ピアノの家のふたりの姉妹

九重智

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第三章

第四十一話

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 雪子がはじめて飯島の部屋に行ったとき、彼からこんな話を聞いた。

「僕は、貴女が好きだ。でも、貴女が僕を好きかどうか、好きになるべきかどうか僕は知りません。でも、たぶんその資格、いや、そんな偉いもんじゃない。つまり、貴女が僕を好きでいいのか判断するには諸々のことを知らなきゃいけないと思うんです。といっても、それは僕の生活の仕方とか、そういうことはどうでもいいんです。そういうかすかな摩擦のネジを差し引けば、ひとつのことしか、僕に関して知るべきものはないんです。

 ……ああ、なんで僕はこういう物言いになるんだろう……つまりですね、言いたいのは、貴女が思うより、僕は酷い人間なんです。だからどうぞ失望して……。

 昔の僕は、社会科の授業で思わず涙をこらえるような子供でした。社会の教科書というのは、その『社会』という字面通り、あまりにも哀しいことが無味乾燥に記述されています。どれだけ人が死んだり、涙を流したり、絶望に苛まれても、あそこに書かれているのは、『まあ、僕らには関係のないことさ』という締めの言葉なんです。だってそうでしょう? 大きな戦争の話を高度経済成長とおなじ熱量で書くんですから。戦争の死亡者の表の数ページ先には、その表とおなじ大きさのGDPのグラフを載せるんです。……僕はそういう書き方も相まって、授業で思わず泣きたくなる。

 たとえば江戸時代の身分制度の話。僕は士農工商の下記にある、穢多・非人。農民もさぞ大変だったでしょう。けれども、その人たちも見下す対象がある。……穢多・非人、なんて薄汚れた名をつけられたのだろう。誰からも蔑まれ、その蔑みすらも肯定するんです。きっと、彼ら本人も……。

 ほかにもあります。当時の僕は世界遺産の図鑑をひらき、アウシュビッツ収容所のページを何度も眺め、心痛に耐えなくなると顔をそむけるというのを繰り返していました。僕は特段、世界遺産に興味があったわけではありません。モンサンミッシェルやガラパゴス諸島、兵馬俑、そんな冒険的な鮮やかな世界はたしかに魅力的ですが、どうせそれも知識の奥底に沈められるものです。子供ながらに、そういうことはわかるもんなんですよ。

 それでも、僕はアウシュビッツの見開きは忘れません。見開きには線路とビルケナウの門の写真、ガス室と焼却炉の写真、青い縦じまのぼろきれのような服を着、有刺鉄線のむこうから睨むユダヤ人の群衆の写真、アンネ・フランクと杉原千畝の肖像が載っています。ああ、群衆……見捨てた人たちを睨む、あの涙のまじった熱い視線……『いいや、あなたたちは知っていた』……群衆の下にはそう書いてました。

 中学に進学すると、僕はある種の順調として大江健三郎、ダニエル・キッス、スタインベックに親しみました。とくに『芽むしり仔撃ち』を読んだときは、燃え盛るような怒りで目頭が熱くなって、そうです、このころはもう哀しみより怒りが、僕の巨大な原子力になるのです。

 原子力……ええ、原子力ですよ。あのころの僕には危なっかしいエネルギーが絶えず反応し合って、より危険な力を生んでいるんです。そうしていちど力を抑える殻が破れれば、たちまち暴発し、あたりに禍々しい毒を撒いたでしょう。
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