僕しかいない。

紺色橙

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17 僕の王様

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-17- ムラサキ

 眠くなってしまったのだろうか。
 時間はそんなに遅くもないけれど、テーブルに両腕を付き伏せ、彼は目を閉じていた。
 顔が見やすいように斜めの位置に座り静かな寝顔をじっと見る。
 この可愛い人に触らせてもらえただけで今後生きていけるんじゃないかと思ったけれど、お風呂から上がりこんな姿を見てしまうと、今後一生思い出だけで生きていくなんて出来やしないと即訂正された。
 部屋は床暖房もつけていて暖かいが、このまま眠ってしまうようならどうにかしないといけないな。

 彼の目がゆっくりと開き、凝視していたお返しのようにじっと見つめられる。
「お布団いきましょう」
 声をかければガバっとその身を起こし慌てたように言う。
「俺の服色落ちしてムラサキの赤くしちゃうかも」
 家で洗濯はしたんだけどと続けられる言葉に大丈夫ですよと声をかける。
「この家で汚す予定なんか無かったのに、ごめん」
 洗濯する予定なんかなければ色落ちも気にせず済んだのに、と。
「もし色落ちして他のものに移ってたら優弥くんがいてくれた証拠になりますね。それをいつも家で着られたら、なんだかすごく嬉しいかも」
「変なこと言うなよ」と彼は困ったように笑った。
 別にさほど汚したわけでもない服を洗濯したのは逃さないためにというのが9割なのに、そんな心配だなんてと心の中で懺悔する。

 一度目が覚めたらもう眠くなることはしばらく無いと言いつつも、一応早めに歯磨きをした。
 ゲームもせず、グラスから滴り円を描いた水溜りを指でなぞりながら彼がチラと僕を見る。
「あの、さっきのだけど」
 言い淀む彼は発する言葉を作り出してはいなかったらしい。
「ムラサキは友達とああして、触り合ったりしてんの?」
「しないです」
 即否定してから、その言葉にある可能性に気づいた。
 そういうこと、に彼はしたかったのか。別に特別なことじゃないって。
 だけど僕は優弥くん以外にそういう意図を持って触れることはないと誓うように否定してしまった。
「そーなんだ」
 やっぱり。眉をひそめ黙ってしまった。
 でも、どの道それは受け入れられない。彼にあんなことを"当たり前"として持ってほしくない。そんなことになったら、いつどこの誰に触られてしまうかわからない。
「優弥くん」と呼ぶのに重なるように矢継ぎ早に彼が言う。
「俺は気持ちよかった。ムラサキもだろ? だから、それで良かったってんじゃダメ?」
 これは好きという感情の否定だろうか。僕の気持ちに気づいてか、それとも気づかずに?
 気づいてだとしたらもう望みはないということ。それなら"当たり前"を否定することは僕の否定にもなってしまうか。
「人にされるの気持ちいいし、金かけずに手っ取り早く処理したって感じで……」
 彼が最後までその言葉をすべて伝えてくれるのを待つ。
 僕の様子を見るように、何か怯えるように紡がれる。
「服も今、ないし。さっきの、お前が気にしないでいてくれたら嬉しい」
 もうしばらくこの家に滞在することになるからということ?
 だから無かったことにはできないけれど、気にするようなものでもないと捨て置きたいと。
 洗濯したことで彼がまだいてくれる気になっているのなら、やはり僕のやったことは正解だった。
「気にしないでっていうのは、忘れろってことですか」
「忘れるっていうか、まぁ」
 それは無理だよ。したくない。
「それとももう一度同じことをしてもいいってことですか」
 え、と彼が僕を仰ぎ見る。
「あんなのなんてことのない普通の行為だから、構わないっていうことですか」
 彼の最初の問いはそういうことだと思うのだけど。
 僕の言葉に彼はうーんと悩み込んでしまった。
 その様子に嫌われてはいないんだろうと思う。さっき触ったのも気まずさは盛大にあれど嫌悪感はそんなにないんじゃないかな。
 彼が積極的にやってくれたことは僕にとっては全くの予想外で、そして喜びだった。
 第一印象は正しいものだなと、あの喫茶店で王様のようだと思った姿を思い出した。僕を見下すようだと思ったあの強い姿がそのまま先程見られたものだから、傅きたいとさえ思った。
 好きと言わずとも、こうやって肌を合わせて気持ちよくさせて、彼を独占出来たらいいのだろうか。
 可愛らしくまともな恋心は隠して独占欲だけ顕にして、体を貰えればそのうち心も貰えるだろうか。
 手っ取り早い処理としてあんなことが許されるのなら、便利な道具としてさえも触ることを許されるのならば、当然それを僕は使う。
 食事や握手、子供を抱っこすることのように当たり前で何も気にすることはない普通の仕草・行為・行動だと彼が認識するくらいには、僕は。
 悩んだままの彼は否定を未だに発さなかった。


 加湿器の水を新しくして、布団の中に潜りこむ。
 一つしかないベッドに彼を当然のように誘い、包み込んだ。
 彼の家のベッドならきっともっとくっつけるだろうに。手を伸ばさなくてもすぐそこに体温を感じられるだろうにと、無駄に伸びた身長に合わせて縦も横も大きなサイズにしたベッドを悔やむ。
「寒いですね」と身を寄せれば、彼は同意の声を上げて口元まで布団に潜り込んだ。
 彼をやんわりと抱き込む。
「いつも一人だと、寝るまで寒いなぁって思ってて」
「俺湯たんぽになる?」
 笑う彼に笑みを返す。
「このベッド広いよな」
「父が同じく背が高いので、このサイズがいいって指定されたんです」
 おかげで近寄らないと体温は感じられないけれど、こうして二人入ることができる。彼にとってはその方が居心地はいいみたい。
 天井を見る黒い瞳。これがさっきはすぐ近くにあって、僕を見ていた。その唇をたっぷり味わったし、整髪料のつけられていないさらりと落ちる髪も撫でられた。
 あれだけ触りまくったからか、抱きしめられることはもう慣れたのだろう。優弥君の腹がゆっくり上下するのを腕で感じる。
 そのまま僕に触られるのが当たり前になればいい。スキンシップの多い奴だと、抱きしめられるのもいつものことだと、そうなってしまえばいい。

「湯たんぽは明日の夜もありますか」
「ん?」
「明日何時までならいられますか。日曜日は?」
「いや、起きたらすぐ帰るよ」
「どうして?」
「どうしてって……」
 特に決まった予定はないのだろうか。責めるような問いに彼は口ごもる。
「理由が、ないよ。そんなにここにいる理由がない」
 こてん、と優弥君が頭を壁の方に傾ける。そうしたら顔が見えなくなってしまうから、僕は横向きにベッドに肘をつき頭を支えた。少し上から彼を見下ろす。
「お店で言いましたよね。理由は、僕があなたと一緒に、ずっと、いたいからです」
 強調するようにはっきりと言い放つ。
 彼はため息をつくように唸り目を伏せ、体ごと壁に向くと布団に額まで潜り込んでしまった。
 どうしたらいいかな。
 力を抜いて枕に頭をぼすっと乗せた。抱きしめていた腕は離れ、漂う名残しか熱は感じられない。
 照れているのかな。だって彼は逃げていかないし。確かに彼を逃がさないようにと壁のほうに案内したけど、それにしたって蹴飛ばすことだってできるんだ。
 好きと言ったら、答えを返さなければならないと彼は考え、その想いは受け取れないと断られ全て終わってしまうだろう。それなら曖昧なままがいい。言葉さえ言わなければ、彼はきっとよくわからないこの僕の行動も発言も曖昧なまま受け入れてくれる。
 好きだと、うっかりすれば息を吐くように口から出そうになるけれど。

「ムラサキ、彼女いねーの?」
 背を向けたままの彼。
「いないですよ。恋人はいないです」
 聞いた割りには、ふぅん、と興味なさそうな返事。
「お前ならすぐ彼女なんか作れるだろうし、そーしたら、夜も寒くないよ」
 湯たんぽへの提案だ。
「恋人は、すぐ作れないですよ。僕がいくら好きでも相手次第ですからね」
 僕が好きだと言って、それでじゃあ恋人になりましょうって契約できたら良いんだけど。
 恋人だからといって結婚したからといって相手を縛れるわけではないけれど、一般的には複数の交際相手を持つことは自然ではない。それならやはり彼を友人ではなく恋人にしたら、きっと彼は僕だけのものになってくれる。少なくとも、確率は上がる。
 だから好きだと言って、ちゃんと恋人になりたいんだけどな。
 でも今隣りにいてくれる事実を手放せない。
「好きだと言って、断られるのが怖いんです。そのまま傍にいられなくなるのが」
 優弥くんが顔をこっちに傾け、そのまま体もごろりと転がってくる。
 合う視線に目を細める。
「好きな人がいるんだ?」
「いますよ。すごく好きだから、だから、言えないんです」
 彼は眉をひそめ、なんだか憐れむように僕を見ていた。
「お前でもそういうの怖いんだな。断られることなんかなさそうなのに」
 まるで自分のことだとは思っていないのだろう。全く知らないどこかの誰かを想像して、僕に同情してくれる。
 優弥くんの手が慰めるように僕の頭を撫でた。
「俺の友達も今、恋人未満やってる。友達がさ、めっちゃ積極的に行くんだよ。だから女の子も戸惑いつつも、言い方悪いけど流されてるみたいな」
「流される……」
「女の子もその気になってるみたいで、今度デートするって。ちょうどクリスマスくらいだから、プレゼントどうしようって聞いてくんだよ。可愛いよね」
 僕が覗き見してしまったチャットの内容。
「もしかしてその人って、先日言ってたゲームの試合に一緒に行った人?」
「そう。今まで男に縁がなかったんだって。だから俺が男だし、頭も派手だし、その人より若いしってので最初は戸惑いってか、そんなのあったみたい」
 わざわざチャットで相談していたから、近くの友達ではないかなと思ったのだけどそうだったらしい。じゃあ優弥くんの髪色について言った僕が気にしていたその人は、優弥くんの友達とうまくいきそうなのか。
「うまくいくといいですね。友達さん達」
 絶対にうまくいって欲しい。
「いくとおもうよー。二人だけで遊べるように俺が参加するのもずらしてたんだ」
「それで僕の家でゲームする時間が増えたりもしたんですか?」
 一人だと寂しいから。
「そういうわけじゃないけど、んー、どうだろ。単純にムラサキといるの楽しいし」
 そう小さく笑った彼が可愛くて、シーツに皺が寄らないように少し体を浮かせて彼に近寄り、再びその体に腕を伸ばす。
「なんだよ」
 体温も呼吸も感じられる距離。目前の彼にそのままキスしてしまいたい。
「キスしてもいいですか」
「そういうのは彼女にしな」
 あまりにもあっさりと拒絶された。さっきは抵抗なく受け入れてくれたのに。どうして。
 好きな人がいると言ったから? 知らぬ誰かに遠慮しているのか、それとも冷静になってしまってキスなんてありえないことだとただ普通に拒絶されているのか。
 額が当たるほど顔を寄せる。
 優弥くんは目を伏せて、静かに息を吐いた。
 ぐいっと顎を押し返される。
 やっぱり流されてはくれないか。
 それでも彼は僕自体をどかしはしないから、僕はそれだけを享受することにした。
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