七月の夏風に乗る

白野よつは(白詰よつは)

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■9.こんなにも諦めの悪い性格をしていたなんて知りませんでしたよ ◆西窪なずな

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 佑次と生徒会が有志を募っているという連絡をもらって一夜明けた今朝は、昨日の梅雨の晴れ間に引き続き、好天に恵まれた。東北地方の梅雨明けは例年、七月下旬頃となる。場合によっては梅雨が明けない年もあるので、この時季の晴れ間はとても貴重だ。
 吹奏楽部からは、部長のなずな、副部長の愛、金管パートリーダーの中島が有志の呼びかけによって集まっている。中島もやりたいと言い出したのには驚きだったが、彼も彼で思うところがあるのだろうと思うと、なずなの頬は自然と持ち上がっていった。
 ただ今の時刻は午前八時。名付けて〝校庭ジャック〟というらしい大博打までは十四分と、中途半端な時間指定だが、そこもまたスリルがあってなずなは気に入っている。
 朝の校舎に響き渡る大声はどんなだろうかと想像すると、ワクワクする気持ちの内側で不安に思う部分もあるにはある。でも、みんなそうなんだから考えたってしょうがない、と能天気に構えることにしたら、昨夜はよく眠れたし、今朝の目覚めもよかった。
 吹奏楽応援に渋い顔をしていた父には、朝食の席で『あ、そういえば私、吹奏楽応援に賛成したから』と、しれっと言ったきり家を出てきたので、そのあとのことはわからない。なんとなく気恥ずかしくて顔を見られなかったので心中は想像するしかないが、父なら案外、『なずながやりたいなら、そうするといいよ』なんてあっさり言いそうな気もする。こっちはけっこうそれで悩んだりもしたのに、まったく他人事である。でも、少しおかしい。
「なに笑ってんのよ、なずな。緊張でおかしくなったか」
「え、私笑ってた?」
「うん。いいね、なずなは余裕があって。私なんて吐きそうなんだけど」
 隣に並ぶ愛に冷たい目で言われ、なずなは苦笑する。笑っているつもりは全然なかったのだが、どうやら思ったことが素直に顔に出ていたらしい。
 それにもなんだかおかしくなって、なずなは苦笑したまま「まだ時間前だし、そんなに吐きそうだったら教室戻ってもいいんだよ」と告げる。昨日は乗り気だったが、いよいよ本番の時刻が迫って緊張が体調に悪影響を及ぼしているようだ。けれど愛は、バカにされたと思ったのか「アホか」と一蹴する。
「逃げたくないの、こういうのに」
「そっか。私もだよ。平均点なんてクソ食らえって感じ」
「……ちょこちょこ思ってたけど、やっぱなずなって、たまに大胆だわ」
 そう言ってふっと笑った愛に、苦笑は笑顔に変わった。今まで頑なに平均点女子を狙ってきたが、今はなんであんなに堅苦しいことができていたんだろうと思う。
 部に戻った際、愛に言われたのだ。
 なずなはもっと子供っぽくていい、心にストッパーをかけないで自分のやりたいようにすればいい、と。そう言われて真っ先に提案したのが、署名活動だった。
 実は前からなにか佑次の手助けになれないかと考えていた。でも署名活動をしようなんて言ったら中島をはじめとした部のみんなからの心証が悪くなると思い、言えずにいたのだ。そんなときにブチ切れてしまい、戻るに戻れない状況になった。その後、部に戻る足がかりを作ってくれたのが、ほかならない佑次だ。
 そんな彼に最大限できることはなんだろうと考えたとき、なずなの頭にはもう、前からひとりで温めていた署名活動しかなかった。
 幸い、愛も中島も部のみんなも賛成してくれ、翌日にははじめることができた。部員みんなで手分けをして、生徒の署名を集める一方で一般家庭にも出向いた。まだまだ数は少ないが、中には気前よく名前を貸してくれる人も現れ、少しずつ手応えを感じている。
 愛の言う〝大胆〟とは、おそらくそういうことなのだろう。なずな自身は自分のことなのであまり自覚はないが、空気を読むことをやめたなずなからの思いもよらない提案を受けた愛としては、大胆だと評するに十分に値する行為だったのかもしれない。
「つーか、音出しができないのがつらいな」
 なずなと愛の横で中島がぼやく。
「まあ、こればっかりは仕方ないよ。吹部の最大の弱点は、音でバレるとこなんだし」
「そうだよねぇ。上手い下手も筒抜けだし」
 そう言い合うなずな、愛、中島の手には、それぞれトランペットとバチが握られている。愛の体の正面には、さっきは吐きそうだとかなんとか言いながらも、もうマーチングスネアドラムが装着されていて、なんだかんだ準備万端だ。
 中島の粋な提案で、野球応援用の曲のさわりの部分だけでも吹いたら面白いかもしれないということになって朝一番で音楽室からそれぞれ楽器を持ち出したのだ。が、体が温まりきらない状態で楽器を鳴らすことに加えて練習もできないのだから、いくら譜面を追って指慣らしをしたからとはいっても、さすがに十分とは言いきれない。
 一抹の不安が拭い去れないのは、三人とも一緒だった。
「でも、なるようにしかならないからね。コンクール本番前の袖にいるときも、だいたいこんな気持ちになるじゃん。大丈夫、できるって自分に暗示をかけるしかないんだよ。それに、この提案をしたのは中島なんだから、中島が一番頑張ってくれなきゃ困る」
「西窪って、だいぶ男前だな……」
 なずなが言うと、中島が苦笑しながらトランペットを撫でた。愛もそんななずなと中島を交互に見やって笑みを作る。こちらのほうも、なんだかんだ調和が取れている。
 正直なところ、中島との軋轢は、まだ完全になくなったとは言いきれない。中島の言葉に傷ついた気持ちはもう戻らないし、なかったことにはならないからだ。それでもなずなと中島は懸命にお互いを認め合うことに努めることにした。お互いにムカついたままでいいから、これからはちゃんと本音で言い合おうという協定を結んだのだ。
 だからなずなは、もう中島に遠慮しない。言いたいことは言うし、気に入らないことは気に入らないと言う。中島もなずなに遠慮しないと約束してくれた。前から中島は言いたい放題だったような気もするが、これからはますます、そうなるということだろう。
 でもそれが、もう不協和音にならないことだけは、三人ともわかっている。それさえわかっていれば、また衝突があったとしても、きっと前向きに捉えることができるはずだ。三人で誰からともなく目を見合わせると、自然と口元が緩んでいった。
 変わってなずなたちの近くでは、朝練を終えたばかりの野球部の有志たちが、ユニホーム姿のままに、ぞろぞろと集まりはじめていた。部長の佐々木、三年のレギュラーメンバーを筆頭に、二年生からも数人、まだ線の細い一年生部員の姿もちらほら見受けられる。
 生徒会、応援団の人数も多いが、野球部が一番多いかもしれない。全身を真っ黒に染め上げた応援団の学ラン姿も圧倒されるものがあるものの、坊主頭と土で汚れたユニホーム姿の野球部員たちの姿もまた、違うベクトルで圧倒的だった。
 正直、副会長の八重樫景吾と応援曲のリストアップをしたときも、野球部にそれを持っていったときも、話ばかりが先行している状態だったので、なずなには今ひとつイメージが湧ききらない部分もあった。けれど、実際に彼らを見ると自分たちの奏でる音で応援したい気持ちが湧いてくるから不思議だ。
 どんなに劣勢でも、なんとかして音で盛り立ててやりたくなるのだ。その点では今日のこの〝校庭ジャック〟はいい機会だったなと、佑次と談笑する佐々木たち野球部員の姿を少し離れたところから眺めながら、改めてなずなは思った。
 と、ふとその佑次がこちらを向いた。なずなと目が合うと、とことこと駆けてくる。
 その瞬間、なずなの肩はギクリと強張り、視線がうろうろしてしまう。雨の中を探しに来てくれてから、佑次を見るとなずなはどうも変だ。目が合うと嬉しいのに恥ずかしくて、そんな自分が信じられない。でもそれがどういう感情からくるものなのかは、なずなにもわかっている。自分がまさかと思う一方で、着実にそれが成長している実感もあるのである。
「昨日LINEもらってびっくりしたよ。中島なんだって? 提案してくれたの」
 手に持った楽器を指さし、佑次がうねうねの髪を朝の風に吹かれながら尋ねる。ふよふよと心許ない顎鬚も彼がなにか喋るたびに揺れて、なんだか別の生き物のようだ。
 佑次が風邪から復活してすぐ、賛成派のメンバーでLINEグループを作った。棚ボタ的に佑次と連絡を取り合えるようになり浮かれたのは、まだ自分だけの秘密だ。
 部長の権限を使い、代表してグループメンバー全員へ向けて楽器演奏の提案をすると、真っ先に返事があったのは佑次だった。目の前の佑次は今、そのことに礼を言っている。
「……あ、うん。盛り上がるかなーって……」
「盛り上がるよ、そりゃ。見た瞬間、キター! って思ったもんよ」
「うん。なら、いいんだけど……」
 ていうか、私はいったい、こんなののどこがいいんだろう。昨日は浮かれてしまったが、一晩寝て冷静になると、そんな疑問が浮かぶ。しかし、自問しつつも、しどろもどろになって答えながら、自分の顔がどんどん火照っていくのがわかるのだから重症だ。
 昨日の生徒会室で思い知ったのだが、佑次は鈍い。それもかなり。それなのに。団長だから仕方ないけど見た目もちょっと残念なのに。なんで自分はこんなのがいいのか。
 そんななずなの様子を訳知り顔で見ているだろう愛と中島の視線も気になって、なずなは内心、気が気ではなかった。朝っぱらからどっと疲れた気分である。これからトランペットを鳴らすというのに、腹筋に力が入るだろうか。……なんだかとても心配である。
 そんな複雑な気持ちを知る由もない佑次は、
「いやいや、謙遜すんなって。時間になったら俺が合図出すから、すぐに吹いてくれ」
「う、うん……」
 俯き、やっと返事をしたなずなの肩に軽く手を触れて応援団の輪の中に戻っていった。
「……」
 佑次に触れられた部分が熱い。顔も熱いし、胸も熱い。愛と中島の視線も熱くて、なずなはもう、顔が上げられない。本当に大丈夫だろうか、私……。ますます心配だ。
 それでも時間は刻一刻と迫り、八時十三分、佑次の「行くぞ」の声とともに、有志のメンバーに混じってなずなも校庭のど真ん中に整列した。校庭から見上げる校舎は静かで、鳥の鳴き声がのどかな田舎を思わせる。でも、学校の誰も、まだなにも気づいていないのだ。
 不思議な気分だった。バカやってるなと、そんな自分に少し呆れもする。けれど、心のどこにも、ここにいることに後悔はない。むしろちょっと誇らしいのはなぜなんだろう。
 やがて佑次がスマホを見ながら「十、九……」とカウントダウンをはじめた。予定では八時十四分きっかりに吹部の自分たちが楽器を鳴らすことになっている。手の汗で滑りそうになるトランペットをしっかりと握り直し、五秒前にスッと口元に構える。
 吹く曲は決まっていた。アフリカンシンフォニーだ。
 やるぞ、やるぞ、という気持ちを盛大に盛り立ててくれるこの曲は、地方大会や甲子園でもお馴染みの曲である。自分たちにはまだ経験がないので、ほかにピックアップした曲も有名どころを寄せ集めたものに過ぎないけれど、とても気に入っている曲のひとつだ。
「三、二……」
 カウントダウンは続く。「二」のときに思いっきり息を吸い込み、両隣の愛と中島と素早くアイコンタクトを取り合う。佑次の「一」の声をかき消すように最初の音を出すと、あとはもう無我夢中でトランペットを鳴らすだけだった。
 指が勝手にピストンを押し、マウスピースに押し当てた唇が変化する。しかし耳だけは冷静で、中島の音も、愛の音もしっかり聞こえて、とても頼もしい。最後の一音を出し終わってトランペットを下ろすと、校庭側の窓に人影が見えた。どの階も十人はいるだろうか。その数は次第に増えていく。気になってこちらを覗いているのだ。……よし、釣れた。
「我々ここに会した一同は、吹奏楽応援を実現すべく、この場を借りて生徒の皆さんにお願いに上がりました! そのままでいいので、どうか聞いてくださいっ!」
 それを合図にして、佑次が声を張り上げる。代々受け継がれてきたボロボロの学生服と学生帽、足は下駄という、団長だけに許される正装だ。ガラガラの声に変わりはないが、昨日より格段に調子がよさそうだった。響き渡るその声は、眩しいくらいに澄んでいる。
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