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不穏な旅路②
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式典の補助を行っていた修道女が、短剣を握りしめながら一直線にクロヴィスへと跳びかかった。
ロシェ達が一斉に動くが、女の方がより近いところにひかえていたため、間に合わない。
クロヴィスが振り上げられた刃を素手で受け止めた。
女はあっさりと動きを封じられ、ロシェ達に捕らえられた。
「おのれ魔王……! よくもあの人を……! 夫を殺したのはおまえだっ!」
騒然とする中、女の怒声が響き渡る。
クロヴィスはエリシアを背に庇いながら、その悲痛な叫びを黙って受け止めていた。
クロヴィスの手は鮮血に染まっていた。
エリシアは思わずその手を凝視する。
「陛下、早く手当を……!」
「大した傷ではない。すぐに治る」
言葉の通り、何事もなかったかのように彼の手はすぐさま元に戻るのだろう。
だがエリシアの心は騒ぎ続けていた。
式典は急きょ中止となった。
騒然とした広場を後にして、クロヴィスとエリシアは警護に囲まれながら馬車へと戻った。
馬車まで随行したロシェは、沈痛な面持ちをしていた。
「陛下、傷の具合は?」
「大事ない。かすり傷だ、騒ぐほどではない」
「……申し訳ございませんでした。私の警備が至らず……」
「よい。想定の範囲内だ」
短く言い切ったクロヴィスは、一瞬だけ間を置くと続けた。
「それより、あの女だが。重い刑は免じてやってくれ」
「は……しかし、あれは明確な――」
「分かっている。だが命までは奪うな。牢に入れて、今後、同様の者が現れぬよう、民衆への示しだけはつけろ」
ロシェはなおも言葉を探していたが、やがて頭を垂れ、「御意」とだけ応じると、騎士らを率いて再び騒乱の収束へと戻っていった。
馬車がゆっくりと走り出す。
「……怖い思いをさせて、すまなかったな」
静かな口調でそう言われ、エリシアははっと顔を上げた。
「いえ。……傷が深くないと伺って、ほっといたしました。ですが何故素手で……万が一、神経まで達していたら……」
「あまりに突然で、ああするしか判断できなかったんだ。大丈夫だ、傷は深くない」
「なら、安心しましたが……」
柔らかく微笑み返しながらも、エリシアの内心には気になることがあった。
――皇帝に刃を向けるとは、たとえ市井の者でも大逆である。命の保証など本来、あるはずもない。
それなのに、クロヴィスはその女に対し、あまりにも寛容だった。
エリシアが視線を落としたまま黙っていると、それを察したようにクロヴィスが口を開いた。
「……この町は、長く前線だった。敵との接戦が続き、幾度も血が流れた。残された家族は今も悲しみや憎しみを抱えている。あの女も、そのひとりだろう」
静かに語りながら、クロヴィスは車窓の向こうを見つめた。
騒ぎを聞きつけた民がふたりを乗せた馬車を見送っていた。
皇帝の様子が気になるようだったが、かといって誰も彼を労わる声を上げない。
その視線には、複雑な色が混じっていた。
「……やはり、俺が訪れるのは、まだ早かったかもしれないな」
クロヴィスがぽつりと呟いた。
そこには皇帝としての孤独がにじんでいた。
滞在先となっている侯爵家の邸宅へ戻るや否や、出迎えた使用人たちは一様に驚愕の表情を浮かべた。
クロヴィスはすぐに治療室へ通され、傷の手当てを受ける。
その周囲を、ロシェを筆頭とした近衛兵たちが取り囲んでいた。
彼らは皆、膝をつき、深く頭を垂れている。
敬愛する主の負傷に、強い衝撃を受けているのが一目で分かった。
なにより、自らの任務を全うできなかったという悔恨が、彼らの背を沈ませていた。
「おまえたちがこの地の巡行に難色を示していたにもかかわらず強行したのは俺だ。責めるなら俺を責めよ」
クロヴィスの口調はあくまで穏やかだった。
「……それより、混乱の収束を急げ。街の不安を鎮めるのが先だ。俺のことは心配いらん」
「はっ!」
近衛兵たちは一斉に敬礼し、足早に部屋を後にした。
最後となったロシェが、離れた場所で見守っていたエリシアの元へ行き姿勢を正した。
「……危険にさらしてしまい、申し訳ございませんでした、皇妃様」
「いいえ。陛下が守ってくださったので、私は無事でした」
エリシアが静かに答えると、ロシェは小さくうなずいた。
「陛下なら、あの短剣を容易く払いのけることもできたはず。しかし――おそらく、皇妃様の身に危険が及ぶ可能性を恐れて、あえてその身で受け止められたのでしょう」
エリシアははっとして視線を落とした。
(私を守るために、傷ついたというの……?)
ロシェは表情を引き締め、すっと膝をつく。
「どうか、お許しください。我々の不甲斐なさゆえに、皇妃様に恐ろしい思いをさせてしまった……」
「いいのです。あなたたちも、どうか無理をなさらず、ご自愛ください」
エリシアが柔らかく微笑むと、ロシェは胸に手を当て、深く敬礼してから静かに退出していった。
その直後、様子をうかがっていたサーシャがやってきた。
エリシアのドレスに微かに血が付いているのを見て目を見開く。
クロヴィスは傷つきながらも、エリシアを守ろうと常に手を添えていてくれた。その時に付いたものだろう。
「お怪我がないのでしたらよかった。部屋に戻って着替えいたしましょう」
「ええ。でも陛下が……」
洗濯係の手間を考えると、言われた通り早く着替えた方がいい。
でも、クロヴィスのもとを離れるのが苦しかった。
締めつけられるかのように胸が痛んでいた。彼のそばにいたかった。
とはいっても、彼はすでに指示出しに忙しいようだった。
自室に戻り着替えを済ませたエリシアは、静まり返った部屋の中で目を閉じた。
自分のために血を流してくれたクロヴィス。
傷口からにじんでいた赤が、まぶたの裏に焼きついて離れない。
彼が傷付いただけでもこんなに胸が痛む自分を知ってしまった。
※
暗殺の危惧も続いていた。
内に外にと敵が多いクロヴィスの現状をエリシアは知ることとなった。
しかし、騒動があったものの、彼の強い意向によって巡幸は継続された。
エリシアは、自分の気持ちと彼からの思いを、さらに知ることになる。
ロシェ達が一斉に動くが、女の方がより近いところにひかえていたため、間に合わない。
クロヴィスが振り上げられた刃を素手で受け止めた。
女はあっさりと動きを封じられ、ロシェ達に捕らえられた。
「おのれ魔王……! よくもあの人を……! 夫を殺したのはおまえだっ!」
騒然とする中、女の怒声が響き渡る。
クロヴィスはエリシアを背に庇いながら、その悲痛な叫びを黙って受け止めていた。
クロヴィスの手は鮮血に染まっていた。
エリシアは思わずその手を凝視する。
「陛下、早く手当を……!」
「大した傷ではない。すぐに治る」
言葉の通り、何事もなかったかのように彼の手はすぐさま元に戻るのだろう。
だがエリシアの心は騒ぎ続けていた。
式典は急きょ中止となった。
騒然とした広場を後にして、クロヴィスとエリシアは警護に囲まれながら馬車へと戻った。
馬車まで随行したロシェは、沈痛な面持ちをしていた。
「陛下、傷の具合は?」
「大事ない。かすり傷だ、騒ぐほどではない」
「……申し訳ございませんでした。私の警備が至らず……」
「よい。想定の範囲内だ」
短く言い切ったクロヴィスは、一瞬だけ間を置くと続けた。
「それより、あの女だが。重い刑は免じてやってくれ」
「は……しかし、あれは明確な――」
「分かっている。だが命までは奪うな。牢に入れて、今後、同様の者が現れぬよう、民衆への示しだけはつけろ」
ロシェはなおも言葉を探していたが、やがて頭を垂れ、「御意」とだけ応じると、騎士らを率いて再び騒乱の収束へと戻っていった。
馬車がゆっくりと走り出す。
「……怖い思いをさせて、すまなかったな」
静かな口調でそう言われ、エリシアははっと顔を上げた。
「いえ。……傷が深くないと伺って、ほっといたしました。ですが何故素手で……万が一、神経まで達していたら……」
「あまりに突然で、ああするしか判断できなかったんだ。大丈夫だ、傷は深くない」
「なら、安心しましたが……」
柔らかく微笑み返しながらも、エリシアの内心には気になることがあった。
――皇帝に刃を向けるとは、たとえ市井の者でも大逆である。命の保証など本来、あるはずもない。
それなのに、クロヴィスはその女に対し、あまりにも寛容だった。
エリシアが視線を落としたまま黙っていると、それを察したようにクロヴィスが口を開いた。
「……この町は、長く前線だった。敵との接戦が続き、幾度も血が流れた。残された家族は今も悲しみや憎しみを抱えている。あの女も、そのひとりだろう」
静かに語りながら、クロヴィスは車窓の向こうを見つめた。
騒ぎを聞きつけた民がふたりを乗せた馬車を見送っていた。
皇帝の様子が気になるようだったが、かといって誰も彼を労わる声を上げない。
その視線には、複雑な色が混じっていた。
「……やはり、俺が訪れるのは、まだ早かったかもしれないな」
クロヴィスがぽつりと呟いた。
そこには皇帝としての孤独がにじんでいた。
滞在先となっている侯爵家の邸宅へ戻るや否や、出迎えた使用人たちは一様に驚愕の表情を浮かべた。
クロヴィスはすぐに治療室へ通され、傷の手当てを受ける。
その周囲を、ロシェを筆頭とした近衛兵たちが取り囲んでいた。
彼らは皆、膝をつき、深く頭を垂れている。
敬愛する主の負傷に、強い衝撃を受けているのが一目で分かった。
なにより、自らの任務を全うできなかったという悔恨が、彼らの背を沈ませていた。
「おまえたちがこの地の巡行に難色を示していたにもかかわらず強行したのは俺だ。責めるなら俺を責めよ」
クロヴィスの口調はあくまで穏やかだった。
「……それより、混乱の収束を急げ。街の不安を鎮めるのが先だ。俺のことは心配いらん」
「はっ!」
近衛兵たちは一斉に敬礼し、足早に部屋を後にした。
最後となったロシェが、離れた場所で見守っていたエリシアの元へ行き姿勢を正した。
「……危険にさらしてしまい、申し訳ございませんでした、皇妃様」
「いいえ。陛下が守ってくださったので、私は無事でした」
エリシアが静かに答えると、ロシェは小さくうなずいた。
「陛下なら、あの短剣を容易く払いのけることもできたはず。しかし――おそらく、皇妃様の身に危険が及ぶ可能性を恐れて、あえてその身で受け止められたのでしょう」
エリシアははっとして視線を落とした。
(私を守るために、傷ついたというの……?)
ロシェは表情を引き締め、すっと膝をつく。
「どうか、お許しください。我々の不甲斐なさゆえに、皇妃様に恐ろしい思いをさせてしまった……」
「いいのです。あなたたちも、どうか無理をなさらず、ご自愛ください」
エリシアが柔らかく微笑むと、ロシェは胸に手を当て、深く敬礼してから静かに退出していった。
その直後、様子をうかがっていたサーシャがやってきた。
エリシアのドレスに微かに血が付いているのを見て目を見開く。
クロヴィスは傷つきながらも、エリシアを守ろうと常に手を添えていてくれた。その時に付いたものだろう。
「お怪我がないのでしたらよかった。部屋に戻って着替えいたしましょう」
「ええ。でも陛下が……」
洗濯係の手間を考えると、言われた通り早く着替えた方がいい。
でも、クロヴィスのもとを離れるのが苦しかった。
締めつけられるかのように胸が痛んでいた。彼のそばにいたかった。
とはいっても、彼はすでに指示出しに忙しいようだった。
自室に戻り着替えを済ませたエリシアは、静まり返った部屋の中で目を閉じた。
自分のために血を流してくれたクロヴィス。
傷口からにじんでいた赤が、まぶたの裏に焼きついて離れない。
彼が傷付いただけでもこんなに胸が痛む自分を知ってしまった。
※
暗殺の危惧も続いていた。
内に外にと敵が多いクロヴィスの現状をエリシアは知ることとなった。
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