初夜での暗殺に失敗した私ですが、今宵も冷徹皇帝から甘く抱き尽くされております

葛和蛙蘭

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不穏な旅路➀

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 その夜以降も、エリシアの生活は大きく変わることはなかった。
 皇妃として周囲からは丁重に扱われ、夜には変わらずクロヴィスに抱かれた。

 とはいっても、あの夜のように朝まで攻め立てられる、ということはなかった。
 彼は変わらずエリシアを慈しみ、皇妃としてもひとりの女としても、丁寧に扱い続けた。

 エルヴァランも侵攻を受けることなく、和平は続いていた。
 クロヴィスはエリシアへの誓いを守ったのである。

 彼女の中でクロヴィスの印象は、すっかり様変わりしていた。
 恐ろしき魔王ではなく、ひとりの誠実な人間として映るようになっていた。

 そして、エリシア自身にも変化が起きていた。
 クロヴィスと肌を重ねることに、燃えるような悦びを感じるようになり、いっそう淫らに濡れ、甘く喘ぐようになっていた。
 それは単に体が慣れてきたからというだけでは片づけられないような現象だった。

 そんなある日、サーシャがエリシアにドレス一式を披露した。

「これは?」
「凱旋旅行の際、民の前に立たれる時の衣装でございます」

 近々、エリシアとクロヴィスはヴァルハイム帝国内を数週間かけて周遊することになっていた。
 凱旋という名目の他に、戦争に疲弊した貴族領地の視察や国民の慰撫、そして皇妃のお披露目――と様々な目的も含まれたものだった。
 このドレス一式は、各地で行うパレードや有力貴族の邸宅での一般参賀の際にまとう衣装だった。

 予想とは異なり、楚々とした装いだった。
 明るい配色は美しく、上質な生地を使っているが、煌びやかさに欠けていた。

「装飾を控え、親しみやすく見えるように、とのご意向です」
「陛下の?」
「はい。民の前に立つ時は、権威ではなく寄り添う姿勢を見せるのが望ましいというお考えによるものでして」
「そうでしたの」

 エリシアは思わず頷いた。
 戦争で疲弊した国民を威圧するのではなく導こうとする姿勢。
 それはエリシアの知る支配者像とはかけ離れていた。
 豪奢に飾り、力を誇示することが王権の象徴だったエルヴァランとは対照的だ。

「その代わり、お色は皇妃様にお似合いのものを選ばせていただきました。上品さと穏やかさを兼ね備えたお姿に、民はきっと心を打たれるでしょう。皆、平和の象徴である皇妃様を一目見るのを楽しみにしているのですよ」
「……平和の象徴?」

 思いがけない言葉に驚いた。
 サーシャは自分のことのように誇らしげに笑った。

「ええ。戦争が終わったのはエリシア様が嫁いでくださったおかげですから。女神のような方だと国中が噂しておりますよ」
「そんなことないわ。敵国から来た王妃をよく思わない者も多いはずでしょう?」
「もちろん中には偏見を持つ者もいるでしょう。でも、エリシア様のお姿を見れば、国民の心はきっと動きます」

 サーシャの言葉は嘘偽りのない力強さがあった。

「ありがとう、サーシャ。少し気が楽になったわ」
「いいえ。皇妃様のお力になれるのが、何よりの喜びです」

 敬意と憧憬に満ちた眼差しがあたたかかった。

(こんな私にも、まだできることがある、ということかしら)

 命と引き換えにクロヴィスを殺すことが、自分の存在意義だと思っていた。
 計画は破綻してしまい暗闇に放り投げだされたような心地になっていたが、何か光が見えたような気がした。

 同時に、胸騒ぎも感じていた。

 あの密書のあと、新しいものは来ていなかった。

 字は間違いなく父王の筆跡だった。
 ヴァルハイムの監視が行き届かないところで伝書鳩を受け取った者が、エリシアの居室に入ってあれを置いたということだ。
 そのスパイが誰であるかは、まったく見当がつかなかった。
 クロヴィスとエリシアの関係を知っているということは、かなり奥にまでもぐりこんでいると考えられる。

(父は計画を諦めてはいない。『来たるべき時』とは恐らく、暗殺か実行される時のこと……)

 凱旋旅行は慌ただしい旅程のため、クロヴィスが無防備になることも多い。
 スパイが暗躍するには絶好と機会といえた。


 ※

 凱旋旅行は三カ月におよぶ大規模なものだった。
 各地の国民は、覇王たる皇帝と、『琥珀の貴石』と称されるエリシアを熱狂的に迎え入れた。
 エリシアは己の役目を果たすべく、気品と温かさを併せ持つ存在を演じた。

 旅行がはじまり一カ月経った。
 クロヴィスとエリシアは、前線だった地域に入った。

 この日も、地方都市でのパレードが予定されていた。
 思いがけないほど小さな街だった。こんな辺境にも訪れるのかとすこし驚くほどだった。

 沿道には人々が集まり、目を輝かせながら隊列を見つめている。
 隊列の周囲を固めているのは、クロヴィスの近衛兵たちだった。
 彼らは皇帝直属の武装精鋭であり、かつての戦時中には幾度となく死地を共にくぐり抜けた戦友でもある。
 その忠誠は絶対で、クロヴィス自身もまた、彼らに全幅の信頼を置いていた。

 近衛兵たちを統べる隊長の名は、ロシェ・クレイリー。
 二十五歳という若さにして既に数々の戦場で功を挙げてきた男だった。
 鋼のような意志と冷静な判断力に加え、穏やかで物腰の柔らかな人柄は、兵士たちのみならず貴族たちの間でも一目置かれる存在だった。

 パレード開始直前、そのロシェがクロヴィスのもとへとやって来た。

「警備の配置、万事滞りなく手配いたしました」
「ご苦労だった。では、定刻通り始めるとしよう」
「はい。私は少し後方から全体の動きを監視しておりますが、少しでも不穏な気配を感じましたら、すぐさま陛下に連絡を」
「ああ。頼んだぞ」

 クロヴィスの短い言葉に深く頭を下げたロシェは、傍らのエリシアへも優しく微笑みかけた。

「慣れぬ地でのご巡幸、皇妃様もご心労のことと存じますが――このロシェ・クレイリー、全身全霊をもってお護りいたします。どうかご安心を」
「ありがとうございます。どうぞよろしくお願いいたします」

 微笑みを返すエリシアに、ロシェは意志の強さを秘めた茶色の瞳を細めた。

 再び敬礼すると、彼は踵を返して持ち場へと戻っていった。

 今回の巡幸におけるクロヴィスの身辺警護は、ロシェが一手に指揮をとっていた。
 だが今回のパレードは例外で、ふたりで相談を重ねながら計画を進めていた。
 その結果、本来なら皇帝のそばに就くはずの近衛兵たちは、一部配置を外れ各所の警備に分散することとなった。
 というのも、この街がかつて戦火の最前線であり、戦争終結後も慢性的な人手不足に陥っていたためである。

 パレードは無事に進行した。
 小さな町ではあったが、他の都市と変わらず集まった民衆の拍手と歓声は熱かった。
 向けられる眼差しには、クロヴィスに対する敬意とエリシアにそそがれる憧憬が満ちていた。

 だが、問題はパレードの直後に起きた。

 一行の馬車が小さな広場に到着し、クロヴィスとエリシアは降り立った。
 そこには、戦の拠点として力を尽くした地を称え、この地で命を落とした無数の兵士たちを悼むための鎮魂碑が建てられていた。

 ふたりは民衆に囲まれながら静かに石碑の前に立った。
 司祭が式典を始め、クロヴィスが静かに頭を垂れた――まさにその瞬間。

「死ね、魔王ッ!」

 甲高い声が広場をつんざいた。
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