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第十四話
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わたしの声は、銃撃の轟音によって掻き消された。
わたしは幻覚から醒め、現実世界へと戻る。
父が、自動ライフルを撃っている。
自動ライフルの銃弾は、わたしたちがここに入ってきた扉をずたずたに破壊した。
その破壊された扉の向こうから、一人の男が入ってくる。奇妙な風体の男だった。
黒いインバネスを身に纏ったその男は、鍔広の帽子でその顔を隠している。妙に現実感が希薄な、そう、まるで影でできているような男だった。
父は、再び自動ライフルを撃つ。何発もの銃弾が影のような男を貫く。きらきらと光るカートリッジが暗黒図書館の床に撒き散らされていった。やがて銃弾がつきライフルは沈黙する。
しかし、影の男は何事もなかったように立っていた。影の男は父に語りかける。
――そんなものに何の意味もないことを知っているだろう。
父は自動ライフルを投げ捨てた。
――確かめただけさ。おまえは幻影にすぎないことをな。
――そうだ。おれは、リンガシャリーラ。もう肉体から解放された。
――おまえは、ひと喰いの本から戻ってきた者だからな。
影の男は父から目をそらし、わたしを見る。
――よかった。どうやら間に合ったようだな。
――さて、それはどうかな。
突然、わたしは立ちあがった。わたしの身体はわたし以外の者が持つ意思によって支配されている。
わたしは自分の身体がすることを、ただ見つめているだけだ。
わたしの手が書棚へのび、一冊の本を取った。わたしの手は、それを父に向かって放り投げる。父はその本を手に取った。
――父さん、それを読んで。
わたしの口を使って、誰かが叫ぶ。父は頷くと、本を朗読し始めた。
それは何語ともつかない、そして音楽とも呪文の詠唱ともとれるような奇妙な朗読だ。
そして、その朗読に合わせ、影の男の身体が震え、形が歪む。まるで水に映った映像が水面に起きる漣によって震える様を、見るようだ。
――ヴェーダの音か。プラーナを、呼び覚ます。やっかいだな。
影の男が呟く。
――お前がわたしに逆らうのであれば、仕方ない。お前を喰らう。
父は朗読し続けていたが、それと同時に父の記憶が溢れ始めた。暗黒図書館の中に父が持つ記憶の映像が、浮かび上がってゆく。おそらく父の友人、恋人であったであろう人々が行き交い、父が見たものであろう風景が浮かんでは消える。
父の朗読は続いたが、次第にそれは弱まっていった。それと同時にあたりに満ち溢れた記憶の映像も、次第に光と影、そして色彩の断片となってゆく。鋏で無茶苦茶に無数の虹を切り刻んで、撒き散らせばこんな感じになるだろうか。
やがて、煌めく光の中から獣頭蛇身のあの神が姿を現す。幾本にも別れた尾の先には、ひとりのおんなが捕らえられている。
裸体のおんなは蛇の尾に絡め取られ、その股間には尾の先が差し込まれ激しく動いていた。おんなは官能の高まりに耐えきれぬように身悶えすると、父に抱きつく。
おんなの顔は黒い髪に覆われ、見ることができない。しかし剥き出しである唇を父の口に押し当てると、両の手を父の下腹へと伸ばす。
突然、おんなの髪がふたつに割れ中から顔が現れる。
それは、母の顔だ。
母は快楽に襲われながらもそれに抗い、自分を取り戻そうとしている。
母の顔が、苦悩に歪んだ。
そして、母は叫ぶ。
――逃げなさい、あなたはまだ目覚めていない。まだ、戦うことはできないわ。
わたしの身体を支配している者は、身を翻し隣の部屋へゆく。わたしは既に自分自身の傍観者に過ぎなかった。
わたしは本に喰われた者の身体が置かれている部屋を通り抜け、さらに奥の扉をひらく。そこには細長い通路があった。わたしはそこをさらに駆け抜ける。
やがてわたしは通路の端につく。そこにある扉を開いて外へ出る。そこは下水道だった。わたしは地底の迷宮のような下水道を駆け続ける。随分長い距離を走り続けた。一時間以上は走っていただろうか。そしてわたしは、とある梯子を昇る。
マンホールから地上に出た。そこは、夜の住宅街だ。
わたしは、住宅地の中を走り抜け、二十四時間対応の無人駐車場につく。そこには、父と一緒に銀行へ入ったバンドのメンバがいた。
その男は、父がおらず一人きりのわたしを見ても何も言わない。ただ黙って車のキーを渡す。わたしは男からキーを受け取ると用意されていた国産中型車に乗った。
わたしは夜の街を車で走る。
行き先はどうも都外らしい。やがて、車は山の中へと入っていった。
❖
わたしは読み終えた原稿用紙を机におく。
「やはりこれは、わたしの物語でしたね」
「思い出されましたか?」
仮面の男の問いかけに、わたしは答える。
「はい。これは基本的にはわたしが書いたもの。わたしのノートパソコンにあった文章を改稿したのね。それと」
わたしは、仮面の男を見つめる。
「わたしの中の姉が、もう隠れ続けることはできないと知ったようです」
「ではあなたはやはり、『月子』だったのですね」
「ええ」
わたしはもうわたしではなかった。わたしは何者かに支配されている。
「それが問題でした。暗黒図書館からあなたが脱出した後、わたしたちはずっとあなたを監視していた。あなたの中に月子の影は認められなかった。ただあなたが月子ではないという、決定的な証拠もない。わたしたちは確認するためにあなたにコンタクトをとることにした。もしあなたが陽子であれば、この物語を読んでも無反応だったと思います。けれど、あなたが月子であればあなたは見せかけの仮面をはずさざるおえないでしょう。あなたの反応が現れるのは予想以上に早かった。結果的に三日で終わった」
わたしを支配する者は、仮面の男に言った。
「あなたも、もう仮面をおとりになってはどうです」
男は仮面をはずす。その下から現れた顔には火傷の跡などない。そして、その顔はわたしのよく知っているもの顔だ。その顔は、父の顔だった。
わたしは幻覚から醒め、現実世界へと戻る。
父が、自動ライフルを撃っている。
自動ライフルの銃弾は、わたしたちがここに入ってきた扉をずたずたに破壊した。
その破壊された扉の向こうから、一人の男が入ってくる。奇妙な風体の男だった。
黒いインバネスを身に纏ったその男は、鍔広の帽子でその顔を隠している。妙に現実感が希薄な、そう、まるで影でできているような男だった。
父は、再び自動ライフルを撃つ。何発もの銃弾が影のような男を貫く。きらきらと光るカートリッジが暗黒図書館の床に撒き散らされていった。やがて銃弾がつきライフルは沈黙する。
しかし、影の男は何事もなかったように立っていた。影の男は父に語りかける。
――そんなものに何の意味もないことを知っているだろう。
父は自動ライフルを投げ捨てた。
――確かめただけさ。おまえは幻影にすぎないことをな。
――そうだ。おれは、リンガシャリーラ。もう肉体から解放された。
――おまえは、ひと喰いの本から戻ってきた者だからな。
影の男は父から目をそらし、わたしを見る。
――よかった。どうやら間に合ったようだな。
――さて、それはどうかな。
突然、わたしは立ちあがった。わたしの身体はわたし以外の者が持つ意思によって支配されている。
わたしは自分の身体がすることを、ただ見つめているだけだ。
わたしの手が書棚へのび、一冊の本を取った。わたしの手は、それを父に向かって放り投げる。父はその本を手に取った。
――父さん、それを読んで。
わたしの口を使って、誰かが叫ぶ。父は頷くと、本を朗読し始めた。
それは何語ともつかない、そして音楽とも呪文の詠唱ともとれるような奇妙な朗読だ。
そして、その朗読に合わせ、影の男の身体が震え、形が歪む。まるで水に映った映像が水面に起きる漣によって震える様を、見るようだ。
――ヴェーダの音か。プラーナを、呼び覚ます。やっかいだな。
影の男が呟く。
――お前がわたしに逆らうのであれば、仕方ない。お前を喰らう。
父は朗読し続けていたが、それと同時に父の記憶が溢れ始めた。暗黒図書館の中に父が持つ記憶の映像が、浮かび上がってゆく。おそらく父の友人、恋人であったであろう人々が行き交い、父が見たものであろう風景が浮かんでは消える。
父の朗読は続いたが、次第にそれは弱まっていった。それと同時にあたりに満ち溢れた記憶の映像も、次第に光と影、そして色彩の断片となってゆく。鋏で無茶苦茶に無数の虹を切り刻んで、撒き散らせばこんな感じになるだろうか。
やがて、煌めく光の中から獣頭蛇身のあの神が姿を現す。幾本にも別れた尾の先には、ひとりのおんなが捕らえられている。
裸体のおんなは蛇の尾に絡め取られ、その股間には尾の先が差し込まれ激しく動いていた。おんなは官能の高まりに耐えきれぬように身悶えすると、父に抱きつく。
おんなの顔は黒い髪に覆われ、見ることができない。しかし剥き出しである唇を父の口に押し当てると、両の手を父の下腹へと伸ばす。
突然、おんなの髪がふたつに割れ中から顔が現れる。
それは、母の顔だ。
母は快楽に襲われながらもそれに抗い、自分を取り戻そうとしている。
母の顔が、苦悩に歪んだ。
そして、母は叫ぶ。
――逃げなさい、あなたはまだ目覚めていない。まだ、戦うことはできないわ。
わたしの身体を支配している者は、身を翻し隣の部屋へゆく。わたしは既に自分自身の傍観者に過ぎなかった。
わたしは本に喰われた者の身体が置かれている部屋を通り抜け、さらに奥の扉をひらく。そこには細長い通路があった。わたしはそこをさらに駆け抜ける。
やがてわたしは通路の端につく。そこにある扉を開いて外へ出る。そこは下水道だった。わたしは地底の迷宮のような下水道を駆け続ける。随分長い距離を走り続けた。一時間以上は走っていただろうか。そしてわたしは、とある梯子を昇る。
マンホールから地上に出た。そこは、夜の住宅街だ。
わたしは、住宅地の中を走り抜け、二十四時間対応の無人駐車場につく。そこには、父と一緒に銀行へ入ったバンドのメンバがいた。
その男は、父がおらず一人きりのわたしを見ても何も言わない。ただ黙って車のキーを渡す。わたしは男からキーを受け取ると用意されていた国産中型車に乗った。
わたしは夜の街を車で走る。
行き先はどうも都外らしい。やがて、車は山の中へと入っていった。
❖
わたしは読み終えた原稿用紙を机におく。
「やはりこれは、わたしの物語でしたね」
「思い出されましたか?」
仮面の男の問いかけに、わたしは答える。
「はい。これは基本的にはわたしが書いたもの。わたしのノートパソコンにあった文章を改稿したのね。それと」
わたしは、仮面の男を見つめる。
「わたしの中の姉が、もう隠れ続けることはできないと知ったようです」
「ではあなたはやはり、『月子』だったのですね」
「ええ」
わたしはもうわたしではなかった。わたしは何者かに支配されている。
「それが問題でした。暗黒図書館からあなたが脱出した後、わたしたちはずっとあなたを監視していた。あなたの中に月子の影は認められなかった。ただあなたが月子ではないという、決定的な証拠もない。わたしたちは確認するためにあなたにコンタクトをとることにした。もしあなたが陽子であれば、この物語を読んでも無反応だったと思います。けれど、あなたが月子であればあなたは見せかけの仮面をはずさざるおえないでしょう。あなたの反応が現れるのは予想以上に早かった。結果的に三日で終わった」
わたしを支配する者は、仮面の男に言った。
「あなたも、もう仮面をおとりになってはどうです」
男は仮面をはずす。その下から現れた顔には火傷の跡などない。そして、その顔はわたしのよく知っているもの顔だ。その顔は、父の顔だった。
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