「お前が死ねばよかった」と言われた夜【新章スタート】

白滝春菊

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無垢な疑問

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『ユミルはまだ子供だから勉強なんて必要ないのよ』
『こんな本、読んじゃダメよ。これはユミルにはまだ難しいと思うの』
『貴女はそのままでいいの』

 昔からミーティアお姉様から一方的に教わってばかりだった。私はずっと自分の意志で行動したことがない。
 親以上にお姉様はよく面倒を見てくれていた。お姉様が言うことなら間違っていないと思っていたから。
 二番目のエレノアお姉様と違って私は手のかかる子だとミーティアお姉様はずっと世話を焼いてくれた。

「お姉様……」

 ふと目を覚ましたとき、私は口に出してしまった。亡きミーティアお姉様の名前を。まだ夜が深い中で部屋には私しかいなかった。
 ベッドから抜け出し、窓の外を見つめると曇り空が広がっていて、月の光も見当たらない。
 まるで、私の心をそのまま映し出しているかのよう。庭の向こうには護衛が何人か見張りをしているのが見える。

 最近陛下と話をしたせいだろうか、またミーティアお姉様の夢を見たのは。
 あの優しい言葉をかけてくれた陛下の期待に応えたかったのに結局うまくいかなかった。死んでしまったお姉様にも申し訳なくてどうしても気持ちが整理できない。

 ふと本棚に目を向けるとそこに並ぶ本たち。私が読むことが許されているのはすべてお姉様が選んだものだけ。
 難しい本は「まだ読まなくていい」と言われ、つまらない童話ばかりを読まされていた。
 もう少し難しい本を読みたくても「我儘を言わないで」ってお姉様に説得され、私はいつも黙ってその言葉を受け入れていた。

 金は勝手に使えってヴィクトル様に言われたけれど私にはその自由もなかった。外出が許されなければ、何もできない。本当は会いたくないけど頼んでみようかな……

 ◆

 仕事に出かける準備をしているヴィクトル様の部屋に私はノックをしてから足を踏み入れた。部屋の中には嫌な空気が漂っている。
 ヴィクトル様の姿はいつも通りで黒い軍服に身を包み、整えられた長い赤髪が軍服の金の装飾と調和していた。威厳と冷徹さがひとつのオーラとなって彼の周りに渦巻き、その視線はまるで鋭い刃のように私に突き刺さる。

「買い物をしたいので外出の許可をいただきたいのですが」
  
 声をかけるとヴィクトル様は手を止めて私の方を向いた。その目は冷たい青色の瞳で無表情なまま私を見つめている。

「何を買う」
  
 その一言がまるで私を試すように投げかけられた。

「本を買いたいのです」  

 答えると少しの間をおいてヴィクトル様は一度眉をひそめて私を見つめた。その視線はあまりにも鋭くて、怖い。

「なんの本だ」
「社交界での立ち振る舞いやダンスの本……です」
  
 ヴィクトル様がほんの少し驚きの表情を浮かべたのが見えた。しばらく黙って私を見つめている。  

「今更なのか?」  

 ヴィクトル様が驚くのは仕方ない。普通の令嬢であれば子供の頃に教えられていることを私は学べなかったのだから。
 私には必要無いとミーティアお姉様は言って、講師も何も私にだけ付けてもらえなかった。今までは見よう見まねでギリギリやってこれたけどいつか失敗をして恥をかくのかもしれない。

「もう一度、見直したいと思いまして」
  
 私はぎこちなく言い訳をする。その言葉を口にすることで自分の弱さを感じた。ヴィクトル様は黙ったまま私を見つめていたが、やがてため息をつくと、口を開いた。

「外出は許可できないが使用人に買ってきてもらう。それまで待て」 
 「ありがとうございます」
  
 その一言に私は胸の中でほっと息をついた。社会勉強になるような本を手に入れることができる。私は心から感謝の気持ちを込めて頭を下げた。  

 ◆

 夜のことについてはどうしよう。三回目も無理だと言われる可能性が高い。いっそのことメイドに相談してみようか。恥ずかしくてたまらないけれど誰かに頼るしかない。

 その時、ふと思い出した。新婚初夜に私にネグリジェを着せて翌日には嘲笑していたメイドが最近見かけないことに気づいた。
 他のメイドに聞いてみると、「彼女はお暇をいただいて実家に帰りました」と教えてくれた。苦手な人と会わずに済むのは助かるけれど、何かが不意に終わってしまったような、そんな気がしてならなかった。

 私はすぐにそのことを忘れ、心を次の課題に向けることにした。それは、女性としての魅力をどう身につけるかということ。人生経験が豊富な年配のメイドに少しでも助言をもらおうと決めたのだ。

「メイド長。相談したいことが……」

 廊下で見かけたメイド長に声をかける。お母様と同じくらいの年齢で落ち着いた雰囲気を持つ。頼りになる雰囲気のある女性だ。

「どうされました?奥様の方からお声をかけていただくのは珍しいことですね?」

 メイド長は少し驚いた顔をして私を見つめる。その目には微かな驚きとともに、少しの好奇心が浮かんでいる。

「……夜のことについて、少し。女性としての魅力をどうやったら身につけるのか」

 私はその言葉を口にした瞬間、顔が熱くなるのを感じた。メイド長が唇を手で押さえて黙り込む。彼女の深い思索の後にようやく静かな声が響いた。

「殿方が喜ぶようなことをされるとよいでしょう」
「喜ぶこと……」

 それがわかれば苦労はしてない。ミーティアお姉様だったら何をするのだろうか。お姉様はそういったことは何も教えてはくれなかった。私は何も知らないままだった。
 ヴィクトル様に聞くことができたら何か答えを得られるかもしれないけどそれは私にとってあまりにも無謀な気がする。ヴィクトル様は私が思うような女を望んでいないことを理解しているから。

「わからないで教えて欲しいのです」

 恥ずかしさを押し殺してようやくその一言を口にするとメイド長は私の手を優しく握り、穏やかに微笑んでくれた。

「同じ殿方に聞くのが一番ですわ」

 メイド長の言葉に私は目を見開いた。まさか、他の男性に聞けというのだろうか? 
 それは私にとってあまりにも途方もないことのように思えた。今でさえ他人と話すことでも極度に緊張してしまうのに。

「そんなの無理です」
「ですが、旦那様に喜んでいただきたいでのしょう?」

 それを言われると何も言えないし、ヴィクトル様が喜んでくれないと子供を作れない。
 何もせずにヴィクトル様を待っているだけでは私の望む未来には一歩も近づけない。

「頑張ってみる価値はありますわ」

 メイド長はそう言って、私の背中を軽く押すようにして励ましてくれた。私はただその言葉を胸に刻み込むしかなかった。

 その後、私は心を決めて、他の男性使用人たちに少しでも何かを聞き出してみることにした。
 普段から会話を交わしたこともない使用人たちに対して、こんな質問をすることがどれほど恥ずかしいことか、私の心臓はまるで飛び跳ねそうだった。

 一人、また一人と、顔を真っ青にしながら尋ねる私を見て、使用人たちの多くは答えを躊躇する。
 絶対に答えないと決めた人もいれば「絶対に旦那様には言わないでください」と口約束を交わしてから、しぶしぶ教えてくれる者もいた。その度に私は顔を赤らめ、何度も頷きながらその情報を必死で受け取った。

 他人と話すことがほとんどない私にはこの行為がまるで命を削られるようなものに思えた。それでも何とか数日を掛けて男性が好む女性の特徴を少しずつ手に入れることができたような気がする。
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