かうんと・ゆあ・まーくす!

柿ノ木コジロー

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第十章 3月

雨の離任式

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 三十日の離任式は、一転して冷たい雨となった。

 保護者の皆様で、ご希望ある方はぜひご参列ください、と通知にはあったが、例年それほど参列者は多くなく、たいていがPTA関係者か、よほど離任される先生方に惜別の思いを抱く保護者くらいだと紀美は聞いていた。
 それでも自分は、行かねばならない。
 後期の検収結果が、いまだ一つも届いていない、ということもあった。
 しかし、やらされている感は、すでになかった。

 教頭の白石健吾は異動が決まっていた。
 東海林光裕も、山田海斗もそろって異動だった。
 関係者が揃った中で、ちゃんとした結末は迎えたい、そう強く思っていた。
 他のメンバーも、ミドリコだって、きっと今日は来るに違いない。
 確信よりももっと強い、単に事実を確認するだけの思いを胸に、紀美は学校へと向かった。

 正門をくぐる時、ふと、新しい連絡は入っていないか紀美はスマホを取り出す。
 グループ連絡は、昨夜の委員長からのもので止まっていた。
『大事を取って、明日は休みます、ごめんなさい』
 すべての既読はついていた。しかし、返信は誰からもなかった。
 スタンプすら。
 紀美も、どうしても何も返すことができなかった。
 短いメッセージの行間に、じわりと無念の思いが詰まっているようで、紀美は何度もメールを読み返していた。

 今回は異動や退職で七名の教員や職員が去ることになっていた。
 離任のあいさつは、それぞれの教師のカラーがにじみ出ていた。
 教頭は、半分涙目になりながら、あくまでも優しい口調で低学年にも分るようにゆっりと語りかけていた。
 演技なのだろうか、と疑ってから、いややっぱり教育者たるもの、子どもの前では素直な思いを吐露してるよねー、と紀美はじっくり、教頭を見つめる。
 山田は相変わらず颯爽としていて、彼のファンらしいママ連中が(伊藤も含め)熱い目つきで、その挙動をあますところなく見守っていた。
 東海林はやっぱりどこか不器用そうに、頭を掻きむしりながらとぎれとぎれにことばを継いでいる。途中
「せんせい!」
 上級生のものらしい声が飛び、その声が次々に拡がっていった時、さすがに、
「お……おお」
 ことばを詰まらせ、ずいぶんたってからただ、ありがとうございました、と頭を下げた。

 それぞれ世話になった教師に、心ばかりの贈り物をするのが鴨池小の慣例となっているようだった。
 そんなことも知らずに、紀美は手ぶらで来てしまっていた。
 フジコの居場所をさりげなく教えてくれた、あのおじいちゃん先生も今期で退職なのだそうだ。
「何もお贈りできるものがなくて」
 紀美は、おずおずと手を差し出す。「あの時は、ありがとうございました」
 正確には下田金吾という『おじいちゃん先生』は、子どもたちから渡された細々した工作物や手紙の束を足もとに大切そうに置いてから、うやうやしく紀美の右手を握りしめた。
「いや、気持ちがね、」
 下田先生は、ぶんぶんと握った手を上下に振る。
「気持ちが、嬉しいんですよ。ありがとうございます」

 伊藤も『忙しそうなヤマダせんせ』にようやく、花束とお菓子のセットを渡せたようで、すっかり満足げだった。
 きゃあきゃあ言いながらサンマークのメンバーに報告する伊藤を、つい可愛いものを愛でる目線で、紀美は見守っていた。

 伊藤は最後まで、山田が仕分け前サンマークの抜き取り犯だと知らずに済んだようだ。

 立ち騒ぐ伊藤をしり目に、紀美はそっとミドリコに声をかける。
「伊藤さん、最後まで大好きなヤマダ先生を疑わずにいましたねー」
 ええ、とミドリコはレースのハンカチを口に当てる。
「おかげで、皆さんにどうご説明していいのか少し、迷いましたわ」

 離任式の後に集うメンバーの前、フジコがミドリコに詰め寄った。
「さあてと」
 険悪な雰囲気ではないが、聞く気満々な感じだ。
「今日こそ真相とやらを伺える時ですねぇ」
 ああ、そんなに大層なお話ではないのですが、とミドリコは軽やかに言った。
「後から出てきました、仕分け前のサンマークについてなのですが、実は白石教頭の指示で、職員の方がいったん持ち出しましたと判明しましたの」
 えええっ? と声が上がる中、真相を知る紀美は、ひや汗を拭きふき、続きを聞いていた。
「教頭先生に伺ったところ、全然関係のない職員の方に作業室からサンマークを持ち出すよう指示されたのだそうです」
 その職員て誰なんだよ? と声を荒げるフジコに、
「それは良しとしましょ」
 ミドリコが軽く応える。
「持ち出された方も単に教頭先生のご指示だったということで、全然、悪意はなかったということも分りましたし」
 山田にそれほど悪意はなかったのは、本人の様子を見てもよく分る。
 しかし、いくら上からの命令とは言え、あまりにも短絡的な所業に、紀美は逆に空恐ろしいものを覚えてしまう。
 ミドリコが敢えて名指ししなかったのは、今更、という気もあったのかもしれないが、一人を名指ししたところで、似たような考えや方策を選ぶ者は後を絶たないというのをよく、わきまえていたのではないか、と紀美はぼんやりと感じ、ただ黙って彼女の説明を聞いていた。
 ミドリコの、見事に真相をぼかしながらも鮮やかなる説明に、フジコが
「でもさ」
 何か、言いかけた時、
「あのー」
 事務長が小走りで寄ってきて、声をかけた。
「サンマークボランティアの皆さんに、御礼をしたいと教頭が」
 会議室に呼ばれ、廊下を歩くメンバーの表情は、一様に硬かった。


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