七月の夏風に乗る

白野よつは(白詰よつは)

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■8.大丈夫、きっと全部上手くいきます ◆箱石ひらり

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「ていうか、浅石君でもマジで風邪とか引くんだ……?」
 思わず本音をダダ漏らしてしまい、ひらりは慌てて口元を手で押さえた。しかし当然、もう後の祭りで、景吾はこらえきれずにプッと吹き出し、「……いや、その原因って私なんだよね」と気まずい笑みを作るなずなも、どこかまだ信じられないといった様子だった。
 放課後の生徒会室には、いつものメンバーが揃っていた。それぞれに部活もある中、副会長の景吾をはじめとした三年の生徒会役員、二年の役員の出席率も高い。
 風邪を引いて休んでいるという話は、野球部部長の佐々木や、なずなや中島、小田島愛からそれぞれ聞いてはいたし、実際に佑次のクラスに顔を出しても彼の姿は見えなかった。けれど、なずなと同じで、ひらりもまだどこか信じられない気持ちが大きい。
 今朝、三日ぶりにマスク姿の佑次を見ても、なずなからその理由を聞いても、どうしても冒頭の台詞に戻ってしまうのだ。どれだけひらりは佑次に対して〝いつでも元気〟というイメージを持っていたのだろうか。しかしひらりには、佑次を表す言葉は〝頑健〟くらいしか思い浮かばない。しかもそれが崩れたとなれば、驚くのも致し方ないことだった。
「あ、でも、今日から学校来てるんだよね? ここ最近、ずっとビラ配りしてたから、その声がないとなんだか炭酸が抜けたサイダーみたいな感じっていうか、ちょっと落ち着かなかったし……なにはともあれ、二日休んだだけで学校に来れてよかったよね!」
 気を取り直すようにして言うと、景吾となずなも頷く。
「今日はさすがにビラ配りはしないみたいだけど、放課後に生徒会室に集まるぞって声かけたら、ガラガラ声で『お~、行く~』ってさ。もうすぐ来るんじゃない?」
「うん。それに、私のせいで風邪引かせちゃったから、ちゃんと謝っておきたいし」
「そっか。まだ言ってないこともあるしね。早く驚かせたいよね」
 なんだかんだ、いつの間にかリーダー的存在になっていた佑次の欠席によって二日ほど中断せざるを得なかったが、今日からまた通常運転だ。活気が増えるし、精神的にも安定する。それに、驚かせたくてまだ佑次には言っていないが、この二日で変わったことが三つもある。ひらりたちの視線は、誰からともなく生徒会室の扉へと集まっていった。
 変わったのは、なずながまた生徒会室に顔を出してくれるようになったことと、部長として吹奏楽部に戻ったこと、それと辞退の申し出を正式に取り消してくれたことの三つだ。
 佑次はどれもひどく気にしていたが、そんな矢先に風邪を引いてしまった。休んでいる二日間は相当やきもきしていたことだろう。無念と言い換えてもいいかもしれない。少しずつ快方に向かっていると聞く綿貫先生のときのように、道半ばで離脱せざるを得ない状況下にあったのだから、その気持ちは想像するに容易かった。
 なずなは部に戻ったことを、ぶすっとした顔で「浅石君のせい」とだけ言い、詳しいことは話してくれなかった。が、ひらりにもその顔になる気持ちはなんとなく覚えがあるので、「ああ~……」と相づちを打つに留めておくことにした。
 それ以来、なずなの様子が微妙に変わったように思う。どういう手腕を使って彼女を心変わりさせたのかはわからないが、佑次には不思議と相手の気持ちを変えさせる力がある。あれだけ乗り気じゃなかったひらり自身も今ではすっかり佑次の味方になっているのだから、その力は折り紙付きだ。
 それにしても、と生徒会室で佑次を待ちながら、ひらりは思う。
 浅石佑次という男は台風のような男だな、と。
 好き勝手に暴れまくって周りを混乱させるが、ふと気づけばいつの間にか台風の目の中に手を引かれていて、ひとたびそこに入ってしまえば、どれだけ混乱させられていたかも忘れてしまうほどに心は凪ぎ、ついつい手を貸してあげたくなる。
 なずなもきっとその口なのだろう。聞けば、辞退の申し出をしてきた中島も、佑次のことを「クソ野郎」と褒めていたと言うし、佑次が休んだこの二日間だって、景吾もどこか寂しそうに「ほんっと浅石って、そういうとこな」とぼやいてもいた。
 なんだかんだ浅石佑次を好きなのは、どうやらひらりだけではないようだ。本人不在でも周りが放っておかない人なんて、探してもそうそういるものじゃないと思う。
「ごめん~、ちょっと遅くなった」
 そうこうしていると、やっと主役がやってきた。まだ悪寒がするのだろう、今日は梅雨の晴れ間だというのにワイシャツの上にカーディガンを羽織った佑次は、日頃のビラ配りに加えて風邪でますます枯れた声を苦しそうにマスク越しに出し、生徒会室の扉を開けた。
 わっと佑次の周りを取り囲んだりはしないが、三日ぶりに佑次の顔を見られたひらりたちの表情に安堵と活気の色が浮かぶ。佑次はそんな中からなずなの姿を目にすると、
「よかった、西窪は風邪引いたりなんかしてなくて」
「……なっ、あ、当たり前でしょ。持ってきた傘を置いてったんだから」
「うん。でも、もしものこともあるからさ。元気でよかった。で? なんで西窪も?」
 なずなが赤面してしどろもどろになっているのも気づかず、ひらりのほうを向いた。
「あー、うん。なんと喜ばしいことに、西窪さんが部に戻ることになって、辞退の申し出も正式に取り消してくれたんだよね。中島君も超やる気でさ、嬉しいことばっかりだよ」
 あああ、頑張れ西窪さんんん~……。歯痒い思いを募らせながら、聞かれたので仕方なく答える。嬉しいことが重なって声も表情も自然と明るくなるはずなのに、なずなの心中を思うと、あまりキャッキャした声は出しにくいのはなぜだろう。それは景吾も同じようで、ちらりと佑次を見ると、無言でノンフレームの眼鏡を押し上げている。
 鈍感も過ぎると逆に嫌味だと、なにかの漫画の台詞で読んだ気がするが、部外者ながら、ひらりの気分はまさしくそれである。空気が読めない佑次に肩透かしを食らわされた気分で、なかなかどうしてテンションが上がらない。むしろダダ下がりである。
「……え? なんでそんなテンション低いの?」
 きょとんとした顔で佑次が首をかしげる。病み上がりなので目がとろんとしていて、今にもまぶたがくっついてしまいそうだ。まだ万全じゃないなら無理して出てこなくてもよかったのにと思う一方で、無理をしてでも出てきてくれて嬉しい気持ちが重なる。ひらりはちらりとなずなに目をやり、次いで佑次に微苦笑を漏らすと、
「ううん、なんでもないよ。吹部も味方になってくれたことだし、残すはラスボス教頭! 早く次の作戦立てて、月末までには楽器購入の予算を勝ち取ろうー! おー!」
「お? おおう?」
「ほらほら、浅石君もみんなも席について。さっそくやるよ!」
 無理やりテンションを上げて場を一掃することに努めた。
 それはそうと、男子の景吾だってなんとなく察しているのに当人がまったく気づいていないというのもなかなか問題なのではないだろうか。だからあんたのせいだよ、とは、ややこしくなるし目もとろんとしているからさすがに慎むけれど、はっきりとは言わないまでも、なずなの態度を見ていれば少しくらいわかりそうなものだと思う。さっきのあたふたした言動ひとつ取っても、多少なりとも引っかかるものがあってもいいと思うのに……。
 でも、恋って案外そういうものなのかもしれない。いまだに不思議そうに首をかしげる佑次に半ば強引に椅子を勧めながら、ひらりは痒いところに手が届かないもどかしさをひとり噛みしめるしかなかった。……ほんと、鈍感も過ぎればなんとやら、である。
「――で、さっそく見直してもらったリストなんだけど」
「うん。中島や愛とも相談して、本当にもうこれ以上は削れないってところまでブラッシュアップしたの。これで予算が下りなかったら、吹部みんなで教頭に直談判しに行こうって話になってね。まだはじめたばっかりなんだけど、署名活動もしてて。少ししか集まってないのが申し訳ないんだけど、吹部もなにもしないよりはいいかなって思って」
 さっそく全員が席に着くと、ひらりの言葉を引き継いでなずなが説明をはじめた。再度見直しを図ったリストと署名用紙を佑次の前に置くと、気持ちを入れ替えたのだろう、普段と変わらない調子で言う。
 受け取るなり食い入るようにしてそれに目をとおしはじめた佑次は、なずなの説明を聞いてプルプルと手を震わせた。次第に目も潤んでいく。そんな佑次にひらりたちは無言で目を見合わせ、誰からともなく小さく微笑み、頷き合った。
「俺が休んでる間に……みんなすげーよ。すげー、すげー、すげー!」
「結局みんな、お前の〝自分が見てみたいから〟って理由に一番しっくりきたんだよ」
「え?」
「お前が見たいって言うんだから、やってやろうじゃねえかって。お前のその、バカ丸出しの我儘な願望に本気で付き合うなら、こっちだってバカになんなきゃやってられない。ここにはいないけど、佐々木もお前がそう言ってたって聞いて『早く言えよバカ』って言ってたぞ。そういうバカな考えで突き進むやつが最後に勝つところを見せてくれ、って伝言だ」
「……」
 壊れたアナログレコードみたいに「すげー」しか言わなくなった佑次に、やれやれと宥めるように景吾が言う。佑次が休んでいる間に、生徒会メンバーや中島や小田島愛、それに佐々木とも、情報の共有をした。そして全員で佑次の我儘を叶えてやろうという結論に至ったのだ。
 異論を唱える者はひとりもいなかった。もうあまり日がないという瀬戸際に追い込まれてやっと、いや、だからこそ、ひとつにまとまることができたのかもしれない。
「浅石君のせいだからね」拗ねた口調でなずなが言う。
「風邪なんか引いて焦らせやがって」景吾の声だ。
「ここまで来たんだから、なにがなんでも勝つよ」ひらりも言う。
 そんな三人の顔をひとりずつ、食い入るように見つめた佑次は、
「お前ら、超愛してる!」
 そう言うなり立ち上がり、低く頭を下げてスンと鼻を鳴らした。
 それからややして、コンクールの練習があるからと申し訳なさそうに音楽室に戻っていったなずなを見送ると、改めて主要メンバーで額を突き合わせることになった。
 生徒会室にはほかに、会計の紺野梓や議長の瀬川大助の姿があった。書記コンビの林原浩史や梅林琴乃の姿もあり、度重なる招集にも関わらず、フルメンバーだ。佑次はまだ鼻をグズグズ言わせているが、さっきまでとろんとしていた目には力が漲り、頭の回転は申し分なさそうだった。なにかとんでもないことをしてやろうと目がギラギラしている。
「リストはこれでいいとして、署名活動やビラ配りと並行して詰めていかなきゃいけないのは、応援曲の選曲だよね。それをまず野球部から出してもらわないと、次は誰の応援でなんの曲をするのか、ボードも作れないし、吹部も練習できない。応援歌練習だって、そうだよね。こっちの準備がちゃんと整ってないと、せっかく集まってもらっても中身のない練習になって、吹奏楽応援なんて、って否定的な機運が高まるかもしれない」
 ひらりが渋面を作ると、「それなら、西窪たちと相談してピックアップした曲を佐々木に渡してあるから、ニ~三日中には返事がもらえると思う」と景吾が言う。
「え? マジで? 仕事早いじゃん、八重樫」
「まあね。箱石は塾もあるし、ほかにもやんなきゃいけないこともあっただろ。それに、こういうのはまず周りから固めていくのが定石だから。じゃなきゃ話になんないでしょ」
「……あんた、前から思ってたけど、けっこうキレ者だよね」
 ひらりはしばし目をしばたたく。吹部も一緒に曲のピックアップをしてくれたなら間違いないだろうけれど、自分だって高総体で柔道の試合に出ただろうし、もうすぐはじまる中間テストの勉強だってあるだろう。それなのに忙しい中、よく気を回せるなと感心する。
 ひらりだったら、そうはいかなかったかもしれない。責任感が強いのは武器ではあるが、あれもこれもと手いっぱいになって、結局頭がパンクしてしまうことだって十分考えられる。痒いところに手が届くこの感覚は、やはり景吾が副会長だからこそなのだろう。
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