『0.5秒の永遠 ~復讐のために心を捨てた少女は、最強の兵器となって涙を流す~』

Renato

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第9話 雨の中の選択

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1
 AION本部タワー、作戦指令室。
 空中に投影されたホログラムに映し出されたのは、国家公安局特務課、ロイの顔写真と、現在の位置情報(GPS)がリアルタイムで表示されていた。

「この野良犬は、嗅覚が良すぎる。大学周辺での君の目撃情報と、カイト君の事故現場の不整合を嗅ぎつけたようだ」

 ヴィンセントがグラスを揺らす。

「放置すれば、君の『正体』にも辿り着くだろう。……彼を消しなさい」

 エレナは無表情を装いながら、爪が掌に食い込むほど拳を握りしめていた。
 ロイは、カイトの無念を晴らそうとしてくれている唯一の人間だ。それを、カイトの恋人である私が殺すのか。

「……彼は警察官です。殺せば組織へのマークが厳しくなります」

「構わんよ。事故に見せかけるか、あるいはライバル組織『BEHEMOTH』の仕業に見せかければいい」

 ヴィンセントがエレナの顔を覗き込む。その瞳は、機械の奥にある「心」の揺らぎを見透かしているようだった。

「できないかね?エレナ。復讐のために心を捨てた君なら、障害を排除することに躊躇はないはずだ」

「…………」

 試されている。
 ここで拒絶すれば、ゆらぎプログラムの計測は中止。私は「不良品」として廃棄され、カイトの復讐も終わる。
 エレナは感情制御システムを最大出力で稼働させ、声を凍らせた。

「了解しました。……排除します」

 エレナは無表情で踵を返した。
 その胸の内で、心が悲鳴を上げていた。

2
 冷たい雨が降る夜だった。
 スラム街の寂れた屋台で、ロイは安い合成酒を煽っていた。
 ビルの屋上からそれを監視するエレナの視覚センサーが、ズームアップする。 ロイの手元には、濡れた写真があった。生前のカイトと、まだ人間だった頃のエレナが笑い合っている写真だ。

「……バカ野郎が。何をしたってんだよ」

 ロイの声が、集音マイクを通して聞こえてくる。

「こんな笑顔を残して逝きやがって。……必ず暴いてやるからな。安らかに眠ってくれ」

 彼は本気で、死んだ私たちのために怒り、悲しんでくれている。
 エレナの視界に『ストレス値:限界突破(クリティカル)』の警告が赤く点滅した。

『マスター、バイタル不安定。任務の遂行に支障が出ます』

「……分かってる。分かってるよ、アイギス」

 殺したくない。
 でも、私がやらなければ、ヴィンセントは別の刺客を送るだろう。もっと残忍な、躊躇のない殺し屋を。
 だとしたら、私がやるしかない。……せめて、苦しませずに一瞬で。
 エレナは黒いフェイスマスクを装着し、感情をシステムで強制凍結した。
 雨に紛れて、鋼鉄の魔女が空を舞う。

3
 深夜の倉庫街への帰り道。
 ロイが街灯のない路地裏に入った瞬間、エレナは動いた。
 音もなくロイの背後を取り、高周波ブレードを抜き放つ。
 ――もらった。
 だが、ブレードが首に触れる直前、殺気など出していないはずだ。なのに、彼は「空気が動く音」だけに反応した。

 《シナプス・オーバードライブ》。

 酒に酔っていたはずの男が、獣のような勘だけで体を捻り、バックステップで回避する。

「ッ!?……誰だ!シンジケートの犬か!」

 ロイが懐から大型拳銃を抜いた。その動作は、酔っ払いのそれではなく、研ぎ澄まされた戦士の動きだった。

「俺の嗅ぎ回ってる嗅覚が正解だって、答え合わせに来てくれたのか?」

 ロイが引き金を引く。
 マズルフラッシュが闇を切り裂く。

 エレナは《クオリア・ブースト》を発動した。

 弾道が見える。銃口の向き、ロイの筋肉の収縮。全てがスローモーションの世界。
 エレナは最小限の動きで銃弾を回避し、踏み込んだ。
 勝負は一瞬だ。
 ロイの反応速度は驚異的だが、エレナの「未来予知」と「身体スペック」には及ばない。

 エレナはロイの銃を蹴り飛ばし、その喉元にブレードを突きつけた。

「ぐっ……!」

 ロイが壁に押し付けられ、呻く。 あとは、押し込むだけ。
 それで終わる。

 (……できない)

 エレナのブレードが、皮膚の一枚手前で止まった。震えが止まらない。
 指が止まる。
 マスクの下で、エレナの呼吸が乱れていた。
 カイトのために戦うこの男を、カイトに愛された私が殺すなんて、そんな間違いは許されない。

4
『……踊り方がぎこちないね、エレナ』

 脳内に、ヴィンセントの声が響いた。
 通信回線ではない。OSの深層領域への直接介入だ。

『手伝ってあげよう。引き金を引くのは、指の筋肉信号だけでいい』

「やめ……!」

 エレナの意思とは無関係に、右腕のモーターが唸りを上げた。
 制御権を奪われた。
 ブレードが、正確無比にロイの心臓を狙って動き出す。
 ロイの瞳が見開かれる。死を覚悟した男の目。

(嫌だ、殺したくない!彼はカイトのために……!)

 エレナの心臓(コア)が、拒絶の熱で焼き切れそうになる。
 システムに抗う。ヴィンセントの強制操作と、エレナの自我が衝突し、火花を散らす。

5
 突き出されるブレード。
 もはや止めることはできない。ならば――逸らすしかない。

 《クオリア・ブースト、最大出力》

 エレナは全演算能力を、戦闘予測ではなく、自身の右腕の「誤作動」を起こすためだけに使用した。
 0.5秒先の未来を、数ミリだけ書き換える。
 ドスッ!
 鈍い音が響いた。
 ブレードはロイの心臓を外れ、左肩を深々と貫いた。
 そして、その勢いのまま、ロイの背後の壁に張り付いていた「虫」――ヴィンセントが監視用に放っていた超小型ドローンを串刺しにして破壊した。
 プツン。
 監視映像が途切れる音がした。

「が、あぁぁッ……!」

 ロイが苦悶の声を上げて崩れ落ちる。
 監視の目が消えた瞬間、エレナの腕に制御が戻った。

6
 エレナは荒い息を吐きながら、血に濡れたブレードを引き抜いた。
 ロイは肩を押さえてうずくまっている。致命傷ではないが、出血がひどい。
 エレナは懐から、AION製の高級止血ナノジェルを取り出し、ロイの足元へ投げ捨てた。

「……使え」

 ボイスチェンジャーで歪められた機械音声。
 ロイが痛みに歪む顔を上げ、転がってきたカプセルを見る。

「……は?なんで……」
「この件から手を引け。次は、外さない」

 それは脅迫の形をした、精一杯の懇願だった。
 もう関わらないで。これ以上近づけば、私は本当にあなたを殺さなければならなくなる。
 エレナは踵を返し、雨の闇へと溶けるように姿を消した。
 残されたロイは、震える手でナノジェルを傷口に押し当てた。
 傷が塞がっていく感覚と共に、彼の脳裏にある疑念が浮かんでいた。

 ――あいつは、心臓を狙えたはずだ。
 ――それに、俺の背後で何かが砕ける音がした。あいつは何を攻撃したんだ?

「……ふざけた真似しやがって」

 ロイは雨空を睨んだ。その目は、敵への憎しみとは違う光を帯びていた。

7
 AION本部。
 モニターの映像が途切れた直後、エレナからの音声報告が入った。

『ターゲットは重傷を負い、海へ転落。生存の可能性は極めて低いと判断します』

 明らかな虚偽報告。
 ヴィンセントは紅茶のカップを置き、破壊された監視カメラの最後の映像
――エレナが「必死に抵抗して軌道をずらした」瞬間のデータ解析画面を見つめた。

「……まあいい」

 彼は責めなかった。

「君が引き金を引いた『事実』は確認した。……下がりなさい」

 廊下を歩くエレナの手は、震えが止まらなかった。
 ロイの血の感触が、センサーに残っている。
 私は、人の道を外れていく。けれど、その先にしか掴めない光がある――。
 彼女は血塗れの拳を握りしめ、闇の奥へと進んでいった。

 一方、執務室に残ったヴィンセントは、別のモニターを見つめていた。
 そこに映し出されているのは、エレナの視覚ログではなく、彼女のシステム内に仕込んだバックドアから吸い上げた、サカキ商会での解析データそのものだった。

『……座標データだけは解読できた。大学の敷地内にある「旧植物園」の地下だ』

 ログの中で、サカキの声が再生される。
 ヴィンセントは満足げに頷いた。

「ご苦労、サカキ先生。解析の手間が省けたよ」

 彼は手元のキーボードを叩き、暗号化されたメールを作成した。
 宛先は、敵対組織BEHEMOTHの幹部。
 件名は――『AIONの隠し資産、旧植物園にあり』。

「さあ、急ぎたまえハイエナども。食い散らかす時間だ」

 送信キーを押す。
 その指先一つで、明日の植物園が地獄に変わることが決定した。
 ヴィンセントは楽しげに笑い、部屋の照明を落とした。
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