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17 何で皆クッキーに執着するのだろう?

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「…何でこんなことに…」

 真夜中の厨房はひっそりと静まり返っている。
 何故私がこんな夜更けにクッキー生地をこねているのかを説明すると、全部ディミトリ殿下のせいだとしか言いようがない。

「ねえ、カール。今度こそ私だけの為にクッキーを焼いてくれるかい?」

 ディミトリ殿下は完璧なプリンススマイルを浮かべて私にそう強請ったのだ。

「…そう言う台詞はご令嬢を相手に言うものですよ。それに材料費だってかかるので、また気が向いたら焼くことにしますね」

 彼の為にクッキーを焼こうという気持ちはこれっぽっちも無かったので、体のいい断り文句を述べたつもりが、いざ邸宅に帰ってみると“王宮から配送を頼まれた”という王都の食料品店から食材が大量に届いていたのだから彼の行動力には呆れるしかないだろう。

 以前、偉そうに“クッキーなんか王宮から好きなだけ持って帰れ。そんな物の作り方を知るくらいなら貴族令息として必要な知識を学べ”と言っていたのは誰だったのか…。

 あまりにも大量の食材だったので、食料品店の主に余剰分は持って帰ってくれと頼んだにもかかわらず『既にお代を頂戴していますから』と拒否されてしまったことにも、ほとほと困り果てた。
 小麦粉や、砂糖ならば長期保存できるが、卵や牛乳は新鮮なうちに使い切らなくては、無駄になってしまう。自分が支払っていないとはいえ、生産している農家や酪農家の気持ちを考えるとどうしても廃棄するのは嫌だった。

 だから、その場で食料品店の主に頼み込むと、後ほど余分な食材を王宮へと馬車で届けてくれるように依頼した。
 そして、自らも王宮へ取って返すとディミトリ殿下のいる執務室へ向かい『過剰な食材の購入は税金の無駄遣いであり、王室を支えてくれる国民の気持ちを踏みにじる行為だと思います』と、ついうっかり…声を荒らげてしまったのだ。
 ――ディミトリ殿下の胸倉を掴みながら…。

「カール、君の邸宅に食材を手配したのは確かに私だし、それが多すぎたのなら謝ろう。だが、この体制は些か問題があると思わないか?」

 そう言われてやっと自分の行動の不味さに気が付いたのだから、我ながら頭に血が上っていたと言わざるを得ない。
 すぐさま、ジアンの指示で、王宮の厨房に食料品が届けられたので廃棄することなく、食料品は無事に使用されることが決まったのだが、目の前のディミトリ殿下の胡散臭い笑顔を見るに、私が彼を罵った問題はどうやら解決してはいないようだと悟った。
 そろそろと手を離して身を翻そうとしたカールの腕を掴むとディミトリ殿下がニッコリ笑いながらこう告げてきたからだ。

「カールがこちらへ届けてくれた食材を使った料理をディナーで出してもらおうか。無駄や廃棄が嫌いな君であれば、残さず食べていくだろう?」

 そう言われて帰れるわけもなく、既にシャルル様もジョゼル様もいない室内では、誰の助けもあてに出来ず、執務を熟すディミトリ殿下の傍で、カールは夜遅くまで書類整理を手伝わされる羽目になった。

 おかげで、邸宅に戻って来れたのはかなり遅い時間で、ディミトリ殿下には『王宮に部屋を用意するから今夜は泊って行け』と言われたのを振り切るようにして帰ってきたのだ。

(…王宮に泊まって、もし私が女性だとばれたら大事になるもの…。思い付きで言い出すのは本当に止めて欲しい…)

 精神的には疲労困憊していたが、王宮に引き留めるのを振り切るために『どうしても今日中にディミトリ殿下の為にクッキーを作りたいんです』と言い張って帰ってきた以上、作らない訳にはいかない。――そして今、死にそうな顔をしてクッキーを焼いているという訳だ。
 手伝いを申し出てくれたリリーのおかげで、粉を振るったり、ドライフルーツを刻んだりする手間はかなり減ったけれど、どうしてもぼやくのを止められない。

「王太子殿下は世間一般では、柔和で誰にでも分け隔てない完全無欠のプリンスだと評判ですのに、カール様にだけは甘えん坊になるんですねぇ」
「…あんなの子供の我が儘と一緒だよ。最初に自分を優先してくれなかったから、駄々を捏ねているだけ。どう考えても王宮シェフが作ったお菓子の方が美味しいに決まっているじゃないか」

 大体、側近に甘える王太子殿下って何だ?甘えるのは婚約者とか、自分の母親だけにして貰いたい。

「カール様の手作りだから食べたいんですよ‼きっと王太子殿下はカール様の事がお好きなんですわ」

(またリリーの夢物語が始まった…)

 リリーは王子様と結ばれる恋愛小説が大好きだ。それに“禁断の男色家の恋物語”とか“身分違いの秘密の愛”とかもおすすめだと言っていた。
 だから何でも恋愛に結び付けるけれど、そんな夢物語は現実には転がってはいないのだ。

「もう~…ディミトリ殿下の事はどうでも良いから、早くクッキーを作って休もうよ」

 叫ぶカールの声に「はいはい」と軽くいなすと、リリーは焼きあがったばかりのクッキーをオーブンから取り出したのであった。



 翌朝、クッキー作りのせいで、いつもより遅い目覚めになったカールの前に、フランツが現れた。

「こんな朝から訪問してゴメン。俺が王宮への登城が許可されたのかを知りたくて…」

 爽やかに笑顔を見せるフランツとは対極に、引きつった笑顔のカールは背中を冷たい汗が流れるのを止められない。
 勿論、私だって登城のことはディミトリ殿下やシャルル様に真剣にお願いしてみた。
 それなのに…“王宮は貴族の社交場ではないのです。気軽に友人を連れて遊びに来るのは駄目に決まっているでしょう⁈”とシャルル様からきつく叱られたのだ。

 フランツが子爵家の嫡男で、私たち双子の幼馴染だから怪し気な人物では無いということもかなり強調したつもりだ。
 それなのに『もう貴方は王太子殿下の為に将来はお役に立つことを考えるべき時期でしょう。いい機会ですからその男とは縁を切られては如何ですか?』とまで言われる始末。
 こんなことをフランツにどう伝えれば良いというのだろう?

 客間へ通すと、ニコニコと機嫌のいいフランツにモーニングティーを勧める。
 朝摘みのハーブティーで少しでも彼の心を癒そうという作戦だ。

「フランツ…せっかく来てもらったんだが、その…王宮に紹介も無しに一貴族が入り込むのは駄目だと断られてしまって…」

 私の言い淀む姿に「やっぱりなぁ…」と俯くフランツがせつない。

「どうせ駄目だとは思っていたんだ。でも一縷の望みをかけていたから…」

 そんなにもルイスのことを心配してくれていたなんて…心の友よ‼と感動しかけたものの、フランツにはルイスの病名を伝えていなかったことにようやく気付いた。

(…どうしよう…フランツには本当の事を告げるべき?)

 でも、この幼馴染はルイスの事を好きすぎてあんな辺境の領地にまで通ってくるような男なのだ。もしルイスが不治の病だと知れば、後追い自殺を考えても不思議ではない。
 ルイスの病気が“聖魔力欠乏症”という不治の病であることや、現状では治療薬が無い事を考えてみても、フランツに話して無駄に心配させるのは得策では無いだろう。

(様子を見て、何か治療の手立てが見つかってから話せばいいか…)

 彼にお茶のお替わりを勧めながら、心の中で謝っていると、不意にリリーが「フランツ様は甘い物はお好きですか?」と話題を変えてくれた。

「俺はそんなに甘い物は得意では無いんだが…」
「丁度カール様がお作りになったクッキーがございますのよ?お茶うけに如何かと…」
「勿論いただこう。いやぁ、甘い物が食べたいと思っていたところなんだ」

 …何この会話…?ちなみに、フランツは甘い物がそんなに好きではない事は、我が家では既に周知に事実である。

「王宮にご招待することが叶わないのでせめてものお詫びにと、カール様がフランツ様の為だけに焼き上げたクッキーですわ」

 そう言いながらクッキーを運んでくるリリーのあざとさに驚愕する。
 いやいやいや、フランツが今日来るなんて私が知るはず無いだろう?何でこんな簡単に騙されるんだ…。

「カール、気にしないでくれ。俺はこうやって時々お前の顔を見て話せればそれで満足なんだからさ」

 クッキーを口に放り込みながら、幸せそうに咀嚼するフランツはどうやら機嫌が治ったようだし“まあ良いか”と、私はハーブティーを飲み干したのだった。
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