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第二話
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「ああ、あなたがわたしの文章をけなしたからといって支払う金額を減らすつもりはありませんので、どうぞ忌憚無く感想を述べてください」
わたしはなぜか頬を紅く染めてしまう。彼が仮面の下で、くすくす笑うのが聞こえた。
「あなたは、若く美しく才能もある。しかしまるで心は少女のような方ですね。ところで、まだ新しい作品はお書きにならないのですか?」
「ええ」
頷いたわたしに、仮面の男はため息をつく。
「あの、一年前の不幸な事故のせいですか」
「いえ、事故自体はありふれた交通事故でわたしには大した怪我はなく、事故の原因も多分わたしの不注意からおきたものなんですけど」
わたしの言い方が奇妙だったせいか、仮面の男の瞳が問いを投げかけている。
「あの、多分不注意といったのは事故の時の、記憶が無くなっているせいなんです」
仮面の男は呟くように言った。
「記憶が無い?」
「ええ。わたしは気がつくと山の中で車に乗って崖の下にいました。その時酷く頭を打ったらしく、事故の前三ヶ月ほどの記憶が無くなってしまったんです」
仮面の男はため息をつく。
「驚いたな。ただの事故と思っていましたが」
「いえ、ただの事故なんですけれどね。でもそれからなぜか書けなくなってしまったんです。それになせが文書を書くのに使っていたノートパソコンまでなくしてしまって」
「ファンとしてはとても残念なことです」
彼はとても静かにそう言った。そして、言葉を続ける。
「やはり事故のショックが心理的に影響しているんでしょうか」
「一時的なものだとは思います。今はある意味充電期間として、とらえようと思ってはいるのですが」
「まあ、あなたがばりばり書いておられれば、今回のように素人の作品を読んでいただくというお願いも聞いてもらえなかったでしょうから、わたしにとってはいいチャンスだということになりますが」
わたしは原稿用紙を手にとる。
「それで、この作品をここでお読みすればいいのですか」
「ええ。それで勝手なお願いですが、声に出して読んで欲しいのですが」
わたしは頷くと、原稿用紙に書かれたタイトルを見る。
そこには、こう書かれていた。
『暗黒図書館』
父が家族の解散を宣言したのは、母が死んで二ヶ月が過ぎた日だ。
母は五十歳という若いとはいえないかもしれないが、死ぬには早過ぎる年齢で亡くなった。母の命を奪ったのは、癌である。母は遺言で葬儀を行わず家族、つまりわたしとわたしの双子の姉、それに父だけで見送って欲しいと言い残していた。
父がその遺言をどういう気持ちで受け取ったのかは、よく判らない。父はわたしの目から見ると事務的にも見える手際のよさで全てを処理した。
母が病に倒れるまで、いや亡くなるまではわたしたちは平凡な家族だったように思う。けれども母の死に関わる全てが終わったとたん、まるでそれまでのことがただのお芝居でしたというように、瓦解していった。
父は平凡なサラリーマンだったと思う。
なぜ父はあんなことを言ったのだろうか
それはとある休日の、昼下がりのことだった。
――わたしたち家族はもう終わりにしようと思う。つまり家族の解散だ。
――それもいいかもね。
姉は、物凄くあっさりと合意した。
――ちょっと、それどういう意味なの?
わたしの言葉に、父はあっさりと答える。
――お前たちはもう大人だ。ちゃんと経済的にも精神的にも自立している。わたしたちが一緒に暮らす理由もあるまい。
――父さん、何を、
わたしの戸惑いをよそに、父と姉は互いに了解しあっているようだ。姉は笑みすら浮かべて父の言葉を聞いている。
――それとわたしは昨日会社を退職してきた。
――なんですって?
――わたしは明日から旅に出る。もうお前たちに会うことも無いだろう。
そう言い残すと、父は自分の部屋へ篭ってしまった。わたしは姉を見る。姉は笑みを浮かべたまま言った。
――わたしもこの家を出るつもり。
――姉さん。
――ああ、わたしは別に二度と会うつもりは無いなんて言わないわよ。ただ、ちょっとここから離れたところに就職が決まったものだから。
姉は、大学を卒業してすぐ電気メーカの事務職に就職したわたしと違って、文学部の大学院生として学校に留まっていた。姉がいうには彼女の論文を東北のほうの大学に所属している教授が興味を持ち、研究室にくるよう誘い掛けられたということらしい。姉の論文は確かインド古代哲学のようなものを扱っていたはずだ。
――あんたはここの家に残りなよ。わたし、ときどき帰ってくるから。父さんだってそのうち帰ってくるでしょうよ。
わたしはなぜか頬を紅く染めてしまう。彼が仮面の下で、くすくす笑うのが聞こえた。
「あなたは、若く美しく才能もある。しかしまるで心は少女のような方ですね。ところで、まだ新しい作品はお書きにならないのですか?」
「ええ」
頷いたわたしに、仮面の男はため息をつく。
「あの、一年前の不幸な事故のせいですか」
「いえ、事故自体はありふれた交通事故でわたしには大した怪我はなく、事故の原因も多分わたしの不注意からおきたものなんですけど」
わたしの言い方が奇妙だったせいか、仮面の男の瞳が問いを投げかけている。
「あの、多分不注意といったのは事故の時の、記憶が無くなっているせいなんです」
仮面の男は呟くように言った。
「記憶が無い?」
「ええ。わたしは気がつくと山の中で車に乗って崖の下にいました。その時酷く頭を打ったらしく、事故の前三ヶ月ほどの記憶が無くなってしまったんです」
仮面の男はため息をつく。
「驚いたな。ただの事故と思っていましたが」
「いえ、ただの事故なんですけれどね。でもそれからなぜか書けなくなってしまったんです。それになせが文書を書くのに使っていたノートパソコンまでなくしてしまって」
「ファンとしてはとても残念なことです」
彼はとても静かにそう言った。そして、言葉を続ける。
「やはり事故のショックが心理的に影響しているんでしょうか」
「一時的なものだとは思います。今はある意味充電期間として、とらえようと思ってはいるのですが」
「まあ、あなたがばりばり書いておられれば、今回のように素人の作品を読んでいただくというお願いも聞いてもらえなかったでしょうから、わたしにとってはいいチャンスだということになりますが」
わたしは原稿用紙を手にとる。
「それで、この作品をここでお読みすればいいのですか」
「ええ。それで勝手なお願いですが、声に出して読んで欲しいのですが」
わたしは頷くと、原稿用紙に書かれたタイトルを見る。
そこには、こう書かれていた。
『暗黒図書館』
父が家族の解散を宣言したのは、母が死んで二ヶ月が過ぎた日だ。
母は五十歳という若いとはいえないかもしれないが、死ぬには早過ぎる年齢で亡くなった。母の命を奪ったのは、癌である。母は遺言で葬儀を行わず家族、つまりわたしとわたしの双子の姉、それに父だけで見送って欲しいと言い残していた。
父がその遺言をどういう気持ちで受け取ったのかは、よく判らない。父はわたしの目から見ると事務的にも見える手際のよさで全てを処理した。
母が病に倒れるまで、いや亡くなるまではわたしたちは平凡な家族だったように思う。けれども母の死に関わる全てが終わったとたん、まるでそれまでのことがただのお芝居でしたというように、瓦解していった。
父は平凡なサラリーマンだったと思う。
なぜ父はあんなことを言ったのだろうか
それはとある休日の、昼下がりのことだった。
――わたしたち家族はもう終わりにしようと思う。つまり家族の解散だ。
――それもいいかもね。
姉は、物凄くあっさりと合意した。
――ちょっと、それどういう意味なの?
わたしの言葉に、父はあっさりと答える。
――お前たちはもう大人だ。ちゃんと経済的にも精神的にも自立している。わたしたちが一緒に暮らす理由もあるまい。
――父さん、何を、
わたしの戸惑いをよそに、父と姉は互いに了解しあっているようだ。姉は笑みすら浮かべて父の言葉を聞いている。
――それとわたしは昨日会社を退職してきた。
――なんですって?
――わたしは明日から旅に出る。もうお前たちに会うことも無いだろう。
そう言い残すと、父は自分の部屋へ篭ってしまった。わたしは姉を見る。姉は笑みを浮かべたまま言った。
――わたしもこの家を出るつもり。
――姉さん。
――ああ、わたしは別に二度と会うつもりは無いなんて言わないわよ。ただ、ちょっとここから離れたところに就職が決まったものだから。
姉は、大学を卒業してすぐ電気メーカの事務職に就職したわたしと違って、文学部の大学院生として学校に留まっていた。姉がいうには彼女の論文を東北のほうの大学に所属している教授が興味を持ち、研究室にくるよう誘い掛けられたということらしい。姉の論文は確かインド古代哲学のようなものを扱っていたはずだ。
――あんたはここの家に残りなよ。わたし、ときどき帰ってくるから。父さんだってそのうち帰ってくるでしょうよ。
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