【完結】竜王の息子のお世話係なのですが、気付いたら正妻候補になっていました

七鳳

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第9話

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 翌朝――。
 少しずつ身体が動くようになった私は、侍医の許可を得て医務室の外を短時間だけ散歩できるようになった。といっても、まだ腕の痛みは残るため、無理は禁物と釘を刺されている。
 部屋で安静にしているよりも、少し歩いたほうが気が紛れるし、私は王城の廊下をゆっくりと巡りながら、自分の体調を確かめていた。

「……まだ若干ズキズキするけど、痛みはだいぶ楽になったかも」

 ふう、と息を吐き、上着の袖を少し捲る。包帯は巻かれているが、その上から精油を塗った布が当てられており、独特のハーブの香りが漂っている。どうやら侍医たちがかなり良質の薬を使ってくれたようだ。

 あれから、殿下は事件の調査に忙しく出ずっぱり。あいさつに来る暇もないほどバタバタしているらしく、彼の姿を見ていない。姉上方や侍女からちらりと聞いた話によると、「貴族たちの到着が続々と相次ぎ、祭典のスケジュール調整や、先日の呪術事件の対処で手が離せない状態らしい」とのこと。

(殿下、無理してなければいいけど……)

 少し胸が疼く。彼にとって今がどれだけ大切な時期かは分かっているし、私も“乳母”として、できる限りサポートしたいと思っている。なのに、動けない自分の不甲斐なさがもどかしい。
 せめて、もう少しちゃんと歩けるか試してみよう――そう思って廊下の奥、王城の中庭へと続く扉を目指した。

◇◇◇

 王城の中庭は広大で、噴水や花壇が美しく整備され、昼間になると光がふんだんに降り注ぐ。今の時間は日差しも柔らかく、散歩にはうってつけだ。
 ただ、さすがに一人で外に出るのは気が引けたので、念のためついてきてくれた侍女さんの助けを借りながら、ゆっくりと庭を巡る。

「ルナ様、具合が悪くなったらすぐ仰ってくださいね。急に痛みがぶり返すこともありますから」
「ありがとう。大丈夫……少し歩けるようになったら、気持ちも晴れる気がするの」

 侍女は優しく微笑み、「ご自愛ください」と声をかける。私よりも年上の人間の女性だが、城内で長く働いているらしく気配りが上手だ。
 もともと私はエルフの森から来た“下っ端”スタッフだったけれど、今は“王太子殿下付きの乳母”として扱われ、こうして侍女に付き添われることも多くなった。なんとも不思議な縁だ。

「(……だけど、噂や視線にさらされるのは変わらないんだよね)」

 ちらっと周囲を見ると、遠目に私を見てひそひそと話している人影が見えたりする。主に貴族たちの令嬢やその取り巻きだろう。会釈をすると、軽く頭を下げる者もいるが、あからさまに嫌そうに顔を背ける者もいる。
 ――腕に包帯を巻きながら歩く私の姿は、さらに彼女たちの興味を引いているに違いない。“落ちこぼれエルフが偉そうにしている”と受け取られても仕方ないかもしれない。

「……気にしちゃダメ、気にしちゃダメ」

 呟きながら中庭の一角にあるベンチへ腰を下ろし、少し深呼吸をする。すこし疲れたのか、軽い眩暈がした。侍女が「大丈夫ですか?」と気遣ってくれる。

「ええ、ちょっと休めば平気。ありがとう」

 ベンチに座ったまま庭の風景に目をやっていると、いつか殿下や若い令嬢と一緒に散策した記憶が蘇る。――あのころは、彼のやわらかな笑顔と、時々見せる甘えん坊な一面に、胸が弾んだものだった。
 ……いまもきっと、彼はどこかで頑張っているはず。そう思うと同時に、ある疑念もこみ上げてくる。

(呪術事件を起こしたのは誰なの? それに、表向きは祭典に向けて大いに盛り上がっているけど、裏では何かが起こりそうで怖い……)

 兵士を操った犯人がまだ捕まっていない以上、再び同じような事件が起きても不思議ではない。それこそ、また殿下が狙われる可能性だって否定できない。
 ――私も早く回復しないと、また何かあったときに動けない。殿下を支えたいのに、無力感が募る。

「ルナ様……? お顔が青ざめていますよ。本当にご無理はなさらないで」
「ごめん、ちょっと考え事をして……。もう少し座っていたら、戻りますね」

 侍女にそう答え、再び深呼吸をする。空気が澄んでいるはずなのに、なぜか胸が重く苦しい。
 ――その時だった。どこからともなく人の話し声が聞こえてきて、思わず耳を澄ます。

「……あれはエルフの乳母じゃない? 王太子殿下に取り入ってるって噂の……」
「噂だけじゃないわよ。この前、兵士が暴走したときに殿下と一緒にいたんですって。『自作自演で殿下の気を引いた』なんて話もあるわ」
「こわいわねぇ。落ちこぼれエルフにそんな力があるのかしら。まあ、人の噂が本当かどうか知らないけど……」

 遠巻きにヒソヒソ話している声が、かすかに聞こえてくる。私と目が合うと、途端に慌てて視線を外す彼女たちの動き。――以前にも似たような経験があったが、今日は一層やり切れない気持ちになる。
 自作自演など、あり得ない。だけど、証明する術もなく、私はただ黙って受け流すしかない。

「……ルナ様、行きましょう。あまり長くここにいると疲れてしまいます」
「……そうだね。ありがとう」

 侍女の言葉に従い、私は立ち上がろうとする。すると、急にめまいが一段と強くなり、足元がふらりと揺れた。バランスを崩しそうになったところ、慌てて侍女が支えてくれる。
 ――情けない。多少は歩けるようになったと思ったのに、この程度で眩暈だなんて。

「大丈夫ですか!? あ、誰か、水を……!」
「ごめんなさい……平気、少し頭が……」

 周りにいた数人の女性たちが、私たちの様子に気づき、いぶかしそうに見ている。まるで「何を大げさな」と言いたげな様子。
 この場が妙に居たたまれなくて、私は侍女に支えられながら足早に中庭を後にした。背後で再びひそひそ声が聞こえたが、もう振り返る気力もない。

◇◇◇

 医務室まで戻る道すがら、私は頭を冷やそうと努める。
 ――焦りや不安が募るあまり、心が疲れきってしまっているのかもしれない。こういうときこそ、冷静に自分の体を大事にしなくては、ということは頭で理解している。
 それでも、殿下に会えないまま無力感を募らせるのは、想像以上につらいものだった。

「すみません、今日はこんな調子で……侍女さん、ありがとう」
「いえいえ。ルナ様こそ、無理なさらないでください。もう少し休まれたほうがいいですよ」

 医務室のベッドに横になると、侍女は私にハーブティーを用意してくれる。そして「また何かあればすぐお呼びください」と言い置いて、部屋を出て行った。
 私は一人残され、ベッドに半身を起こして茶を啜る。――すると、不意に医務室の扉が再びノックされた。

「はい……どうぞ」

 やって来たのは、意外な人物だった。以前、中庭で遭遇し、私に辛辣な言葉を投げかけた“貴族令嬢”の一人。フリルの多いドレスに身を包み、勝ち気そうな瞳が印象的だ。
 彼女はどこか気まずそうな表情を浮かべながら、小さく咳をして言葉を切り出す。

「あ、あの……。こんにちは。突然失礼するわね。あなた、エルフのルナ……よね?」
「ええ、そうですが……。何か御用でしょうか?」

 内心、また嫌味を言われるのかと身構えてしまう。しかし、彼女はちらりと目を逸らしつつ、続ける。

「べ、別に嫌味を言いに来たわけじゃないのよ。でも、最近変な噂が多いじゃない? “エルフの乳母が王太子殿下に取り入っている”とか、“兵士の呪いを裏で操ったのはあの乳母”だなんて……。そんな真相不明の話を聞かされて、不安になってたの」
「……なるほど。私が何かしら企んでいるのでは、と?」

 相手の言葉は曖昧だが、要は「事実を確かめたいから直に話してみよう」と思ったのだろう。
 私はゆっくり茶を置き、相手の目を見据える。どう答えても、彼女の疑惑が晴れるかどうか分からないが、真正面から否定するしかない。

「私は殿下を陥れようなどという考えはありません。そもそも私自身が呪われかけたくらいですし、逆に事件の被害者に近い立場です。企む余地などないと思いますが……」
「……そ、それはそうよね。私だって、まさかあなたが呪術なんか使えるとも思えないし……。ただ、祭典を前に妙な事件が起きているから、みんな疑心暗鬼になってるの。強い竜族でさえ狙われるなら、私たちも危ないんじゃないかって」

 彼女の声からは、王太子への嫉妬よりも、“自分たちが巻き込まれる恐れ”を感じている様子が伝わってくる。なるほど、噂好きの令嬢たちも心配は心配なのだ。
 私がそっと息を整え、「確かに、不気味な事件ですよね」と相槌を打つと、彼女は少しほっとしたように続ける。

「そうなのよ。あの兵士が呪術に操られたって話も聞いたわ。王城の中には“黒幕”がいるんじゃないか、なんてみんな言ってる。でも、いったい誰が、何のために……」
「私には何も分かりませんが、王太子殿下や姉上様たちが調査を進めているはずです。あまりにも危険な相手なら、祭典の場に姿を現すかもしれませんし……」

 その言葉に、令嬢の表情がこわばる。やはり不安なのだろうか。
 そもそも、祭典は国中の貴族や提携先が集まる一大行事。この機を狙って、王家や貴族を陥れようとする勢力がいてもおかしくはない。

「……そっか。ま、まあ、あなたが黒幕じゃないって分かっただけでもよかったわ。ありがとう、話が聞けて安心したわ」
「いえ。少なくとも、私のような落ちこぼれエルフには、そんな大それた能力はありませんから……」

 そう自嘲気味に呟くと、彼女は「そ、そう……」とやや気まずそうに視線を逸らした。ほんの少し申し訳なさそうに見えるのは気のせいかもしれない。
 ――これで、少なくとも一人の令嬢の誤解は解けたのだろうか。もっとも、この子が周囲にどこまで話を広めてくれるか分からないが……。

「えっと、じゃあ私はこれで失礼するわ。あんまり無理しないで休むといいわよ。あなたも怪我してるんだから……」
「……はい。お気遣いありがとうございます」

 軽く頭を下げると、彼女はバツの悪そうな顔をしながら扉へ向かう。微妙な空気が流れたまま、足早に部屋を後にした。
 なぜ突然話しかけてきたのか、詳しい意図は分からない。けれど、少なくとも“エルフの乳母が王太子を狙っている”という根拠のない噂話を疑問視する動きが出始めたのかもしれない。

(こうして少しずつでも、誤解が解ければいいんだけど……)

 私はほっと息をつく。少しずつ真実を知ろうとする人たちもいる。噂や疑惑に振り回されるばかりではなく、きちんと話をして確認する――それだけでも心が救われる部分はある。

◇◇◇

 だが、夜。
 医務室でベッドに横になっていた私のもとに、またしても急報が入る。廊下から複数の走る足音と怒声が聞こえ、扉が乱暴に開け放たれた。

「ルナ様! 大変です! 今度は王城の一角で、正体不明の魔物が暴れ出して……王太子殿下と姉上様方が収めに向かわれたのですが……!」
「魔物……? いったいどうして、そんな……!」

 人間世界の町中ならまだしも、王城の敷地内に突然魔物が出現するなんて聞いたことがない。しかも“正体不明”だなんて。
 おそらく先の呪術事件と同じ流れ――何者かが強力な呪いや魔力で魔物を召喚し、王家や貴族に混乱をもたらそうとしているのだろうか。

「殿下は……無事なんですか? けがは?」
「それが、護衛たちが応戦しているものの、かなり手強いらしいんです。まだ戦闘中との報告しか……とにかく危険な状況で、城内は大騒ぎに……」

 報告をした兵士は息を切らしている。どうやら各所で警戒態勢が敷かれているらしく、事態は深刻そうだ。
 私はベッドを飛び出そうとするが、腕の痛みがチクリとした。それでも、じっとしていられるはずがない。

「私も行きます! 殿下が危ないかもしれない……!」
「で、ですが、ルナ様はまだ負傷中で……!」
「構いません。私が力になれるとは限らないけど、もし殿下が暴走しかけたときに“竜導”で抑え込めるかもしれないでしょう……!」

 前の兵士暴走事件と同じく、殿下自身が大きな力を使った場合、力のコントロールを失うリスクがある。姉上たちが付いているとはいえ、もしもの時に私の役割があるかもしれない。
 兵士は困惑した表情を浮かべるが、「わ、分かりました。くれぐれもお気をつけて……」と、渋々道を譲ってくれる。

 私は痛む腕を庇いながら急いで部屋を出る。どうしようもない焦燥感が胸を締め付ける。
 ――また何者かが仕掛けてきた。狙いは殿下なのか、祭典を混乱に陥れることなのか。いずれにせよ、このままでは彼や周囲に被害が出てしまう。

 廊下を駆け抜け、城内の階段を下り、兵士たちの混乱する声を頼りに事件現場へと向かう。途中、「ルナ様、動けるんですか!」と侍女や衛兵たちに止められかけるが、強引に振り払った。
 今は迷っている時間がない。私がそこへ行って、もし殿下の助けになれるなら、それでいい。

(頼むから、殿下は無事でいて……!)

 歯を食いしばり、夜の城を必死に駆ける。祭典を目前に控えたこの状況下で、次々と起こる不可解な呪術や魔物の召喚――いったい誰が、何のために?
 答えはまだ見えない。だが、今はただ、殿下を守りたい一心で走るしかなかった。
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