初夜での暗殺に失敗した私ですが、今宵も冷徹皇帝から甘く抱き尽くされております

プロローグ

　闇の中だった。

　ほのかな灯りさえない世界で、唯一鮮明だったのは、この体を抱く熱い体温と、内部を穿つ甘い快感だけだった。

「……きみは、俺だけのものだ」

　低く掠れた声が耳朶に沁みる。
　男の名どころか、姿さえわからない。けれどもその声は体内の隅々まで浸透し、胸を強く締めつけた。

　切なさに耐えきれず、声にならない吐息とともに、一筋の雫がこぼれた。
　すがりつくように、屈強なその体を抱きしめる。

　男は、とめどなく溢れる涙で唇を濡らすと、優しく口づけをした。
　腰がうねり、内部を巧みにえぐられ、さらに増す快感に、頭が真っ白になる。
　喘ぎ声を漏らすだけの唇を、なおも愛おしげについばみながら、男は抱きしめる腕に力を込めた。

「きみを絶対に離さない」

　低く告げられた言葉が、魂の奥まで染み込んだ。

（そう……私は、この人と生きていく）

　彼のなにもかもを知らない。なのに、この認識だけが唯一、明確だった。
　男の体に力が入り、律動が早くなる。意識は散り散りになり、ただ喘ぎ、快感に溺れるだけとなる。

　愛している。

　その悲しみを帯びた言霊は、彼と自分のどちらが発したものなのか――判然としないまま、ただ快感の渦に飲み込まれていく――


　※

「――っ！」

　エリシアは跳ね起きた。
　柔らかな絹の肌着に包まれた身体からは、汗がにじみ出ていた。

（……夢……？）

　胸に手を当てると、どくどくと脈打つ心音が、指先に響いた。

　暗闇の中で知らない男に抱かれている夢。
　その光景は非現実的なのに、感覚と感情があまりにも鮮明だった。

　今もすぐ隣に、あの男が眠っているかのような錯覚すらして、恐る恐る隣に視線をやる。
　当然ながら、ベッドには自分ひとりだった。
　息をつき、呼吸を整える。

（きっと、不安がまだ見ぬ夫の姿を見せたのね）

　小さく自嘲した。
　不安がもたらしたにしては、随分と甘い夢だった。

　相思相愛で肌を重ね合わせる切ない一夜。そんなものは、けして訪れるはずがないのに。

　あと数刻したら、婚礼を上げる。知らない国の、知らない男に我が身を捧げる。
　窓からは、目の覚めるような青空と、すでににぎわい始めている城下が見えた。
　なにも感じない、知らない景色。まばゆい朝日でさえ「知らない」と思った。

（……だめよ、しっかりしなきゃ）

　エリシアは、ぎゅっと拳を握り締め、自らを奮い立たせて言い聞かせた。
　平和は、まだ手に入れていない。
　これは、大切な人たちを守るための、たったひとりの戦いだ。