暗黒図書館【R18】

ヒルナギ

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第十三話

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 わたしはその本を手に取る。
 分厚く重たい本だ。サイズもA3くらいあるだろうか。
 百科事典を手に取ったような気になる。
 革でできた頑丈な表紙をひらき、ページを見た。わたしは奇妙な幻惑を感じる。丁度、目の焦点があっていないときのように、ページがぼんやりと霞んで見えた。わたしは思わず瞬きする。
 暫くすると、そこに字が浮かび上がってきた。カメラのピントを合わす感覚によく似ている。わたしは浮かび上がった文字を読む。日本語だった。

『 姉の勤めていた研究室。そこには姉の恋人だった藤田という男がいる。わたしはその藤田に会いに行った。
 わたしが藤田とあったのは研究室があるビルの一階にあるロビーだ。藤田は、わたしを見てさっと蒼ざめた。

――月子なのか?

――いいえ、わたしは妹の陽子です。

 藤田は暫く怯えたような顔でわたしを見ていたが、やがて溜息をついて首を振った。わたしは藤田に問い掛ける。

――なぜあなたは亡霊でも見るようにわたしを見たのです。

――そりゃあ、

 藤田は躊躇いながら、口を開く。

――あなたがあまりに月子にそっくりだったから。』

 わたしは思わず目をあげて、父に話し掛けた。

――これは一体どういうこと。

――何が書いてあるんだ。

 父は平然と問い返す。

――これって、わたしの記憶だわ。

――そうだ。

 父は落ちついた声で言う。

――人喰の本に書かれているのは、実際には点の集まりでしかない。ヴェーダのテクノロジーに基づいた呪術的法則性を持った点の集まり。それは人間の無意識領域に感知され、体内を巡るプラーナを活性化して幻覚を見せる。つまり、言語情報化された記憶だよ。

 父は、眼差しで読み続けるように指示する。

――読みなさい。記憶は人喰の本へとダウンロードされてゆく。そして、その本が君の記憶を遡り、やがて君の身体へと入り込もうとする。そのときこそ、月子を本の中から救い出すチャンスなんだ。

 わたしは本を読み出した。
 わたしは自分自身の経験を文字情報として追体験していく。
 記憶は次第に過去へと遡って行った。ひと喰いの本には、わたしの人生が現在から過去に向かって記述されている。
 わたしは物凄いスピードでわたしの人生を追体験していた。二十年以上の時間が、ほんの数分間に圧縮されている。それだけに、わたしの頭の中では色々なことが渦巻いていた。

――もうすぐだ。

 父がわたしの前で言った。

――暗黒図書館が君に入り込もうと、する。それはあまり楽しくはない経験に、なるはずだがね。

 記憶の中には、様々な感情が付与されている。それは喜びや悲しみ、恐怖や怒り、そうしたものが記憶には必ず付属しておりそれらの感情を呼び覚まされる。
 でも、それだけではなかった。
 記憶の中にある秘めやかな部分、性的な欲情や興奮も避けて通ることはできない。
 わたしは、性にまつわる感情の占める比重が次第に大きくなるのを感じる。
 それらはとても強いエネルギーを持ち、さらにわたしの身体に密接に結びつく。
 わたしが過去に感じた様々な性的な悦び、それに伴う愛や欲情。
 多分それらを通じて本は、わたしに入り込もうとしていた。
 高校生の時、密かに体育館倉庫の片隅で行った隠秘な経験や。
 もう少しおとなになったときに味わった、恋人との逢瀬などが。
 その時に行った秘めやかな部分を探り合い、愛撫しあい、舌で粘膜の感触を確かめ合うような。
 そんな性にまつわる経験の記憶が、次々と呼び覚まされる。
 わたしの身体奥深くが反応し、その部分が性的な行為を行っているような状態になりつつあった。

――言ってなかったがヴェーダのテクノロジーは密教でいう荼枳尼天を祀る真言立川詠天流の教えの、元となっている。
 君が性的エクスタシーを得て忘我の状態になったとき、本は君に入り込む。

 そう言い終えたとき、父は唐突に立ち上がった。

――どうしたの?

 立ちあがろうとしたわたしを、父は制する。

――急げ、早く読み尽くすんだ。敵がくる。

 父は自動ライフルを手にする。
 わたしは再び本に集中した。気がつくと、わたしは全裸になり本を手にしている。
 白い胸の双丘や、下腹の底にある秘めやかな所が空気に触れ、熱く息づくのを感じる。
 嘘だと、思う。
 わたしは服を着ている、これは幻覚なのだ。
 そう思った瞬間、わたしの眼の前にある景色はさらに崩壊する。
 わたしは、闇の中にひとり佇む。闇の向こうに、誰かがいた。
 獣頭蛇身の神の姿をした、何ものか。本の表紙に描かれていた存在。
 そのものは、獣の瞳でわたしを見ている。わたしの欲情を、感じとっていた。
 蛇のような身体には長い尾があり、その先端は幾つもにわかれている。
 そのうちの一本がわたしに近づいてきた。その先端は少し膨らみ男性のもつもののような形状をしていた。
 粘液に濡れているようにみえ、滑らかな表皮は薄紅色で少し光っている。その尾の先は、わたしの下腹の底に、這い寄ってきた。
 尾の先は細かく振動しているようで、触れるとわたしの身体に漣のような快楽をもたらす。
 尾の先がわたしの下腹にある毛に覆われた部分に触れ、その振動をさらに奥の秘めやかなところに伝えようとしていた。
 わたしの下腹は熟した果実のように濡れそぼり、熱く脈打つ。わたしの会陰からさらに奥にある花弁は、大きく花開き中心の亀裂は求めるように口を開いて蜜を垂らす。
 尾の先は何度もわたしに入り込もうとするが、わたしはそれを拒む。わたしの身体は耐え難いまでにその尾に蹂躙されることを望んでいたが、わたしは耐えていた。
 なぜ、耐えれたのか。
 おそらくそれらは姉の与えたあの深くそれでいて果てしない高みに至る絶頂には、遠く及ばないと知っていたからだ。姉とのあの夜を思い起こすことで、尾の先が与える快楽はどこか色褪せ、陳腐なものになる。
 わたしは尾の与える官能的快楽に満ちた感覚に抗いつつ、獣頭蛇身の存在が纏う闇の中に何かがいることを感じそこをみつめた。闇の中に、白い肌が閃くのを見る。厚く覆われた雲の切れ目から月の光がさすように、おんなの肌がみえた。
 おんなは、獣頭蛇身の神が持つ尾に身体を絡め取られ尾の先は股間にまで入り込んでいるようだ。おんなは獣頭蛇身の傍らで四つん這いとなり、何かに耐えているようにみえる。
 わたしはおんなに走り寄り、おんなの身体に絡まっていた蛇の尾を取り除いた。
 自由の身となったおんなは顔をあげ、わたしをみる。
 おんなは、わたしと同じ顔を持つ。
 そこで見たのは、姉の姿だった。
 わたしは呟く。

――姉さん、月子姉さん。
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