逃げたら私の立場がさらに悪くなるだけだとわかっている。私は必死に手を震わせながら食事を続け、なんとかそれを終わらせた。

 食事を済ませるとヴィクトル様は軍服に着替えて屋敷を出て行く準備を始めた。彼は軍人で将としての仕事がある。黒を基調とした軍服に身を包み、赤い髪がその姿を引き立てている。その姿を見て、怖がりながらも素敵だと感じる自分はどうかしている。

「行ってらっしゃいませ」

 私は妻として冷静に彼を見送る。ヴィクトル様は返事もせずに黙って馬車に乗り込み、馬車の扉が閉まると私はゆっくりと頭を下げた。
 馬車が動き出し、静寂が戻った瞬間、少しだけ心が軽くなる。彼が去った後、私はほんの少しだけやすらぎの世界に戻されたような気がした。

「……?」

 ふと気づくと屋敷の入り口には警備兵が立っていた。昨日、馬車に乗ってここに来るまでも過剰な人数の護衛の姿があったような?と私はふと思った疑問を胸に屋敷の中に戻った。

 自室の扉を開けて部屋に入るとガラス窓に近づいた。外の警備の様子を窺ってみるとやっぱり兵士の数が異常に多いのがわかる。公爵家の屋敷だからこその警備なのかな?

「あ、開かない……」

 バルコニーに続くガラス窓を開けようと試みたが昨日は開けられたのに南京錠がかかっていて開けることができなかった。たぶん私が食事を終えて見送っている最中に施された?でもその理由がわからない。

「まあ、いいか……」

 考えても答えは出ないだろうと私はベッドに倒れ込む。
 食事をして、見送っただけでこんなに心が疲れてしまうなんて……この生活に耐えきることができるのか不安になりつつも期待はしないで目的だけは忘れないように何度も何度も自分に言い聞かせるように繰り返していたのに

『お前が死ねばよかった』
「ひっ……」

 昨日、ヴィクトル様に言われた言葉が頭の中で響いた。胸が痛い、頭がくらくらする。このまま消えてしまいたい気持ちを抑えながら枕に顔を押し付けた。
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