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第十二話
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父は少し間を置いて考えてから、言葉を続けた。
――例えば、こう思ってくれればいい。記憶は身体の様々な箇所に微細なピースとしてばら撒かれる。当てはまるべき、空白の全体像とセットでね。
欠損があっても全体像まで損なわれることは、ない。残った部分が補える。
――一応、理解できるような気がするけど、
わたしは父に尋ねる。
――それがひと喰いの本と、どうつながるの。
――もし、人間の身体に蓄積されている記憶の全体像を全て書き換えたらどうなると思う?
――誤った記憶を思い出すことになるわ。
――そうだ。人間は正常に思考できなくなり、意識が混乱する。これはある意味で究極の洗脳なのだよ。人喰の本は、それを読んだ人間の身体が保持している記憶の全体像を壊してしまう。そして、この図書館が保持する全体像を上書きする。つまり、この図書館に意識を乗っ取られるわけだ。そうすることによって、その人間の基礎代謝もコントロールし、死ぬぎりぎりの状態で肉体を保存する。
――一体どうやって
――そんなことができるのか、だね。ヴェーダを知っているかい?
――インドの古代哲学、だっと思うけど。
――まあ、そう言って差し支えはない。元々古代宗教では、人間の身体を密儀の神殿とみなすものが多い。ヴェーダは特にその傾向が、強いんだ。
例えば、ヴェーダの哲学から派生したヨーガというものがあるが、あれこそ密儀の神殿たる身体で神に至る儀式を行う技術だった。チャクラやクンダリーニは、そういうものを示す。
父はちょっと言葉をきってわたしを見つめる。
――ヴェーダは身体によって、脳内に生成される意識をコントロールできるテクノロジーなんだ。そして、身体を密儀の神殿にするために、蓄積された記憶の変成をすることも行う。
――姉さんは確か、
――そう、ヴェーダの研究をしていた。月子は人喰の本の原理を解明できると思っていた。つまり、ヴェーダのテクノロジーを利用して造られたのがこの暗黒図書館だと考えたんだ。
――ここはつまり、古代インドのテクノロジーで造られた洗脳マシンだということ?
――そうだ。ひと喰いの本は洗脳システムを作り上げる過程で生まれた副産物、あるいは洗脳プログラムの試作品といってもいいだろう。最終的にはある種のテレビやラジオの放送、音楽イベントなどを通じて人を洗脳できるようなシステムを作るのが目的だったと思えるがね。
父は皮肉な笑みを見せる。
――この上に建っているジェミニ・エンタープライズの高層マンション。ここは洗脳の実験場だ。ここの住民に提供されるケーブルテレビの番組では、ある特定の音が表層意識には感じ取れないレベルで流されている。その音によってこのマンションの住民の意識を、この暗黒図書館へとシンクロさせようとしているんだ。
――なぜ、そんなことを父さんは知っているの。
――わたしはジェミニ・エンタープライズの社内カウンセリングセンターで働いていたからね。
わたしは激しい眩暈を感じた。
――姉さんは、そのことを知っていたの。
――もちろん。
――なぜ、わたしだけなんにも知らなかったの。
――母さんと約束したからだ。
父は静かな笑みを見せた。
――双子が生まれたとき、一人は母さんに渡すけれど、一人はわたしがもらうということにした。月子はわたしがもらった。陽子、君は母さんのものだった。
――そんな。
わたしは両手で頭を押さえる。眩暈が止まらない。部屋全体が回っているような気がした。
――じゃあ、姉さんと父さんはここを破壊して洗脳を阻止しようとしているの?
――いや、ここを破壊すると既に洗脳されていると思われる数百人の人間が死ぬか発狂することになる。わたしたちはここをコントロールするつもりだ。
――姉さんは、ここのシステムを知るためにひと喰いの本を読んで、失敗して喰われたということ?
――いや、違うね。
父は奇妙な表情で、わたしを見る。
――月子が喰われるのは、予定通りだ。
わたしは父を見つめる。
――そんな、それじゃあ。
――ここをコントロールするには一度喰われて、もう一度戻ってくる必要がある。本に喰われても、戻る方法が一つだけある。
――それは、どういうやりかた?
――肉親、最も近い肉親がひと喰いの本を読む。その時に、喰われていた肉親の意識を吸い上げることができる。一番理想的なのは双子の場合。
わたしは思わず立ち上がった。
――そういうことだったのね!
わたしは首を振る。
――ではなぜ、それをわたしに伏せたままここにつれてきたの。始めから全てを説明していてくれれば。
――もし、最初に全てを説明していれば、間違いなく真っ直ぐ陽子はここへ来ただろうね。月子を救うために。
――そうよ。
――でも、月子はそれを望まなかった。だから賭けにした。もしかしたら君は、送られてきたメールを無視し続けたかもしれない。それならそれで、よしとすることにしていた。
――なぜ。
――リスクが高いからだ。わたしたちはこんな危険なことに君を巻き込むべきか迷っていたんだよ。陽子、君が本を読めば君も喰われるかもしれない。100パーセント月子の意識を吸い上げれる保証はないんだ。むしろ、五分五分といってもいい。双子といっても意識がそれほどシンクロしない場合もある。君たちがどの程度シンクロするかは、誰にもわからない。
――やるわ。この本を読む。
わたしは即座に答えた。父は溜息をつく。
――そうだろうね。君はそういう性格だ。いいだろう。やりなさい。
――例えば、こう思ってくれればいい。記憶は身体の様々な箇所に微細なピースとしてばら撒かれる。当てはまるべき、空白の全体像とセットでね。
欠損があっても全体像まで損なわれることは、ない。残った部分が補える。
――一応、理解できるような気がするけど、
わたしは父に尋ねる。
――それがひと喰いの本と、どうつながるの。
――もし、人間の身体に蓄積されている記憶の全体像を全て書き換えたらどうなると思う?
――誤った記憶を思い出すことになるわ。
――そうだ。人間は正常に思考できなくなり、意識が混乱する。これはある意味で究極の洗脳なのだよ。人喰の本は、それを読んだ人間の身体が保持している記憶の全体像を壊してしまう。そして、この図書館が保持する全体像を上書きする。つまり、この図書館に意識を乗っ取られるわけだ。そうすることによって、その人間の基礎代謝もコントロールし、死ぬぎりぎりの状態で肉体を保存する。
――一体どうやって
――そんなことができるのか、だね。ヴェーダを知っているかい?
――インドの古代哲学、だっと思うけど。
――まあ、そう言って差し支えはない。元々古代宗教では、人間の身体を密儀の神殿とみなすものが多い。ヴェーダは特にその傾向が、強いんだ。
例えば、ヴェーダの哲学から派生したヨーガというものがあるが、あれこそ密儀の神殿たる身体で神に至る儀式を行う技術だった。チャクラやクンダリーニは、そういうものを示す。
父はちょっと言葉をきってわたしを見つめる。
――ヴェーダは身体によって、脳内に生成される意識をコントロールできるテクノロジーなんだ。そして、身体を密儀の神殿にするために、蓄積された記憶の変成をすることも行う。
――姉さんは確か、
――そう、ヴェーダの研究をしていた。月子は人喰の本の原理を解明できると思っていた。つまり、ヴェーダのテクノロジーを利用して造られたのがこの暗黒図書館だと考えたんだ。
――ここはつまり、古代インドのテクノロジーで造られた洗脳マシンだということ?
――そうだ。ひと喰いの本は洗脳システムを作り上げる過程で生まれた副産物、あるいは洗脳プログラムの試作品といってもいいだろう。最終的にはある種のテレビやラジオの放送、音楽イベントなどを通じて人を洗脳できるようなシステムを作るのが目的だったと思えるがね。
父は皮肉な笑みを見せる。
――この上に建っているジェミニ・エンタープライズの高層マンション。ここは洗脳の実験場だ。ここの住民に提供されるケーブルテレビの番組では、ある特定の音が表層意識には感じ取れないレベルで流されている。その音によってこのマンションの住民の意識を、この暗黒図書館へとシンクロさせようとしているんだ。
――なぜ、そんなことを父さんは知っているの。
――わたしはジェミニ・エンタープライズの社内カウンセリングセンターで働いていたからね。
わたしは激しい眩暈を感じた。
――姉さんは、そのことを知っていたの。
――もちろん。
――なぜ、わたしだけなんにも知らなかったの。
――母さんと約束したからだ。
父は静かな笑みを見せた。
――双子が生まれたとき、一人は母さんに渡すけれど、一人はわたしがもらうということにした。月子はわたしがもらった。陽子、君は母さんのものだった。
――そんな。
わたしは両手で頭を押さえる。眩暈が止まらない。部屋全体が回っているような気がした。
――じゃあ、姉さんと父さんはここを破壊して洗脳を阻止しようとしているの?
――いや、ここを破壊すると既に洗脳されていると思われる数百人の人間が死ぬか発狂することになる。わたしたちはここをコントロールするつもりだ。
――姉さんは、ここのシステムを知るためにひと喰いの本を読んで、失敗して喰われたということ?
――いや、違うね。
父は奇妙な表情で、わたしを見る。
――月子が喰われるのは、予定通りだ。
わたしは父を見つめる。
――そんな、それじゃあ。
――ここをコントロールするには一度喰われて、もう一度戻ってくる必要がある。本に喰われても、戻る方法が一つだけある。
――それは、どういうやりかた?
――肉親、最も近い肉親がひと喰いの本を読む。その時に、喰われていた肉親の意識を吸い上げることができる。一番理想的なのは双子の場合。
わたしは思わず立ち上がった。
――そういうことだったのね!
わたしは首を振る。
――ではなぜ、それをわたしに伏せたままここにつれてきたの。始めから全てを説明していてくれれば。
――もし、最初に全てを説明していれば、間違いなく真っ直ぐ陽子はここへ来ただろうね。月子を救うために。
――そうよ。
――でも、月子はそれを望まなかった。だから賭けにした。もしかしたら君は、送られてきたメールを無視し続けたかもしれない。それならそれで、よしとすることにしていた。
――なぜ。
――リスクが高いからだ。わたしたちはこんな危険なことに君を巻き込むべきか迷っていたんだよ。陽子、君が本を読めば君も喰われるかもしれない。100パーセント月子の意識を吸い上げれる保証はないんだ。むしろ、五分五分といってもいい。双子といっても意識がそれほどシンクロしない場合もある。君たちがどの程度シンクロするかは、誰にもわからない。
――やるわ。この本を読む。
わたしは即座に答えた。父は溜息をつく。
――そうだろうね。君はそういう性格だ。いいだろう。やりなさい。
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