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第一話
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わたしは繰り返し同じ夢を、見る。
夢に出てくるのは、双子の姉。今は行方知れずとなり、会うことが叶わないわたしの姉。
いつも繰り返し夢にみるのは、姉が旅立つ前最後にわたしの元へ来たときのことだ。あの時わたしたちが味わった経験は、いったいなんだろうと思う。それはおそらく未だに、わたしの中で消化しきれていないことだ。
だから、わたしは。
あの時のことを、繰り返し繰り返し夢にみるんだと思う。いつも夢は、深夜過ぎの出来事を演じる。蒼褪めた光が部屋を満たし、わたしたちは深い海の底を漂っているのではないかと思う。
でも、わたしたちがいるのはいつもベッドの上だった。わたしがいつも使っているシングルベッドは、幻想的な海を渡る船となり、精霊たちが飛び交う神秘の海に浮かぶ孤島となる。
その蒼い世界で横たわるわたしたちは、ふたりとも生まれたままの姿だ。白い胸の双丘を合わせ、尖った先端を混じり合わせるように重ねる。
蒼い闇で色を失った唇をふたりは重ね合わせ、踊るように動く舌を絡ませ合わす。
そして会陰の奥でひっそりと蜜を滴らせ花開く花弁を、ゆるやかに擦りあわせた。姉はとてもゆっくりと長い時間をかけてわたしを官能の高みへと導く。そしてその永遠に続くかというような官能の高みで、わたしたちは繰り返し繰り返し熱い肌を抱きしめ合う。
それは、現実にあったことなのだけれども。
その全てが夢の中で起こったことのように、思えるのは。
わたしが姉の手によって官能の絶頂で意識をほとんど手放してしまっていたからなのだと、思う。
わたしたちは快楽の燃え盛る炎で風を起こし、夜に横たわる神秘の海を超えていった。
繰り返される絶頂の中で息も絶え絶えとなったわたしの耳元に、姉はなんども囁きかける。
「忘れないで、これを」
姉は何度も、繰り返す。
「忘れないで、これを。これは、最後の希望。暗闇に閉ざされた海に灯された、灯台の明かり」
姉は何度も、繰り返す。
「忘れないで、これを」
わたしは永遠に朝がこないのではないかと、思った。
でも最後に朝は訪れ、別離の時がくる。
❖
「ようこそ、よく来てくださいました」
その人は、思ったより穏やかな物腰で、しかしとてもしっかりした口調で言った。もっとも、その声は彼がつけている仮面によって不明瞭なものになっていたが。
「それにしても、わたしでよろしいんですか?」
わたしはここの雰囲気にのまれていた。
高層マンションの最上階の部屋。シンプルなデザインのリビングルームだ。
この高層マンションは、双子の塔を思わせる構成になっている。一方の壁は全面が窓になっており、窓の向こうには双子の片割れであるもうひとつの高層ビルが見えた。
見下ろすと昼下がりの街が、パノラマのように広がっている。そして、このリビングのソファに寛いで座っている仮面をつけた男が、このマンションのオーナーだった。
革で出来た仮面は、顔面をすっかり覆っている。そして、仮面の向こうに見えるのは二つの瞳だけだ。それ以外の部分はすっかり隠されている。
「もちろん。二年前にあなたが幻想文学の賞をとられたときから、ずっとわたしはあなたのファンでした」
仮面の男の声はとても落ち着いている。年齢は仮面のせいでよく判らないが、案外若いようにも思えた。
彼はわたしの緊張した様子を察してか、ポットからお茶を注ぎ、わたしにすすめる。
わたしはふとポットを持つその手に目がとまった。女性のように綺麗な長い指をしている。
彼は穏やかな口調で言った。
「仮面をつけたままでいることを、お許し下さい。お聞きになっているとは思うが、去年顔に酷い火傷を負ったものでね」
「はあ」
わたしは曖昧に頷く。わたしは仮面の男の瞳から目をそらし、机に置かれた原稿用紙の束を見る。ワープロソフトで印字されたらしい文字が、その原稿用紙を埋めていた。
「それで、あの、これがわたしが読ませていただく作品なのですか?」
彼は頷く。
「あなたのようなプロ作家の方から見れば、とてもつまらない駄文かもしれませんが」
わたしは思わず手を振って否定する。
「とんでもないです。わたしこそ、プロといってもまだ小説だけでは食べていけない状態ですし、それにこの一年は何も作品を書いていません。わたしよりももっと的確なアドバイスができる人はいくらでも」
仮面の男は、手をあげてわたしを制する。その瞳は笑みを湛えているように、わたしには思えた。
「勘違いしていただいては困るのですが」
彼は少し、身を乗り出す。その瞳がわたしを真っ直ぐ見つめ、わたしは居心地が悪くなり少し咳払いをした。
「ユング心理学では自己実現というそうですね。社会的に成功し、経済的に安定した人間が突然、はたから見るとなんの意味もないようなことに熱中しだす。例えば、画家を目指してみたり、小説家を志したり。わたしのやっていることは、まあそういうものかと思っています」
「はあ」
わたしはまた、曖昧に頷く。
「自己実現ですか」
「そうです。別にわたしはプロの作家として成功したいと思っている訳ではないです。また、優れた文筆家になりたいと思っている訳でもない。こう思ってもらえればいい。わたしには資産があり、社会的な力もあるので、読者を選ぶことができる。わたしはあなたを選んだ。ある意味かかりつけの医者やカウンセラーを選ぶようにね。ああ、こういう言い方は失礼だったかもしれない。すみません」
「とんでもないです」
わたしは少し赤面した。
「わたしではとても文章の指導なんてできないと思いますので」
「優れた作家が、優れた指導者である必然性は全く無い。あなたはわたしの作品を読み、好き勝手な感想を言ってくれればいい。まあ、あなたからしてみれば、つまらない文章につきあわされることになるのかもしれないが、そこはビジネスと割り切って下さい。あなたを拘束する時間に十分見合う対価は支払うつもりだ」
「それはもう」
彼から支払われる金額は、わたしが文章を書くことによって稼ぐ金額を遥かに上回るものだった。
夢に出てくるのは、双子の姉。今は行方知れずとなり、会うことが叶わないわたしの姉。
いつも繰り返し夢にみるのは、姉が旅立つ前最後にわたしの元へ来たときのことだ。あの時わたしたちが味わった経験は、いったいなんだろうと思う。それはおそらく未だに、わたしの中で消化しきれていないことだ。
だから、わたしは。
あの時のことを、繰り返し繰り返し夢にみるんだと思う。いつも夢は、深夜過ぎの出来事を演じる。蒼褪めた光が部屋を満たし、わたしたちは深い海の底を漂っているのではないかと思う。
でも、わたしたちがいるのはいつもベッドの上だった。わたしがいつも使っているシングルベッドは、幻想的な海を渡る船となり、精霊たちが飛び交う神秘の海に浮かぶ孤島となる。
その蒼い世界で横たわるわたしたちは、ふたりとも生まれたままの姿だ。白い胸の双丘を合わせ、尖った先端を混じり合わせるように重ねる。
蒼い闇で色を失った唇をふたりは重ね合わせ、踊るように動く舌を絡ませ合わす。
そして会陰の奥でひっそりと蜜を滴らせ花開く花弁を、ゆるやかに擦りあわせた。姉はとてもゆっくりと長い時間をかけてわたしを官能の高みへと導く。そしてその永遠に続くかというような官能の高みで、わたしたちは繰り返し繰り返し熱い肌を抱きしめ合う。
それは、現実にあったことなのだけれども。
その全てが夢の中で起こったことのように、思えるのは。
わたしが姉の手によって官能の絶頂で意識をほとんど手放してしまっていたからなのだと、思う。
わたしたちは快楽の燃え盛る炎で風を起こし、夜に横たわる神秘の海を超えていった。
繰り返される絶頂の中で息も絶え絶えとなったわたしの耳元に、姉はなんども囁きかける。
「忘れないで、これを」
姉は何度も、繰り返す。
「忘れないで、これを。これは、最後の希望。暗闇に閉ざされた海に灯された、灯台の明かり」
姉は何度も、繰り返す。
「忘れないで、これを」
わたしは永遠に朝がこないのではないかと、思った。
でも最後に朝は訪れ、別離の時がくる。
❖
「ようこそ、よく来てくださいました」
その人は、思ったより穏やかな物腰で、しかしとてもしっかりした口調で言った。もっとも、その声は彼がつけている仮面によって不明瞭なものになっていたが。
「それにしても、わたしでよろしいんですか?」
わたしはここの雰囲気にのまれていた。
高層マンションの最上階の部屋。シンプルなデザインのリビングルームだ。
この高層マンションは、双子の塔を思わせる構成になっている。一方の壁は全面が窓になっており、窓の向こうには双子の片割れであるもうひとつの高層ビルが見えた。
見下ろすと昼下がりの街が、パノラマのように広がっている。そして、このリビングのソファに寛いで座っている仮面をつけた男が、このマンションのオーナーだった。
革で出来た仮面は、顔面をすっかり覆っている。そして、仮面の向こうに見えるのは二つの瞳だけだ。それ以外の部分はすっかり隠されている。
「もちろん。二年前にあなたが幻想文学の賞をとられたときから、ずっとわたしはあなたのファンでした」
仮面の男の声はとても落ち着いている。年齢は仮面のせいでよく判らないが、案外若いようにも思えた。
彼はわたしの緊張した様子を察してか、ポットからお茶を注ぎ、わたしにすすめる。
わたしはふとポットを持つその手に目がとまった。女性のように綺麗な長い指をしている。
彼は穏やかな口調で言った。
「仮面をつけたままでいることを、お許し下さい。お聞きになっているとは思うが、去年顔に酷い火傷を負ったものでね」
「はあ」
わたしは曖昧に頷く。わたしは仮面の男の瞳から目をそらし、机に置かれた原稿用紙の束を見る。ワープロソフトで印字されたらしい文字が、その原稿用紙を埋めていた。
「それで、あの、これがわたしが読ませていただく作品なのですか?」
彼は頷く。
「あなたのようなプロ作家の方から見れば、とてもつまらない駄文かもしれませんが」
わたしは思わず手を振って否定する。
「とんでもないです。わたしこそ、プロといってもまだ小説だけでは食べていけない状態ですし、それにこの一年は何も作品を書いていません。わたしよりももっと的確なアドバイスができる人はいくらでも」
仮面の男は、手をあげてわたしを制する。その瞳は笑みを湛えているように、わたしには思えた。
「勘違いしていただいては困るのですが」
彼は少し、身を乗り出す。その瞳がわたしを真っ直ぐ見つめ、わたしは居心地が悪くなり少し咳払いをした。
「ユング心理学では自己実現というそうですね。社会的に成功し、経済的に安定した人間が突然、はたから見るとなんの意味もないようなことに熱中しだす。例えば、画家を目指してみたり、小説家を志したり。わたしのやっていることは、まあそういうものかと思っています」
「はあ」
わたしはまた、曖昧に頷く。
「自己実現ですか」
「そうです。別にわたしはプロの作家として成功したいと思っている訳ではないです。また、優れた文筆家になりたいと思っている訳でもない。こう思ってもらえればいい。わたしには資産があり、社会的な力もあるので、読者を選ぶことができる。わたしはあなたを選んだ。ある意味かかりつけの医者やカウンセラーを選ぶようにね。ああ、こういう言い方は失礼だったかもしれない。すみません」
「とんでもないです」
わたしは少し赤面した。
「わたしではとても文章の指導なんてできないと思いますので」
「優れた作家が、優れた指導者である必然性は全く無い。あなたはわたしの作品を読み、好き勝手な感想を言ってくれればいい。まあ、あなたからしてみれば、つまらない文章につきあわされることになるのかもしれないが、そこはビジネスと割り切って下さい。あなたを拘束する時間に十分見合う対価は支払うつもりだ」
「それはもう」
彼から支払われる金額は、わたしが文章を書くことによって稼ぐ金額を遥かに上回るものだった。
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