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16 誰がためにクッキーを焼く?
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「成程な…。これを王宮シェフに渡すつもりだったのか…」
お茶会用に美しく整えられたテーブルには、温かな紅茶と、焼きたてのアップルパイやコンフィチュールが湯気を立てて美味しそうに並んでいる。
そのテーブルにつきながら――何故か目の前に置かれた私の手作りクッキーを凝視するディミトリ殿下とシャルル様が怖い。
「あの…先ほども説明しましたが、ルイスが最近、食欲不振だと聞いたので彼の為にクッキーを焼いたんですよ。それで…以前ドルディーノ子爵の件でお世話になったジアンさんとレシピをくれた王宮シェフにもお礼をと思っただけで…」
「へぇ…お礼だからジアンにも手作りを焼いたのか…」
何で彼にこんな言い訳をしなければならないのか、理由がさっぱりわからない。
ディミトリ殿下の呟く声もどんどん機嫌が悪くなっていくのが手に取るようにわかる。
(もしかして、自分の使用人に変な物を食べさせようとしたと思って怒っているの?王宮内に食べ物を持ち込むのは何か規定があるのかしら)
アーデルハイド王国の王位継承権第一位であるディミトリ殿下が口にする物には毒味が必要なのかもしれない。
そう考えると、彼の住む王宮内に食べ物を持ち込むのには何らかの規制があっても不思議では無いだろう。
「あの…もしかしたら王宮内に勝手に食べ物を持ち込むのは不味かったのかな?何か手続きが必要だとか…」
私の疑問に片眉を上げると、ディミトリ殿下は「いや、別に?」と素っ気なく答えた。
「確かに以前、私の気を引くために貴族の令嬢が手作りの菓子やケーキを持ち込んだことがあった。それらには“薬”が仕込まれていたから私は口にせず、全て廃棄したのだが」
王太子殿下の毒殺を企んだ者がいたのだろうか。恐ろしい話だと身震いしていると、怪訝そうな顔でこちらを見ている。
「言っておくが、私は暗殺の危険を避けるために昔から微弱な毒を服用しているんだ。今では耐性もついているからその辺で手に入るような毒物では死ぬことは無い」
いくら毒殺される危険があるとはいえ、幼い頃から進んで毒を飲んでいるなどカールには想像もできない。
(王位継承者というのは大変なんだな…。ずっと命を脅かされ続けて生きていくなんて私には耐えられそうも無いわ…)
「それ程に恐ろしい思いをされたのであれば、余計に手作りのお菓子を持ち込むのは不味かったですね。今度は申請してから持ち込むようにします」
今後ルイスの為に作るお菓子は許可を得てからにしようとため息を吐くと、何故かムッとした顔で「誰の為に持ち込むつもりだ?」と尋ねられた。
「?…ルイスと約束したので…。ああ、それと王宮シェフ用のクッキーは既にあげられる状態ではないので、次回もう一度焼いてきます」
そう言って目の前に置かれたクッキーを仕舞おうと手を伸ばすと、何故かクッキーが手の届かない場所へ移動されてしまう。
「これの行き先が無くなったのなら私が貰ってしまっても良いだろう?捨てられてしまう哀れなクッキーを私が救ってあげよう」
意地の悪そうな顔で微笑むディミトリ殿下を思い切り睨みつける。元はと言えば彼が数枚食べてしまったせいであげられなくなったのではないか。
「結構です。王太子殿下のお腹に入る食べ物はお毒味が必要でしょう?変な物を食べさせたと無実の罪で拘留されても困りますから返して下さい」
「嫌だね。これは私が貰ったのだから食べる権利があるだろう?」
「あげた覚えはありません。こんな貧相な物より、王宮シェフが作った美味しそうなアップルパイも甘そうなコンフィチュールもありますよ?安全安心なこちらを召し上がって下さい」
アップルパイの皿を差し出しても、ディミトリ殿下は頑なにクッキーの包みを返そうとしない。何をそんなに意固地になっているのだろう。
「もし、そのクッキーに“薬”が仕込んであったらどうするおつもりですか?先ほど口にしてしまったのだから、そろそろ毒がまわってくるかもしれませんよ?」
勿論そんなものを入れる訳は無いのだが、意趣返しに呟いた一言が面白かったのかディミトリ殿下は笑顔を浮かべた。
「へぇ?カールは私に“薬”を使いたいと思っているという事か?お前がそんなに私の事が好きで堪らないとは知らなかった」
(ディミトリ殿下は何を言っているのよ?毒が入っていると言ったのを、そう解釈するものかしら…?)
「それはもちろん冗談ですが、むやみやたらに信用して私の手作りを食べるのは危険だと申し上げたかっただけです。さっさと返して下さい」
「本当にカールはお馬鹿さんだな。先ほどの貴族令嬢に盛られた薬が、毒殺用の薬だとでも思っているのか?」
それ以外に無いだろうと、無言で頷くとシャルル様やジョゼル様までクスクス笑っている。
「貴族令嬢は私と恋仲になる為に、菓子の中に“媚薬”を仕込んでいたんだよ。かなり強力な物を入れていたみたいで、数滴でそういった気分になってしまうというのだから恐ろしい話だろう?王族を誑かそうというのだからな」
(…媚薬…?以前、閨教育の中で聞いたことがあるわ。確か男女の睦み合いに使用する薬だと…)
漸くその意味に気が付くと、一瞬で顔が沸騰した様に火照って激しい動悸が止まらなくなる。
「そ・そそ、そんな物を入れる訳が無いでしょう⁈私たちは男同士なのに、そんな物を入れてどうするって言うんですか‼」
「アハハ…顔が真っ赤だよ、カール。私は本当に媚薬を盛られたことが何度もあるんだよ。それもご令嬢だけではなく、男性貴族からも何度もね」
怖っ‼ディミトリ殿下ぐらい美しければ、老若男女を問わず虜にしてしまうのかもしれないが、薬で無理やり手籠めにしようという発想がそもそも恐ろしい。
(そう言えばドルディーノ子爵みたいな輩もいるし、意外と身近に変態はいるのかもしれないわね…)
「もう…そんなことばっかり言うんでしたら、クッキーはディミトリ殿下ではなく、別の方に食べて頂きます。もし甘い物がお嫌いでないのなら、シャルル様やジョゼル様に毒味して貰えば安心ですし、それならば文句も無いでしょう?」
ため息交じりに言った言葉に併せて、シャルル様とジョゼル様はディミトリ殿下の傍まで行くと、包みの中からクッキーを取り出して“ひょいっ”と、自分の口に放り込んでしまった。
「中々に素朴な味わいで美味しいですよ。中に入っているウォールナッツが特に味わい深いです」
「へぇ…菓子なんて甘ったるいだけだと思って敬遠していたけれど、これは上手いな」
シャルル様とジョゼル様に口々に褒められると悪い気はしない。
しかしディミトリ殿下だけは憮然とした様子を見せた。
「私の物を勝手に食べるな。なんと手癖の悪い…」
いや、お前が言うなと言いたい。
それは元々王宮シェフの為に作った物で、ディミトリ殿下の為のお菓子では無いのだが。
更に手を伸ばす二人を睨みつけると、クッキーの包みを仕舞ってしまう辺りも大人げないと思う。
「ディミトリ殿下のケチ‼カールが俺たちに毒味して欲しいと言ったんですよ?」
「全くです。殿下は先ほど二枚も食べていたでしょう?」
「一枚食べれば、毒味は十分だろう‼残りは私が食べる」
「横暴だなぁ…そんなことをやっていると将来は暴君だと言われますよ?」
「クッキーぐらいでそんな訳があるか‼お前たちはテーブル上の菓子を食べろ」
…本当に何でこんなクッキーの一枚や二枚でじゃれ合うのか判らない。
きっと幼馴染という関係が気安いから歯に衣着せぬ物言いが出来るのだろう。
「…また今度クッキーを焼いてきます。今度は皆さんの分も用意しますから喧嘩しないで下さいね」
結局、ため息を吐きながらも私はそう言う事しか出来ないのであった。
お茶会用に美しく整えられたテーブルには、温かな紅茶と、焼きたてのアップルパイやコンフィチュールが湯気を立てて美味しそうに並んでいる。
そのテーブルにつきながら――何故か目の前に置かれた私の手作りクッキーを凝視するディミトリ殿下とシャルル様が怖い。
「あの…先ほども説明しましたが、ルイスが最近、食欲不振だと聞いたので彼の為にクッキーを焼いたんですよ。それで…以前ドルディーノ子爵の件でお世話になったジアンさんとレシピをくれた王宮シェフにもお礼をと思っただけで…」
「へぇ…お礼だからジアンにも手作りを焼いたのか…」
何で彼にこんな言い訳をしなければならないのか、理由がさっぱりわからない。
ディミトリ殿下の呟く声もどんどん機嫌が悪くなっていくのが手に取るようにわかる。
(もしかして、自分の使用人に変な物を食べさせようとしたと思って怒っているの?王宮内に食べ物を持ち込むのは何か規定があるのかしら)
アーデルハイド王国の王位継承権第一位であるディミトリ殿下が口にする物には毒味が必要なのかもしれない。
そう考えると、彼の住む王宮内に食べ物を持ち込むのには何らかの規制があっても不思議では無いだろう。
「あの…もしかしたら王宮内に勝手に食べ物を持ち込むのは不味かったのかな?何か手続きが必要だとか…」
私の疑問に片眉を上げると、ディミトリ殿下は「いや、別に?」と素っ気なく答えた。
「確かに以前、私の気を引くために貴族の令嬢が手作りの菓子やケーキを持ち込んだことがあった。それらには“薬”が仕込まれていたから私は口にせず、全て廃棄したのだが」
王太子殿下の毒殺を企んだ者がいたのだろうか。恐ろしい話だと身震いしていると、怪訝そうな顔でこちらを見ている。
「言っておくが、私は暗殺の危険を避けるために昔から微弱な毒を服用しているんだ。今では耐性もついているからその辺で手に入るような毒物では死ぬことは無い」
いくら毒殺される危険があるとはいえ、幼い頃から進んで毒を飲んでいるなどカールには想像もできない。
(王位継承者というのは大変なんだな…。ずっと命を脅かされ続けて生きていくなんて私には耐えられそうも無いわ…)
「それ程に恐ろしい思いをされたのであれば、余計に手作りのお菓子を持ち込むのは不味かったですね。今度は申請してから持ち込むようにします」
今後ルイスの為に作るお菓子は許可を得てからにしようとため息を吐くと、何故かムッとした顔で「誰の為に持ち込むつもりだ?」と尋ねられた。
「?…ルイスと約束したので…。ああ、それと王宮シェフ用のクッキーは既にあげられる状態ではないので、次回もう一度焼いてきます」
そう言って目の前に置かれたクッキーを仕舞おうと手を伸ばすと、何故かクッキーが手の届かない場所へ移動されてしまう。
「これの行き先が無くなったのなら私が貰ってしまっても良いだろう?捨てられてしまう哀れなクッキーを私が救ってあげよう」
意地の悪そうな顔で微笑むディミトリ殿下を思い切り睨みつける。元はと言えば彼が数枚食べてしまったせいであげられなくなったのではないか。
「結構です。王太子殿下のお腹に入る食べ物はお毒味が必要でしょう?変な物を食べさせたと無実の罪で拘留されても困りますから返して下さい」
「嫌だね。これは私が貰ったのだから食べる権利があるだろう?」
「あげた覚えはありません。こんな貧相な物より、王宮シェフが作った美味しそうなアップルパイも甘そうなコンフィチュールもありますよ?安全安心なこちらを召し上がって下さい」
アップルパイの皿を差し出しても、ディミトリ殿下は頑なにクッキーの包みを返そうとしない。何をそんなに意固地になっているのだろう。
「もし、そのクッキーに“薬”が仕込んであったらどうするおつもりですか?先ほど口にしてしまったのだから、そろそろ毒がまわってくるかもしれませんよ?」
勿論そんなものを入れる訳は無いのだが、意趣返しに呟いた一言が面白かったのかディミトリ殿下は笑顔を浮かべた。
「へぇ?カールは私に“薬”を使いたいと思っているという事か?お前がそんなに私の事が好きで堪らないとは知らなかった」
(ディミトリ殿下は何を言っているのよ?毒が入っていると言ったのを、そう解釈するものかしら…?)
「それはもちろん冗談ですが、むやみやたらに信用して私の手作りを食べるのは危険だと申し上げたかっただけです。さっさと返して下さい」
「本当にカールはお馬鹿さんだな。先ほどの貴族令嬢に盛られた薬が、毒殺用の薬だとでも思っているのか?」
それ以外に無いだろうと、無言で頷くとシャルル様やジョゼル様までクスクス笑っている。
「貴族令嬢は私と恋仲になる為に、菓子の中に“媚薬”を仕込んでいたんだよ。かなり強力な物を入れていたみたいで、数滴でそういった気分になってしまうというのだから恐ろしい話だろう?王族を誑かそうというのだからな」
(…媚薬…?以前、閨教育の中で聞いたことがあるわ。確か男女の睦み合いに使用する薬だと…)
漸くその意味に気が付くと、一瞬で顔が沸騰した様に火照って激しい動悸が止まらなくなる。
「そ・そそ、そんな物を入れる訳が無いでしょう⁈私たちは男同士なのに、そんな物を入れてどうするって言うんですか‼」
「アハハ…顔が真っ赤だよ、カール。私は本当に媚薬を盛られたことが何度もあるんだよ。それもご令嬢だけではなく、男性貴族からも何度もね」
怖っ‼ディミトリ殿下ぐらい美しければ、老若男女を問わず虜にしてしまうのかもしれないが、薬で無理やり手籠めにしようという発想がそもそも恐ろしい。
(そう言えばドルディーノ子爵みたいな輩もいるし、意外と身近に変態はいるのかもしれないわね…)
「もう…そんなことばっかり言うんでしたら、クッキーはディミトリ殿下ではなく、別の方に食べて頂きます。もし甘い物がお嫌いでないのなら、シャルル様やジョゼル様に毒味して貰えば安心ですし、それならば文句も無いでしょう?」
ため息交じりに言った言葉に併せて、シャルル様とジョゼル様はディミトリ殿下の傍まで行くと、包みの中からクッキーを取り出して“ひょいっ”と、自分の口に放り込んでしまった。
「中々に素朴な味わいで美味しいですよ。中に入っているウォールナッツが特に味わい深いです」
「へぇ…菓子なんて甘ったるいだけだと思って敬遠していたけれど、これは上手いな」
シャルル様とジョゼル様に口々に褒められると悪い気はしない。
しかしディミトリ殿下だけは憮然とした様子を見せた。
「私の物を勝手に食べるな。なんと手癖の悪い…」
いや、お前が言うなと言いたい。
それは元々王宮シェフの為に作った物で、ディミトリ殿下の為のお菓子では無いのだが。
更に手を伸ばす二人を睨みつけると、クッキーの包みを仕舞ってしまう辺りも大人げないと思う。
「ディミトリ殿下のケチ‼カールが俺たちに毒味して欲しいと言ったんですよ?」
「全くです。殿下は先ほど二枚も食べていたでしょう?」
「一枚食べれば、毒味は十分だろう‼残りは私が食べる」
「横暴だなぁ…そんなことをやっていると将来は暴君だと言われますよ?」
「クッキーぐらいでそんな訳があるか‼お前たちはテーブル上の菓子を食べろ」
…本当に何でこんなクッキーの一枚や二枚でじゃれ合うのか判らない。
きっと幼馴染という関係が気安いから歯に衣着せぬ物言いが出来るのだろう。
「…また今度クッキーを焼いてきます。今度は皆さんの分も用意しますから喧嘩しないで下さいね」
結局、ため息を吐きながらも私はそう言う事しか出来ないのであった。
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