初夜での暗殺に失敗した私ですが、今宵も冷徹皇帝から甘く抱き尽くされております

葛和蛙蘭

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エピローグ

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 それから数か月が経った。
 ヴァルハイムで二度目の春を迎えようとしていた。

 エリシア付の筆頭侍女サーシャは、この日ばかりは珍しく落ち着きがなかった。
 緊張のあまり、エリシアのドレスに皺がないかたしかめ、自分の身なりまで何度も鏡で確認している。

「落ち着いて、サーシャ」
「落ち着いてなどいられません!」

 わたわたと首を振るサーシャに、エリシアは苦笑をこぼした。

「あなたったら、公爵がお見えになるときより緊張しているじゃないの」
「だって、エリシア様をお育てになった方がいらっしゃるのですよ! 失礼があっては……それに、もし“エリシア様が不便を強いられている”なんて思われたら、筆頭侍女失格ですからぁあ!」

 真っ赤になって叫ぶサーシャに、エリシアは思わず噴き出してしまった。

 今日は、エリシアの育ての親とも言うべき存在であるマーシャが訪れる日だった。
 嫁いで以来の再会だった。エリシアもまた、胸の高鳴りを抑えられなかった。

 そうこうしているうちに来訪の知らせを受ける。
 足早に来客の間へ行くと、そこには懐かしい姿があった。
 かっぷくの良い体つきに、まるまるとした人の好さそうな顔。
 相変わらずの穏やかな笑みに、エリシアは涙をこらえきれず抱きついた。

「マーシャ……! 変わりないわね!」
「はい、この通り元気にやっております。エリシア様こそ、すっかり……皇妃としての威厳と気品にあふれて……」

 マーシャの目に涙が浮かんだ。

「いえ、それ以上に――もう立派な“国母”でいらっしゃいますね」

 その視線の先にあるエリシアの腹は、ふっくらと膨らんでいた。
 彼女は新しい命を宿していたのだ。

「ええ。書状でも伝えたけれども、こうして呼んだのは、ぜひあなたにお願いしたいことがあったからなの」

 エリシアは微笑み、マーシャの手をそっと握った。

「あなたに生まれてくる子の筆頭侍女になってほしいの。無理を言ってしまってごめんなさい。でも、私にとっても初めてのことだから……あなたにいてもらえたら心強くて」
「光栄でございます」

 マーシャは深く頭を垂れた。

「この老体、命を懸けてお仕えいたします」

 隣で聞いていたサーシャが、かしこまって口を開く。

「エリシア様の初産のために万全を期しておりますが、もし何か不足がございましたら、どうかご教示ください」
「とんでもありません!」

 マーシャはおおげさなくらいに両手を振り、涙ぐみながら笑った。

「エリシア様はお顔色もよく、お元気そうで……ほんとうに安心しました。たいそうよく気を遣ってくださっているのでしょうね……」

 そう言ってもらえて緊張の糸が切れたのか、サーシャの目にも涙が浮かんだ。いつしか侍女ふたりは笑いながら泣き合っていた。
 エリシアもそんなふたりを見て、もらい泣きしている。
 おかしくて温かな光景だった。

 すこし離れた場所にいたクロヴィスは、こみ上げる笑みをこらえながらも、穏やかな瞳でそんな三人を見つめていた。


 ※

 その後、エリシアは午睡をとった。
 目覚めると、クロヴィスが執務の合間に様子を見に来ていた。
 ふたりは午後の庭園を散歩することにした。

 春になったばかりの庭に咲いている花はまだ少ない。
 花開こうと健気に力を蓄えているように見える小さな蕾が、エリシアには愛おしかった。
 子が生まれる頃には、まるで祝福するかのように花々が咲き乱れるだろう――そんな光景を想像すると胸が温かくなる。

「マーシャは変わらず元気でした。嬉しかった」

 穏やかなエリシアの顔を見てクロヴィスは微笑んだ。

「サーシャの他にも頼もしい者が増えて俺も安心した」
「ええ。けれども、ふたりともお互いに恐縮し合っていて全然話が進まないのです」
「子が生まれれば、マーシャも多忙になり恐縮している場合ではなくなるだろう」
「はい……。だからそれまでは、ふたり揃って私の傍にいてほしいのですけれども……」

 悩ましげにほぉっと溜息をつくエリシアに、クロヴィスは声を立てて笑った。
 エリシアは彼のその笑顔がたまらなく好きだった。
 初夜を迎えた頃は、無表情で感情の読み取れない人だと怖がっていたのが、まるで嘘のようだ。

『魔王だなんてとんでもない。穏やかでおやさしいお方ではありませんか』

 先ほど、マーシャがしみじみと言った言葉が脳裏に浮かぶ。
 エルヴァランでは特にクロヴィスが恐れられていて、マーシャもどんな恐ろしい皇帝に会うことになるのかと緊張していたらしい。
 だが実際に会ってみればまったく違ったと感じ、「エリシア様を見守る瞳は、まるで海や空のように広く、やさしく、穏やかでしたよ」と涙ぐみながら語ってくれた。

 そんなことを思い出していると、エリシアは胸がいっぱいになって泣きそうになった。妊娠中は、つくづく心がもろくなる。
 そんな彼女の様子に気づいたクロヴィスが、腰に手を添えてきた。

「どうした? すこし休もうか?」
「いいえ、大丈夫です。ただ、幸せだなと思って……」
「……そうか。俺も幸せだ」

 クロヴィスは穏やかに目を細めた。
 微笑み返しながら、エリシアは今まで内緒にしていたとっておきの吉報を伝えることにした。

「陛下は……お腹の子、男の子と女の子、どちらがよろしいですか?」
「どちら? 生まれて来てくれるなら、どちらでもかまわないが」
「そうおっしゃると思いました。でも、どちらも生まれるとなったら、いかがですか?」
「……どちらも?」

 目を丸くするクロヴィスに、エリシアはいたずらっぽい笑みを浮かべる。

「このあいだの診察で言われたのですが、もしかしたら双子かもしれないとのことでした」
「……本当か?」

 クロヴィスの顔がほころぶ。
 ヴァルハイムでは双子は吉報とされる。
 クロヴィスとエリシアという“双翼の神”が国を築いたという伝承の影響で、「ふたつでひとつ」を尊ぶ文化が根付いているからだ。
 特に男女の双子は二神の再来として神聖視されるほどである。
 もし本当に生まれれば、国中が歓喜に包まれるだろう。

 しかし、一瞬の喜びの後、クロヴィスの表情がわずかに曇った。

「双子となれば、ただでさえ大仕事の出産がさらに大変なものになる。……きみにかかる負担を、すこしでも俺が背負えたらいいのに」

 クロヴィスは三人分の重みを抱き締めるように、エリシアを優しく包み込んだ。
 子を心待ちにしているクロヴィスだが、やはり一番大切なのはエリシアだった。
 その温もりと深い愛情に胸いっぱいの幸福を感じながら、エリシアは大きな背中に手を回す。

「だいじょうぶです。私たちが離れることは、もう決してありません」

 そよぐ風が少し冷たくなってきた。
 日が傾き、重なり合うふたりの影が長く伸びる。
 夜が訪れる。
 そして、朝がまた来る。

 そんな当たり前のように、ふたりもまた共に生きていく。

(私たちはずっと一緒。この先何十年も、どちらかの命が果てるまで――いえきっと、次の人生でも、私たちはまた出会う)

 うなずくように、クロヴィスが微笑んだ。

「愛している、エリシア」
「私も愛しております。永遠に」

 口づけを交わすふたりに、やわらかな陽の光が降り注いでいた。





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