39 / 62
第三章
第三十八話
しおりを挟む
雪子は秋子らと目が合い、そして妹の期待と裏腹に、近づき、秋子の隣に座った。飯島はおどろいて、さながら執事のように恋人の席のうしろで突っ立っている。いや、おどろいたのは彼女の恋人だけではなかった。秋子も、いや時田でさえも、雪子の振る舞いにはぎょっとし、緊張していた。雪子は、絶えず微笑みを浮かべていた。
「お久しぶりね」と雪子はいった。その日もつけていた口紅が、あまりにも自然な曲線を描いている。
「ああ、そうだな、何年ぶりだっけか」
時田は若干のしどろもどろさで答えた。
「今日はどうしてここへ? スーツで、とても目立ってるわ、貴方」
「ああ、彼女の迎えで」
「まあ、素敵。……そういえばこの左手の指輪は? 結婚したの?」
雪子があまりにも淡々として、しかし嫌味もなく接するものだから、時田は気恥ずかしさに襲われた。美玖の迎えと建前をつけて秋子を探したことも、左手の指輪も、どうしようもなく子供じみていた。
「いや、結婚はしてない。……まあ、むこうにせがまれてね。うん、まじないみたいなもんだよ」
時田がそういうと、秋子が隙を見たように、
「嘘。貴方が美玖にそんなこと要求したんでしょ。いい年にもなって幼稚なロマンチックだわ。まあ、昔からだけど。いえ、昔っていっても三年前ね。三年も進歩しないのも問題だわ」
と責めた。
「まあ、そんなこと言っちゃダメよ、アキ。いいじゃない、指輪。うん、そういうの好きな人もいるわ。恋人同士なんだから、ふたりのあいだに幼稚とか、大人とか他の人がとやかく言うのは野暮よ」
雪子の物言いは、秋子の非難より時田を傷つけた。しかし睨んだら負けのようで、ただ澄ませた表情を精一杯努めた。すると雪子の背にいる幽霊のような青年が気になった。
「なあ、そこの子は、君の彼氏かい?」と時田はいった。
「そうよ」
「じゃあ、構内デートってわけだ」
「デートでもないわ。用事を済ませたの」
「仕事も休んで?」
「それほど大事な用だったの」
「ふうん」と時田は鼻を鳴らした。時田の見る限り、雪子は動じていない。しかし後ろの青年は、眉を瞬時しかめさせた気がした。
時田はまたつづけてこう訊いた。
「そういえば、雪子にしてはよく化粧しているね。……すこし痩せたみたいだ。恋はなんたらだね」
「そういってもらえると嬉しいわ。別にこのひとの趣味ってわけでもないけど」
「でもプライドの高い君にここまでさせるってことはとてつもない男なんだろう」
時田はこのとき、さらに飯島の眉間が狭まるのを認めた。
「ええ。私はそう思っているわ」
「できた男だ。そしてぱっと見、頭も良さそうだし、ほら、右手にはグレーバーなんて持ってる」
「……」
「でもそれだけじゃあ、君を落せないな。きっと人格者なんだろう。飛びっきり優秀で、飛びっきり性格がよくて……」
「やめてください!」
飯島が大声を出した。それは秋子の知るかぎりもっとも怒りをにじませた声で、発声の余韻にはわずかな震えがあった。そして飯島はすぐに雪子の手を引き、挨拶もせず席から去った。秋子は唖然としていた。正面の時田を見る。すっかり社会に適応した顔は満悦である。秋子はすごすごとふたりを追った。
「お久しぶりね」と雪子はいった。その日もつけていた口紅が、あまりにも自然な曲線を描いている。
「ああ、そうだな、何年ぶりだっけか」
時田は若干のしどろもどろさで答えた。
「今日はどうしてここへ? スーツで、とても目立ってるわ、貴方」
「ああ、彼女の迎えで」
「まあ、素敵。……そういえばこの左手の指輪は? 結婚したの?」
雪子があまりにも淡々として、しかし嫌味もなく接するものだから、時田は気恥ずかしさに襲われた。美玖の迎えと建前をつけて秋子を探したことも、左手の指輪も、どうしようもなく子供じみていた。
「いや、結婚はしてない。……まあ、むこうにせがまれてね。うん、まじないみたいなもんだよ」
時田がそういうと、秋子が隙を見たように、
「嘘。貴方が美玖にそんなこと要求したんでしょ。いい年にもなって幼稚なロマンチックだわ。まあ、昔からだけど。いえ、昔っていっても三年前ね。三年も進歩しないのも問題だわ」
と責めた。
「まあ、そんなこと言っちゃダメよ、アキ。いいじゃない、指輪。うん、そういうの好きな人もいるわ。恋人同士なんだから、ふたりのあいだに幼稚とか、大人とか他の人がとやかく言うのは野暮よ」
雪子の物言いは、秋子の非難より時田を傷つけた。しかし睨んだら負けのようで、ただ澄ませた表情を精一杯努めた。すると雪子の背にいる幽霊のような青年が気になった。
「なあ、そこの子は、君の彼氏かい?」と時田はいった。
「そうよ」
「じゃあ、構内デートってわけだ」
「デートでもないわ。用事を済ませたの」
「仕事も休んで?」
「それほど大事な用だったの」
「ふうん」と時田は鼻を鳴らした。時田の見る限り、雪子は動じていない。しかし後ろの青年は、眉を瞬時しかめさせた気がした。
時田はまたつづけてこう訊いた。
「そういえば、雪子にしてはよく化粧しているね。……すこし痩せたみたいだ。恋はなんたらだね」
「そういってもらえると嬉しいわ。別にこのひとの趣味ってわけでもないけど」
「でもプライドの高い君にここまでさせるってことはとてつもない男なんだろう」
時田はこのとき、さらに飯島の眉間が狭まるのを認めた。
「ええ。私はそう思っているわ」
「できた男だ。そしてぱっと見、頭も良さそうだし、ほら、右手にはグレーバーなんて持ってる」
「……」
「でもそれだけじゃあ、君を落せないな。きっと人格者なんだろう。飛びっきり優秀で、飛びっきり性格がよくて……」
「やめてください!」
飯島が大声を出した。それは秋子の知るかぎりもっとも怒りをにじませた声で、発声の余韻にはわずかな震えがあった。そして飯島はすぐに雪子の手を引き、挨拶もせず席から去った。秋子は唖然としていた。正面の時田を見る。すっかり社会に適応した顔は満悦である。秋子はすごすごとふたりを追った。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる